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書籍の森・・・ドリス・レッシングの『黄金のノート』と『老首長の国』

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ライン緑
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『黄金のノート』ドリス・メイ・レッシング著

ドリス・メイ・レッシング 3

ドリス・メイ・レッシング 15

Doris May Lessing
 ノーベル文学賞は例年10月上旬に日本時間で午後の夕刻8時に発表される。また日程の詳細はその年の4月に好評されている。その半年間、毎年、有力候補が取り沙汰されるのであるのだから、予想される候補者らはあらかじめ自宅か所定の場でその日の沙汰を身構えるものだ。

 しかし2007年はいつもと状況が違う。受賞者ドリス・メイ・レッシングは、その時間帯に買い物に出掛けていた。したがってこの受賞情報は直に伝わってはいない。ドリス・レッシングがそのことを知ったのは、買い物から帰宅した際に待ち受けていた取材人のインタビューから飛び出した一言であった。

 その2007年、スウェーデン・アカデミーは10月11日、ノーベル文学賞を英国在住のドリス・レッシング氏(87歳)に授与すると発表した。

 史上最年長での受賞者となった。

 この受賞を知らされる87歳の彼女の、買い物帰りに帰宅したその場面の映像はまことに保存版に値する。じつにほのぼのとした表情と対応コメントとが普段なのである。「きっと他の受賞されるべき人が、すでに他界されていたのでしょうね」と、あっさりと、きっぱりとした、そして一市民的なのどかで爽やかなスタイルの印象に残る軽妙な受賞スタンスであった。

 アカデミーによると「女性の抒情詩人として、懐疑、情熱、先見性をもって分断された現代社会を洞察し描いた」というのが受賞の理由である。これによってドリス氏は女性として史上11人目、また史上最高齢での文学賞受賞となった。賞金は1,000万スウェーデン・クローナ(約1億8,000万円)で、授賞式はノーベルの命日である12月10日にストックホルムにて行われた。

ドリス・メイ・レッシング 1

 レッシング氏は1919年にペルシャ(現イラン)生まれ。5歳のときから25年間南ローデシア(現ジンバブエ)に在住し、その後英国に渡ってから「草は歌っている」(1950年)をはじめとする数多くの作品を発表し評価されてきた。また、代表作である「黄金のノート」(1962年)は20世紀のフェミニズム運動に大きな影響を与えている。おおむね評すれば、これらを評価されての受賞となった。

 そんな彼女の代表作『黄金のノート』初版は1962年。 著者40代の作品である。 ドリス・レッシングは1980年代にもノーベル賞候補になったが、以後、候補からはずれていたかのように見えていた時期が長い。欧米では2007年の受賞は遅すぎるとのコメントも出た。

 だが、代表作『黄金のノート』は今日読んでも遅すぎることはない。作品には、執筆当時の社会背景が描かれ、その多くはすでに大きな変貌をとげてしまっている。だがそこから逆に、レッシングの視点は、その時代だけに通用する一時的なものに動かされてはいないということが分るのである。2012年の現在、執筆から50年後の今だからこそ彼女の時をも超える眼力がいっそう鮮明になる。

 漱太郎が最初にこの『黄金のノート』に出逢ったのは1983年の神保町。その日は確か数軒の古書店を歩き回った記憶があるが、その内一件の古本のなかに紛れこんでいた。

 その日から三日後の誕生日に『黄金のノート』を読了する。

 今から約30年前の話である。

 思えば20回目の誕生日。当時学生であったから、講義2つと友人のトラブル処理でぱっとしない1日を過ごす。お昼に小さなお握り弁当を買って、一人早稲田の杜でひっそりと食す。アルバイトを怠けていたので、小銭しかない。誕生日だからとお気に入りの「デラックス弁当スペシャル」という弁当を自分にプレゼント。そんな叶わぬ気分を抱きつつ、弁当を手渡してくれたお姉さんに、「今日は誕生日なのです」と言いたかったけれど、それはフッと思い出したこともあり言い止めた。

 三日前に買った古本の『黄金のノート』の序文に―――そもそも本というものはその構成、形式、意図が理解されなかったときにのみ生命を持つ。―――とあり、なぜかここを思い出したのだ。

 弁当も同じなのではないのか。弁当というものの構成、形式、意図が理解されなかったときにのみ生命を持つ。人生、後にも先にも、自身で選んで買った弁当に、哲学的な目線を送ったのはこの日の小さなお握り弁当の他はない。これは特筆すべきことであった。

 したがって小さなお握り二個を細々とかじりながら、残された後30ページほどを早稲田の杜陰でひっそりとレッシングの『黄金のノート』読了!。そんな思い入れもある『黄金のノート』は、もしかしたら生涯のベスト10に入るんじゃないかと思う。

 当時、確かに、かなりいれこんで読んだ。
 3回くらい読み返す価値はあると思った。今思い返せば、初読は単純にストーリーを楽しんで読んだけれども、2回目読めば作者の「仕掛け」のようなものにもっと敏感になれるだろうし、3回目では批評っぽい読み方もできるかもしれない。そう思えるほど、とにかく内容がつまっていて、息苦しくなるような本だった。

 正直、最後の100ページほどは、主人公の狂気が自分に伝染してくるような感じがして、かなり読みきるのがつらかった。その時すでにお握りの味はない。

 しかしこの初読からもう幾度繰り返し読み終えたことか。そのそれぞれの場面の、読み終えてからすこし時間がたっているけれども、いつも感想は変わっていない。そして、読み直したときはあまり意識していなかったけれども、漱太郎なりの言葉で、ここのところ仕事柄ずうっと考え続けている、「なぜ文学(小説)を読むのか」という問いに対するこたえを心の中で記していたようにも思われる。

 ところがレッシングに関しては次ぎの意見を耳にした。
 ここのところレッシング関連の論文を読みまくっている友人の話によれば、レッシング自身は読者の多くが「わかる、わかる」「わたしのことのようだ」というような、共感的な読み方をすることに対しては、やや批判的であるらしい。

 それはそれで本当にそうなのであろう。『黄金のノート』を読むと、2回目・3回目のような読み方、つまり、作者の「仕掛け」=物語の構造、に注目して読む、とか、フェミニズムやポストコロニアリズム、マルキシズム等々、既存の「イズム」で括って読む、とか、つまり素人だってちょっとやってみたくなるくらい、おいしそうな素材が満載なのだ。だからこそ、ノーベル賞なんて授与されちゃったりするのだろう、と思う。そう考えるのが普通である。

 しかし・・・・・、読者に普通もプロもない。
 読者としては、やはり初回の「わかる、わかる」「わたしのことのようだ」という読み方に、どうしてもこだわりたいものだ。

 作者や登場人物に共感したり、自分を投影したり、読み終わってから自分の人生のことをつらつら考えたり、それこそが小説を読むことの醍醐味なのであって、自分に対して何の影響も及ぼさない読書は、それは「お勉強」や「お仕事」であって、「楽しみ」ではないんだなあ、と思う。しかし、よくよく考えると、そう思い込ませるところにレッシングのみごとな仕掛けが用意されている。

 この小説にはたくさんの女性が登場する。主人公のアンナ、親友のモリー、アンナが書く小説の登場人物であるエラ、モリーの元夫の妻マリオンなど。

 その多くが知的な職業人で、「自由な女たち」なのだけれども、読んでいくにつれて、彼女たちがなんとも愚かで、傷つきやすく、「こうありたい」「こうあるべき」という気持ちと現実との間で迷い、揺れ、失敗していることに気づく。

 男性との関係、仕事への取り組み方、社会・政治運動へのかかわり。
 そのひとつひとつの具体は、普段の人のそれとはまるでかけ離れているのだけれど、その迷い方、揺れ方、失敗の仕方が、「わかる、わかる」「わたしのことのよう」なのだ。

 かくしてこの本を読み始めた初読の数分後には、読者はアンナやモリーの友人になり、小説の中に入って彼らと会話を交わすことになる。

「それはひどい男だよね」「それは無理もないよ」「もっと自分の思うとおりに行動しなくちゃ」「わたしの場合はね……」と。

 そんな読者の言葉やつぶやきはアンナやモリーにはもちろん、作者レッシングにも届かないけれど、読者自身の中ではこの本を読んだことで、小さいことかもしれないけれども何かが変わっている。

 彼らと架空の時間を共有し、「感情・情緒」を表現する言葉を交わしたことは、だれに何といわれようと読者にとってはかけがえのない体験で、文学を読むことの価値のいちばんの根っこは、やっぱりここにあるんじゃないだろうか。

 英雄社刊行の『黄金のノート』は、今は古書店でもなかなか手に入らないと聞いたので、どこか少しでも内容の引用を、と思ったのだが、なかなか単独の引用の難しい作品で、決まらない。全体が山場なのだ。切るとボヤける。
 したがって、
 ここが作品の「ヤマ場」と思う箇所などとても見つけられないのだけれど、レッシングの作風を「時代精神と事実報告と自伝のまぜこぜ」(「訳者あとがき」654ページ)と要約した場合、それがよくあらわれていて、読者が「わかる、わかる」とアンナに話しかけたくなる場面を、少し引用する。

・・・・質問を受けた。なぜわたしがローゼンバーグ夫妻の助命嘆願をするのか、プラハのでっちあげ事件でつかまった人は放っておくのか、というのだった。
 筋の通った返答ができない。ただだれかがローゼンバーグ夫妻の救出運動やらねばならないと答えるだけ、いやになる・・・・わたし自身に対して。
 またローゼンバーグ夫妻急救出の署名を拒む人に対して。わたしは疑念だらけ、嫌悪だらけの空気を吸って生きている。
 今日の夜、モリーが泣き出した。まったく突然だった。わたしのベッドに坐って今日起こったことを話しているうち、ふいに泣き出したのだ。
 声をたてず、とめどなく涙をこぼしていた。なにかを思い出す、なんだろうと考える。
 そう、メアリローズだ。「なにもかもすばらしくなると信じていたのに、そうもいかないとわかってしまった」と言って、ふいに顔に涙の流れ落ちるのをかまわず、マショピ・ホテルのあの大ホールで坐っていた彼女。
 モリーはメアリローズと同じ泣き方をしていた。新聞がわたしのいる床の上一面に散らばっている。
 ローゼンバーグ夫妻の記事と、東ヨーロッパのできごとを報じている。(161ページ、「赤いノート」の記述部分より)

ドリス・メイ・レッシング 2

―――私が言いたいのは…「物事を分別してはいけない。区別してはいけない」―――(『黄金のノート』「序文」より)

 『黄金のノート』で扱われている素材は、男女、親子、人種、差別、偏見、イデオロギー、組織と人間、と多岐にわたる。登場人物は、作家、女優、主婦、大企業家、活動家、寄宿学校に入りたがる少女、自殺を試みるニート、アフリカへ入植した貧しい白人たち、などなど。

 女性解放運動の一翼を担ったかのように言われているこの作品ではあるが、レッシングは、その意図で書いたわけではない、と序文で述べている。ただ、主人公の「女」とその化身と思われる「女」たちは、いわゆる経済的自立を果たしているように見える。それらは目次だけにたびたび現れる「自由な女たち」である。

 当初、主人公「女」に見えるのはハムレットが言うような「たががはずれてしまった」世界。「女」はただただ「見」ようとする。まっすぐな視線の先には自分自身を映すひび割れた鏡。「黒」「赤」「黄色」「青」のノートは、鏡に結ぶ像と見る自分との間にある背景が透明なレイヤーのようなものだ。レイヤーには、時代背景、偏見と差別、男女、の断片が貼り付けられている。ノートごとに役割があるかというとそうでもない。「女」は、それぞれに整然としたテーマをあたえるわけでもなく、あえて混沌を避けず書き込んでいく。終局に向かって、ノートに書き込まれる量は次第に減っていく。

 最終章「黄金のノート」は「これをのぞき見するやつは全員呪われるべし」から始まる。「女」は思わず笑う。これはアメリカ人ソール・グリーンがかきなぐった呪文だ。

 レッシングは、フィクションの構築によって「それ」を描くことを避け、「女」と鏡との間のレイヤーだけを読者に提供している。

 その断片たちが、「女」の視線の先で「黄金のノート」になったとき、読み手には「真実」という衝撃が伝わる。「女」同様、鏡の像の向こうに「それ」が見えたならば。
しかし、レッシングは言う。

―――そもそも本というものはその構成、形式、意図が理解されなかったときにのみ生命を持つ。―――(『黄金のノート』「序文」より)

 ドリス・メイ・レッシングは1919年10月22日、ペルシャ(現・イラン)で、父アルフレッドと母エミリーの娘として生まれる。

 両者ともにイギリス人(イングランド)である。この時の名前はドリス・メイ・テイラー。

 ドリスが生まれる前に、父アルフレッドは第1次世界大戦に従軍中に片足を失ったが、入院中にロイヤルフリー病院で後に結婚することになるエミリー看護師と出会った。

 その後、職を求めてペルシャに移住し、ペルシャ帝国銀行に勤めた。その後、1000エーカーの土地を購入すると、トウモロコシの栽培をするために、1925年に南ローデシア(現ジンバブエ)に移住した。しかし、農業は上手くいかなかった。

 ドリスは、ソールズベリー(現ハラレ)カトリック系の女学校であるドミニカ女子高等学校に入学するが、13歳で学校を離れ、以後独学を続けた。15歳で家も離れると、メイドとして働き始めた。この時、雇い主からもらった政治や社会学の本を読み始め、作家活動を開始した。電話技師に転職すると、すぐにフランク・ウィスドムと結婚。1943年に離婚するまでに2人の子供をもうけた。1945年にドイツ人移民ゴットフリート・レッシングと再婚し一男をもうけるが、1949年に離婚した。現在の「レッシング」という姓はこの夫のものである。

ドリス・メイ・レッシング 13

 1949年にイギリスに息子と共に渡り、翌1950年にローデシアを舞台とした自身初の著書『草は歌っている』(The Grass is Singing)を出版。1962年に『黄金のノート』(The Golden Notebook)を出版した。

 その彼女の長篇小説 としては・・・・

The Grass is Singing(1950) 日本語訳『草は歌っている』 山崎勉・酒井格訳、晶文社、2007年。

The Golden Notebook(1962) 日本語訳『黄金のノート』石村崇史・市川博彬訳、エディ・フォア、2008年。
Briefing for a Descent into Hell(1971)

The Summer Before the Dark(1973) 日本語訳『暮れなずむ女』 山崎勉訳、水声社、2007年。

Memoirs of a Survivor(1974) 日本語訳『生存者の回想』 大社淑子訳、水声社、2007年。

ドリス・メイ・レッシング 14

The Diary of a Good Neighbour(1983) 日本語訳『夕映えの道―よき隣人の日記』 篠田綾子訳、集英社、2003年。

If the Old Could...(1984)

The Good Terrorist (1985)

The Fifth Child(1988) 日本語訳『破壊者ベンの誕生』 上田和夫訳、新潮社〈新潮文庫〉、1994年。

Playing the Game(1995)

Love, Again(1996) 日本語訳『ラブ・アゲイン』 山本章子訳、アストラル、2004年。

Mara and Dann(1999)
Ben, in the World(2000) – sequel to The Fifth Child
The Sweetest Dream(2001)
The Story of General Dann and Mara's Daughter, Griot and the Snow Dog(2005) – sequel to Mara and Dann
The Cleft(2007)
Alfred and Emily(2008)

The Children of Violence 『暴力の子供たち』シリーズ(1952年-1969年)
• Martha Quest(1952)
• A Proper Marriage(1954)
• A Ripple from the Storm(1958)
• Landlocked(1965)
• The Four-Gated City(1969)

The Canopus in Argos: Archives|Canopus in Argos|Canopus in Argos: Archives 『アルゴ座のカノープスシリーズ(1979年-1983年)

Shikasta(1979) 日本語訳『シカスタ―アルゴ座のカノープス』 大社淑子訳、水声社、2007年。

The Marriages Between Zones Three, Four and Five(1980)
The Sirian Experiments(1980)
The Making of the Representative for Planet 8(1982)
The Sentimental Agents in the Volyen Empire(1983)

短篇小説としては・・・

This Was the Old Chief's Country: Collected African Stories, Vol. 1(1973) 日本語訳『老首長の国―ドリス・レッシング アフリカ小説集』 青柳伸子訳、作品社、2008年。

o 「老首長ムシュランガ」
o 「草原の日の出」
o 「呪術はお売りいたしません」
o 「二つ目の小屋」
o 「厄介もの」
o 「デ・ヴェット夫妻がクルーフ農場にやってくる」
o 「リトル・テンビ」
o 「ジョン爺さんの屋敷」
o 「レパード・ジョージ」
o 「七月の冬」
o 「ハイランド牛の棲む家」
o 「エルドラド」
o 「アリ塚」
o 「空の出来事」


エッセイとして
Particularly Cats(1967) 日本語訳『なんといったって猫』 深町眞理子訳、晶文社、1987年。

ドリス・メイ・レッシング 11

ノンフィクション として
The Wind Blows Away Our Words(1987)『アフガニスタンの風』加地永都子訳、晶文社、2001年。

ドリス・メイ・レッシング 12

 以上、ドリス・レッシングには様々な作品があり、未だに和訳されていないモノも相当ある。

 それらの作品群と、中でも代表作である『黄金のノート』を読み解くためには、次の点を改めて飲み込みながら、一つ試し読みにお薦めしたい彼女の本がある。

 そこで繰り返すのだが、彼女は10月22日、ペルシャ(現イラン)生まれ。両親ともイギリス人。6歳の時、当時英領だった南ローデシア(現ジンバブエ)に移住したが、あまり幸せな少女時代ではなかった。15歳の時、逃げ出すように親元を離れ、自立する。結婚・離婚が2回、3人の子どもをもうけた。2度目の離婚後、30歳で幼い息子を連れてイギリスに渡る(再び南アフリカを訪れるのは76年後)。この76年という年月がドリス・レッシングを読む場合、一つの重要なキーワードとなろう。

 じつは彼女、1980年代、実験的に別名Jane Somers名義で小説を投稿したところ、出版されなかった(後に出版される)。こうした自身の格闘するかの体験行動と、2007年にノーベル文学賞を受賞しことは無関係ではない。そのとても長い期間の末に、ノーベル文学賞受賞者としては歴代最高齢(87歳)だったからだ。しかしそのことで2008年には、タイムズ誌の「戦後の偉大なイギリス人作家50人」で5番目にランクインした。このとき世界の誰もが彼女の代表作を『黄金のノート』だと思うようになった。

 たしかに『黄金のノート』にはそれだけの内容はある。だがこの内容を彼女が描ききれた源泉は76年も遠ざかっていた童顔の中にあるアフリカなのである。
 ノーベル賞受賞後のドリス・レッシングの作品は翌年の2008年、This Was the Old Chief's Country: Collected African Stories, Vol. 1(1973)が日本語訳『老首長の国―ドリス・レッシング アフリカ小説集』青柳伸子訳として出版された。もし彼女が受賞してなかったらこの作品は邦訳されなかったであろう。

Zimbabwe: A World of Wonders

ジンバブエ

 『黄金のノート』の源泉を形づくるドリス・レッシングの源泉が彼女自身が宝物のように懐で温めていた童心の光景・アフリカであるのなら、『老首長の国』は必見の書であり、『黄金のノート』の意味合いを深め噛み締めるためには意義のある一冊である。

ドリス・メイ・レッシング 4  ドリス・メイ・レッシング 8

老首長の国――ドリス・レッシング アフリカ小説集  訳・青柳伸子

 本書は作者が3歳から30歳までを過ごしたアフリカを舞台にした短篇集であり、作者のお気に入りの短編を集めた傑作集でもある。どの短編も面白く濃密。この中に読者が例えば夜遅くなってもきっと読むのをやめられない作品のいくつかがある。

ドリス・メイ・レッシング 10

 レッシングは銀行員の娘として生まれ、各国を転々とした。3歳のころ南ローデシア(現ジンバブエ)に移り住み、幼少期から成人期までをアフリカで過ごした。当時はまだ人種差別が激しいころで、白人が黒人を支配するのは当然とされていた時代である。この短篇集で描かれるアフリカも白人がヨーロッパなどからアフリカに移住し、そこで繰り広げられる白人と黒人の壁、男女の壁、古い入植者と新しい入植者のすれ違い、さまざまな越えがたい壁を持つ人々を時に冷静に、かつ暖かく描写している。特に丁寧に描写されるアフリカの風景は日本の小説では味わえない部分でもある。

ドリス・メイ・レッシング 9

 「老首長ムシュランガ」は、白人の少女が住む土地に現れるムシュランガという首長の話。首長は広い土地を支配していたのだが、今は白人に取って代わられており、跡継ぎも白人の家で召使いとして働いている。しかし首長には不思議な威厳があり、白人の少女は彼に興味を持つのだが。人間の尊厳について考えさせられていく。

ドリス・メイ・レッシング 7

 「リトル・テンビ」は、黒人の面倒を積極的に見る女性が、テンビという黒人の子供を特にかわいがっていたのであるが、成長するにつれ図々しい態度を見せるテンビに距離を置くようになる。これはレッシングの「破壊者ベンの誕生」を思い出させる、大人と子供のディスコミュニケーションを描いた作品でもあるようだ。

ドリス・メイ・レッシング 6

 他にも、移住してきた白人同士のいさかいを書いた「デ・ヴェット夫妻がクルーフ農場にやってくる」「ハイランド牛の棲む家」や、白人男性と現地人女性の関係を書いた「レパート・ジョージ」「アリ塚」などもじつに面白い。
 アフリカを舞台にした短編集なので、まとめて読むと同じ背景や風景に多少疲れはするが、いずれもが粒ぞろいの短篇集で、読後感を思うとき、読者はきっと読んでよかったと思うであろう。

ドリス・メイ・レッシング 5

2007年のノーベル文学賞、ドリス·レッシング

ロンドンの自宅でドリス·レッシング。2007年ノーベル文学賞受賞者のインタビュー。面接官は教授ジョン·ミュラン。


これはABCのオーストラリアウェブサイト版のドリス・レッシングのインタビュー。


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