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小説『花そとば』 第24話

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  こえんふどき五円風土記タイトル
                           Web小説

   はなそとば タイトル
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               第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   24

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      三  雪の羽 (ゆきのはね)    



 どうしてもそのアメリカの言葉が耳に触れると、その度に頭の芯をつつき指の爪先までがピリピりとした。
 しかも複数の人が語りかけてくる。
 そう聞こえたが、それが物音であれば、言葉ではないのかも知れない。どうにも判然としないが、耳慣れた声か音ではないことだけは判る。しかし確かめようとして耳を澄ませば、身体の先が疼くほどに、しだいに空が大きく広がって行く。すると、和歌子は地吹雪の白い世界にいた。
 自身さえ居るか居ないのか解らない遠い時間の中で、たゞポツンと立っているようであった。
 雪はそんな和歌子を巻き包むように舞いあがり、また舞い降りてきた。
「やわらかァ~な、紙吹雪ィ散らすような、ほんに美しい雪やこと」
 天井から雪が舞いかかるのも構わず、立ち尽くしている修験衣の白い体は、雪景色の中で闇の底がほんのりと雪明りで照らされるように泛き立っていた。

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 書斎と真向き合う修験道の、やや右肩上がりの肩筋と太い猪首の気配は、たしかにあれはと思える鮮やかで、和歌子だけが判別できる懐かしい面影があった。
At last, it seems to have recalled it. Thank you. However, does Kiyoko understand I think now?I have the doing leaving. It is empty.
 やはりこれは人の言葉だ。瞬時に、そう感じ取れた。だがそれは、背中が和歌子に語りかける侘しさは、消え去ってしまったものを、もう一度この世に呼び戻そうとしてるのではないか、と思うほど寂しげにみえた。密やかな眥(まなじり)は既に何かを決めてるかのようにもある。
 鍛えられた白い影の手がふわりと動くと、指先でそっと目頭を押えた。
 そんな修験者の身辺をくるくる回りながら確かめている和歌子がいることが、また不思議だった。
It returned now my Kiyoko. It is reunion after an interval of 13 years.
 その時、今まで陰で聞こえていた何かの呪文かと思えた小さなささやきが鮮明な言葉として聞こえた。
「It waited just now. It ..training.. has returned laden.」
 と、確かに聞こえた。日本語でなくとも、そこに聞き覚えた吃音の癖があることが判った。
「お帰りィなさいまし・・・・・」
 亡き父のふせたまつ毛が涙にぬれるのを感じると、和歌子はそう言わずにはいられなかった。
 旅支度を整え終えた阿部和歌子が寝床についたのは深夜二時ごろである。
 今日、ニューヨークへと旅立つのだ、という逸(はや)る思いが80歳の眠りを浅くしていた。そんな和歌子はうたた寝の夢の間に、今は亡き父清太郎の白い面影の動きをみたのだ。
 誘われるようにす~っと目覚めると、寝床から半身をひよいと抱き上げられるかのように起こされて、おもむろに仰がされた顔の眼をそのままに、あやつり人形のごとく天井の一点をしばらく見すえさせられていた。
 しだいに紋様が泛き立ってくる。
 天井材は京都の家屋には珍しい津軽檜葉(つがるひば)が使われていた。
「そうや。このヒバいう木ィは、比叡のお山から吹き下ろさはる小雪まじりの風にィ打たれながら育たはるここらの木ィより強いんや。あゝあの時、そない言うて自慢してはったなぁ~・・・」
 和歌子は父清太郎と共に一度みたことのある北陸の海を思い出して、その景色の中を訪れていた。

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 空はどんよりと曇り、海は鉛色だった。風は次第に激しくなり、能登の七尾港に打ち寄せる波も高さを増している。餌を求めて飛び回る鷗(かもめ)でさえ、時折吹きつける突風に押されて横にすべるような動きを見せていた。腕組みをして宙(そら)を睨(にら)みつけた清太郎は、鋭い鷹(たか)の眼をして沖の波濤(はとう)をも睨み返していた。
「阿部家の嫡男(ちゃくなん)いうは代々、村が己(おのれ)のために錆びれてゆくのを、恥としたものだ」
 という清太郎の只一言の、あのときの鬼か鷹の目をして張り上げた口調が幼い和歌子の度肝を抜いた。
「人が恐れはる荒海に命ィ張らはって、いさぎよう船を漕ぎ出さはッた、そんなお人らが大勢いてたたからこそ阿部家が今こないしてあるンやわなぁ~・・・」
 天井に映える年輪が描く風雪を見すえている和歌子は、清太郎が買い付けた檜葉の丸太を見せようとして冬の七尾港まで連れて行ってくれたのと同様に、二十五代継ゝてこの家屋の様式を守り続けながら五百年余を世襲し続けてきた阿部家の永い幾歳が目に痛く映るのである。
「これらは皆(みな)、先祖代々、京都より遥かに雪深い北の果てから集めはった木材なんや」
 十二代の清之介に係わる覚書に、
「嵐が迫っていることは明らかであった。九兵衛ははち切れんばかりに帆をふくらました常光丸が、荒海の彼方に消えていくまで欄干を動こうとはしなかった。九兵衛がこれほどの危険を冒してまで常光丸を出港させたのは、清之介が手彫りの摩利支天像を握りしめていたからである」
 と、伝え記されて阿部家に遺されている。
 その九兵衛というお人はおそらく北前船の商人(あきんど)であろう。
 夢うつつに見た父清太郎の印を結びながら呼びかける影の在り様を改めて噛みしめると、和歌子は全身に圧(の)し掛かる重さを感じ、そっと天井からは顔をそむけ、蒲団(ふとん)の上にへたりと座り込んだ。

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〈The what went wrong?Does not Kiyoko have great vigour?。Recall me wanting meet me because the vase on the desk in study is seen. Kiyoko's mother also is entering in that.〉
 と、風音のように聞こえると、自然に和歌子の目は机の上に向けられていた。
「ああ~・・・あの花入れのようなお人やった・・・」
 書斎の机の上に古伊賀の焼き物が今も生前と変わらずに置いてある。
It is so. It is it. Embrace it closely when it is lonely.
 それは見る者に強烈な作意を窺わせる桃山期の伊賀耳付花生であった。清太郎はこれに〈あざみ〉と名付け裏山の茂みに咲く折々の野草の花色を借りては、花を入れない花生の景色を楽しんでいた。
It comes to have understood tasting and the earthenware. It is a daughter who still pulled my blood.
 野薊(のあざみ)の棘(とげ)を連想させることからそう命銘したという。
 胴の部分に突き刺さるように付着した窯変の細かな焦げが飛び散るように口辺まである。裾の濃い焦げの上に若草色のビードロ釉がかかり「自然の変化がこの花生の味わいだ。関白などに分かるまい」などと、まるで利休を気取るかに語っていた。
It is an important treasure brought when Kiyoko's mother marries from Iga.
 母秀代は伊賀上野に生まれた。この古伊賀は秀代が阿部家に嫁ぐとき花嫁道具の一つとして持参したものだ。端正な形態の一切が拒否された古伊賀の、緑釉(みどり)に父の姿が、見覚えぬ母の姿が泛き上がると和歌子はまたふと遠い目をした。
「お母ちゃんが生きててくれはッたら、阿部家ェもまた違(ちご)うたんやろなぁ~・・・」
 明治、大正と足早に終わり、昭和の時代もまた遠のいて、和歌子はその徒然を懐かしく泛べた。
 阿部清太郎という男は、古い家柄を鼻にかけるような人であった。
 だが誰からも信用され信頼された男でもあった。その誰もが信用しきれる男の値打ちに、和歌子はいつしか清太郎の長女として生まれてきたことへの自負を芽生えさせた。京男の値打ち、このことを疑わず永らえて八十歳になる今も変わらずに健悟でいるのだから、亡き父の蜉蝣(すがた)を偲ぶ和歌子の眼差しには細石(さざれいし)のような得心が現れていた。
I boast of an old standing of a family and the person never proudly has behavior.
 と、などと、清太郎からまたそう言われそうだと想った和歌子は、静かに辺りを見渡して苦笑した。
 洛北の高野川沿いには古びて狭い集落が、里山のような存在として点々とある。

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 着道楽などと囃(はや)される洛中の雅さとは一定の距離をおのずと保つことで、これらの山里は特有の営みと穏やかな暮らしぶりを守り続けてきたのだ。
 暮らしを守り抜こうとする里人達は、集落の中に里山という共通の鎮守を据え、何よりも要(かなめ)となる結(ゆい)を重要視し、人心の結束に努めるのである。人々は京に都が遷(うつ)される前の原住であることを心の寄りどころとし誇りとした。これらを崩され壊されることを恐れるから結垣をつくり掟(おきて)とする集落では、もの珍しき者、抜け駆けを企てる者、異形なる存在は、些細(ささい)なことまでが穿鑿(せんさく)の火種となった。
「清太郎はんは、京都ではのうて、石川の出なんやそうすどすなァ~」
「ええ」
 女学校に通うころの和歌子は、村人から父の不可思議な出生を問われると、いつも笑顔で弁(わきま)えのある物言いをして明るく答え、そう心構えして通り過ぎると妙に意地悪く聞こえるから決まって眉をひそめた。
「清太郎はん、天狗さんの子ォや聞きましたが、あれ、ほんまやろか」
「へえ、せやえど天狗さんのよう鼻ァ高こうはあらしまへんしなぁ~」
 このように母の秀代から頂くように諭(さと)される知恵で、しだいに和歌子も村の人間となり結(ゆい)の仲間入りをするようになるのだが、村長(むらおさ)の立場であった阿部家に係わる者として、村長とは頼られることによってしか存続できないものであるから、一人前になるに従って隙の無い、火の打ちどころの無い、あらゆる結のための企てを胸に秘めて備えねばならなかった。
 そんな秀代の知恵は、そのまま祖母から頂く英知でもある。
 京都人の口に戸は立てられぬもので村人達が実(まこと)しやかに語るように、清太郎は石川の真言宗寶泉寺(ほうせんじ)の修験道光雲に拾われた捨子なのだ。

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 高野山真言宗寶泉寺は、金沢市の東茶屋街から卯辰山のふもと子来坂(こらいざか)を上がると右に山号を摩利支天山とする山門がある。
 修験道光雲は幕末のころ清国(しんこく)に渡って修行を積んだ人で、少林寺拳法の達人でもあった。清太郎は一歳半で拾われた時から、この光雲に拳法と学問と修験道を叩(たた)き込まれたのだ。
 そんな清太郎が阿部家の第二十四代目として養子に迎え入れられた経緯(いきさつ)はやや複雑である。

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Ah it was a difficult time fee in all respects. Japan was an immature age when the country was opened by the external pressure, and shape in the country was not decided yet.
 このころ朝鮮半島をめぐる大日本帝国と大清国の戦争が熾(おこ)ろうとしていたが、当時の朝鮮では、明治のザンギリ頭に浮かれ、これを文明開化と謳歌(おうか)する日本人には、到底想像すら出来得ない日本敵視の民衆心理が三百年以上にも及び根付き続いていた。
 それは西郷隆盛らの征韓論によって蒸し返されるが、朝鮮民衆は、豊臣秀吉の朝鮮侵略によって受けた民族的苦痛と屈辱が長く人民の間に記憶されている。その上に当時、朝鮮政府の重税政策、官僚たちの不正腐敗の横行、日本人の米の買い占めによる米価騰貴(とうき)などに苦しみ、打ち続く旱魃(かんばつ)において未曾有(みぞう)の飢饉に悩まされていた。
 これらに耐えかねた朝鮮の農民らが、日本への米の流出防止、腐敗する官吏(かんり)の罷免、租税の減免を要求して立ち上がることになる。
 1894年6月、朝鮮史上最も大規模な農民蜂起であった。
 この農民蜂起は、東学(とうがく)の信徒が主導して地方官の悪政に対する抵抗に始まるのであるが、東学とは西学(キリスト教)に対し儒教、仏教、道教を折衷した新興宗教で、先導する朝鮮政府への抵抗が多くの農民を蜂起させた。これが甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)という内乱である。
 朝鮮政府は自力解決は困難と判断して、清国に救援を求めた。
 清国は直ちにこれに応じ、清国軍第一陣約一千名の牙山上陸を開始した。清国が日本に送った通知には〈属邦保護のための出兵〉だとある。
 これだけを切り取ると清国の行為は明らかに天津条約違反であった。
 この日清間で交わされた天津条約は1885年4月(明治18年)に締結したものであるが、これと期を同じくして、当時一歳半の清太郎が甲斐駒ケ岳の山小屋で光雲に拾われていた。そこには出生を物語るかの手紙一状が添えられていて、清太郎は籠(かご)の中で真っ白な正絹(しょうけん)に包まれていたという。

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「昔から、甲斐の駒ケ岳ェいうお山は、摩利支天の座りはるお山やさかいに・・・・」
 人伝(ひとづて)に聞き覚えた清太郎の話を、和歌子はあらためて静かにひも解いていた。
 清太郎は石川県の某士族の七男として生まれている。
 明治維新で父親は家禄(かろく)を失い、公債証書七百円の年収でもって一家九人を養わねばならなかった。今の年収で150万円ほどの暮らし向きとなる。公債700円など年50円足らずの利子しかないのであるから九人ともなると、暮らしぶりは甚(はなは)だ酷(ひど)いものであったようだ。
 当時の記録に、普通の大工が7円、村巡査が10円の月給とあるが、これらからして生活の水準が非常に低い。しかも家禄を奪われ、食い扶持を失くした士族らの多くが満足な仕事さえ無く、流浪に等しい難儀な身の上で、裏面の明治維新とはそういう時代でもあった。
 国民が右往左往するそんな最中に、
 拾われた赤児の籠に添えられて「出でて去(い)なば主なき山と成りぬとも 軒端(のきば)の鳥よ雲を忘るな」という歌が遺されていた。
 あたかも光雲に宛て、光雲が拾ってくれることを予知して詠んだような歌である。
 たとえ我が身は滅びても、この歌だけは是非(ぜひ)とも残し、歌はやがて我子が生きることを証してくれるだろう、という武士(もののふ)の静かな諦めを光雲はこの歌に認め、注がれた親の熱い願いを光雲はおもんばかった。しかと承る辞世として、光雲はこの歌は悪い出来ではないと思った。
I certainly remember only getting warm now though it is father and it is mother who doesn't remember even her face. Because it was keen circumstances, I do not have the grudge thing at all though it is true that I am a child to whom I was deserted. This song is all parents' love. However, parents' chests think of burst claws and teeth.
「お母さま・・・・」
 と、・・・・和歌子の胸に、長い間忘れていた慕情がこみ上げてきた。
 実母お華(はな)は、和歌子が4歳のころに他界した。母と慕う秀代とは後添えの人である。
 飼い馬のうしろ肥爪(ひづめ)で顔面を蹴り上げられた非業の死は、享年20歳であるから夭折といえる。その潰された顔さえも分からぬまま死別した若き躯(むくろ)には、和歌子が泣きながら追い求め慕い続けながらも心の中に培ってきた母の温もりが今もある。
 清太郎を抱え松明(たいまつ)で足元を照らしながら駒ケ岳の闇道を下ったという光雲の厚情が和歌子に伝わると、顔さえ泛かばぬ亡き母の無念さが慕われ、我乳飲み子を間引くとは自分を呑み込む地獄の境地のように思え、あの世の雪をかぶって立ち尽くし彷徨(さまよ)っているように感じられた。
 戦争の影に覆われた日々にあって、和歌子の人生の半分もまた同様の日々であった。しかし野の色、海の色だけは今よりもっと鮮やかな藍か青だったと記憶している。
 諸国の下級藩士らにとって、幕末という転換期は大いなる希望を抱かせる黎明の光であったはずだ。しかし維新の功労は平等には報われなかった。清太郎の父母もまた同様であったのであろう。
 大政奉還から廃藩置県までの4年、ここから大日本帝国憲法発布まで18年、この22年間の維新期に、日本政府は妙な歪(いびつ)さを遺し、庶民とはいつの時代でも哀れなもので、封建の世の徳川と同じように踊らされ翻弄(ほんろう)させられた。
 そう思う和歌子の目には、鹿鳴館という存在が、まるで浮世ばなれした物語のように映るのである。
「あんなん格好(かっこ)よしやないか。鬼やないと、あゝは踊られしまへん・・・」
 鹿鳴館は明治初期の急激な西欧化を象徴する存在である。
 東京内幸町に建てられた洋風建築の社交クラブであるが、イギリス人コンドルの設計による煉瓦(れんが)造りの二階建ては明治十六年に落成し、欧化主義がとられる中、内外上流人の舞踏会などが盛大に催された。これは清太郎が生まれる二年前のことだ。
「一体どこまでが文明開化ァいうもんやったんやろなぁ~・・・」
 和歌子は口元に皮肉な笑みを泛かべた。
 末慶寺(まつけいじ)は(京都市下京区万寿寺櫛筍上ガル)にある。
 朝鮮半島がこの内乱を引き起こす三年前の明治25年5月10日、日本ではロシア皇太子ニコライを負傷させた大津事件が起こっているが、この騒ぎのなかの5月20日の夜、京都府庁の門前で、一人の若い女が自殺しているのが発見された。当時二歳の清太郎が甲斐駒ケ岳の山小屋で光雲に拾われるのは同月25日のことであった。そこには出生を物語るかの手紙一状が畠山という名で添えられていて、清太郎は籠(かご)の中で真っ白な正絹(しょうけん)に包(くる)まれていたという。
 末慶寺には、事件後に自殺した烈女とされた畠山勇子の墓がある。兄富造はしばしばこの寺に墓参してたようだ。だが和歌子にはそこまでの素性は伝わってない。しかし、秋子はその何らかの関わりを富造から聞かされている気配だけは感じる。まことに不可解な清太郎の出生である。

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 天津条約違反と甲午農民戦争を格好の材料に日本軍は、清国勢力の朝鮮半島からの排除を大義名分に、朝鮮独立、公使館警護、邦人保護を掲げて半島へと大軍を動員した。朝鮮半島の帰属問題から勃発したこの日清戦争を日本国側が勝利する。
 その後、日本が勝利したその情勢に切歯扼腕(せっしやくわん)した仏国、独国、露国は三国干渉で日本が中国から租借(そしゃく)した遼東(りょうとう)半島などを奪い取るのだが、そのことを契機に半島へと南下しようとする老大国のロシア帝国に対し新興の大日本帝国が挑む大戦が引き続き行われた。日露戦争である。
 光雲から引き取られるように清太郎が阿部家の養子となったのは、折しも日本国が欧州屈指のバルチック艦隊を破り日本国側の制海権を確定させた1905年(明治38年)5月のことであった。この時、清太郎は15歳である。
 日本国は、帝政ロシアを敵視するアメリカのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフの知遇を得て、ニューヨークの金融街として残額五百万ポンドの外債引き受けおよび追加融資を獲得したという経緯も有利に加担してか、東郷平八郎司令長官が率いる連合艦隊の一方的な圧勝は、世界各国の予想に反する結果であり、列強諸国を驚愕(きょうがく)させ、ロシアの脅威(きょうい)に怯(おび)える国々を熱狂させた。
 ロシアでは、相次ぐ敗北と、それを含めた帝政に対する民衆の不満が増大し、1905年1月には血の日曜日事件が発生していたし、日本軍の明石元二郎大佐による革命運動への支援工作がこれに拍車をかけた。
 日本も、当時の乏しい国力を戦争で使い果たし疲弊(ひへい)していたため、両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和することになる。こうした日清から日露戦争に至るおよそ10年という大戦の歳月は、光雲が清太郎を青年となるよう育て上げた10年でもあるのだが、阿部家の嫡子(ちゃくし)となる披露の席の清太郎は、いぶかる村の衆らを愉快そうにながめ泰然と構えていられる器の男までに育てられていた。

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 狸谷に新たな春が訪れようとしている。
 その日は朝早うから阿部家の中庭に、三つの大釜を乗せた竈(かまど)を仮しつらえ、焚かれる大釜の上に重ねられた蒸籠(せいろう)からは、滔々(とうとう)とした真っ白い湯気が青空をくゆらすように立ち昇っていた。
「華はんお祝いや。こないなのどうかと思うてな」
「せやけど、ほんに洋行でもしはる、お雛様みたいやんか」
「あれ見てみィな、あれ、ミッション・ガールいう制服なんやて」
「どこがええのか何んやよう分からへんけど、華はんには、ようお似合いや思うけど・・・」
「ほやけどなぁ~、なんぼ華はんが好きなかて、あないな格好しはっては世間体悪いし、家の立場よう考えはらんと、きっと檀家はん陰で泣いてはるんやないか思いますがな・・・」
 と、華の晴れの姿を見た村の衆が、誰彼となく面々にざわめいた。
 これは華が平安高等女学校に入学した春のことであった。
 鍔広の丸い大きな帽子、白い大きな襟と胸元にリボンをあしらった紺の上着、おそろい色のスカート、黒い革靴という華の出で立ちである。
 村の衆にとって日本初のミッション女学生のセーラー服がいかに眩しい存在であったか、想像に余りある。大正14年当時、女性の洋装は依然としてもの珍しい風俗であった。
 ざわめく村の衆が中庭を取り囲む中、中央に立つ祖父清衛門が満面の笑みで鼻高々に挨拶を終えると、総勢七、八十人はいる村の衆から華は一斉に喝采を浴びた。
 傍(かたわ)らには馳せ参じるかのように集まった白装束の修験道七人がいた。猛々しく横一列に並び、喝采が静まると同時に、一人二人と次々に法螺貝を颯爽と繰り出し、荘厳で重奏の音色は瓜生山をも飛び越え比叡山にでも奉ずるかのような勢いで山々を鳴り渡るように響いた。
「これから皆で紅白のお餅つくさかいに、お華はんは、よう見ときやし」
 腕まくりをした祖母の貞子がそう言いながら蒸籠(せいろう)を臼(うす)の上に逆さにすると、餅米から煙のように白い湯気が立ち、あたりに甘い匂いがたちこめた。
「さあ、いくぞ」
 清太郎の号令で若い衆が声を上げた。清太郎は桶(おけ)の水で手を湿した。
「ほな、どっこい」
「あいよ」
「ほれ、どっこい」
「あいよ」
 くるくると入代わる若い衆の杵(きね)の響きに合わせて清太郎は素早く餅を返した。ぴたりと息の合った掛け合いの声とともに、臼の中の餅米はみるみる餅に姿を変えてゆく。終盤になると清太郎が一段と声を張り上げた。すると見守る村の女らは若い衆の杵に、男らは清太郎の手に合わせて声を張り上げた。
「ああ・・今日は28日。そうや、星まつりの日ィや・・・」
 書斎の前に佇んでいた清太郎がくるりと振り向くと、やや小首を傾(かし)げ何ごとかを促そうとする貌(かお)は、そのことを言いたげな目をしていたし、和歌子は一瞬、目が洗われるような気がした。
「せやけど、忘れてたこと、死にはった人に話ィすることもできィへん」
 夜明け前の暗がりに和歌子が窓辺から頬杖(ほほづえ)を立ててみる、その跫(あしおと)の無い冷たい雨は、裏庭のもみじ葉の青をふるえさせ山陰(やまげ)にある大きな菩提樹(ぼだいじゅ)の葉を寒々と濡らし続けていた。 
 瓜生山をこぬかに濡らしながら狸谷を地の底のように凍らす早春の雨なのである。この季節の雨を木(こ)の芽起こしともいうが、立春を過ぎて京都に降る雨は未だ氷雨のように冷たいものであった。

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 春と聞かねば知らでありしを、という。
「世間さまに対しシニカルにふるまうのは簡単なことや。背負わされるもの、心の中にたまるものを発散さして、リバタリアンで生きてゆけたら、そらぁ~素晴らしいことやァ~。せやけどそれが昨今の日本人の先行きが暗うなった理由(わけ)なのやおまへんか・・。せやろ、清太郎はん。生きてはったら、そらァ~怒らはるやろな~・・・・」と、
 誰と語るでもなく菩提樹をながめる和歌子はそうしんみりとつぶやいた。
「たしか吉丸一昌というお人は、豊後の国のお武家さんの子どしたなぁ~」
 比叡山の山端(やまはな)に秋子と暮らす和歌子は、この早春の賦(ふ)に思惑という怖さを感じるのだ。
 幕末生まれの祖父二十三代目の清衛門が他界して早50年になる。清太郎が他界して40目の春を迎えた。その思惑とは和歌子にとって或る種の石のような存在であり、清らかな川の流れを保つ葦でもあった。早春賦がこの世に生まれた大正二年、清衛門は同年に初めて清太郎と廻り逢えたのである。
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「和歌子・・・!。加賀にな、白山いう神様の山があるんや。その山の冬の終わりにな、淡い赤の花が美しゅう咲くんや。そりゃ~綺麗な花でな、その花がある雪の降る日、ポトリと涙ァ流しはるのや。寒いんや。それを雪が見ててな、寒いんやなぁ~と思うんや。そしたらな・・・、雪は悲しくなってな、羽ェ落しはるんや。それ、お父ちゃん見てて、冬いうもんはこないして終わるんやと思たんや。雪の羽・・・、どこかへ消えてしもた・・・」
 父から聞いた子守唄である。そう言うと、清太郎は静かに眼を閉じていた。
「せんないなぁ~・・」
 ここ数年、立春が過ぎると喜びより不安が先に立ちあがる和歌子である。
 胸の底から黒雲のように不安が湧き上がるのであった。
 昭和天皇がお隠れになると、塗炭(とたん)に世の中が乱れ心安らかならぬものを感じていたせいもあるが、世間には人々の悪意に満ちた視線(まなざし)が多すぎるのである。これらは末法の世の証(あかし)なのか。母ひとり子ひとりの少年によって毎朝宅配される新聞には、心にひそむ地獄を目の当たりにするし、目を伏せたくなるような惨事が多く載るようになってきた。



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                              第25話に続く
                      みうまそうたろう 文字 かな 正

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  きょうの細道    C 11 gif



  
   京都 二十四節気 清明。


  
   京都 二十四節気 穀雨。




   そうごリンク
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   きょうと 2はなそとば 2

   クリック・ボタン gifA 5 gif   ひめくり古都の道
   京都 花そとば



  つきの暦  2013年2月

  つきの暦 2013 2



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三馬漱太郎

Author:三馬漱太郎
Welcome to Ron「漱」World
Sotarou Miuma
立体言語学博士
Social Language Academy Adviser
応用社会言語科学研究員

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