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小説『花そとば』 第29話

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  こえんふどき五円風土記タイトル
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   はなそとば タイトル
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               第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   29

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   ふえ秋子 動1 gif

しの笛 動3 gifなみだ 動1 gif



      六  秋子の笛 (あいこのふえ)   



 一乗寺駅へと向かうその途中にあるお宅には、道路にまでしだれ咲く萩がある。そろそろ紫の花がつき始める季節であることが懐かしく想い泛んでいた。
 この道は慎五郎が秋子の家へと向かい、また帰る道なのだ。瓜生山の麓、狸谷に阿部家はあった。
 秋子は「うちは、狸谷や八瀬の人々と共に生き、共に死ぬんや」と、それを常識として生きようとする。しかし反面「どこか」を探してみる非常識なことをする。しかしそれは慎五郎が、そう区別するだけで、秋子にその意識はない。人間の見識ほど不確かなものはないであろう。人ではあるが巫女である、その秋子の揺らぐ気持ちを、慎五郎はよく理解できた。だがそうであるとしても結局「ここではないどこかに行きたい」けど「どこかに行けそうでどこにも行けない」と休止符を与えられない秋子なのであった。

 はぎ萩 動1 gif

 はぎ 連2 gif          ススキ gif

 空がうんと高くなると、夜もだんだんと長くなってくる。そう感じたある秋の日、耳を澄ませば虫の声も聞こえる、爽やかなこの季節は、狸谷の炭焼小屋でそっと本を開いてみるのにピッタリではないかと慎五郎は考えた。
 炭焼小屋とはいうものの古風な別荘である。細い杣道(そまみち)を上がるその別荘は以前、秋子の曽祖父秋一郎(清太郎)が来客のために建てたという。祖父も実父もすでに他界し、秋子は養母の和歌子と二人で、五人ほどの使用人を抱え、阿部家を見守っていた。祖父富造が亡くなった後、その間別荘は人肌が空になっていたようだ。
 慎五郎は何度か阿部家に足を運ぶようになり、そんな別荘の事情を聞くに連れ、阿部家も借り手を探しているのであるから、慎五郎がその別荘をしばらく借りることにした。
 そうするとやはりその別荘で、本を開いては、群青の空に流れる鯖雲に、閉じては、夜空を照らす満月に向かって、イメージの翼を広げてみたくなる。そうさせる要因が別荘には仕組まれていた。

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 別荘に曽祖父秋一郎が名づけた「合せ籠」という小部屋が最も奥まった山際に造作されている。昼間は一見質素な陋屋にすら思える離れ間なのであるが、秋一郎は秋季に限り、この部屋を訪れる客に解放した。
 「どこでも同じさ。僕だって同じだ」
 と、そう秋子に答えて以来、望んで慎五郎は年に二、三度は狸谷を訪ねるようになった。その気にさせたのは「合せ籠」で中秋の三晩を過ごしたからだ。

 あきの夜 動1 gif

 普段、一ヶ月ほど阿部家の山荘で寝起きし、ときとして長期滞在もあれば、その間に、秋子と二人して短期の旅に出たりすることもある。秋子が自らではどこにも飛び出して行けない宿命をもてば、動ける慎五郎が時々出向いては、秋子の気持ちに少しの風を通した。しかし、それは同時に、慎五郎自信の束の間の風通しでもあった。
 そんな慎五郎に、いつしか定形の習慣が一つできていた。
 一乗寺は宮本武蔵の下り松の決闘で吉川英治が名高くさせた京都洛北、古くから比叡山延暦寺へと続く参道で、きらら坂の旅人をやさしく見守ってきたその土地に老舗菓子処「一乗寺中谷」はある。
 いつも通り一乗寺駅を降りた慎五郎は、まずこの中谷に立ち寄り、予約済みの「でっち羊羹」の仕上がりを確かめる。東京の谷中に住む慎五郎には、真逆の「中谷」がどことなく裏道を踏むようで新鮮だ。しかし看板は「なかたに」と読む。そうして羊羹の支払いを終えると、三代目の若旦那が、その場から決まって秋子に「お届けは一時間後に、いつもの不動院へ・・・」と電話で連絡を入れた。そう暗黙することが予定された三人でするいつも通りの手筈であった。しかしこの話は、三人が申し合わせの三猿のごとくに、しばらくは触れぬことにする。

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 たぬき不動明王 動1 gif

 二百五十の階段を踏んで山へと上がれば狸谷山不動院がある。
 平安京の鬼門守護として祭祀され、悪鬼退散の霊験ありと信仰され、この寺で、かの宮本武蔵が滝に打たれて修業を続けたというが、断崖絶壁の斜面に際建つ懸造(かけづくり)の荒修験のごとくある本堂の風姿に佇めば、武蔵が滝に打たれ降魔の利剣(ごうまのりけん)の極意を感得しようとした修業の地だ、とそう語りしめても過言なき霊験が、やはりこの狸谷山にはありそうだ。

                  たぬき谷不動院 動1 gif

 何よりも高楼本堂に佇んで見下す洛北の景観こそ、背に比叡山を抱きみる西方浄土、人にそう痛く思わせる安寧(あんねい)な曼荼羅を描きみるごとくある。杉木立のほどよい隙間の高みからみる、すっかり悪霊説き伏せた穏やかなその展望は、京随一の見晴らしのよさではないか。慎五郎は秋子と二人して、山の斜面に菩薩さまなどおられるような高楼によく上がった。
 もう夏のものとは思わないそんな気配に、ふと気づかされる朝が京都の狸谷にはあった。それは身を潜めていた秋が急に姿をみせたような快い空気を感じるときである。九月中旬、このころ京都山端では朱夏を過ぎて秋は色なき風の白い装いとなるのだ。これが季語でいう「けさの秋」である。京育ちの秋子にそんな京都の移ろい話をすると彼女は嫌な顔一つせず、いつもたゞ微笑んでいた。そうした笑みは白秋である。
 曽祖父秋一郎は別荘の玄関を山門に見立て「比叡山白秋」の扁額を掲げた。そしてその奥の山際に「合せ籠」の間をしつらえた。

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 別荘の裏山は、高い順に四明ヶ嶽、瓜生山、狸谷山となり、秋になるとその山並みの階段を下るようにして様々な秋虫が別荘の裏山に集うようになる。合せの籠とは、その虫の鳴き合わせを楽しむ趣向の場なのであった。
 たしかに森の世界は自由で発想が一方的ではない。思いがけない発見を与えてくれるものだ。秋一郎は、自分の子孫を育てるために知恵を絞る動植物のたくましさに驚いていたという。また合い籠の間に座っていると、自らの正体のヒントを虫たちが話しかけ、秋一郎に問いかけてきたという。それは自然の衣替えの音であった。
 秋に鳴く虫を籠で飼い、その声を愛でる日本人になろうとして宮廷人は趣向を競い合った。きわめて洗練された、そして芸術を愛する美的生活のなかで、鳴く虫たちの占める位置は、しだいに宮廷に仕え連なる人々の趣向ともなって行く。宮大工の阿部家がそうであった。
「たしかに、ムンクの叫びは、秋の色だ・・・」
 そう想わせる秋子をふと懐かしく思い出してみると、かって秋子といつも見た狸谷の夕映えを今日の夕暮れに重ね合わせる慎五郎の眼には、瓜生山で戯れていた彼岸花の赤い群生が鮮やかに泛んできた。

 たぬき不動院 動5 gif

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 ひがんばなヒガンバナ 動1 gif

 瓜生山の赤い花は色々にある。
 つらつら辛き赤椿の悲しさもあれば、さざんかの綺麗な淡い哀しさもある。また山スミレの素朴で可憐な赤紫もあれば、花くれないの野アザミまである。しかし比叡山の麓とこそ相応しい花ならば、やはりそれは群れながら細い花火でも揺らすかの彼岸花であろう。
「秋子の笛には、やはりあの花が似合う・・・」
 波田慎五郎は瓜生山の頂でみたヒガンバナの燃える赤を静かに眼に泛かばせた。
 するとまた、おもむろに秋子の小さな唇で赤く篭らす唄が聞こえて、慎五郎はいつしかその奏でる寂しさを呪文のように囁いていた。

    GONSHAN.GONSHAN. 何処へゆく
    赤い御墓の曼珠沙華、
    曼珠沙華、
    けふも手折りに来たわいな。

    GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
    地には七本、血のやうに、
    血のやうに、
    ちやうど、あの児の年の数。
    GONSHAN. GONSHAN.気をつけな。
    ひとつ摘んでも、日は真昼、
    日は真昼、
    ひとつあとからまたひらく。

    GONSHAN. GONSHAN. 何故泣くろ。
    何時まで取っても、曼珠沙華、
    曼珠沙華、
    恐しや赤しや、まだ七つ。

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 Gonshanというゴンシャンとは柳川方言で「良家の令嬢」のことであるが、京言葉特有の抑揚で歌う秋子のやわらかく細い囁きは、そのゴンシャンのフレーズを遅上がり(おそあがり)させるので、東男の耳には音程の上がり目が本来の位置より遅くれたそこが何とも器用で絶妙な奏で方にさえ聞こえ、はんなりと弾き上げて歌っていた。
 秋子は常ならぬ寺々に囲まれて育った娘なのである。さり気なく死を垣間見てきた人が口篭る、達観して何一つ躊躇いの無い静寂な無垢の小声であった。すると北原白秋と僕が一つの文脈の中で結びつく感じが迫ってきて、随分といい気持ちになれたものだ。
 詩の第一節と第二節とは、そのGonshanへの問いと答えである。しかしそう問い掛けられてみると、しかも秋子の細い口先が問うと、わざわざお墓に曼珠沙華を手折りに来た、この令嬢の理由が知りたくなってきた。
 慎五郎は勿論、白秋の詩歌の主張のすべてに賛成、というわけではない。だか、欠かせないとも主張したくなる白秋の人生観は慎五郎も必要とする。
 その答えでもある第二節の、今年で生きていればちょうど七つになる自分の子どものために、曼珠沙華を手折りに来た、それがGonshanだというところがこの唄の冷たく突き放す怖いところでもある。
 またその怖さを増幅するのが次ぎの節で、この第三節と第四節は、前の2つの節と異なり、語り手の自問自答を投げ掛けてくる。
「いけず・・・」と、
 この節目まで歌うと秋子は小言を挟みながら息を継ぎ、一、二拍止めてふ~ッと吐息を漏らしては、継ぎ足してGonshanと抑揚を変えて転ばした。
 時は真昼、秋彼岸の天高い青空の下「ひとつ摘んでも」「ひとつあとからまたひらく」という謎の生命力を垣間見せる。この節で、山田耕筰は転調した長調の曲を付けた。準じてここのところを京言葉で転調されてみると、じつに冷たく恐ろしい。京言葉ではんなりと歌われると末恐ろしくなる。

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 しかし歌い終えると秋子はいつも袖口をパタパタ振った。
 微かに、仄かに麝香(じゃこう)の香りが漂っている。そうすることでまた秋子は気分を切り換え、水鳥の浮き立つごとく山路と戯れていた。
「そろそろ狸谷の紅葉じゃないか・・・」
 と、そう想い起こした慎五郎の眼には、すべてが見どころと言って良いほど豪華な山端(やまはな)の狸谷の紅葉が様々しげく泛かんでいた。
 Gonshanと歌う秋子の声はどこか潮騒のようである。
 考えてみると秋子はガラス窓から光が差し込む部屋で、赤い珊瑚の首飾りをつまみ上げては何やら懐かしげに微笑んでいた。

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 あのときの彼女の目線の先にあった実母の形見だと言った姿見は、鏡ではなく、ネックレスを贈ってくれた実父清文の肖像ではなかったのか。とそう推測もできる。首飾りは、珍しいヒマラヤの山珊瑚なのだ。チベットの山岳信仰で重宝されているとも聞くが、そこからは法衣の清文の姿が似つかわしく映し出されるではないか。彼女が見ていたものは父親だろろうと、やはりそう考える方が彼女にとってロマンチックなのである。襟元を直そうとした鏡にしては立ち位置に距離があり過ぎた。
 焼き固まる前の土器に、何かが押し付けられた痕跡を「圧痕」という。幾度か秋子と歩いた瓜生山の山路こそ未だ消え去らないその圧痕ではないか。
 白秋ほど、郷里を愛した詩人はいないと思う。その圧痕の歌集「思ひ出」にも柳川弁が多く登場し、上田敏から激賞されたという「わが生ひたち」を読むと、掘割の情景が目に映るようだ。幼いころの記憶でも、さすがに細かい部分まで描写していて、驚かされる。帰りたくても帰れなかった白秋の柳川。誰もが持っている幼少期の原風景を、白秋は人一倍感じ取っていたのであろう。

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 亡くなる1カ月ほど前、死期を悟った白秋は、写真集「水の構圖(ず)」で、柳川を「我が詩歌の母體(たい)」と記している。やはり、柳川に生まれなければ、白秋という男はなかった。詩歌や童謡など、白秋は生涯に約2万点の作品を残したとされる。その原点ともいえる作品が「思ひ出」である。白秋の創作活動が「思ひ出」に始まり「水の構圖」に終わったことは、何か因縁めいたものを慎五郎は感じた。
 そうした圧痕としての白秋を慎五郎と秋子は訪ねた。二人して故郷である柳川に向かったことがある。
 北原白秋の第二詩集で出世作の「思ひ出」は1911年、白秋26歳のときに東京で書き上げられた。あのとき秋子はぼんやりと曽祖父秋一郎の顔を思い描きながら、白秋の歩んだ道をたどったようだ。
 水郷・柳川は、縦横に掘割(ほりわり)がめぐる。柳の枝が水面に垂れるその掘割を、どんこ舟でゆらゆらと二人は進んだ。身をかがめて橋をくぐると、日常とは異なった風景が入れ替わるように懐かしさも広がる。二人を心地よい風が追い越していった。そこで秋子は頬に風をあて自身の過去を追い越そうとした。

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 白秋が生を受け、19歳まで暮らした街並みは当時とは一変した。が、掘割のゆったりとした水の流れは今も変わるまい。大方は暗渠に眠れるのであろうが、これが白秋をはぐくんだ原風景であり、彼に決別を決意させた故郷の景色でもある。世の風はつねに不易を染めて流行に揺らぐ。京都山端も白秋の柳川と同じく時代の勢いを失おうとしている。秋子は柳川の掘に高野川の流れを重ねた。
 「思ひ出」は、その2年前に刊行した初詩集「邪宗門」に続き、白秋の存在を詩壇に知らしめた作品である。巻頭の「わが生ひたち」は故郷への決別宣言。柳川を「水に浮いた柩(ひつぎ)」「静かな廃市」と呼び、「『思ひ出』に依て、故郷と幼年時代の自分とに潔く訣別しやうと思ふ」と書いた。
 そんな白秋の故郷への眼差しを想いながら慎五郎は、秋子の眼差しじっとみた。とき折り掘面の流れを鏡にするような仕草をしたが、淀んだ流れに秋子の顔をまた溺れるような白い影を揺らがせた。

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 白秋は、柳川藩の御用商人で、九州でも有数の海産物問屋の跡取り息子に生まれる。父の代には、主に酒造業を営んでいた。白秋生家前には、現在は避難港となった船だまりがある。当時は、毎日のように帆船が到着し、長崎や平戸、天草などから、ハイカラな言葉や文物が届いた。柳川に居ながらにして、豊かな外国文化に触れることができたのであろう。
        「わが部屋」
         わが部屋にわが部屋に
         長崎の絵はかかりたり、
         路のべに尿する和蘭人(おらんだじん)の
         金紙の鎧(よろい)もあり
         赤き赤きアラビヤンナイトもあり。
 熊本県にある母方の実家で白秋は、当時としては貴重なイソップ物語やアラビアンナイトを読みふけった。これこそが「トンカジョン」(大きな坊ちゃん)と呼ばれた白秋の、文学的素養が培われていった豊饒な時間であったろう。
 しかし平穏な生活はそう長く続かない。16歳のときに実家が大火に遭い、酒蔵など母屋以外が焼失。文学に傾倒していった白秋は、旧制中学伝習館(現伝習館高)を中退し、父親の反対を押し切って、逃げるように19歳で上京し、早稲田大に進学する。
 「思ひ出」を刊行した翌年、借金を抱えた一家が、白秋を頼って上京している。彼の心の風景には、現実以上に郷里が色あせて映っていたのかも知れない。追い打ちをかけたのが、友人中島鎮夫の自死だった。
 白秋は「TONKAJOHNの悲哀」の中の一編で、その死を悼んだ。
     あかき血しほはたんぽぽの
     ゆめの逕(こみち)にしたたるや、
     君がかなしき釣台は
     ひとり入日にゆられゆく…
「抽選で・・白秋は・・生まれやんや」
 と、秋子は白秋の生家資料館の天上を見渡しながらポッンと言った。

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 「白秋」の名は伝習館時代に生まれた。文学を志す6人の友人で「白」の下に一字をあてた雅号を付けることになり、みなでくじを引いた。「白雨」中島は、白秋のよきライバルであり大親友だった。彼の死から2カ月後、白秋は上京する。そして、生涯「白秋」を使い続けた。実家の没落と親友の死。白秋にとって故郷はつらい記憶にまみれ、43歳になるまでの20年間、柳川を訪れることはなかったのだ。
 詩、童謡、民謡、短歌、書…。白秋の才能は幅広いジャンルでいかんなく発揮された。
 「思ひ出」の装丁や挿絵も自作した。表紙にはダイヤのクイーン。今見ても、実にしゃれている。
 初期の「邪宗門」「思ひ出」「東京景物詩」の3作は、ほぼ同時期の作とみられる。秋子の祖父秋一郎は「白秋はやっぱり商売人の子。間を置かずに、趣が違う3作品を発表しており、自分の売り出し方を知っていたのではないか」と指摘してたという。
 その思惑通りだったか、「思ひ出」刊行後、文学誌上のアンケートで、白秋は詩人部門の第1位に推されるほどの人気を博している。ところが翌年、隣家の人妻と恋に落ちた。夫から姦通(かんつう)罪で告訴され、2週間ほど拘留された。
 人気絶頂となった白秋が、世間的な成功、社会的名声を顧みず、愛情という計算できない感情に真正面からぶつかっていったのは、27歳の青年らしいまじめさ、真剣さだったろう。
 その後、3度の結婚や30回以上の転居など白秋の人生は穏やかではなかった。一度は決別した柳川への愛着も強かった。ささくれだった気持ちを丸ごと受け止めてくれるのは、はやり故郷だったろう。

 やながわ 動3 gif

 41年に柳川を訪れたのが白秋最後の帰郷となった。そのとき白秋は母校・伝習館で講演している。腎臓病で目を患っていた白秋は黒眼鏡をかけ、2人の子に手を引かれて登壇し、25分ほど、作詩する上で数学や音数律の大切さを説いたという。
 二人で辿ってみると、白秋はやはり巨大だった。
 その存在は、檀一雄や長谷健をはじめ、多くの文人を輩出する土壌となった。そして、今なお、白秋が後輩たちに託した望郷の思いは、脈々と受け継がれている。
 慎五郎は秋子と追いかけた『思い出』の旅を思い出すと、ふと立ち上がり、それまで読みかけの歌集『桐の花』を放り出すと、踏石に乗って流れては千切れゆく鯖雲の揺れ動く姿をじっと見据えた。
「そうか、やはりこの表題は白秋のゴシップか・・・」
 歌集『桐の花』という表題、それは抽象思考や観念論より具体的な現世を好む白秋の性向に通じている。そもそも小説の起源こそ神話というゴシップなのだ。白秋はこんな風に利用したのかと慎五郎はたゞ深く感心した。
 そう思い直してみると、夕暮れと共に彼の鯖雲はいつしか消えていた。



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                              第30話に続く
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  きょうの細道    C 11 gif



  
   京都 二十四節気 清明。


  
   京都 二十四節気 穀雨。




   そうごリンク
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   きょうと 2はなそとば 2

   クリック・ボタン gifA 5 gif   ひめくり古都の道
   京都 花そとば



  つきの暦  2013年2月

  つきの暦 2013 2



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Author:三馬漱太郎
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Sotarou Miuma
立体言語学博士
Social Language Academy Adviser
応用社会言語科学研究員

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