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ひとひらの書 第6話 『真珠夫人』 下

    Ron B
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      A 7 gif   第6話・・・『 真珠夫人    

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      A 15 gif きくちかん菊池寛 2 W370H200



      『真珠夫人』については、2002年にフジテレビ系列が昼ドラで全65回にわたる放映をして、話題になったので、すでに読者以外にも知られているのではないかと思う。
 じつは、それ以前に何度か映画にもテレビドラマにもなっている。1927年に松竹キネマの池田善信監督・栗島すみ子主演で、1950年には大映が山本嘉次郎監督・高峰三枝子・池部良主演で、1974年にはTBSが「花王・愛の劇場」で光本幸子主演の全40回が、それぞれ作っていた。
 2002年のフジの昼ドラでは、舞台を大正期から昭和20・30年代におきかえている。小生は、2度か3度かボストンへの出国間際にちらっと見たが、それだけでも、ああ、これはかなり当たるのかな、と思えたものだ。そのくらい連ドラものにふさわしく、毒々しくもテレビ向けに演出されていた。たしかに手応えを覚えた。
      「真珠夫人」大正9年、東京日日新聞 毒々しくというのは、ひとつの演出的解釈である。必ずしも菊池がそのような連載小説を書いたわけではなく、菊池は『忠直卿行状記』や『入れ札』同様に「自我」と「幻想の崩壊」と「小さな社会」との極限的な展開に集中した。
 ただこの作品では、復讐がテーマで(『恩讐の彼方へ』もそうだったが)、かつその復讐をはたす主人公が瑠璃子という元華族のヒロインであったため、当時から読者もセンセーショナルな熱狂をもって迎えられた。
  物語は謎に満ちた異様な場面から始まる。筋書きだけ書けば、まさに通俗小説の典型である。が、それこそ菊池寛の狙いであった。
 そう考えると近年のテレビ化には不純物が混入されている。したがって混同することは大きな問題点を孕ませることになろう。近年の昼ドラブームの牽引役として、その役目を果たしたとは思われるが、物語展開や役柄設定が原作とは違っており、特に後半は大幅な脚色がみられた。登美子が出す「たわしコロッケ」シーンが当時話題になり、流行語になったが、これは原作と関係がない。また、小説の肝である高利貸しが登場しないことで、TV局がサラ金から巨額の広告料をもらっているための配慮ではないかと物議を醸した。純粋な読了感からはこれらの不純物を濾過する必要があるのだ。
 原作の紙をめくり手の感触から伝わる原作観を論じたい。この空間において芸能演出は不純であり不要である。

      きくちかん菊池寛 原稿 1 W500H340

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      原作は、大正時代。男爵令嬢、唐澤瑠璃子は敵の罠にはめられた父を救う為、泣く泣く卑しい高利貸しの荘田勝平の妻となるが、同じ貴族で恋人の直也の為に処女を貫きながら生きていく女の愛憎劇。
      渥美信一郎が新妻の保養先の湯河原に行くために、国府津(こうず)駅から相客の青年と一緒にタクシーに乗る。途中、横転事故になり相客の青木淳が、「時計を返してくれ」「ノート」「瑠璃子」という今際(いまわ)の言葉をのこして死んだ。
      青年の遺品をあずかった信一郎は東京で青木家の葬儀に出る。父親は貴族議員だった。そこに、若い貴婦人がエンジンの唸り声をあげたイタリー製の自動車で乗り付けてきた。白孔雀のように美しい。もと唐沢男爵の令嬢らしく、いまは荘田瑠璃子になっているのだが、すでに未亡人でもあるらしい。
      しかし若すぎる。信一郎は「時計を返してくれ」「瑠璃子」の言葉から、時計を返す相手は瑠璃子だろうと定めて、後日、荘田家を訪れるのだが、そこで瑠璃子に婉然と翻弄され、さらに音楽会や観劇に行くようになってしまった。
      しかしやがて「ノート」を見いだし、そこに青木が瑠璃子に弄ばれて心を痛め、ひそかに自殺をしようとしていたことを知る。湯河原に向かっていたのはその自殺行のためだったらしい。
      それにしてもなぜ瑠璃子は男たちを翻弄するのか。 瑠璃子の父親の唐沢男爵は清廉な政治家であるのだが、大成金の荘田勝平の謀略にはまった。そこで窮地に陥った唐沢は、荘田が瑠璃子を自分の後妻にすることを条件として呑めば和解すると迫られる。
      瑠璃子には杉野直也という恋人がいた。唐沢はむろん拒絶をするものの、瑠璃子は父親のためにこの条件を受けると言い出した。瑠璃子は心では、貞操を賭けて敵将を刺し殺し、父なる都ベトウリヤ(ベトゥーリェン)を敵の侵略から救った勇敢な女性ユーディットに我が身を準(なぞら)えて、親ほども歳のちがう荘田の妻になる。
      瑠璃子の誓いは深かった。荘田を自分の寝室に入れることを決して許さず、しかもふだんは婉然たる媚びを絶やさず、荘田を徹底して愚弄する。
      一方、荘田は荘田で、以前に園遊会で瑠璃子が見せた傍若無人な態度や成金を蔑む言動に腹をたてていて、瑠璃子を貶めることこそが復讐なのである。
      のちにわかることなのだが、荘田はずっと若いころに唐沢男爵家の別荘番をしていた。 他方、荘田家には前妻がのこした美奈子と、白痴の勝彦という二人の子がいた。この二人は瑠璃子を慕った。瑠璃子も二人を可愛いがる。 こうしてある嵐の夜、葉山の別荘で荘田と瑠璃子がくつろいでいるとき、荘田はついに瑠璃子を自分のものにする挙に出た。
      襲う荘田と抗う瑠璃子。二人は格闘を演じるのだが、そのとき、何者かが暗闇からあらわれて荘田に襲いかかった。荘田は打倒され、心臓麻痺で死ぬ。 荘田を襲ったのは白痴の勝彦だった。瑠璃子はこれではからずも自由の身になったはずだが、未亡人のまま荘田家を離れようとしない。ひとつには二人の子を養育保護する責任からだろうけれど、もうひとつ、何かがある。男たち全般への復讐心のような炎が燃えているのだ。
      これが瑠璃子の過去である。信一郎はその秘密に惹かれていく。話はそこからかなり推理じみていくのだが、物語の主軸は崩壊に向かっていく。 荘田家のサロンに出入りする男たちのなかに、死んだ青木淳の弟の稔がいた。稔が瑠璃子の美の虜になりつつあるのは傍目にも歴然としていた。
      信一郎は第二の犠牲者を出さないためにも瑠璃子を咎めるのだが、瑠璃子は聞こうとしない。かえって、男性の得手勝手を激しく糾弾し、青木が自殺したくなったのは性格が歪んでいるからだと非難した。
      それでも稔には手を出さないようにと忠告する信一郎を尻目に、瑠璃子は娘の美奈子と稔を連れて箱根に出掛ける。箱根の夜、稔が瑠璃子に激しく求愛をしているのを目撃した美奈子は強いショックを受けた。何かの裏切りを見た。そのことを知った瑠璃子も動揺した。
      稔のほうは、瑠璃子に色よい返事がもらえると思っていたところ、瑠璃子があまりに決然と自分を見下したのを見て、煩悶する。そこへこれらの事態の進展を気遣った信一郎が東京から駆けつけてくるのだが、すでに逆上していた稔は、ついに瑠璃子を刺し、自分は芦ノ湖に身を投じてしまう。 重症の瑠璃子は、いよいよ自分の最後を覚悟する。もとの恋人であった杉野直也に電報で「会いたい」と打ち明ける。こうして瀕死のまま直也と顔を合わせると、すべての余韻をのこして絶命した。
      翌日の新聞は瑠璃子が「美しい吸血魔」であったこと、妖婦カルメンに匹敵する死に様であっことを報じた。 それからしばらくたって、二科会に『真珠夫人』と題された瑠璃子そっくりの肖像画が出品された。

      きくちかん菊池寛 原稿 2 W500H330
                         「真珠夫人」大正9年、東京日日新聞
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      筋運びはこんなふうなのだが、まあアレクサンドル・デュマまがいというか、事件や伏線によるサスペンスはたっぷりで、さすがに小生もこの小説を読んでいたときは興奮させられた。
 詳しくは書かないけれど、テレビ演出ではこの色合いを強く描いたつもりだろうが、ヒロインを含めて4人が次々に変死するのだ。そこを割り引いて無視せねばならぬ。
 そういう『真珠夫人』が大向こうに迎えられたのは当然である。通俗小説の代表格ともなった。紅葉の『金色夜叉』、蘆花の『不如帰』を継ぐとも言われた。それを川端康成は頻りに「通俗小説、通俗小説」と連発しながら、評価する。
      これは、近代の自然主義文学が「心境小説」として登場してきたのに対して、そしてそれが「純文学」と名付けられていったのに対して、あえて反旗を翻したことを、川端なりに告げようとしたものだった。
      直木三十五は、日本の近代小説は「鏡に写った自分の顔」を書いた。顔でなければ、「自分がいる部屋」のことを書いた。それが近代心境小説だった。大衆文学はそうではなくて、「窓の外」を書いたのだと言った。直木らしい指摘だろう。
      しかし、これらの評価はその通りのところもあるが、そうでないところもある。 そうでないところの第1点は、『真珠夫人』以前には、こんな小説はまったくなかったということだ。『金色夜叉』や『不如帰』もここには及ばない。
      第2点は、ひょっとするとこれは通俗小説ではないかもしれないということだ。だいたい通俗小説と言い方がつまらない。少なくとも菊池寛にあっては、もっと踏み込んでいる。それは小生の見方でいうのなら、「負の状況」という領域への正確な踏み込みだったと思われる。
      そして第3点、菊池寛こそは「意味の市場」に最初に挑戦した作家であり、編集者であり、プロデューサーだったということだ。
      大正9年、『真珠夫人』の連載を始めた年に、菊池は山本有三や長田幹彦らと劇作家協会を組織した。翌年は『入れ札』の年であるが、徳田秋声・加能作次郎らと小説家協会の組織づくりにとりくんでいる。そして大正12年が、35歳での「文芸春秋」の創刊で、38歳のときには文芸家協会を結成して、自身で幹事となって事務のいっさいを仕切っている。これが昭和1年のことだ。
      文芸春秋社が株式会社になったのは、昭和3年である。菊池は40歳になっていた。
      その前に菊池は、日本初の普通選挙に立候補して次点で破れている。小生はそのへんの菊池には点を辛くしたいけれど、少なくともこのような文芸や演劇のヨコの連携に尽力しているところは、菊池がたんなる作家ではないこと、ましてや流行作家や通俗作家をめざしただけではないことを示している。
      じつは菊池は、昭和5年には文化学院の文学部長も引き受けている。
      こういうことを何と見ればいいかというと、菊池以前にこんなことをした者はいないのだから、なかなか適切な言葉が見つからないのだが、小生は「エディトリアル・コモンズ」ないしは「意味の市場」を見いだしたと言えばいいのではないかと思うのだ。
      菊池が文芸春秋社で初めて社員数人を公募したのは昭和8年のことだった。このとき応募してきたのは700名をこえた。僅かに告示をしただけだったのに、たいへんな応募者数だ。こんな出版社はかつてなかったのだ。
      さらに興味深いのは、このとき菊池は自分で入社試験の問題を作った。「東京の地名の由来を答えよ」というもので、麹町・春日町・雑司ケ谷・八重洲河岸の4題になっている。これを答えれば社員にするという魂胆がいい。この試験で、のちに文春の社長になる池島信平が新入社員になった。
      まさに「意味の市場」づくりを着々と実現している。ライバルだった中央公論社の嶋中雄作は、こういう菊池のことを「生(しょう)のまま飛び出している」と言った。なるほど「生」(しょう)である。意味を生きたまま使おうとしている。逆にいえば、「掛け値」は問題なのである。
      いま、このような菊池寛の文芸感覚と事業感覚に匹敵するものは見当たらない。
      かつての角川時代をべつとすると、出版界はずたずたであるし、ITメディア業界は右から左へ情報を並べ変えているだけで、何も「意味」を生成形成していない。「生」がない。まさに「掛け値」だけである。
      そもそも菊池は、自身で新たな価値生成のための創作や戯曲化にとりくんで、それが成就できたら、その場を後進に委ね、譲っていった。誰もが取り組まなかった価値観をめざして作品を書き、そのうえでそのジャンルそのものを後進に譲っていく。そこが異能だったのである。そこが「意味の市場」への挑戦だったのだ。

      きくちかん菊池寛 原稿 3 W500
      昭和14年、著作権協会結成の折の会合。(右より菊池、1人おいて大下宇陀児、1人おいて今日出海)
                                                菊池が作った文芸春秋社の入社試験のお題と解答

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      さて、それにしても、なぜ「文芸春秋」はあんなにもすばらしいエディトリアル・フォーマットをつくれたのだろうか。さきに紹介した『形影』の松本清張は、「文芸春秋」が当たったのは巻頭に芥川の『侏儒の言葉』を連載させたからだと言っている。
      たしかに、今日なお「文芸春秋」が巻頭随筆を4段組にしているのはその踏襲であるのだが、どうもそれだけだとは思えない。小生は、ここには「意味の市場」の雛壇がすべてページの中に配当され、配置されているからなのではないかと思っている。
      そうであるから2010年に、ボストン大学の演劇愛好会なるものを小生が主宰し、留学生を含む26ヶ国の学生らで上演する「真珠夫人」を企画した。もちろん、筋書きは多分に菊池寛にはさぞ不満悦ではあろうが、現代のボストンをロケーションとした。ここに小生の「意味の市場」というものがある。その学生らや市民には大好評であったが、日本人の小生にはどうにも、やはり奇抜過ぎたか、異邦では菊池寛の感性なるものが、真剣に演技されるほど映り難き、とんでもないほど滑稽なモノとなった。不本意を承知での企画であったが、一応のアメリカ受けはしたようだ。
 しかしそれが異邦人に正当化されない「意味の市場」というものでもあろう。やはり日本の文学性とは、日本人の誇れる、日本人が正当化するしかない領域の「意味の市場」をはらませている。この日本人感性、その意味において「真珠夫人」は、やはり傑作なのだ。悪戯に演出を凝らすと原作から遠のくようだ。
 こう大真面目で日本人の小生が述べるのであるから、アメリカ国民らよ、もっと真剣に日本を見つめないと、フレンドとして成立しないではないか。楊陽たる旅人・菊池寛を幻滅させ、嫌になって日本へ立ち去らせないないで、いただきたい。ボストンにてそんなことを感じた。帰国後に猛省した。
      泣く泣く卑しい高利貸しの荘田勝平の妻となる唐澤瑠璃子が、敵の罠にはめられた父を救う為の所業を確かめたくて、1927年、松竹キネマ制作の映画(監督 ・池田義信)をみた。これは無声映画である。しかしこれなども所詮演出を加えたものであった。菊池モノといえば、即座に舞台演出を試みたくなるが、紙面の筋は紙面上のみで交感することが正当な行為なのだ。

      きくちかん菊池寛 原稿 4 W500H285
                   昭和9年、文芸春秋社の社員と関係諸兄諸姉による記念写真
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                             菊池自筆の簡素な履歴書
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      汽車が大船を離れた頃から、信一郎の心は、段々烈しくなつて行く焦燥もどかしさで、満たされてゐた。国府津迄の、まだ五つも六つもある駅毎に、汽車が小刻みに、停車せねばならぬことが、彼の心持を可なり、いら立たせてゐるのであつた。
 彼は、一刻も早く静子に、会ひたかつた。そして彼の愛撫に、渇かつゑてゐる彼女を、思ふさま、いたはつてやりたかつた。
 時は六月の初はじめであつた。汽車の線路に添うて、潮のやうに起伏してゐる山や森の緑は、少年のやうな若々しさを失つて、むつとするやうなあくどさで車窓に迫つて来てゐた。たゞ、所々植付けられたばかりの早苗が、軽いほのぼのとした緑を、初夏の風の下に、漂はせてゐるのであつた。
 常ならば、箱根から伊豆半島の温泉へ、志ざす人々で、一杯になつてゐる筈の二等室も、春と夏との間の、湯治には半端な時節であるのと、一週間ばかり雨が、降り続いた揚句である為とで、それらしい乗客の影さへ見えなかつた。
 たゞ仏蘭西フランス人らしい老年の夫婦が、一人息子らしい十五六の少年を連れて、車室の一隅を占めてゐるのが、信一郎の注意を、最初から惹いてゐるだけである。彼は、若い男鹿の四肢のやうに、スラリと娜しなやかな少年の姿を、飽かず眺めたり、父と母とに迭かたみに話しかける簡単な会話に、耳を傾けたりしてゐた。此の一行の外には、洋服を着た会社員らしい二人連と、田舎娘とその母親らしい女連が、乗り合はしてゐるだけである。

      そう冒頭からもう一度、読み返してみたいと感じる菊池寛の一冊であった。


                                  


      きくちかん菊池寛 5 忠直卿行状記 W180H240                きくちかん菊池寛 9 真珠夫人 W170H240
                                              丹精社 2002年8月

      きくちかん菊池寛 10 真珠夫人 W500


                        読了記  第7話に続く・・・連載

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                      ひとひらの書 8 H78
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Sotarou Miuma
立体言語学博士
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