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ひとひらの書 第4話 『真珠夫人』 上

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      江戸時代なら高松藩の儒学者の家柄に生まれたはずの明治男が日本の二大文学賞を創設することになる。芥川賞と直木賞である。真珠夫人を読了する前に、その男について考えていた。
      本を手にするということには、偶然と必然との二つがあろう。今回の真珠夫人は、過去に数度読み返しているので必然となった。特段に構えて読まずとも、芥川と直木の二賞は前期・後期において年二回の選考があるたびに思いを深くさせられるわけで、必然の一つはそこにあった。
 芥川賞であるが、2012年上半期からの選考委員は小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、高樹のぶ子、堀江敏幸、宮本輝、村上龍、山田詠美らの9名。選考会は、料亭『新喜楽』の2階で行われる(直木賞選考会は2階)。受賞者の記者会見と、その1ヵ月後の授賞式はともに東京會舘で行なわれる。
 賞のジャーナリスティックな性格はしばしば批判の的となるが、設立者自身は「むろん芥川賞・直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。そのことは最初から明言してある」(「話の屑籠」『文藝春秋』1935年10月号)とはっきりとその商業的な性格を認めている。小生はこの創設者の所信を胸に刻んで各年の選考を楽しんできたわけであるから、クリスマスケーキの品定めなどするに似た風物詩となっている。

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      本年1月16日、第148回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考結果が発表され、黒田夏子の『abさんご』(「早稲田文学」5号掲載)が芥川賞、朝井リョウの『何者』(新潮社)が直木賞を受賞した。
 黒田夏子(75歳)は早大教育学部卒業。在学中に友人たちと同人誌を立ち上げ、卒業後は教員、事務員、校正者などをしながら書き続けてきた。『abさんご』は第24回早稲田文学新人賞に選ばれ、今回の受賞へとつながった。一方、朝井リョウは2012年3月文化構想学部卒業、現在は会社員として勤務しながら執筆活動を続けている。在学中の2009年に『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞。『もういちど生まれる』で第147回直木賞候補に名を連ね、今回、戦後最年少・平成生まれ初の受賞者となった。
      どうやら指名手配者であったらしい。史上最年長で芥川賞に決まった黒田夏子は「生きているうちに見つけてくださいまして、本当にありがとうございました」・・・と、東京都内で開かれた受賞会見でこう喜びを語る。本年は、この夏子の爽やかな言葉が新春の雪解けとなった。そして、ともに早大卒のOGとOBという奇縁が新春風物詩の各紙面を賑やかにした。
      まず、お二人の更なるご活躍をお祈りする。

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      男はその風物詩を創り、日本の風土に根付かせた。
      明治21年に生まれたその男は、高松中学校を首席で卒業した後、家庭の経済的事情により、学費免除の東京高等師範学校に進んだものの、授業をサボっていたのが原因で除籍処分を受ける。
 しかし地元の素封家から明晰(めいせき)な頭脳を見込まれて経済支援を受け、明治大学法学部に入学。法律を学んで一時は法律家を目指したこともあったが、一高入学を志して中退する。さらに徴兵逃れを目的として早稲田大学政治経済学部に籍のみ置き、受験勉強の傍ら、大学図書館で井原西鶴を耽読した。
 そんな風聞から小生も井原西鶴を読み返したのだが、西鶴がどこでどう芥川賞や直木賞と通じ合うのかは今もって判らず不明なのである。男のいう「半分は雑誌の宣伝にやっているのだ」を、そのまま引き取ると、そこは不明なのでよかろう。さもあろうか、この男の人生がじつにユニークなのであるから、どう不明であろうともそこは問題外でよかろうか。二大賞の選考は不問にさせるほどの大風物詩となった。

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      1910年、早稲田大学を中退して第一高等学校第一部乙類入学。同期入学には後に親友となり彼が創設する文学賞に名を冠する芥川龍之介らと出会う。しかし卒業直前に友人・佐野文夫(後年の日本共産党幹部)の窃盗の罪を着て退学。その後、友人・成瀬正一の実家から援助を受けて京都帝国大学文学部英文学科に入学したものの、旧制高校卒業の資格がなかったため、当初は本科に学ぶことができず、選科に学ぶことを余儀なくされた(後に本科への転学に成功する)。京大では文科大学(文学部)教授となっていた上田敏に師事した。当時の失意の日々については(若干のフィクションを交えているが)「無名作家の日記」に詳しい。

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                        写真は一高時代の芥川賞創設者(前列中央)
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      男の名は、菊池寛(きくちかん)だ。本名hを寛(ひろし)という。
      たんなる通俗作家、菊池寛とは、そう受け止める人々が結構多い。しかし「父帰る」や「恩讐の彼方に」や「入れ札」は、菊池自身が創設した直木賞の今日の水準を、ひょっとしたら、はるかに超えているのではないか。読み返す度にそう思えてっくる。年年歳歳、そんな感慨が小生を深くさせる。
 そこには作家業の一方「文芸春秋」や「オール読物」を作り、大映の社長を引き受けた菊池寛から、今日の出版メディア界が疑視してみるべきことも次々に見いだせるのではないか。毀誉褒貶(きよほうへん)かまびすしい菊池寛に対しての、これは小生が冒頭におく、ほんの少々の菊池寛へのエールである。
      言語の編集を仕事とする者にとって、菊池寛は大きい。また面妖でもある。どのくらい大きいかというと、作家や戯曲家として、「文芸春秋」の創刊者や文芸春秋社の起業家として、新聞小説の変革や芥川賞・直木賞の創設などを通して、文芸的なるものを「経国の大事」としたことがいかにも第一に大きい。これなどは資本主義国家の申し子だ。風雲児でもあろう。
 しかしもっと端的には、編集と市場の関係をきわめて「柔らかいしくみ」ととらえ、これを直截自在に表現メディアや出版組織や舞台プロデュースにしていったことにおいて、その後の編集事業的昭和史に、はかりしれないほどの影響力をもったことが、やっぱり大きかった。やはりこれが一等ではなかろうか。 とくに「文芸春秋」である。これは創刊者菊池だけの功績ではなく、佐佐木茂索や池島信平らの後続者の努力もめざましいのだが、小生はいまもって「文芸春秋」こそが、日本の雑誌のエディトリアル・フォーマットに永遠の金字塔をたてた成果だと見ている。この成果は世界に同資質の類をみない。少し『情報の歴史』を見てもらうとすぐわかるだろうが、「タイム」とほぼ同時期の創刊だった。
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      この日本的エディトリアル・フォーマットを破るものはなかなかあらわれない。
      小生の母は「文芸春秋」「東洋経済」「俳句」をずっと購入して揃えていたが、その母が「週刊新潮」が登場してきたのを見て「これはひょっとしたら第2の文春になるやもしれないね」と言っていたのを引き継いでいえば、「文芸春秋」に匹敵できるのはせいぜい「週刊新潮」か、さもなくば花森安治の「暮らしの手帖」くらいであろう。
 現代でこそユニークな雑誌ならいくらもあるが、フォーマットを変えない魅力をもっている雑誌は稀有なのだ。 もっとも菊池の雑誌は「文芸春秋」だけではない。「映画時代」「創作月刊」「婦人サロン」「モダン日本」「オール読物」「文芸通信」「文学界」を創刊あるいは継承再刊し、昭和14年には海軍省の依頼で戦意高揚雑誌「大洋」なども作った。
 映画の企画や経営も引き受けている。昭和4年の溝口健二が監督した『東京行進曲』は、原作が菊池で、主題歌が西条八十作詞・中山晋平作曲・歌手佐藤千夜子という“黄金”の組み合わせで、小説・映画・歌謡曲の“三位一体方式”が初めて飛ばした大ヒットになった。

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                        映画『東京行進曲』(左)と主題歌楽譜(右)

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              映画「かくて新風は吹く」 阪東妻三郎(右)と嵐寛寿郎(左)による武士の“握手”シーン。
                     大日本映画制作株式会社の社長に菊池が就任した翌年(昭和19年)の公開。


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                                 「父帰る」舞台大正9年上演、新富座


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      昭和の大衆消費文化の幕開けはここにあったといっていいくらいだった。さらに昭和18年からは大映(大日本映画製作株式会社)の社長にも就任した。 どうにも何かが人より抜きん出て、すぐれて異能なのだ。何かというのは、人をメディア的に惹きつける異能性というものである。
 正直にいうと、小生は必ずしも菊池寛の熱心な読者ではない。作品も二分の一ほどしか、目を通していない。それでも、小学校の学芸会で見た『青の洞門』や中学校の学芸会で見た『父帰る』が忘れられず(当時は菊池寛の芝居を学芸会でやるのが流行していたのだろか)、それが菊池寛の戯曲であることを知ってからは、妙に放置してはおけない畏怖のようなものをおぼえるようになった。
 いうまでもないだろうが、『青の洞門』というのは大正8年の小説『恩讐の彼方』が原作で、のちに菊池自身の手によって3幕の芝居になったものである。
 とはいえ、それからも菊池寛を読むということにはあまり関心が募らなかったのだが、あるとき『忠直卿行状記』と『引き札』とをたてつづけに読む機会があって、これは編集異能小説だという感慨を深くした。

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 『忠直卿行状記』は大正7年の作品で、歴史に名高い暴君として知られた松平三河守忠直を主人公にした。僅か13歳で越前67万石の大封を継いだ殿様で、とくに大坂夏の陣において真田幸村の軍勢を蹴散らして大坂城一番乗りをはたしてからは、我儘、奔放、強情、身勝手をほしいままにした。癇癖が強くて、しかもどんな者にも負けたくないという自負でかたまっていた人物である。
 これは、新井白石の『藩翰譜』にも、ぼろくそに書いてある。 この忠直におこった境涯の一点を、菊池寛はみごとに描いた。夏の陣の後の日々、城内で連日のように武芸の立ち会いをしてこれを次々に打ち負かすことを好んだ忠直は、ある日、二人の家臣の会話を立ち聞きをする。
 二人とも今日の槍術試合で打ち負かされた相手である。二人は「殿の腕前もずいぶん上がったものだ」と感心している。初めて臣下の偽らざる称賛を聞いた忠直はたいそう満足をするのだが、その直後、「以前ほど勝ちをお譲り致すのに、骨が折れなくなったわい」と言うのを聞いて、逆上した。なんとかその場の怒りを抑え、そのかわり翌日の立ち会いを真槍(しんそう)にした。
 家中の者は驚き、殿の乱心かと疑い、国老は懸命に諌めるのだが、聞きはしない。家臣たちが次々に恐れをなして引き下がるなか、昨日の一人が潔く真槍をひっつかんで主君に刃向かうのだが、三合ほど合わせると槍を左に受けて倒れ、もう一人のほうもしばらく槍を交えたのち右の肩に槍を受けて倒れた。二人の見えすいた負けっぷりに忠直の心は楽しまない。おまけにその夜のうちに二人が相前後して割腹したことを知らされた。
 これで忠直は、いったい自分の力というものが確信できなくなっていく。すべては砂上の楼閣に築いた栄誉だったのかもしれない。 焦燥のうちに武芸から遠ざかっていたところ、生意気な小姓が「殿はなぜ近ごろは兵法座敷に入りませんのか」と問い、「いっときのお手柄にちと慢心あそばしたのではありませぬか」と余計なことを言った。たちまち忠直は杯を小姓の額に投げつけた。小姓はその夜に自害した。
 それから十日ほどたって、忠直は家老と囲碁を遊んでいた。このとき家老がうっかり「殿は近ごろ、ご上達じゃ」と言ってしまった。すると忠直はいきなり立ち上がり碁盤を足蹴にした。
 案の定、家老はその夜に切腹して果てた。もはや忠直の乱行はとめどを知らなくなって、ついには愛妾たちが人形のようにしか自分に接していないのに腹をたて、家臣の女房を城中に呼んで手籠めにしようとした。これなら本当の異性の溌剌とした抵抗に出会えるかと思ったのである。
 妻を取り上げられた3人の家臣のうち、二人は切腹をもって抗議したが、もう一人の与四郎は城中に乗り込み、勇敢にも匕首(あいくち)をもって主君に飛びかかった。忠直は必死でこれをとりおさえ、そしてその瞬間になぜか心が晴れた。「お前はまことの武士じゃ」と褒めて妻とともに退出させ、自分は自分で掛け値のない技量を発揮できたことに満足した。

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       ふつうの小説なら、ここでおわるはずである。
       しかし、菊池はもう一歩踏み込んだ。忠直のこの満足も束の間だったのである。
 その夜、与四郎夫婦は枕を並べて、心中自殺を遂げた。忠直の残虐はこれでまたまた燃え上がる。その被害が城中から城下にまで及ぶようになると、さすがに幕府公儀もこの事態をほっておけず、改易の沙汰となった。
 これだけの文字数では、ざっとこんな話だが、菊池寛が忠直を歴史物語ふうに描いていないのは一目瞭然だ。まさに近代的に描いている。上に立った者の傀儡性と、自身が自身に問うべき価値の喪失が描かれている。
 つまりここには、世の中における「掛け値」というものがもたらす「幻想の崩壊」が巧みに炙り出されていたのである。なるほど、うまい描き方があったものだと思った。

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       当時、しばしば菊池に比較された芥川龍之介は、「僕なぞは芸術にかくれるという方だが、菊池は芸術に顕われる」と言った。そこが指摘できる芥川もさすがであるが、芥川はまた「菊池には信念が合理になっているところがあって、それが人間に多量の人間味をふくませている」のだと見抜いた。
      『忠直卿行状記』はそこを描いたわけである。

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      『形影』松本清張 著 文春文庫 1987

       松本清張に『形影』がある。「菊池寛と佐佐木茂索」というサブタイトルがついている。そのなかで清張は、菊池の文学はゾラや花袋らの自然主義小説がとりあげていた「自我」を極限化して、うんとリアルにしたのではないかと指摘している。
 これは小生も、だいたい当たっているのではないかと思う。小生にはそれが『入れ札』ではさらに研ぎ澄まされ、そのためかなり明快になっていると感じた。 これは国定忠治一家の赤城落ちを背景に、親分からも兄弟分からものけ者にされた子分の稲荷の九郎助をフィーチャーしたもので、ジャンルからいえば歴史小説ではあるのだが、やはり歴史に阿(おもね)ない。
 九郎助という男を当時の社会に通じる人間として切り出している。
 その後の文芸なら、たとえば山本周五郎だって藤沢周平だって、誰もがこのような描き方ができるのだが、当時はこういう小説はなかったのである。これも『忠直卿行状記』の忠直と同様に、九郎助を歴史物語ふうに描いていない。そのあたりの『入れ札』を引き続き次回は語ることにする。
 菊池寛の『真珠夫人』を語るには、この『卿行状記』や『入れ札』の作品は重要な伏線となる。




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                                              丹精社 2002年8月

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                        読了記  第5話に続く・・・連載

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