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小説『花そとば』 第40話

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   はなそとば タイトル
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               第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   40

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      十  宙の雉子 (いえのきじ)   



 瓜生山(うりゅうやま)は山端(やまはな)の東、京都市左京区北白川の北東にある。
 この海抜301メートルの小高い山は、古くは都人の歌の枕に置かれた。

         霧も立ち紅葉もちれる瓜生山 越えまどひぬる今日にもあるかな /恵慶集

         瓜生山 紅葉の中に鳴く鹿の 声は深くも聞こえ来るかな     /元真集

 虎彦はかって香織に連れられて何度かこの山に上がった。北白川から山道に入り、瓜生山を経てそのまま比叡山へ、あるいは赤山禅院へ、またあるいは瓜生山からすぐに下り道を選び、厄除けで有名な狸谷不動山へと降りる。八瀬からはこのコースを逆に辿ることになる。
 京都は、東西北の三方を山に囲まれている。瓜生山に上がるには数種の道があり、虎彦は香織と一度東方面から上がったことがある。そのコースを眼に浮かべていた。
 東側からは、送り火で有名な大文字山の北隣を北上して、そして香織の案内では、思い思いの場所から西側の街に降りてくるという何とも無計画で暢気(のんき)な按配(あんばい)の小さな登山であった。
 出発点は北白川仕伏町バス停。銀閣寺から北へ歩いて10分くらいであろうか。目印はバプテスト病院。瓜生山の山麓に敷地をもつ総合病院である。看板を目印に狭い住宅地の道を入っていくと、病院の駐車場を抜けたとたんに、その風景が一変した。
 そこはもう山道、森の中である。
 秋も深まっていると、ここの紅葉がじつにいい。真っ赤ではなく、暗い赤紫から緋色、そして橙色と、一本の木の中で一続きに変わってゆくさまは、市井がすぐ脇にあるとは思えない野趣の味わいを見るようだ。そこに日でも照っていようものなら、色づいた葉と葉の無数のあわいから、緋色や橙に染められた光がまるで細かい粒子のように降ってきて、それを浴びながら立ち尽くしている時の充実した気持ちはたとえようもないモノであろうとさえ思わせた。
 大山祇神社を抜けると、一層細くなっていく道は泥が目立ち、泥が低く抉(えぐ)れている所にちょろちょろと音もなく流れる水がある。するといつの間にか泥が黒土に変わっていた。そして振り返ってみると、だんだん湿り気が虎彦に向かって増してくるではないか。そこで唐突に川は始まっていた。小さな一筋の流れのここが、市井の底を豊かな水瓶にさせる、せせらぐ源流の一つであった。

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 白幽子旧居跡からほどなく瓜生山の頂である。白幽子とは、江戸時代の仙人といわれた隠者で、この岩場に住んで数百歳まで生きたと伝えられている人だ。臨済宗の中興の祖、白隠禅師がなんでも体調を悪くして困っている時に、この白幽子のもとを尋ね、「内観法」というのを習って精気を養った。

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 頂近くは秋深くある。ふと歩みを止めると、かさこそと乾いた音がした。何かと思えば、それは枯れ葉が枝々に引っ掛かりながら落ちて来る音だ。そして、こんこんこーんという硬質の音は、木の実が同じように枝に当たりながら落ちて来る音である。
 耳をすませば、鳥の声に交じってそんな思いもよらぬ音がした。風が吹くと枝や葉のこすれ合う音が山全体を震わせていた。その震えを感じた虎彦は、これで雨が降り出すと、降り具合によってかすかなざわめくような音からだんだん雨粒が葉をたたく音が何百、何千と重なって山がゆっくり息をしているような音を立てる山であることが判った。
 瓜生山の頂上は、ふもとにある狸谷山不動院の奥の院になっており、小さな祠がまつられている。

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 ここを西へと降りると、張ってある鎖につかまらないところげ落ちてしまうような難所もあるが、京都の厄除けの寺では有名な狸谷不動を通り、宮本武蔵が修行したという滝を見て下に降りられる。
 しかし参道というには険しすぎる山路だ。その狸谷不動までは、寄進された童子たちが三十六体、間をおいて祠に祀られている。狸谷山の本殿は、清水寺のように崖っぷちに舞台のようにしつらえてあって一見の価値がある。また、祈祷をしているときに焚く護摩の炎が、ゆらゆら不動様の顔を照らし、あたかも生きているように表情を変えるさまも一見の価値があろうか。阿部家から秋子はいつもこの道を逆に上がって祠の前に出た。
 あるいは香織がいうには、茶山から上がると、白幽子厳居之跡と、狸谷不動尊から続く三十六童子との中間付近に出られ、瓜生山頂へ出ることもできる。
 一言で言えば、瓜生山は、白川通から一乗寺下り松の東奥に見える恰幅のいい小高い山である。
 頂が開けているのは、かつてこの山頂に「山城」があったからで、「北白川城:瓜生山城・勝軍地蔵山城とも呼ばれていた。大永7年(1527年)細川高国が築城し、曲輪や平地など城跡を示す遺構等が残存するが、トリデ山・デマル・ヤカタ山など城にちなむ地名が残されている。
 山頂の社殿(狸谷不動尊奥の院・現在は幸龍大権現を祀る)の裏に小さな祠(石室)がある。ここに昔『勝軍地蔵』が置かれていた。よく見るとたしかに若干盛り上がっている。人工物ではあるがこの地点は周囲より高くなっている。
 頂に勝軍地蔵山が築かれたのは延文6年(1361年)、戦勝祈願の地蔵堂として建てられた。しかし宝暦12年(1762年)、その勝軍地蔵は足場の良い北白川の山(9番北白川山)に移された。
「オオバタネツケバナ・・・か・・・」
 3月の下旬に一度上がった虎彦の眼に、沢に沿いオオバタネツケバナの花が咲きかけていた。この野草の葉はおいしいのだが、今は小さな白い花をつけ、これから実をつける時期なので手折るのを止めた。そのすぐ近くにはネコノメソウも咲いていた。残念なことは、この山でもカシノナガキクイムシによる「ナラ枯れ」の被害が広がっていたことだ。白いテープを巻いているのは、伐採予定の木であること物語るのであるが、ナラ枯れの被害木としてじつに多くの木に白いテープが残されていた。

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「3月下旬から4月上旬には、秋子は頻繁に頂に上がるという・・・」
 篠笛を一心に吹くのである。
 早春の森では木の中で羽化を待つ虫がいる。カシノナガキクイムシが羽化して出てくるのが5月中旬である。秋子はその羽化を笛の祈祷で封じるのだ。それは山と木を守る祈祷である。
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 山端の山守らは、その笛をじっと聴いた。山守らは芽吹きの春にチェーンソーの音をブンブン響かせたくはない。切り倒してビニールなどで覆う処置も何かと手患いである。
 また付近は花崗岩の地質の場所で、崩れやすい山である。その崩壊も秋子は笛で封じようとする。
「しかし瓜生山の、あのヤブツバキの花は綺麗だった・・・!」
 出会った(聞こえた)野鳥は、シジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラ、エナガ、ミソサザイ、モズ、シロハラ、ヒヨドリ、メジロ、コゲラなどがいた。特にシジュウカラが元気に近くで動き回っていた。だがあれは彼らが警戒音を出していた。うかつにも虎彦は彼らの縄張りに立ち入った。3月下旬の時期は、繁殖に向けたなわばり争いに彼らは忙しい。胸のネクタイ(黒い線)の太いか細いで雌雄の区別がよく分かる。太い方がオスだ。
 そして四月になると、シロハラはここから繁殖地へ向かう。
 瓜生山の頂から比叡山へと上がり、四明ヶ嶽(標高848.8m)からの下りは雲母坂(きららざか)である。この延暦寺僧によって踏み固められた山路は、空海や最澄も通った。
「空海も、最澄も、道元、栄西も、親鸞も、あの雉の鳴女の声を聞いたのであろうか・・・」
 そう想うと、その眼に、虎彦はそっと秋子が頂で吹く篠笛の音色を想い泛かべた。


   


 雨田虎彦は、秋子の笛に添えて動かす指先を想いながら江口章子(あやこ)の手紙とを重ね合わせようとして、もう一度秋子の人生を考えてみた。北原白秋に出逢うまでと、白秋と離縁したあとの人生である。
 秋子は明治21年(1888年)、大分県西国東郡香々地町(現、豊後高田市)に三女として誕生する。その江口家は大阪通いの貨物船まで持った米屋・酒造業であった。
 小学校の通学に使用人がお供するほどの分限者である。随分と大事に育てられた。長じて大分県立女学校に主席合格する。母の実家の威徳寺(瓜生島にあったが、瓜生島沈没後大分市勢家に再建の名刹)に寄宿して通学した。卒業前に弁護士の安藤茂九郎に見初められて結婚する。
 その夫が検事となって柳川に転勤することになるが、このころから夫の女遊びや酒乱に悩まされ、愛想を尽かして離婚、故郷の香々地に帰りことになる。
 しかし上京し、女性解放運動の平塚らいてふを頼り青鞜社に入る。野上弥生子や伊藤野枝、岡本かの子らと交友を持ち文学に親しむ。その文学を通じて白秋と親しくなった。
 大正5年(1916年)に白秋と結婚する。しかし白秋との蜜月時代はわずか4年、大正9年(1920年)に離婚した。白秋も章子も二度目の離婚であった。
「どうも・・・、この離婚に絡んで二人の意識が互いに違う・・・!」
 当時、北原家に出入りの新聞記者と秋子は駆け落ちをするのだが、駆け落ちして家を飛び出したから離縁されたのか、離縁となって駆け落ちしたのかが、大きく食い違う。さておき、しかし、その記者もベルリン特派員として章子のもとを去ってしまう。そこで一時、谷崎潤一郎のもとへ転がり込むが、のちにまた故郷の香々地へと帰った。
 だが故郷へ帰ったものの、すでに実家は没落し、江口家は養子の代になっている。肩身は狭く待遇は悪い。そこで別府の銅御殿(あかがねごてん)に柳原白蓮を訪ねてしばらく身を寄せることにした。だがその後も放浪の人生を重ねた。西国巡礼の帰途、大分市松岡の淨雲寺や木の上の少林を訪れている。大正10年(1921年)には京都の大徳寺に入ることになる。その2年後に一休寺の住職林山大空と三度目の結婚をするが、これもsの2ヶ月後には出奔した。

            人間を枯れ木とおもふ吾ゆゑにこの山住みをさみしとはいはじ 

 このころの章子の歌だ。
 さらにその後、今度は大徳寺の僧・中村戒仙と恋に落ちた。そして同居し、昭和5年(1930年)10月に戒仙と結婚する。しかしこれも、禅僧は妻帯できないので所帯に不具合がある。そのため章子は寺から一歩も外出できない生活が続くが、このころから精神を病み京都帝大病院精神科に入院、早発性痴呆症の診断を受けた。
 だが入院療養となれば散財に苦しみ、早々と一ヶ月で退院し、詩集『追分の心』出版をする。1933年(昭和8年)の大法要の時、章子は真っ裸で表に飛び出し木の下で座禅を組んだという。まことの乱心か流言かの真意は判然としないが、その後、脳溢血で半身不随となり、昭和13年(1938年)に離婚した。その後ままた、卜部鉄心と同居して、以降脳出血をくり返すことになる。

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 そして、そうした京都から再び故郷香々地に帰ったときは、身も心もずたずたになっていた。
 章子終焉の部屋は暗い土蔵の中であった。ここは座敷牢のような押込め部屋で、章子はいわゆる「食い中気」になり、糞尿にまみれて憐れ悲しく一人で息絶えた。
 死因は脳軟化症、昭和21年(1946年)10月29日、その日は雪の降りしきる冷たい朝であった。終戦1年後の、享年59の生涯である。枕元には手あかで黒光りした白秋の『雀百首』が残されていたという。
 その枕元の『雀百首』とは、昭和12年12月刊、限定百部出版の詩文本ではないか。この「雀百首」巻頭に白秋自筆の歌がある。

            華やかにさびしき秋や千町田のほなみがすゑを群雀立つ


 一方、この白秋の足取りも追わねばならない。
 北原白秋は、大正3年6月末、小笠原父嶋から帰京した。
 その7月半ば、俊子(松下俊子)と夫婦喧嘩の末に離別を決意、8月1日に離別状を伊賀の俊子の実家に書き送った。以来、大正5年5月に江口章子と結婚するまで両親、弟妹と麻布坂下町の家に住みながら独身であった。その当時、牧野律太に宛てた「如何にもよき女房ほしく存居候」という文面が残る。妻俊子への心痛からか砕けたものだが、律太への親しみが感じ取れる。
「なぜ・・・、その牧野律太が、離婚後の白秋に、章子が牧野に宛てた手紙を、あえて野口雨情を仲介に託して届けさせたのか・・・・」
 遠い眼をする虎彦には、やはり章子の手紙の内容に棲む、一羽の雀が泛かんでくる。紫烟草舎の白秋と章子は貧しくとも幸せな生活だった。 白秋の「雀百首」「雀の卵」は二人の愛の結晶から生まれたはずだ。主に雀に関するものを選び、約百首をまとめたその雀百首を、自身の永訣の枕元に置いた一冊となれば、雀の声が、どうしても泛かんできては消えないでいた。
 またその雀の声は、瓜生山に棲むという雉の鳴女の声と重なるのであった。そう想える虎彦は、雀百首の雀らを眼に泛かばせて牧野律太という男を窓ガラスの中に眼差した。



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                              第41話に続く
                      みうまそうたろう 文字 かな 正

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  きょうの細道    C 11 gif



  
   京都 二十四節気 清明。


  
   京都 二十四節気 穀雨。




   そうごリンク
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   クリック・ボタン gifA 5 gif   ひめくり古都の道
   京都 花そとば



  つきの暦  2013年2月

  つきの暦 2013 2



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