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ひとひらの書 第15話 『女生徒』 下

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      A 7 gif   第15話・・・『 女生徒    

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      A 15 gif ひとひらの書 第6 女生徒 太宰




      銀河団にはダークマター(宇宙の暗黒物質)がたくさんある。
      そして文学作品においてもダークマターは存在する。
      それは人間の数だけ在ると言っていい。
      しかもその数は、地球誕生以後に発生した総人口である。
      無論、未だ発見されていないダークマターもあるであろう。あるいは、今後未来にて誕生する新種だってきっとある。この五体銀河団を理解するとき、文学の本質が見えてくる。
      人類は、言語から文字を創り、文章を創り、文学へと進化させた。
      しかし、その、そもそもから人間心理の裡にダークマター域は創造されている。
      この創造主を人類は神と名付けた。その神とは、またダークマターである。
      古代の日本における言霊(ことだま)の使用も、じつはこの域にある。著しくシンプルなところで人間のア二ミズム論は発生した。それは本能と置き換えてよい。文学とはその本能の進化である。
      そうした進化にあって、現在あらゆる人が重力レンズを発揮する。
      識字率、学習能力の向上で、発揮力は高まった。
      しかしその反面、退化させたものもある。あるいは都合上、廃棄したものがある。
      そこで作文職業の作家であるが、これは非常に顕著な重力レンズ効果を発揮しようとする。あるいは発揮したいと思考する。しかし全ての作家が発揮できるわけではない。願望と結果は食い違うことになる。それは人生と同質である。それでは、作家とは何か?。優れた作家とは何か?。小生は、これを「強い重力レンズ効果を発揮する職人」と呼ぶことにする。
      そしてその作家とは、五体銀河団域にあるダークマターを抉り描くのである。
      太宰治は、このダークマターを作文として独自の文体で表現した。

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      その太宰の『女生徒』に即して彼の文学文体をどう汲むか、という課題にさらに接近してみようと思う。
      そのことは、我々めいめいの文学観・言語観を、あるいは発達観を、幾つかのテーゼとつきあわせ、検討することでもある。
      またその幾つかのテーゼとは太宰の抱える暗黒物質であり、そのことの検討とは太宰の暗黒物質をどう処理するかである。読書とは、その処理能力で効能が大きく左右される。
      そこで4つの仮テーゼをご用意した。
      しかもこのテーゼを太宰の作文志向性を応用して逆テーゼしてみたい。下記に4名の女子と1名の男子が登場することになるが、それらは小生が発生させた架空の人物(同年齢の学生)である。
      この5名に太宰の『女生徒』の読後感想を聞いてみる。

      女子A 反発の一語。 
      『正直にいって私はこの話が、大キライなんです。不自然でくらいこの話をよんでいくと何かが、私をゆううつのそこにひきずりこんでいきそうな気持にさせるからです。
       それでいてむりに明るく自然にえがこうとしているような気がして、どうもスキになれないの。それにこのえがき方、きもちわるい。アア、胸がむかむかする。イヤァダ!!。
      もし、こんな女の子が、私のそばにいたのなら、いいえ、いるはずだわ、そしたら、私、その子を思いきり、ひっぱたいて、こうさけびたい。
      「なぜ、あなたは、そう何もかもを、みにくい、そしていやらしい物として見てしまうの」って。
      できないかもしれないけどそうしたい。私だって、バスや電車の中などで、いやだなァとかんじる人はいるけれど、外見だけできめないで、なぜそんなカッコウをしているのだろうと考えて見ます。“ああ、きたない、きたない、女はいやだ”こう彼女は言っているけれど、なぜ、そうなのかを考えない。自分だって女なのだ。
      その人の一部分を見ただけでそれが全部だと思ってしまう。
      きたないかっこうをしていたら心もきたないと思ってしまう。アアいやだ。ある人は、彼女にはおとうさんが、いないから、ひねくれているのだといっていたけれど、私はそうは思わない。
      たしかに彼女は少しひねくれてはいる。けれど、それは、お父さんがいないからではなく、その頃の世の中のせい、つまり、自分の意見をはっきりといえない世の中のせいなんだ。
      もし、その人のいうとおりに、お父さんが、いないせいだったとしたら、私は、彼女がよけいにくらしく思い、彼女の何もかもがきらいになる。なぜなら、世の中には、おとうさんのいない子、そしておかあさん、おとうさんもいない子もいる。それもたくさん、そして、いてもいっしょにくらせない人もいるのだ。おかあさんの愛情だけでもしあわせなはずなのに。話が少し、それちゃったかナ。
      それに私にこんなことをいう資格があるかどうか、それは疑問だな?。だって、私はもっとみにくい人間かもしれないから。
      もう、こんなの、二度とよまないわ。百万円くれるといっても、アア、つまんない』

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      女子B 『女生徒』は私
      『とてもおもしろかった。
      私の家とこの女生徒の家がとってもよくにているということもおもしろかった理由のひとつだ。だから時々おどろくほどぴたりと私の心にせまってくる。
      私が考えていることとこの女生徒はあまりにもそっくり同じことを考えている時はびっくりしてしまった。この小説は一人の平凡な女生徒の平凡な一日をテーマにしている。だから、とってもおもしろい。S.十三年ごろの女生徒だそうだけれど、考えている事が今の私たちにもピッタリくる。
      なんか自分の友達の日記でもみているみたいな感じがする。
      この女生徒はいろんな事を考えている。といっても別にしょうらいの希望があってそれにむかっているわけでもなければ、現在の日本の状態についてなど考えているわけではない。女生徒は自分のまわりの事でせいいっぱい。ほめたり、けなしたり、きびしく批判したりしている。
      その批判が今の私にこれまたピッタリくるからおもしろい。自分の立場とまるでかけはなれた題材もおもしろいけれど、この『女生徒』のようにふつうのほんとうにありきたりの少女をテーマにした小説はよけいピタリとくる。
      この『女生徒』は、夜を最後におわっている。
      だからこの女生徒の明日は、誰も知らない。もちろん女生徒にだってわからないはず。それでも、この女生徒の明日を私たちはどういう一日かだいたい見当がつく。この女生徒の明日は、多少のちがいはあっても私の明日でもある。だから分るのだ。明日はまた今日のくりかえし。灰色の朝がやってきて、きたないものを見ると不けつだと思い、きれいなものを見るときれいだと思う。そして、またあさっても同じことのくりかえし。
      私の明日だってそうなのにかわりなはい。
      この女生徒もしかしたら私……?』

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      女子C ふつうの女の子
      『この小説にでてくる女の子(つまり女生徒)別に変わったところなんてない。普通の女の子じゃない、と読んだ後でそう思った。ところが、皆なの意見を聞いてると、この女の子はどうやら普通じゃないんだそうだ。ということは私が変な女の子だということかしら?。
      だって私、本当にこの女の子と似てるんですもの。女は不潔だと彼女は言っている。そのことだけ違って、後書いてあることなんか、よく私が考えることなんです。
      外には出さないけど心の中(例えば日記など)でこんなことを考えている人は、けっこう多いんじゃないかな。この女の子に会ってみなくちゃわからないけれど、表面は明るいハキハキとした子かもしれない。今井田さんと会っている時だって彼女は一人でいやがっていても、今井田さんには、けっこう明るい、かわいい女の子としてうつったかもしれない。
      心の中で思っていることは相手につたわらないで表面の印象だけうつったかもしれない。女の子なんて本当に何考えているかわからない。だから誰でもまわりにこんな性格の人がいたって心の中はのぞけないのだから、その人の心の存在に気づくはずはない。
      それに別にお道具なんて言ってるからって、下品な感じはしない。何しろ作者は男性なんだから(女の人の心理をここまでえがけたのが気味が悪いっていうより、むしろ不思議です。恋をしていないエミリー・ブロンテが嵐ヶ丘を書いたように……。)どうすれば、女性らしく感じるかと苦心したように感じます。(もっとも、このころの女性の言葉づかいは、みんなこんな言い方みたいだから、むしろこれで自然なのかもしれない。)けっきょく、女の子が気づかない女性の心理をよくとらえていると思います。
      そこいらにいる女の子をえがいたような、ようするに私がいいたいのは女性の心理を知らないのはむしろ女性ではないかということだ。
      しつこいけれど、結論として、この小説の女生徒は普通だと思うし、それは今の女の子にも通じていると思う。(私がそう思うだけかもしれないが)別に時代がこうだったからこうだという時代のワクは感じない。ただ彼女、人より少しだけ感受性が強いところがある。そしてチョッピリオセンチ』

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      女子D 親近感とこわさと
      『ぜいたくは敵だという時代に、下着にバラの刺しゅうをする女生徒。戦争へ戦争へと押し流されている時、それの原因を作った首相に反発を感じる女生徒。彼女は「王子さまのいないシンデレラ姫」であり、「山賊」であると思う。
      私は彼女に親近感を感じると同時に、こわいものを感じます。彼女が共通点を持っていると同時に、私達の奥にかくれているものを引きずり出すからです。彼女があまり私たちに似ているために引きずり出されるのかもしれません。その点で彼女は山賊です。
      「王子様のいないシンデレラ姫」私達もそうかもしれない。いつも夢ばかり見ている。なにか素晴らしい事が、いつかなどと、決して実現しっこない夢、シンデレラには、王子様がいた。夢をかなえてくれる人が、でも彼女や私達にはいない。私は彼女はまだ若いんだなあと思います。
      私達の奥にかくれているもの。それは、自分を飾ろうとしたり、むやみに悲しがったり、おせじを云ったり……といろいろある。それはだれもがもっている。人間くさい欠点だと思う。この小説を読んでいて、ある、私もこんなことがあったなあと思ったしゅん間、ハッとする、そこに私がいるからです。ほんとに、ほんとに、彼女は人間くさい。いやになってしまう。でも、彼女には夢がある。否定しながらでもあると思う。夢があるってことは若いことだ。彼女は今にも夢を失うかもしれない。(年をとると共に)
      私が、女生徒をおもしろいなあと思ったのは、人の描き方が素直な所です。おもしろいよりか、悲しい事かもしれない。だって、まるでその人たちが浮かぶように、詳しく書いてあり、浮かべてみると、よく似た人がいて、アアと思うような文だから。
      それに一番最後の文、ピリッとしていて、おもしろい。いろんな事を想像できて。たとえば、彼女は、小説を書いた、作者が作った今の彼女は、もう存在しないのか、それとも、昔ながらの夢を持ち、おばあさんになってどこかにいるのか、それとも私達と同じ姿で、私の目の前に存在しているのか。……

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      男子A 現代に通ずる『女生徒』
      『この女生徒は、たしかに自分に対しては、正直なのかもしれない。
      なぜならば自分自身の弱みとか、悪い点、つまりあまり素直ではないというような事を、書いているからである。それが、わかっていてもなおせないなどとも書いている。
      だから正直なようにみえる。しかし、本当に正直なら、素直に直したり、、悪い点をきちっとしたりできるはずである。それができないというのは、彼女がまだまだ自分自身に弱いということだろう。
      正直であるが弱いということだ。こういう面は、僕と何か共通するような気がする。
      だから僕にとっては、恐ろしいような気もする。しかし、こわいというより何かしたしみがもてるのだ。正直に書くと、この女生徒の考える考え方などは、僕ににていると思う。
      この女生徒の生きた時代に、こういう人は少なかったんではないかと思う。みんなぼうとしているという事は共通しているけど、自分に対して正直である。この人みたいではない人たちは自分をごまかしてしまうのではないだろうか。現在でさえ、そういう人は多い。あまり一つの事に集中せず、すぐ思いが変る。ふと何かむかしのことを思いだす。というような事が多い時代、そういう時代に生きた女生徒。わかっちゃいるけどやめられないという女生徒。現代に通ずるものをもった人。
      だから僕は、この女生徒は好きです。僕たちのもっとも弱い面をズバリ書いた様でこわくもあり、好きでもあるのです』
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      以上、計5名のサンプル・テーゼをご用意した。
      こうしたテーゼとは、哲学の用語法であるが、仮説したのにはアンチテーゼがあるからで、その点が現在の教育現場で問題となっている。じつは、そのことがあってご用意した。
      アンチテーゼは誤解のある言葉である。
      よく「反テーゼ」=「アンチテーゼ」として説明しているものがあるが、それは違う。現在の教育現場では、この取り扱いに多々誤用が見受けられる。
      例えば「魚とは海に泳いでいるものの総称である」という主張(テーゼ)がある人から出されたとする。これは一見正しいように見えるわけですが、そこには落とし穴がある。
      そこをついて他のテーゼを出すのがアンチテーゼである。
      したがってテーゼに対する反論ではない。
      もしテーゼに対して反論すれば、テーゼはそれに反発する。
      思慮深くされたテーゼほど反発は強くなる。
      ある教師は、
     「文学作品の<送り内容>は、つねに受け手の生活の中にあったものの再組織である」という。
      暗い谷間の民族的体験の典型的要約ともいうべき『女生徒』を、こんにち読みかえす意味はどこにあるのか。『女生徒』にべったり共感する子どもの読みを、どこで、どんなふうに問題にしていったらいいのか。こんな心情を小生にぶつけてきた。
      おそらくこれは、上記の女子BあるいはCのような読後の感想に接したのであろう。
      そして次に、
      『女生徒』は“私”の分身であり、同時に“私”の告発者でもある、という理解が教師をもふくめて一方に存在する。と同時に、『女生徒』の世界はナンセンスきわまる、という反発が他方に存在する。この相反する方向差を、教室ではどう問題にしていったらいいのか。という。
      おそらくこれは、上記の女子AあるいはDと男子Aの感想にでも触れたのであろう。
      また別の教師は、
      「本来の場面規定をおさえるという操作が同時に、その作品と自分との関係のパースペクティヴを規定する操作にならなければならない」という。
      女生徒の生きた時代をぬきにして、なんてじめじめした観念遊戯の持主だと反発しても、それは作品との真の対面を意味しない。また、この作品の登場人物はこういう時代に生きていたのだから、こんなふうに理解すべきだ、ふうの読み手の感動ぬきにした、客観主義的理解も、文学の理解とはほど遠い。結果において文学から遠ざける操作を、文学の授業ではついやりがちだ。とグチるのであった。
      さらにもう一人別の教師は、
      国語教育としての文学教育という提唱にこたえるために、授業を実際にどうくむか。鑑賞学習・文学理論学習・文学史学習を立体的に構成するというのは、たとえばどういうことか。『女生徒』を中学後期で教材化するにあたって、どんな教材群の中に位置づけたらいいのか。と、悩んでいた。
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      こうした教師らの言論は教育者の言葉としてじつに丁寧である。
      しかしこうした教科指導の丁寧が、読者である学生にとって親切であるとは限らない。そもそも小説という文学を教材群に取り込んで思春期教育に宛てることに無理がある。
      優れた文学や小説ほど人間の暗黒物質を孕ませている。
      これらは教育の域で補えるものではない。
      しかし、これこそが現教育現場での実情なのである。
      特に小説においては作家自身の自業自得の問題が底辺にあるのであるから、処理に応じて悪書にもなれば善書にもなろう。この善悪の問題に触れることが、教育となれば、その定義すら無限大ではないか。現代の教育とはまことに末恐ろしい研究をなさっている。これには、すべからく脱帽である。
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      小生は「女の子のこと」はさっぱり苦手で、ろくに口をきいていなかったし、そのわりに何人もの女生徒に憧れていたので、小生は太宰がなんでもお見通しなんだと素直にうけとって、『女生徒』を鞄に入れた。
      つまりこれがぼくの太宰治との出会いである。
      そろそろここらで書いておくが、その後の小生は太宰効果の甲斐もなく、大学3年にいたるまで「女の子」も「女」も知らない三四郎だった。
      たしかそのとき読んだ文庫本と、今回手元にある『女生徒』は同じ角川文庫だったとおもう。そうだとすると、この文庫には女性の独白体ばかりの作品がずらり並んでいて、ダザイの何たるかも知らない高校1年生には、これらの『葉桜と魔笛』や『きりぎりす』や『皮膚と心』や『女生徒』は、あまりにも女性の繊細で裏腹な感覚が吐露されていて、いささか魔術が効きすぎたにちがいない。
      なにしろ独白体なのだから、しかも太宰治が「女の子の心がよくわかるぞ」と暗示をかけたのだから、そうでなくともウブすぎた小生には効き目は抜群なのである。そこに作者の創意操作があることなど、まったくおもいもよらなかったはずである。
      だいたい『皮膚と心』なんてのは、「ぷつッと、ひとつ小豆粒に似た吹出物が、左の乳房の下に見つかり、よく見ると、その吹出物のまわりにも、ぱらぱら小さい赤い吹出物が霧を噴きかけられたように一面に散点していて、けれども、そのときは、痒くもなんともありませんでした」で始まるのである。
      思春期の学童が、これでどぎまぎしないわけはない。そのあと、「こんなものが、できて」と、太宰はあの人に見せました、六月のはじめのことでございます、と続くのだ。
      そんな『女生徒』は標題通りの女生徒の感覚だけで一気に独白したもので、さすがにのちに太宰の代表作のひとつとなっただけあって、念がいっていた。冒頭だけしるせば、こんな調子である。
      「あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんが、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合わせたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだかもっとやりきれない。云々‥」
      というふうにどんどん続き、挙句が「いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶えしちゃう。朝は、意地悪。」なのだ。

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      いまなら江國香織がどう書こうと、松浦里英子が親指Pで遊ぼうとも、なんとでも読めるようになったものの、当時はまったくダメだ。いやいまがタメで、当時はよかったのかもしれないが、いちいち反応してしまう。
      たとえば、「いまの何げなく手を見たことを、そして見ながらコトンと感じたことをきっと思い出すにちがいない、と思ってしまった。そう思ったら、なんだか、暗い気がした」とあれば、えっ、そうなのかと思い、「キウリをたべる。キウリの青さから、夏が来る。五月のキウリの青みには、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったい悲しさがある」なんてことが書かれていれば、今度女生徒がキウリを食べるところを見なくちゃ、来年の5月になったらキウリを見なくちゃと思う始末だし、さらに「けさの小杉先生は綺麗。私の風呂敷みたいに綺麗」では、ひたすらその言い回しと風呂敷の妖しい関係にとらわれるばかりで、どうも読書も太宰も文学も、なかったのである。
      この文庫『女生徒』に収録された作品の多くは昭和13年から17年くらいまでのあいだに書かれている。甲府の西堅町や御崎町に住んだり、三鷹の上連雀に住んだりして、結婚したばかりの石原美知子によると、珍しく淡々とした日々だったという。
      29歳から33歳くらいまでのことで、たしかにこの時期は自殺未遂をしていない。
      それまでの28歳までは、パピナール中毒症になったりカルモチン自殺を図ったりで、ともかく自殺衝動の中にいた。いまさら説明するまでもないだろうが、これはすでに文学を志していた17歳のときに、麻酔を打たれたように傾倒していた芥川が自殺したことの衝撃がどこかでずっと鳴り響いていたせいだった。
      もっとも太宰治の人生など、当時の小生にはまったく響いていなかった。
      それより豪気で大胆な先輩が『女生徒』には脱帽していること、この文庫には「女の子」というものが絶対に男性には理解できないものであることが告示されていること、いったん女性が自分の心を語りはじめたら、それはエピクロスをもってしてもエマーソンをもってしてもその哲学を越えられないこと、それにしても女性の心の中に浮かんでいるイメージというものは、頼りなくも哀しく、美しくも筋が通らぬものであることなどなど、そういうことばかりを知ったことが大きくて、小生はこのあと長らく『斜陽』も『ヴィヨンの妻』も『人間失格』も読まなかったほどだった。まして、井伏鱒二との関係も、保田與重郎の「日本浪漫派」に与したことも、知らなかった。
      数年前、友人の嫡男が「この休みは太宰を全部読みましたよ。やっぱりすごかったなあ。うまい、うまい!」と言っていたとき、うーん、小生はそのように太宰を読んだことがなかったなと、あらためて太宰を「女心の代理人」のようにしか読んでいなかった青春期のことを思い出したものだった。
      ところで、本書のなかでは『女生徒』が北村透谷賞を受けたのもなるほどと思わせる佳作になっていて、この告白体の書き方がその後の少女マンガ家らに影響を与えたこともまちがいがないともおもうのだが、それとはべつに、小生は『きりぎりす』や『饗応夫人』にあらわれる嫁いだ夫人たちの宿命とでもいうものがあまりにせつなく、可哀想で、たしか、うっうっと何度も胸をつまらせたのではなかったかと憶う。
      それはまた、一言でいえば結婚をした女性はすべて哀しい宿命を背負うんだという、とんでもない偏見を小生に植え付けたようで、その後ずいぶんの月日がたったのちも、知った女性が離婚したと聞いたり、「別れました」とか「一人に戻ったの」と聞くと、ものすごく胸を撫でおろしたものだった。
      もうひとつ、ある。
      『女生徒』を読んでからというもの、小生は以前にまして女生徒を複雑崇高に見るようになってしまっていて、それが同級生の彼女にすらあてはまってしまい、まったくにっちもさっちもいかなくなってしまったことだ。
      実はその女生徒には、きっと当人が驚くほどにマリアのような憧れをもってしまったのだが、おかげでというか、案の定というか、彼女を卒業後に新宿あたりの喫茶店に蛮勇奮ってやっとこさっとこ連れ出したときは、ただ劇場で市原悦子のラシーヌを一緒に観たというだけで、途中で、「私、帰る」と言われ、それはそれは、ずいぶんめちゃくちゃな太宰効果になってしまったのだった。
      今回の読了後には、そんな思いでまでもが付録としてついてきた。
      太宰の暗黒物資とは、それほどまでにリアルティーである。
      小生の裡で太宰の重力レンズ効果は甚だしく強力であった。

                                 

      だざい太宰治 女生徒 16 W500H267
      太宰治(1909~1948)
      青森県津軽に生まれる。本名は津島修治。18歳で芥川龍之介の自殺に衝撃を受けて以降、計四度の自殺未遂を繰り返す。帝大仏文科に入学するも授業料未納で除籍。人間の偽善と虚無を描く自虐的な作風で「無頼派」と呼ばれ、戦後文学の第一人者となる。39歳で玉川上水に女と投身心中。他の代表作は「斜陽」「走れメロス」「人間失格」「津軽」「グッド・バイ」など。

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      だざい太宰治 女生徒 17肖像 W500

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                        読了記  第16話に続く・・・連載

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                      ひとひらの書 8 H78
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      ひとひらの書 10文字 W500H100


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Author:三馬漱太郎
Welcome to Ron「漱」World
Sotarou Miuma
立体言語学博士
Social Language Academy Adviser
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