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ひとひらの書 第5話 『真珠夫人』 中

    Ron B
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      菊池寛は『入れ札』をどう描き、どう帰結させようとしたのか。この結着の作品を視野に菊池の『真珠夫人』を論じたいのだ。そうした伏線として、入れ札の、その先を少し語る。

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      きくちかん菊池寛 18入れ札 W500H270

      赤城山に籠もった忠治は、残った子分10人あまりとさらに信州路に落ちていくことを決める。忠治はできれば手頃な子分2、3人と落ちのびたいのだが、その人選に腐心する。大間間(おおまま)の浅太郎、松井田の喜蔵、嘉助あたりを指名したいのはやまやまだが、最後まで残って忠誠を尽くしてくれた者たちのことを思うと、容易に甲乙をつけがたい。
 浅太郎たちは「遠慮せずに名指ししてもらいたい」と言うのだが、そう言われるとますます指名しにくい。そこへ釈迦の十蔵が「籤引きをしたらどうか」という案を出した。が、この案は親分の信任を得ていることに絶対の自信をもつ喜蔵や嘉助に一言のもとに退けられた。
 籖なんぞで十蔵のごとき青二才に運が当たったのでは、かえって親分の足手まといになってしまう。 むろん誰にも何かを言うべき理屈はある。けれどもそんなことをしているうちに、時はどんどん過ぎていく。忠治は子分たちのあれこれの議論を聞いているうちに、ここは「入れ札」しかあるまいと思った。
 相互に投票をさせようというものだ。ただこの方法には九郎助だけが不満を示した。第一の兄貴格ではあったのに大前田一家との出入りに不覚をとってからというもの、めっきり声望を落としていて、仲間からは「兄い、兄い」と立てられていながら、誰もが自分を軽く見ていることが痛いほどわかっていたからだ。

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      きくちかん菊池寛 20短編「入れ札」 W500H375

      やがて矢立が11人の子分にまわされるなか、九郎助は自分の名前を書いてくれそうな者は誰なのかを計算してみた。浅太郎に4枚、喜蔵に3枚が入りそうなのは予想がついた。 自分の票をのぞけばあとは3枚。このうち2枚が自分に入れば、自分も選ばれる可能性がある。
 弥助が自分に票を入れるかもしれないものの、ほかには思い当たらない。九郎助はついに自分の名前を書いて入れ札をした。 全員の入れ札がおわり、喜蔵が結果を読み上げることになった。
 予想通り、浅太郎と喜蔵が4枚を取った。嘉助と九郎助にも一枚ずつ入っていた。最後の一枚まで事態はわからない。ぞくぞくしながら九郎助が成り行きを見守っていると、おしまいの札は嘉蔵であった。
 忠治は思惑どおりの人選になったことにホッとして、別れていく者に路銀を分配すると足早に信州に落ちていく。見送る九郎助の心は惨めである。それは落選に対する失望ではなく、自身の卑しい行為に対する惨めさだ。呆然としながら秩父に向かって歩きだした九郎助のそばに、弥助が追ってきた。同道したいというのだ。そして、こんなことを言いだした。
 「俺は、はなから入れ札が嫌だった。浅や喜蔵はいくら腕っぷしがあっても、お前にくらべりゃ小僧っ子だ。たとい入れ札にするにしたって、野郎たちがお前に入れるなんてことはありゃしねえ。11人のなかでお前の名を書いたのは、この弥助一人だと思うと、俺は奴らの心根がまったくわからねえ」。
 九郎助は弥助に怒りがこみあげても、このことを制裁するすべがないことを知る。菊池はそこをたくみに描いて、この物語をおえている。
 『入れ札』については、これを“日本流の民主主義”の例にひく批評家がいるほど、まことにドラスティックな場面を描いたのだ。 が、そういうことはともかくとして、菊池はここでも「自我」と「幻想の崩壊」と「小さな社会」との極限を取り出してみせたのである。「掛け値」を問うたのだ。なぜ菊池はこういうことが面妖なほどにうまいのか。

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      きくちかん菊池寛 13 W500H300

      菊池寛はかなり貧しい幼少年時代をおくっている。
      明治21年の暮に香川の高松に生まれたのだが、父親は小学校の庶務係で、菊池をまったく大事にしなかったらしい。「私は父の愛を知らなかった」と回顧している。そんな余裕もなかったのだろう。
 母親は金毘羅歌舞伎が大好きな芝居好きで、菊池はそうとうに数々の芝居話を刷り込まれたようだ。のちの舞台感覚につながる。 が、ここまでのことなら、この程度の少年時代はよくあるだろう。
 ところが『半自叙伝』には、「私は14、5歳になり、身体が発達するにしたがって醜くなった」と書いていて、ここが気になる。父親も「お前くらいおとなびた変な顔をしている奴はいない」と言ったようで、このトラウマとは生涯闘わざるをえなかったとおぼしい。
 菊池寛はのちのちにいたるまでトルストイ好きだったことでも有名なのだが、そのきっかけはトルストイが母親から「お前は顔が醜いから、いい子でいなければ誰からも可愛がられないよ」と言われたことによっていた。 こうして菊池はもっぱら読書とスポーツに耽る青少年期をおくることになるのだが、尋常小学校4年のころには紅葉・露伴・水蔭・柳浪らを読みまくっている。これではかなりなマセになる。
 しかし、修学旅行にも行かせてもらえなかったのである。だから万引きもした。高松の学校では万引きのことを「マイナス」と言っていたらしく、菊池はこの「マイナスの記憶」をずっと持ちつづけたようだ。のちに小説『盗み』にもなった。 高松中学でもいろいろ「わいた」をした。悪戯である。
 勉強はよくできたのだが、教室の授業は気にいらない。香川県教育委員会が開設した図書館に入りびたりになるほうが、ずっとおもしろかったようだ。「私は学校に通うよりも半分以上は図書館に通った。いや、作家としての学問も八分までは図書館でした」と『半自叙伝』にもある。高等師範に入るために上京しても、まっさきに通うのは上野の図書館なのである。
 そこにもうひとつ、菊池の境涯を形成した趣向があらわれた。井原西鶴の文芸に溺れたことと、その西鶴でも『男色大鑑』に随喜したことだ。詳しいことは暴かれていないのだが、菊池には少年愛や男色感覚があったようなのだ。むろんお嬢役ではない。だいたい菊池は風呂嫌いだし、体臭があったらしい。つまりはバンカラで、下宿などでも帯はいつもほどけていた。
 菊池の男色感覚がその後にどのようになったのか、捩れたのか、それとも抑制されたのか、実はたいした趣味ではなかったのか、そこはよくわからない。ただ、大学を転じながらしだいに異能を発揮していったことだけが、語られている。

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      最初に入ったのは明治大学の法科。任井田益太郎・小林丑三郎・牧野英一の講義には感心したが、法律そのものはおもしろくない。22歳で一高に入ろうと決意する。明治43年だった。 ところが正則英語学校で受験勉強にとりかかると、養父から仕送りの中止が申し渡された。ともかく菊池は貧乏だったのである。
 そこで早稲田の授業にもぐりこんで入試にそなえた。
 実は西鶴に惑溺したのがこのときの早稲田の図書館でのことだった。
 一高には合格した。文科である。高等小学校が2年よけいで、中学卒業後も2年を費やしたから、合計4年ほどの年上の入学生だった。芥川、久米正雄、佐野文夫、松岡譲、成瀬正一、土屋文明、山本有三らが同級生にいた。菊池は久米ととともに野球部に入り、やっとバンカラと文芸ボヘミアンな気分を満喫するようになる。
 けれどもそれも束の間、菊池はマント事件にまきこまれ、退学してしまう。 親友の佐野文夫が先輩からマントを質屋に出して生活費のタシにしようと言い出し、これを菊池が引き受けて質入れしたのだが、そのころマント盗難届けが出ていたため、菊池にいっさいの嫌疑がかかったというものだ。
 佐野文夫とは、のちに日本共産党で活躍し、そして“転向”をした、あの佐野のことである。時の校長の新渡戸稲造は菊池に同情していたらしいが、面倒なことを嫌う菊池はあっさり退学処分を受けるほうを選んでしまう。

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      きくちかん菊池寛 12 W500H345
               大正5年、第4次「新思潮」同人。(左から久米正雄、松岡譲、芥川龍之介、成瀬正一)

      こうして大正2年のこと、25歳になっていた菊池は、京都帝国大学の英文科に行く。
      周囲にまったく知り合いのいない菊池は、生活はズボラのまま(フロにも入らず)、ここで創作にめざめていった。第3次「新思潮」にも参加した。卒業後は東京に戻って時事新報社に取材記者として入社する。28歳だ。芥川・久米・成瀬・松岡らと第4次「新思潮」を発刊することにも力を入れた。そこに『屋上の狂人』も発表した。そして翌年は『父帰る』を書いた。

      きくちかん菊池寛 24 芥川・菊池 W500

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      この時期前後から、文芸作家菊池寛の真骨頂がいちじるしく開花した。『恩讐の彼方に』『藤十郎の恋』『真珠夫人』『蘭学事始』『入れ札』『俊寛』をたてつづけに書いた。33歳くらいまでのことだ。
 そして、35歳の大正12年には「文芸春秋」を創刊してしまうのである。 では、ここで今回とりあげる『真珠夫人』をちょっとばかり覗いておくことにする。大正9年6月から12月まで「大阪毎日新聞」と「東京日日新聞」に連載されてセンセーショナルな話題となった作品だ。
 これについては後編(下)にて論じたい。




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                                              丹精社 2002年8月

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                        読了記  第6話に続く・・・連載

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