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小説『花そとば』 第38話

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  こえんふどき五円風土記タイトル
                           Web小説

   はなそとば タイトル
   さくら散る gif  さくら散る 2 gif

               第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   38

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  こじき古事記 動1 gif

                             きじの鳴女 動1 gif




      十  宙の雉子 (いえのきじ)   



 一通の古い手紙がある。雨田虎彦はその手紙を何度か読み直してみた。
 方々に黄ばんだ紙魚(しみ)がある。手垢(てあか)はすでに黒ずんでいる。所々にインク字が融けて霞んだ小さな輪の滴りは、この痕は誰かの涙なのであろうか。紙の四方は、折られ、摩り減り、上下に数ヵ所の破れがある。この手紙は随分と酷い旅をしたようだ。やはり雉の声は、泪(なみだ)の泣き声である。
「何かを強く戒めていた。どうしていつもこうなのか・・・」
 悔いても謝っても消えた命は戻ってこない。泪の痕は男のものだろう。そうだとしても白秋の態度は論外だ。これでは体罰で、顔を腫らして学校から帰宅した子供のようではないか。人間の下す天罰、子供でも分かるおざなりに呆れる。虎彦の眼の中で、一番(ひとつがい)になれない小さな宙(いえ)が空回りしていた。
「叩くことは、世にまつろわぬ集落の矯正に用いられる最悪の、簡単な最後の手段である」
 集落の崩壊は古くて新しい問題として、虎彦たちの前に立ち現われている。
 手紙の内容が問題ではない。そう思えて庭を見ると、また雉の影が鳴いた。
                てがみ 動1 gif
「これは・・・、秋の賦(くばり )だ・・・。重ねられる言葉はある種の同意を誘う・・・」
 10回は読み返したであろう。虎彦はそう思う。少し眼に涙が光った。
 封筒は、本来真っ白であったのであろうが、すでに日晒しに赤茶けている。
 そして封筒の表面の宛書きと裏面の差出人は、
 (封筒表)
 美濃国恵那郡長島町字永田
        牧野律太様
 (裏)
 相州小田原木兔の家町
       北原章子
       九月二十六日・・・・・・・・と、書留ている。
「さて・・・、どうしたものか・・・!。固め直すときではないか・・・」
 この手紙をどう処理すべきかを考えると、虎彦はふと窓ガラスの向こうに遠い眼をした。
 消えない雉の影がいた。
 牧野律太に宛てた北原章子の手紙である。これは江口章子(あやこ)が、小田原兔の家町と記しているから、未だ北原白秋の妻であったころに友人に差し出したものである。

         えぐちあやこ 動1 gif   えぐちあやこ 動3 gif

 雨田虎彦は、この手紙が、なぜ自分の手元にあるのか、そしてこの手紙を或る日、夫の白秋が一度読んだにも関わらず手元に留め遺さなかったのか、その経緯の全てを知っている。
「九月二十六日・・・!」
 またさらに眼を遠くした。その眼を虎彦は大正11年まで遡って眼差している。
 すると自然に東亜同文書院で過ごした時代の自分の姿と、東亜同文書院にまつわる出来事が、窓ガラスから滲み出るかに映っていた。白秋も秋子もこの少し前を歩いていた。しかしそう映り出る意識には、密かに阿部秋子が上がる瓜生山の頂にある小さな祠があり、早春から初夏にかけてその祠の陰に現れて「ほろうち」をする雉の鳴女の姿が虎彦を誘うようにある。さらには、その雉が子育てを終える季節になると、秋子は祠の前で白秋の曼珠沙華を呟き、篠笛を手に祈祷を告げる姿があった。
 何よりもまた、しだいに右に傾いて行く江口章子の首が気になっていた。虎彦の手元に章子の写真が数十枚あるのだが、その顔が加齢するごとに少しずつ右に傾いている。それはミミズクの首のようだ。

                                 みみずくの傾き 動100 gif

          びんせんと封筒 連 gif             きじ ほろうち 動3 gif

 現在、中国の上海に「徐家匯」という盛り場の一区画街がある。
 その一角に上海交通大学があるが、キャンパスは1901年に日本東亜同文会が創立した東亜同文書院を引き継いだ大学で、江前主席の出身校として有名だ。また中国にはその「交通」と名が付く大学は他にも西安交通大学がある。中国交通銀行という銀行もある。これは元は戦前の交通部(日本の運輸省)の経営になる。英語表記では交通大学はCommunication Univ.となっていて、理系では上海一の大学である。
 虎彦は戦後、この大学に五度訪れた。
 その詳細は、虎彦がゆるゆると語ることになるが、そんな時代背景を流れ過ぎた時間として眼に浮かばせる虎彦は、そこから引き出した一つの覚書きを、今、窓ガラスをスクリーンにして映し出している。

                              みみずく 3 gif
 
 ・・・・・・・まもなく夜明け前の白闇となろうか。
「さて・・・・・」
 と、そう勝手に決め込んで、ふらりとやって来ては玄関を叩こうとする男がいた。
 風来坊の目の前に「みみずくの家」はある。
 ミミズクは表札を掲げないから、目印とするものは榧(かや)の巨木なのである。ミミズクにとってこの榧の木が棲家のようなものだ。きっとそうミミズクは思っている。
 榧の実は花の咲いた翌年の秋に紫褐色に熟するのだが、秋の彼岸を過ぎたあたりからこの巨木のその実は赤々となってきた。こうした人間には到底成し得ない規則正しく狂いもなく命の種を何の気負いも見せつけず淡々と循環し続ける榧の木の佇まいをミミズクは好んだ。

                             かやの実 動 gif

 星降る夜空にはその赤実の揺らぎが金沙・真砂の風のごとく美しい。また晩秋ともなれば散り落ちて転がる此の実が褐色に朽ち果てる侘しい趣きは殊更であろう。
 その古老の巨樹の実の上を、
 みあげると仄かに白き空の高みには下弦の月が細い反りをみせてポツリとあった。

             みみずく写真 動 gif

 密かでそのささやかな貧しい光のせいもあり未だ界隈は深い眠りに包まれていた。普通、これを世間では未明という。今、まだき暗闇でしかない。しかし、どうにもこの風来坊の男は人並みの時計とうものを持ち合わせてなさそうだ。いかにもこの風来坊の素行は怪しくも可笑しかった。
 東京府内では「泥棒除けには犬を飼いなさい」としきりに警告しているが、ここは小田原である。その小田原ならやはり提灯であろう。昔、小田原では猿の籠掻きですら提灯を持っていた。小田原提灯は、大雄山最乗寺の神木を材料に使い、狐狸妖怪に対して魔除けになると宣伝した。
 これを職人・甚左衛門の技が編み出した。・・・・・という提灯のお話しに気を逸らされていると・・・、
 ミミズクの部屋には小さな灯りがあった。
 何と、ミミズクさんは夜更しなのである。どやらこの風来坊はこのことを予見していたようだ。

             おだわら提灯 動 gif                 おさるのかごや 動 gif

「やはり・・・そうでしたか。根気ですなぁ~・・・」
 ミミズクは仕事していた。未明のお仕事!・・・だから木菟(みみずく)なのである。生憎・・・ミミズクさんの妻と長男は二日ほど実家に所用があって不在だった。
「そんなことはすでに承知の上のことだ」
 と、風来坊は融通の利かないミミズクを常々そう思う。
 誰かれなく当面「只今、妻子ともに所用にて二日ほど不在」にしてやって仕舞う。一々面倒なのは判るが、つまり此処はミミズクの書斎なのだ。以前、このミミズクは小笠原の孤島から飛来してきた。近年までミミズクはこの近郊の「お花畑」に住んでいた。そこからひょいと昨年、また所帯を新しくした。
 お見合いをして一番(ひとつがい)になったのだ。また今年の3月には一羽のひなも生まれていた。
「何だい・・・差し入れは君の仕事かい。詰まらん」
 ミミズクは空腹の余り不機嫌であったのだ。羽角(うかく)をビッと立てた。
 妻子は昨日から不在(ここは表向きの建前)、そこに極まる早朝の来客とあっては不愉快千万であった。しかも・・・この無礼極まる客人のたっての所望でミミズクは蓄音機を鳴らすことになる。
 出会い頭、何やらお互いが一抹の騒動を予感した。
 そうして一時間ほど過ぎただろうか。
 客人もそうした白秋の不機嫌な間合いにどうやら調整のしずらい嫌な不具合を感じてきた。しかしこの客人は穏やかな風体の割りには、なかなかどうして長けた押しの強さがある。やや瓜実顔のポ~ッとした普段が和服姿でふらふらとした調子をみせる男なのだ。
 白秋とはタイプが真逆なのであるから、この男には白秋は日頃より苦手意識があった。

                            きたはら白秋 動2 gif

 さすがに互いが息詰まる。そこを素知らぬ顔で客人は話題を変えた。
「ようやく新装開店となりましたよ!」
 と、やや語尾を強く跳ねて言った。そう言い終えて、特段意味を含ませた言葉ではない、そう思う雨情がそこにいた。白秋と同業の野口雨情である。
 こういう会話の切り返し方が薄らチョボ髭の雨情らしくともいえる常套手段なのであった。

                            のぐちうじょう 動1 gif
「なにが、かね?・・・」
「例のバーですよ。ほらあのボロい神谷の・・・電気ブラン・・・」
 浅草松屋デパートの向かいにある神谷バーが、新ビルになったのが大正11年のことであった。
 浅草の神谷バーは日本初のカクテル・バーである。
 この店に電気ブランと名付けられたカクテルが登場して、およそ43年の歳月が流れていた。その間、電気ブランなるモノは、浅草の移り変わりを、東京の世の中の移り変わりをじっと見続けてきた。
 ある時は店の片隅で、またある時は手のひらのなかで・・・・・。
 電気というものが未だめずらしい明治の頃、目新しいものというと「電気OOO」などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めてきた。
 電気ブランとはたいそう強い酒だ。アルコール度数45度もあった。このグィと呑み込んだ喉越しの痺れがまた電気の漏電とイメージが重なって、その名が大衆の明治観にピタリと収まった。
 電気ブランの「ブラン」とは、カクテルのベースになっているブランデーのブランである。その他にジン、ワインキュラソー、薬草などがブレンドされていた。しかもその分量比率が秘伝という風聞も功を奏して大正デモクラシーを象徴するモダンな一品として大好評を博した。
 あたたかみのある琥珀色、ほんのりとした甘味が当時からたいへんな人気であった。
 大正時代になると、浅草六区(ロック)で活動写真を見終わるとその興奮を胸に一杯八銭の電気ブランを一杯、二杯。それが庶民にとっては最高の楽しみともなった。

                  デンキブラン 動1 gif     デンキブラン 動2 gif

「で君・・・神谷に行ったのかね!」
「ええ、昨日・・、萩原君と。正確にはもう一人萩原君の連れがいて、まだ若いですが、これが、なかなかの詩才でして、よろしかったら今度一度お会い願いたい」
「萩原の連れ・・・一体どんな感じだい・・・使えそうかね」
「勿論・・・使えますとも・・・しかし萩原君に似たのか、やや神経質ではありますがね」
 萩原朔太郎は1913年(大正2年)に北原白秋の雑誌『朱欒』に初めて「みちゆき」ほか五編の詩を発表した。彼が詩人として出発するのはここからであった。そこで室生犀星と知り合っている。室生とは生涯の友となる。白秋はその関係をつないだ。

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「・・・・・・?!・・」・・・
「・・・それで・・・新しいビルを建てたという神谷バーの方はどうだ」
「結構モダンな雰囲気でした。それはそうでしょうとも、明治初期から一杯売りの酒屋として繁盛してきた店ですからね。調度品も相当な大枚モノでして、女給がピンの絶品ですよ。・・・・・只、例の電気ブランが七銭から一銭値上げされて八銭となりましたがねッ。」
「ああ、それから、萩原がこんな歌を即興で披露しましたよ」

       一人にて酒をのみ居れる憐(あは)れなる となりの男になにを思ふらん
                                            (神谷バァにて) 萩原朔太郎
 雨情は朔太郎と逢えたことが嬉しそうだ。
 しかしそうだとも言えない。
 どうも朔太郎を出汁(だし)にして白秋を出し抜こうかとする気配も感じとれる。
 白秋はそれらを聞いて、感じ取って、少し憮然とした。
 雨情は同類でフクロウのような男なのだ。羽角のある白秋にはそれが分かる。
 じつは、この年の5月1日に日本最初のメーデーが横浜公園で開催されていた。翌日には上野公園でも開催されたのであるが、主催者側はこれを「労働祭」と伝えていた。
 白秋はこの日、横浜の南京街に用があった。その横浜の会場付近を通る折りに、雨情の姿を見かけたのだ。そのことが妙に気掛かりであった。社会主義詩人として出発していた野口雨情である。羽角とは、哺乳類の耳(耳介)のように突出した羽毛であるが、雨情にはこれがない。白秋はよく耳が突く男であった。

                 きたはら白秋 動8 gif

 その後、札幌市の新聞社に勤めていたときに、同僚の鈴木志郎やその妻のかよと親交を深め、「かよの娘のきみが宣教師に連れられて渡米した」という話を聞かされ、乳飲み子の長女のぶ(きみには異父妹)を抱えて、鈴木夫妻は開拓生活に挫折していたのだということも聞いている。
 8年も前の話で、その間沈着したかに思っていた。
 それがどうしたことか、つい最近、横浜の労働祭で見かけた。見かけたのだから致し方ない。日頃から眼をかけてきたから少々腹が立つ。耳に突くと虫酸(むしず)が走る。
「ふ~っ」・・・と、白秋は訝しくした眼を窓の方に逸らした。
 そうして、ふと気づくと蓄音機の音が止まっている。
 盤上では先程まで、雨情の作詞した『赤い靴』の曲がかけてあった。
                 長靴赤
           赤い靴(くつ) はいてた 女の子
           異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった
           横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
           異人さんに つれられて 行っちゃった
           今では 青い目に なっちゃって
           異人さんの お国に いるんだろう
           赤い靴 見るたび 考える
           異人さんに 逢(あ)うたび 考える
                                 あかい靴 動 gif
 しかしこの雨情が作詞した、小さな女の子が外国人に連れられて行ったというこのミステリアスな童謡は、じっに白秋の胸にピタリと密着した。
 早朝にも関わらず雨情が北原の家を訪ねたのは、白秋にこの曲を試聴して欲しかったからだ。この童謡のもともとは雨情の不遇時代、ある北海道開拓民と知り合ったことが作詞の発端とされている。
 雨情が語るには、 それは、以下のようなことだった。
 雨情は童謡作家として名をなす前は北海道にいた。
 同地の北鳴新報に勤めていた時、彼は鈴木志郎なる人物と声をかわすようになる。鈴木は、北海道の開墾地へ働きに来たものの失敗、そののち北鳴新報に職を得た人物だった。
 その鈴木には妻がいた。その妻(岩崎かよ)は再婚で、鈴木と結婚する時、彼女は前夫との間に生まれた子ども「岩崎きみ」を、アメリカ人宣教師チャールズ・ヒューエット夫妻の養女にしたという。
 岩崎きみは、明治35年に静岡で生まれている。宣教師にもらわれたのはきみが3歳の時だった。それほどに開墾地での生活は苦しかったのである。開墾をあきらめた鈴木志郎夫妻が札幌に出たのは明治40年のことだった。
 この時、夫妻の前に現われたのが野口雨情だった(鈴木は明治41年には小樽日報で石川啄木と出会ってもいる)。生きるためとはいえ娘を手放した夫妻の事情は、その出会いの直後、生後7日で娘を失うことになる。こうした身につまされる事情は雨情自身の悲しみと絡み合い、そうして「赤い靴」の歌詞が生まれた。
「悲し過ぎ、切な過ぎ過ぎるほど痛々しい非情な話だが、堪えて雨情はこれをモノにした」
 そう思う白秋は・・・・・・、
 さりげなく椅子からふんわりと腰を上げると、また蓄音機に針を落とした。
 赤い靴 見るたび 考える ・・・・、
「じつに絶妙のバランスで仕上がっている。曲調が黒子役で詩の起伏を引き立てる」
 と、沁み入り思う白秋は、しばし睡るようにして赤い靴音に耳を傾けた。そうして眼を閉じていると、次第に自身の年齢が気になって来る。妙に込み上げてきた。これはもしや一抹の不安かも知れない。
 時代は早、雨情の時代へと移行しつつある。白秋の指先は微かに振るえた。
 白秋37歳である。また雨情は3歳ほど若い。歳下ではあるが、互いにもう30を越した。
 この年「婦人之友」という雑誌が女中に変わる言葉を募集して選ばれたのが「お手伝い」という言葉だそうだ。そんなことを新聞で知らされたのは半年前のことであるのに、今ではもうその「お手伝い」という言葉がすっかり浸透しているではないか。
 時代の流れとは速いものだ。これなら女性が働くことも益々増えてきそうだ。そして今年はまた「メートル法」なるものが定められた年でもあった。

                           きたはら白秋 動4 gif

「おい・・・雨情君!・・・君、この椅子の高さ・・・いかほどかわかるかい」
「えっ、椅子の高さ・・は~・・・七、八寸というところでしょうか!」
 ふぃに何事かと雨情は目を丸めて、でもシャキりと細目にして目尺を当てた。
 するとそれを聞いた白秋は途端に手をだらりといて奇妙に微笑んだ。
 確かに尺貫法からメートル法に変わったが、雨情には、まだまだメートル法が流通していないようだ。
「やはり、此奴も、それぐらいの男か。なるほど・・・」
 白秋はそれでやや気色がほぐれた。
「雨情君・・・そろそろ伯父さんの古い(ものさし)等は、捨てないと駄目だね」
 と言うと、白秋は雨情を上目に舐めるようにみて、ニヤリと微笑んだ。
「ふむ~う。今日の白秋さんは、やけに刺々しいぞ」・・・「そろそろ退散するか」
 するとフィを突かれてはやはり退散できない際切れの悪い雨情がいて、素知らぬ顔で仕返しに問うた。
「ゆりかごの歌、赤い靴、赤とんぼ、てるてるぼうず、七つの子、どんぐりころころ」と歌の題を並べて、
「これが何だか解りますよね!」と目尻を軽く上げた。
「それが何かって・・・童謡だろう。あるいは歌だろう・・・よ!」
 と言いかけて、自身の歯切れの悪さに白秋はハッとし、ドキリとした。浅はかな物言いは微妙な醜態の揺れとなる。それを見透かしたようにして雨情は微笑みを返した。
 雨情がいとも簡単に並べて言うた六つの歌は現在人気沸騰の童謡である。
 「ゆりかごの歌」は 作詞:北原白秋 作曲:草川 信、「赤い靴」は作詞:野口雨情・作曲:本居長世、「赤とんぼ」は作詞:三木 露風・作曲:山田耕筰、「てるてる坊主」は作詞:浅原 鏡村・作曲:中山 晋平、「七つの子」は作詞:野口雨情・作曲:本居 長世、「どんぐりころころ」は作詞:青木存義・作曲:梁田貞である。
 つまり白秋の作詞は一つ、露風が一つ、浅原が一つ、青木が一つ、雨情作詞だけ二つなのだ。
 雨情はそれ以上の言及はしなかった。
 雨情には北原家の訪問理由が他にもう一つあったからだ。
 じつは手渡しておきたい一通の手紙を知人から頼まれていた。白秋がその手紙をどうするか不安であった。しかしその雨情は、直に白秋に手渡しすることもなく侘しい足取りで北原宅を後にした。
 だがこのとき白秋には、雨情の哀しくさせた足音が分からなかった。


                 きたはら白秋 動6 gif

  はくしゅう白秋 動1 gif


                              第39話に続く
                      みうまそうたろう 文字 かな 正

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  きょうの細道    C 11 gif



  
   京都 二十四節気 清明。


  
   京都 二十四節気 穀雨。




   そうごリンク
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   きょうと 2はなそとば 2

   クリック・ボタン gifA 5 gif   ひめくり古都の道
   京都 花そとば



  つきの暦  2013年2月

  つきの暦 2013 2



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Author:三馬漱太郎
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Sotarou Miuma
立体言語学博士
Social Language Academy Adviser
応用社会言語科学研究員

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