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洛北小説『花そとば』 第4話

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              第一部 八瀬童子(やせどうじ)   

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      ニ  御所谷の五郎 (ごしょだにのごろう)   



 今を生き、未来を生きようとする香織に「人間とは、好物である矛盾を食べるのさ」とは、伝えたくもない。六十年も前のことだ。虎彦は、ふと汽車の旅中で眼を醒ましたことがあった。
 上海(シャンハイ)から乗り継いできた汽車は炎々とした血の海を走っていた。
 だがそこが海ではないことは判っている。北上する汽車は少しも曲がることもなく真っ直ぐな軌道の上を遥かなる地平線を目指して走っていた。見渡す限り茫漠(ぼうばく)としてじつに広大な満洲の荒野である。その広々とある地平の果てまでが真っ赤な罌粟(けし)の花で燃え立っていた。莫大な赤い波立ちのそれは、まったく感動に揺り動かされて燃え滾(たぎ)る見事な光景だった。

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  まんしゅう阿片栽培 W600 gif

 虎彦は予定通り哈尔滨(ハルビン)で降りた。
 そこでしばらく滞在することになっていたが、或る日、東亜同文書院を卒業した者として公営の工場に招かれ、見学後にお土産として一袋の阿片(あへん)をもらって帰った。日本円にして千円相当の代物であった。当時、満鉄職員の月給が約百五十円である。しかも〈支那人(しなじん)に売りなさい。五倍の価値になる〉と言い添えられて手渡されたのであるが、卒業祝いの土産に阿片とは、馬鹿げておおらかな時代であった。
 しかし、それが満洲では阿片禁止令を施行しながら、同時に、支那人にはその満洲で育てて精製した阿片を、平然と狡猾(こうかつ)に売り捌(さば)いていた。その一袋であることに気づいたのだ。

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 芥子の実からは褐色で固めのチューインガムのような阿片が作られ、さらに精製されてヘロインが作られた。大部分は、満州国からシナをはじめとする亜細亜一帯に輸出されたが、一部は満州国内で消費された。鉱山などの労務者(苦力;クーリー)へのボーナスとして阿片・ヘロイン入のタバコが配られたりする。報酬として現金を渡すとシナの家族に送金されてしまったり、本人が辞めてしまったりするからである。現金ではなく阿片で支払うのは、苦力(クーリー)を逃亡させない手口でもあったわけだ。その結果、彼らは重度の阿片中毒になる。だが労働力の代りはいくらでもいたし、中毒になってくれれば阿片の需要拡大にもなるわけだ。
 そのことを醜く思い知らされた虎彦は、無性にプライドを破壊された手で、お国のためにと戴いたその阿片をハルビン郊外の溝(どぶ)の汚れに流した。これらは満洲国、つまり日本人が為す政策であったのだ。
 わずか地上より、百六十センチメートル内外の眼の高さから、転じて八十二年間、世の中には醜悪で酷(ひど)い矛盾がたくさんあった。現在でもその眼の高さから転じて、大きく空を仰ぐことさえじつに少ない毎日である。その限られた眼のゆくところに、安心して受け止めることのできる真実がどんなに少ないことか、と虎彦は訝(いぶか)しく溜息を洩らした、・・・そのとき、
 黒い人影が近づいてくるのを感じた。

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 とっさにステッキを左脇に抱えた虎彦は、黒いフェルト帽のつばを指でつまんでキュッと引き下げた。帽子が風に煽られるとでも思わせればそれでいい。さりげなくそう見せかけたい虎彦は帽子の陰でうつむいていた。迫る人影が妙に周囲の山と溶け合って、しかもひたひたと迫る静かな影を揺曳(ようえい)させていたからである。
「老先生ッ、あれ、隠れ道の、五郎はんや・・・!」
 眼ざといものだ・・・「この娘には、この距離から人物の特定ができるのか・・・」と虎彦は驚いた。
「ほ~ら、やはりそうやぁ~」
 と、香織は嬉しさにむせるかのような甲高(かんだか)い声を北風のなかに響かせた。
「こないだ、五郎はん別荘にきはッてん。お菓子やら、お花やら、お魚やら、ぎょうさん買うて来てくれはりましやんや。あれ、たしか晦日(みそか)やったわ。老先生、まだ東京から戻りはらん日ィや。せやけど、どないかしたんやろか。御所谷から、こない早うに・・・」
 香織のいう「隠れ道の」とは、一般にはほとんど知られていない、比叡山の僧でさえあまり知らない道である。
 比叡山の西塔の中心となるのは釈迦堂であるが、その裏脇から黒谷に下り入ると、北尾谷に抜ける急斜面の細い坂道がある。それは修行道より悪路の、もう獣道(けものみち)にも等しき細く険しい山道なのだ。ここを下ると八丁谷に、そこから御所谷へと、抜けてさらにそこから麓の八瀬へ向かうと、八瀬天満宮の祠(ほこら)のところに出る。これが、隠れ道である。五郎は御所谷に住んでいた。

 けもの道 動1 gif

「おお、香織やないか。こない早う、どないした?・・・」
 先に訊こうとしたセリフを五郎にとられると、妙に嬉しく、香織はみるみる顔をゆるめた。
「老先生、奈良、いきはるんや。うちも一緒、カバン持ちや」
 にっこりして香織は弾むような言葉を返しつつ、さも楽しそうに虎彦の顔をみた。
 竹原五郎はその声を聞きつつ、虎彦をみてペコんと丁寧に会釈した。
 虎彦は、この比叡の猿山の谷に暮らす男とは、別荘で一度会っている。以来、五度は別荘の敷地内や裏山で見かけている。杳(よう)として暮らし方が知れなかったこの男の、その面(つら)をまともに見るのはこれが二度目なのだが、二人の様子の自然さに接していると、虎彦は妙に爽やかな風が吹いてくるのを頬に感じた。
 血のつながらぬ二人がまるで父と子のように溶け合っていた。そこには微塵の逡巡(しゅんじゅん)もなかったかのようにみえる。ふと、見送ってくれた君子の影が侘しく泛かんだ。これでは虎彦も凍える顔をさせて、バス停の一隅に形よく立ったままではいられなかった。
 この竹原五郎という男が、香織の亡き父と刎頸(ふんけい)の友で、祇園の佳都子から五郎が八瀬童子(やせどうじ)の末裔なのだとも聴かされていた。またその八瀬童子とは、何やら十津川の竹原家とも深い関係を匂わせるのだとも、アニミズム歴史学の川瀬教授が以前、そう論文に書いていた。奇遇にも、その川瀬教授が明日の夕刻には京都駅に到着する予定である。虎彦は、そんな五郎から先に挨拶されたせいもあるが、おもむろに黒いフェルト帽をとると、五郎よりも深々と頭を下げていた。
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「あれ、老先生っ、それお商売どすのんか!」
 このまま目礼だけで済ましてスレ違おうと考えたその間に、香織がフィとまた妙な言葉を挿(さ)しいれた。
 五郎も同じ思いであったろう。立ち去ろうとした流れに、香織がパッと明るさを灯すような含みのある言葉を投げかけたのだから、迂闊(うかつ)にも五郎の足を止めさせてしまう羽目となった。
「なんや香織、悪戯(てんご)いうたらあかん。旦那はん、困らはるやないか」
 親代わりだという心根をもつ五郎は、やはりそれらしく厳しさも感じさせてそう叱ると、やゝ気まずそうに虎彦をみて貌を赤らめた。
「てんごなんかいうてへん。これ、うちの仕事なんや」
 香織のそうした言葉には〈先生いうんは、頭下げはらんもんや。ただ学問さけ、しとかはればそれでよろしいんや。せやけど今朝は、頭ァ起こさはるのに、えろうご苦労なことやなぁ~〉と皮肉めかした妙な含みを持たせてはいたが、どうもそうではなさそうだ。
「せやなかったら何か、旦那はんに〈わいの頭ァ、10トントラックなんや。重とうて、あがらしまへん〉などと、香織のツッ込みィに、ボケて返しなはれとでもいうんかいな。そんなんアホなこと、それ、仕事とちゃうやないか。ほんに、しゃ~ない娘や」
 と、五郎は真面目に真っ赤になって怒った。
「五郎はん、えらいじょうずに返しはるなぁ~。せやけど、そんなんじゃあらへん。うち、老先生のこと、お師匠はんや思うとる。せやさかいに、五郎はんのアホ・・・」
「わいが・・・阿呆・・・!」
 香織はもう眼に一筋の涙さえ泛かべている。・・・〈ああ、これじゃ埒(らち)あれへん〉しかも〈五郎に向って、阿呆などと〉・・・こうなると五郎の手前、いつものことであるから刺した釘も用をなさないことがわかる虎彦は、一応、見咎める眼できつく香織をみた。
 皮肉やあてこすりの調子などいささかも含ませてないと思う香織は、やはりそれを他人事のように剽軽(ひょうきん)に笑みた眼の、目玉を上下左右に廻してヤンチャに動かした。こうして香織が笑うと、唇のめくれかたが独特である。つい虎彦も五郎もプッと笑ってしまった。
「こないな娘ォで、ほんに、こっちゃが困ってしまうがな」
 足を止められた五郎は、真実困った声をだした。
 かすれて低い濁声(だみごえ)である。冷たそうに聞こえるが、しかし節々に香織をそっと庇(かば)い包むやさしい人柄のでた言い回しで、しかも弁(わきま)えていた。一見その五郎とは、尻あての鹿皮(ししがわ)を腰にまきつけた野生の風体で、赤鼻の小柄な山男だが、脚を患う虎彦だと承知でも、あえて凍えるや冷えるを挨拶の言葉に引き出して、そうした愚かな会釈など一切しやしない。それがまた虎彦に、毅然(きぜん)とした強さを感じさせた。
「二人とも、けったいなお辞儀だけしはって、済まそうとしはるさかいやわ」
 どうにも懲りない香織がまた眼を細めて笑いかけた。いつもがこんなお茶目な娘なのである。
 虎彦はその辺りのことを詰めていくのが嫌で、二年間、何もいわなかった。妙に上品さだけをものほしげに見られるのは、六十五歳も違う香織が相手であるだけに我慢ならなかった。むしろこの娘といると老いゆく一日が、本来ならひどく短く感じられるものであろうが、何とも長々と感じられるのである。老船の帰り着く港が見えないのもじつに淋しいものだ。それだけに帰り着ける港のあることを感じさせてくれる、いつしか香織とはそんな存在となっていた。

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 そんなヤンチャな非凡さの思春期を生きる香織からいい遊ばれて軽くいなされることに、平凡な老人の日々を重ねられるようで、いつしかそれが嬉しい快感ともなっていた。老人の思い通りにならないのが若者の行動であり言動であるのであれば、それを自分の崩れ去る心の張りにしたかった。
「いつものことですから、特段、気にもなりませんよ」
 五郎は意外そうな顔をして、そういう虎彦のをみた。しばらく黙っていたあとで、虎彦は平静な声でいった。
「竹原さんこそ、こんな朝早くに、どこかご商売にでも?・・・」
「へぇ、それが・・・」
 五郎が応え返そうとする、その脇で香織は、五郎が手に固くにぎる赤いリボンのついた手提げ袋の中身に気がそそれれるようで、それを指でおさえては、ピンと弾いて音の何かを確かめていた。
「何するんや。そないにしたらあかんやないか。やめなはれ・・・あかん、あかん」
「隠さんかてええやんか。リボンついとるし、これ一体何やねん?」
 五郎に慣れっこの香織は、まるで仔犬が尾をふり甘えるような甲高さで袋の中身を問いつめた。
 赤いリボンは誰かへの贈り物に違いない。そのリボンと、指の感触から中身のおおよそを察した香織は、もうそれ以上は自分の口からいいだすまいとしていた。
 良質の作曲家の内面にさかしらな理性の入りこむ必要はない。慧眼(けいがん)な作家の音楽を聴いていると老いた虎彦でさえ、どんな自分の姿も可能なような気がしてくる。この躍動性と同じように香織が傍にいると、ふんわりとしていつも現実が希薄になる。虎彦は、むしろその内面の飛躍をうらやましく感じるのだ。
「しゃないなぁ~。これか、これわやなぁ・・・」
 五郎は白い息を一度はずませて応え返そうとしたが、どうやら虎彦の存在がそんな気にさせるようであるが、先ほど、無意識に力んで斜めに踏み出した右足をス~ッと揃え直すと、弱ったように小さくなって神妙となった。
「なぁ~教えてェ~な。そない、もったいぶらんと、何していえへんのやろか」
 香織はことさら謎めかした笑みを泛かべ問いつめる。そのためか気恥かしさが滝のように五郎の顔面に滲み出ているのが虎彦にもわかった。みかねる虎彦はそれとなく眼を笑みて促してみた。
「しゃ~ない娘やなぁ~。これ、毛布のシャレたやつや。ブランケットいうて、舶来の膝掛けや」
 ようやく弾みをえた五郎は、もう満面の笑みで中身を披露すると、二人をみて得意そうであった。
「寒い日ィ続きよるし、これやしたら元気取り戻さはるんやないか、と、そない思うてな」
「誰が、元気取り戻さはるんや?」
 それまで瞼の上を桃色にしてうつむきがちに聞いていた香織であるが、フィっと虎彦の前を横切ると、その身を二人の間に割り入れるようにして、五郎から眼を逸らさずに訊(き)き質(ただ)した。
「そんな怒った顔せんかて、これ、決まっとろうが、君子はんのや」
 こう聞かされて五郎と真向うと、しかしどこか自分らしくない。香織は何かそぐわないものを感じた。君子がまじまじとこちらを見返しているようにもある。父のものを貰った黒目が勝った香織の透き通る丸い眼は、五郎の目線から、こころもち下がっていた。
「わい、こないだ道具屋寄った難波の帰りにな、船場にいったんや。ほなら、着物きた店の人がやな、これがええ、これがええ、いいよるんや。フランス製やいいよるし、ほれで、わい、買(こ)うてしもた。そんなんでコレ、君子はんに、今朝届けとこ思て・・・。その後、蓮華寺に用事あるさかいに・・・」
 虎彦の前だから、もじもじと、なかなかいえそうになく困っているのが虎彦にはわかっていたが、五郎はさもうまそうに北風を大きく呑み込んでから、二人に語りはじめると、眼をしばたいて瞳を炯(ひか)らして、じつに嬉しそうに話した。その眼の炯(ひかり)、初めて会ったときにも感じたと虎彦は思った。

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「えらい早口やったなぁ~。うちのォは、次、船場行きはったときでええわ」
 そう口をつく怪訝(けげん)な言葉も、頬から顎にかけての弛(ゆる)やかな丸の線がそれを救ってくれる香織なのだ。
「ああ、買うてくるさかいにな。そんなもん嘘いうもんかいな」
 もう香織は微笑んでいた。若いということは、何をみても聞いても老いとは違う意味を感じさせるものだ。
 香織は五郎が話をする途中から、薔薇の花の刺繍(ししゅう)をあしらったブランケットをながめ返しながら〈いつか、うちの子ォ生まれたら、こんなんで巻いて抱きたいな〉などと連想をふくらかし、あこがれの中の、すでに赤ん坊ができたという確信が、勝手にあつらえた慶事に寄り添って、仄々とした喜びに浸っていたのだ。
 そのような香織は、ブランケットを膝の上にのせて児を包み、ためつすがめつ見つめ直しても、まだどこにも仕舞いこむことができなかったのかも知れない。そしてようやくブランケットをたたみ始めた、その手がまたふと止まると、両瞼からぽろりと涙をこぼした。
「急にうち、何やしらん、おかしいんやわ・・・」
 そういいながら香織はそんな自分の感情に驚いていた。母親の顔も知らずに育った、その事情の端々から、五郎が香織に明確には答えてくれなかった内容を、漠然と感じとることはあった。自分でそれらを訊き質そうとしなかったせいもあるが、聞けば何かが壊れる恐れを抱き続けてきたようにも思える。父親を亡くしてからは一人いきようとすることが精一杯で、そんなことには一切眼が向かなかったような気もする。しかし気づかぬうちに、母恋しさに染まっていたのかも知れなかった。そんな香織の眼は、視界全部に立ちふさがると思えるブランケットに向けられていた。
「香織ッ、どないかしたんか?。次、きっと買うてくるさかいに、かんにんや」
「そんなん、何も気にしはらんでもよろしがな。うち今、夢ェみて遊んでたんやさかいに」
「せやけど、香織・・・」
「えろう~、すんまへん。早よォ行きはって、大事ィな君子はん、味善(あんじょう)みたげとくれやす」
 と、さも悲し声でこうつけ加えた。
 はっと我に返った香織は、思いなしか君子を見守る五郎の眼も以前とは変わってきたように感じられる。以前の五郎なら、君子の優雅な言葉遣いや隙のない身じまい行儀のよさに近づけぬ思いをしたに違いない。香織もそうであったから判るのだ。
「そんなん、嬢(いとう)はんにィ、えらい冷たいものいいやないか。失礼や。せやろ、わい変な気持や」
 五郎は、気づかぬ素振りで通りすぎたい型の男とは、あらゆる点で違っていた。
 子を産めぬと若いうちに決まっていた女の、どれほど淋しい人生なのかは、かって子を産んだ女でもわからぬもの。まして男には、もちろん父親の虎彦にもわからぬものだ。そんな君子が十年を重ね経てようやく、おのずから賤しい身の上だと自覚している五郎になぜか警戒を緩めて親しんでくれている。五郎いはそんな思いの他は何もない。晦日に庭の手入れでもと別荘に顔をだした折〈体のそこらじゅうが怠(だる)いし、冷えると痛いいうて膝頭さすってはったんや。正月の挨拶もまだしとらへんし〉だから今朝、届けたい一心でやってきたのだ。
 別荘を建ててから十年になる。当時から君子はこの八瀬の集落で暮らしてきた。
 虎彦は東京都内の松濤の自宅と、京都八瀬の別荘とを相互に暮らし分けたニ重生活で、折よく別荘にいてもその大半は外出がちになる。したがって、考(もの)いうまでもなく五郎との付き合いは君子の方が長い。虎彦の不在中、五郎は不自由な君子のために面倒見もよく、香織や他の手に頼みづらい用件や、厄介な世話を幾度となくかけているという話は君子から聞いていた。君子のためにと、凍える寒さの中を御所谷からわざわざ歩いてきた五郎の言葉は、虎彦にとっても誠実で温かみのあることであった。
「一生涯、病人ともいえる不憫者の君子というものは、親の眼からして、いつまでも子供のようなもの。私がそう努めねばならぬように、私がしでかした過失である。嫁ぐこともできずに遠に五十路(いそじ)を過ぎた女でも、いやむしろ、五十歳を過ぎ、まもなく六十歳にさしかかる女だからこそ、歳の差のさほど違わない、五郎のような逞(たくま)しい男性が身近にいて欲しいのであろう」
 そう思う虎彦は、そんな五郎の一途な温もりで、急にいたらぬ我が身のひきしまるのを覚えた。
「せやッたわ。五郎はんの渾名(あだな)ァ、蛸薬師(たこやくし)いうんや。せやろ。死んだお父ちゃん、五郎は、蛸薬師ィやいうてはッたわ」
 さる寺の僧侶が病に苦しむ母のために、好物のタコを買ったのだが、仏門の身でそれは何事かと問われ、咄嗟にその僧侶が薬師如来を拝んだところ、タコが薬師経と変化(へんげ)して、以来、母の病も癒(い)えたのだという。その蛸薬師のことか?・・・当の五郎はたゞ笑っていた。

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「旦那はん。今日、雪ィになりまっせ。お山がそないな匂いさしてはる。ほな、気ィつけて・・・」
 そういいながら五郎は指先で、香織の額をチョンと押した。
「五郎といい香織といい、この二人は、何と同じような体臭を私に聞かせる者たちか!」
 虎彦はたゞ不思議さに戸惑い、この隠せようもない確かなモノを、どう抑えようか、しかたなく苦笑して終わらせることしか手はないと思ったが、その間に五郎は別荘の方へ歩き、向かい風にも平然とゆく逞しい後ろ姿となっていた。
 小さくなるその五郎の影に虎彦は、〈私と君子との関係が硬化しそうなときに、この五郎が現れたのだが、もしあの時期に別の男が現れても、おそらくこうはならなかったであろう〉と思うと、どことなく安らかな余光を弾いて五郎の影は消えた。それは親という他人の加わる余地のない純真な影であった。それだけに虎彦は、蛸薬師という渾名に、もし縁あれば君子もきっと癒されるのでは、と思うと妙にその影の余韻に惹かれた。
 比叡の西谷に隠(こも)るように暮らし、山岳の情緒豊かな雰囲気を漂わす五郎に、東京の都会育ちの君子が好意を寄せている。五歳で儚くも夭逝した兄を話にしか知らずして他に兄弟もなく育った君子だから、五郎を兄と感じて慕うのか。何よりも患うその君子に蛸薬師の五郎が親しみを抱いてくれている。虎彦は比叡の山というものがもつ神秘さをそこに感じていた。
「ええもん贈らはるわ。ほんま、よう考えはったなぁ~。きっと君子はんのことや、喜ぶ姿ァ、五郎はんに見せてくれはる。なあァ、老先生・・・」
 ほっとして肩を落とした香織はそういうと、深い二重のまぶたを心もち伏せ加減にした。
 このとき、朝陽の奥に白々と融けこんでいった五郎の影が、虎彦と香織の心を占領し、バス停に残された二人は、比叡の山の向こうから昇る陽の静けさの中に、たゞシーンと包まれていた。
 香織は、梅の季節に五郎とこの辺りを幾度か通った春を思い返している。虎彦は、正常な感覚が麻痺(まひ)した君子の車椅子を押し続けた日々を思った。
     坊さん頭は丸太町 つるっとすべって竹屋町 水の流れは夷川(えびすがわ)
     二条で買うた生薬を たゞでやるのは押小路 御池で出会うた姉三に
     六銭もろうて蛸買うて 錦で落として四かられて 綾まったけど仏々と
     高がしれとる松どうしたろう・・・
 と、香織が何気なく呟く京のわらべ唄が、ひとり北風に吹かれて揺れていた。
「あッ、老先生ッ、これ違うとるわ。今日、土曜日なんやして、あと十分待たんとあかんわ」
 待ちくたびれた香織がバスの時刻表を確かめると、通常日の運行時間と、土、日曜の運行時間とは違うことに気づいたのだ。
「えらいもんアテにしてた。うち、何てことや。老先生、ほんに、堪忍やえ~・・・」
「何ぁ~んか、うちら二人して、君子はん訪ねはる、そんな五郎はん、待っていたのか知れまへんなぁ・・・。」
 風穴でもポカリと開いたような、そんな呟きが香織の唇から洩れたとき、その言葉は、しかるべき余韻を虎彦にしみじみと残して、しばらく北風の中に舞っていた。


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                              第5話に続く
                      みうまそうたろう 文字 かな 正

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   京都 蓮華寺。



  
   京都 日本の美。




   そうごリンク
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   きょうと 2はなそとば 2

   クリック・ボタン gifA 5 gif   ひめくり古都の道
   京都 花そとば



  つきの暦  2013年2月

  つきの暦 2013 2



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立体言語学博士
Social Language Academy Adviser
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