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小説『花そとば』 第12話

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  こえんふどき五円風土記タイトル
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   はなそとば タイトル
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              第一部 八瀬童子(やせどうじ)   12

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      七  高札の聲 (こうさつのこえ)   

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 門前には「面会謝絶」の立札がある。濡れるにまかせて老人は茫然(ぼうぜん)と立ちつくした。
 但し書きに「やむなく門前に面会御猶予の立札をする騒ぎなり」と添えられている。それは誰にともなくつぶやいているのではなく、矛先(ほこさき)をぴたりと老人に向けていた。
「軍人を捨てたら、私に何が残る。もう、疲れたよ」
 慷慨(こうがい)の士が、それらしくなく呻(うめ)きながらこう吐き捨てた。
 初めて聞く弱音であった。老人の遠い記憶の中に、この言葉だけは今も鮮明にある。国事に悲憤して泣いた落胆のそれは、蜘蛛(くも)の巣の糸が心にからみついた後味の悪さのように、どのように時を重ねようとも落ちなかった。
「軍人として、君は卑怯(ひきょう)だよ・・・」
 と、即座に答え返し、老人は彼の不甲斐なさを罵倒(ばとう)して詰(なじ)ったのだ。ただし、腹に据えかねて侮辱したのではない。あふれ出ようとする大粒の涙をはじき飛ばして、敢(あえ)えてそのような促し方をした。死に臨んで潔(いさぎよ)くあるべきだという、軍人としての未練が厭(いと)わしく感じられたからだ。
「なにっ」
 冷静な老人の侮辱に、精気を失いかけてはいても、目鼻をくしゃくしゃと寄せて相変わらずの怒声で仕返してきた。しかしそれは一瞬、腸(はらわた)を噴き出して嘶(いなな)くような只(ただ)の一言でしかなかった。
 敗北を背負った軍人が、最後の力をふりしぼって空をかく声であった。そうしてそのまま、つんのめるように前に倒れたが、その眼はまだうっすらと血走っていた。
 一睡もせずに思い詰めた末の言動であったはずだ。軍事裁判の前に自害する軍人の情報を得るたびに、今日は死ぬか明日は果てるかと気を揉むことに、疲れ過ぎていたのかもしれない。そこには武人として人の上に立ったからには、という自負と自責とがあった。
「気の済むようにさせてくれ」
 と、律儀で強情な性(たち)であるからこそ、老人もまた常軌を逸したかに、冷たくそれを諌(いさ)めようとした。
「だってそうだろう。国民にこれ以上苦労をかけて済まないとは思わないのか。日本軍は敗北した。だが国家には回復の道もあろう。その事後処理という重大な任務を放棄し、屈辱を恐れて自害して果てた軍人と等しく、みずからの面目ばかり立てようとしているのではないか。軍人の性(たち)で置き去りにされた国民は一体どうなるというのか」
 睨(にら)んだ通り、やはり苦(にが)り切った顔で首を振り、呻くような声を切れ切れに漏らした。
「しょせん復員に帰した軍人に、仏の救いなどまやかし事さ。俺も軍人であったが、俺は生きて償いをしたい。確かに一度はお前と同じように自害の道を選ぼうとした。しかしそれは外から閂(かんぬき)をしたよ。どうだろう、惨めで辛い道だが、もう一度、同じ道を二人して歩こうじゃないか」
 終戦後の、あたりをはばかる押し殺した二人の会話には、言いようのない重苦しさがあった。
 詰(なじ)られた親友はしばらく地べたに腰をお落としたままでいた。隔意のない間柄であるからこそ老人はあえて平然と無造作に応えたのであるが、親友はスィと立ち上がると、抉(えぐ)るような凄まじいばかりの号泣になった。老人もまた棹(さお)立ちで水洟(みずばな)をすすり上げながら泣いた。
 高札は人を拒むものではない。しかし何とも皮肉な目をして老人を見下ろしていた。
 庇(ひさし)からの雨だれが、かすかな光をともなって立札に落ちて、しずくがその字面(じづら)を這(は)うように流れると、また雨垂れとなり、地へとしたたりながら老人の足元に落ちていた。

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「このままでは、ただ、古い日本を信じて死んだ、ということになるよ」
 と言い遺(のこ)そうとしたので、肩をぽんと叩いてやったんだが、彼は妙に生臭い匂いがした。しかし初七日の夜に骨壷のある部屋に入ると線香の匂いに混ざって、生臭さもあの世へと紛(まぎ)れたようであるから、恋しい人の清らかな名をそっと呼んであげた。
 彼が生き永らえることの苦しさにはその名への呵責(かしゃく)もあったからだ。許嫁(いいなずけ)の「妙子さん」20歳が無差別の東京大空襲で落命している。右腕をもがれながら身ぐるみ焼け爛(ただ)れて転がるようにもがきながら他界していた。
 生前はその名さえ一言も語ることはなかった。その古閑(こが)貞次郎は20年前に他界したのである。
「古い日本・・・か」
 老人は彼の臨終(いまわ)の言葉を改めて起こすと、ぐっさりと心につき刺さるようで気持ちがめいるのを感じた。それは言葉にも何もならない、大正、昭和、平成と継ぎ、やがて百歳を目前にした老人の心の襞(ひだ)にべっとりと貼り付いた、まだらな感情の沈殿でもあった。
「堪忍(かんにん)や、ほんとうに堪忍や。お前だけではない、私も古い日本の雨垂れなのかも知れない」
 老人はしばらく痛ましげな面持ちで高札を見廻していたが、その高札の中に、野末を吹き渡る風のような、海原(うなばら)に渦巻く潮騒(しおさい)のような音をきいた。否(いや)、訊(き)かされた、すると老人は意外だった。
 生前、貞次郎は、高札が古くなると真新しく立て替えていた。
「読めなくてはこの世に何の役にも立つまい。古臭くては、これが、ここに立つ瀬もあるまい」
 と、剽軽(ひょうきん)にさらりと言って、その、のんびりとした声音(こわね)が老人の耳底に今も棲(す)みついている。
 左右庵はこれまでに幾度となく訪れてきたが、雨の日の夜は数少なく、しずくが垂れながら地を洗っている門前の立札をながめながら、それらが貞次郎の面影を静かに洗い鎮めるようで、確かこれが三度目の雨夜であることを覚えると、老人の心を波のような懐かしさで潤した。
 焼けただれた焦土の上に、やがて緑の草が生えようとするころに立てられた高札である。永遠の沈黙のつもりでいても、これはもはや、無(む)の沈黙としか理解されない立札であった。
「なあ貞次郎、そろそろ、意地もたいがいにして和睦(わぼく)をしようじゃないか」
 何かに抗(あらが)うように老人は吐き捨てた。
 狂うには多くのことを知り過ぎたのだ。只(ただ)やる瀬なくなる、それを堪(こら)えるために、老人は少し角度を変えて高札をながめた。
 立札がいう「騒ぎなり」とは、日本政府が社格制度を廃止させた騒動のことである。
 昭和21年2月2日、神道(しんとう)指令により神社の国家管理が廃止されるのと同時に社格制度も廃止された。神道指令とは昭和20年12月15日にGHQが日本政府に発した覚書の通称である。覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止し政教分離を果たすために出されたものであり、「大東亜戦争」や「八紘一宇」の語の使用禁止や、国家神道、軍国主義、過激なる国家主義を連想するとされる用語の使用もこれによって禁止された。
 この覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」に従って、日本国の神社の性格が解体されたのである。
 それまで山王日枝神社は、神祇官が祀(まつ)る神社の官弊(かんぺい)大社として一等に列格されていた。高札はこれを廃棄させられた側の憤慨の証であった。貞次郎という不器用な男は、高札を立て続けることに固執した。

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 立札がなされてから、すでに60年以上が経っている。
「この高札も、古い日本を信じて今も立っているというのか・・」
 老人の眼には、敗戦直下、許されぬ神の住まいを覗(のぞ)きみるような恐怖で、息をつめて高札のあたりを見まわした古人がうらやましいのである。
 しかし反面、老人は自分が戦中に何をしたかを考えなければならなかった。
 それは胸倉の片隅に直径一尺ばかりの不発弾が、二つ三つ四つ転がっているような燻(くすぶ)りである。
 界隈を草のない世界にしたのは軍人であった。
 当事者であるその軍人の眼でみても、この高札が、敗戦という大事件の中で人間が人間にもたらしたところの、屈折した遺恨の表現であることに変りはない。
 今や無の沈黙としか理解されないが、もはや貞次郎の手を離れても、尚(なお)、堂々と起立し憚(はばか)り続ける高札なのである。
 キリストの血に係る彼(か)の国による試みは日本国の敗北というより、密かに産み落とされて揶揄(やゆ)された仇名(あだな)は「リトルボーイ」という少年の悲劇であった。

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 人間が殺されることに正義などなく、国を比べ較(あわ)せて人が下す勝敗も何もない。あるとすれば唯一、無防備の人民を無差別大量に撃殺すことを可能とした科学の敗北であったろう。彼の国では神は人間に叡智を与えたのであるというが、その科学という聖域をみずからが手で穢(けが)した。
 日本では「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」という明治維新の一節が有名である。 この「云ヘリ」は、現代における「云われている」ということで、従ってこの言葉は福沢諭吉の言葉ではなく、アメリカ合衆国の独立宣言からの引用である。
 咸臨丸でアメリカに渡った福沢はこれを範として日本国民の行くべき道を指し示した。しかし範とされた彼の国がその宣言で人の平等を説きながら、広島のリトルボーイで輝かしきその伝統の法灯を消した。長崎の不必要さがその思いをさらに固くさせるのである。 
 中でも、「全ての人間は平等に造られている」と不可侵・不可譲の自然権として唱えている。
 このことを憂い思う老人は、戦後の1946年に公布された日本国憲法の第十三条にも、その影響が見られることに、人民の下にあるばずの国家というものが全く危うく思われるのであった。
 福沢諭吉は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、西欧文明が押し寄せてくるのに先立ち、
「天ノ人ヲ生スルハ、億兆皆同一轍ニテ之ニ附與スルニ動カス可カラサルノ通義ヲ以テス。即チ通義トハ人ノ自カラ生命ヲ保シ自由ヲ求メ幸福ヲ祈ルノ類ニテ他ヨリ如何トモス可ラサルモノナリ。人間ニ政府ヲ立ル所以ハ、此通義ヲ固クスルタメノ趣旨ニテ、政府タランモノハ其臣民ニ満足ヲ得セシメ初テ眞ニ権威アルト云フヘシ。政府ノ処置此趣旨ニ戻ルトキハ、則チ之ヲ変革シ、或ハ倒シテ更ニ此大趣旨ニ基キ人ノ安全幸福ヲ保ツヘキ新政府ヲ立ルモ亦人民ノ通義ナリ。是レ余輩ノ弁論ヲ俟タスシテ明了ナルヘシ」と、著書「西洋事情」で、「千七百七十六年第七月四日亜米利加十三州独立ノ檄文」として、アメリカ独立宣言の全文を和訳して紹介した。
 このうち、冒頭の章句および思想は、後の著書「学問のすすめ」初編冒頭、に引用され、日本国民に広く知られるところとなった。

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 日本には「障(さわ)り」という言葉使いがある。その顕(あらわ)れ方は言霊(ことだま)の作用である。古代から日本では言語の裡(うち)に神が顕れた。つまり神の心がある。この真意は日本人の他は解らない。神の意志とは人間の意志では表せぬ日本国において、障りがどこに向かうかは日本人のみが判ることである。
 それはまことに小さく斬新な科学、直径75センチ、長さ3メートル、重さ4トンの未曾有の兵器である。それが広島のリトルボーイ(少年)と、長崎のファットマン(豚男)であった。

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 この原爆で玉砕され、かくして障りを享受した日本国民は、被爆国の理性を芽生えさせて戦後を生きることになったが、老人はこの一点で日本人であることを誇りに思い続けている。
「リトルボーイ・・・・」
 と、確かに俺はこの耳で聞き取った。テニアン島ハゴイ基地からの打信音の中に・・と、語りかける貞次郎の眼光は、人の心の奥底まで見透かすほど鋭かった。
「こんな、こんな、こん畜生があるのかい」
 一瞬気圧(けお)されるのを感じた老人は、気後れしそうになる自分に活を入れながら震えるように聞いていた。何よりもリトルボーイという奇妙なコード番号の新語が耳に斬新であった。
「あの時、参謀本部が広島に敵機襲来の空襲警報を発令してさえいれば、多くの人命が救われた」
 と、こう語りながら烈(はげ)しく詰め寄る貞次郎の終戦直後の無念さが、老人によみがえり脳裏を痛烈にかすめるのだ。体は小柄(こがら)だし、ふっくらとした顔には温和な笑みを普段は泛(うか)ばせていたが、このとき貞次郎は貌(かお)を、十歳ほど老けた鬼の姿に変えていた。この貌に老人は障りを強く抱いた。
 北マリアナ諸島の一つサイパンから南八キロにテニアン島がある。
 その島北部に諸島最大の飛行場を有するハゴイ基地があった。1944年(昭和十九年)7月まで、この基地は約8500名が駐屯する日本軍の重要な軍事基地であった。
 その7月、北部チューロ海岸から米軍が上陸、日本軍を玉砕し、8月には同島を占領した。
 これが戦史に名高いテニアンの戦いである。
 以後、飛行場は拡張され本格的な日本本土空襲を行う前線の基地となった。この戦いは、日本の終戦をすでに決定づけていた一戦ということになる。
 7月16日には既に、米国内でのトリニティ実験(プルトニューム原子爆弾の起爆実験)が行われ、成功した同日、サンフランシスコ港から重巡洋艦インディアナポリスに同型原爆の二種類、リトルボーイとファットマンが積載され、日本本土への爆撃機の基地であるテニアン島へ向け出港している。
 到着後、リトルボーイの組立が完了したのは7月31日であった。

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 昭和20年8月6日、真夜中、日本軍の諜報(ちょうほう)部隊はテニアン島を軍事拠点とする米軍部隊の無線情報を監視し、懸命なコール無線の傍受によってB29エノラ・ゲイという特殊任務を帯びた敵機部隊が広島に接近していることを察知した。しかしその諜報は、防衛に生かされることもなく空襲警報すら発令されなかった。古閑貞次郎26歳は、通信班を率いる中尉としてこの諜報の任務にあたっていた。
「あの時、一翼の紫電改(しでんかい)すら広島の上空に無かった」
 確かに本土決戦に備えた当時、すでに零戦では米英軍の新鋭戦闘機に太刀打ちできなくなっていたし、ようやく完成した雷電は実戦配備が遅れ、空中戦の切り札として紫電改は残されてどこかに待機していたはずだ。
 高度一万メートルの上空で交戦できる戦闘機は紫電改(紫電二一型)しか他はなかった。本機は遠方から見るとグラマン社の米海軍F6Fヘルキャットとよく似ており、誤認させる作戦は夜間の戦闘上有効でもあった。
 一説では当時、日本国の敗戦を予期したソ連軍が北部から南下を開始したことで、参謀本部は混乱を極め適正な判断が疎(おろそ)かにされたというが、そうであれば益々、貞次郎は不本意なわだかまりが消化できずにいた。ドイツが降伏したのは5月7日。その後に、欧州戦線のソ連軍が、満州方面に大挙して移動中との情報が入ったのであるから、その間約三ヶ月、軍議に暇(いとま)なきことが参謀の本分であろうから、と考える忠誠の貞次郎には理解不能なことであった。

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「俺達の懸命な諜報任務は一体何であったのか、あの有様は・・・・」
 貞次郎の吊りあがった細い眼が、らんらんと輝いていた。老人は深くため息をついた。
 これは老人である阿部富造が戦後昭和21年にようやく再会を果たした折りの、古閑貞次郎との会話である。以来、語る復員者と聞く復員者とにできた空白は一度も動こうとはしなかった。
 しかしあの時、小刻みに震える貞次郎の肩を見ているうちに、老人はどうしょうもない無力感にとらわれたが、なぜ気力が萎(な)えていくのかが解らなかった。
 日露戦争から40年後、来日二度目のマッカーサーは、大日本帝国の凋落(ちょうらく)に立ち会うことになる。1945年(昭和ニ十年)、降伏文書の調印に先立つ8月31日に専用機「バターン号」で神奈川県の厚木海軍飛行場に到着した。

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 厚木に降り立った最高司令官マッカーサーは、記者団に対して第一声を次の様に答えた。
「メルボルンから東京までは長い道のりだった。長い長い困難な道だった。しかしこれで万事終わったようだ。各地域における日本軍の降伏は予定通り進捗し、外郭地区においても戦闘はほとんど終熄し、日本軍は続々降伏している。この地区(関東)においては日本兵多数が武装を解かれ、それぞれ復員をみた。日本側は非常に誠意を以てことに当たっているやうで、報復は不必要な流血の惨を見ることなく無事完了するであらうことを期待する」と、コーンパイプを燻(くゆ)らしたのである。
 このような因縁の交わりのもとで織りなす敗北と勝利のさまとは事実としての奇跡であった。
 いにしえより日本の四季は、朝の凛(りん)に夜の幽という。マッカーサーが初めて訪れた日露戦争の当時、日本には楚々(そそ)とした野趣の漂う日本人の長閑(のどか)な凛とした生活があり、表には近代文明へと生き急ぐような変貌ぶりで国勢の絶頂を幽(かそけ)く見せつける滞在期間があった。その絶頂から凋落までが40年、そのすべてが戦争に尽くされた不毛の時間であったわけだ。
 昭和二十年(1945年)9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ艦上で日本の降伏文書調印式が行われた際、嘉永七年(1854年)の開国要求を果たした折りの、ペリー艦隊の旗艦「ポーハタン」号に掲げられていた米国旗が本国より持ち込まれ、マッカーサーはその旗の前で調印式を行なった。このセレモニーを演出してみせたマッカーサーの意図が、大戦の一切が不毛であったことを物語っている。
 人間どうしが互いに理解しあうことが困難なのは、しかし、国家と国家とのつながりだけなのであろうか。同じ時代を生きた人間どうしの心にも、語りがたい体験の落差として、孤独の深淵(しんえん)は今もぽっかりと口を開いているではないか。
 マッカーサーやアインシュタインの孤独が不毛なものであるなら、大日本帝国の情熱もまた不毛なものであったかもしれない。にもかかわらず、どんなに徒労に終わった情熱でさえ、やはり人生の固有な一駒をなしているし、人間はどの時代に対しても、それぞれの夢を抱くことに変わりはない。
 現代の日本と自由な交渉を持つアメリカを、戦後の解放の所産と見ることもできなくはないが、かっての戦争が人間に与えた痕跡は、まことに複雑を極めたものであった。特に原爆の、その苦痛は量り知れない。

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 人が末期に見る色がどんなものかは知る由もないが、これに対し、死体とはまったく沈黙の世界である。ひたすら静謐(せいひつ)なのである。そこには人間を限りなく誤解させるほどの静けさがある。
 その人の死とは、冷然と人間界を無視して勝手に動いてゆくものではないであろうか。人間とは卑小であるから、と、済ますのでは悪意に翻弄された人間の心の傷が永遠に癒えることはない。そんなはずはない。老人は、同世代の死者にたいして拘泥(こうでい)せずにはいられないのである。
 たしかに人間は卑小かも知れぬ。だが老人には、百歳になろうとするまでを生き永らえて享けた命のあることの意味として、仏の済度に洩(も)れた衆生(しゅうじょう)を救うために現れる未来の仏も人間にはあるような気もする。そんな老人の、花そとば、とは、あらゆる死者たちに化粧を施し、哀しくも美しく弔うことである。
 古閑貞次郎という男との最初の出逢いを想い起こそうとするのは、今日が彼の祥月(しょうつき)であるからで、高札を眺め終えた老人の安倍富造は、茅葺きの門前で一礼を終えると二人の青春を描き起こした。



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                              第13話に続く
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   京都 立春。




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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年2月

  つきの暦 2013 2



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