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小説『花そとば』 第10話

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   はなそとば タイトル
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              第一部 八瀬童子(やせどうじ)   10

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      六  亡国の泡 (ぼうこくのあわ)   



 一杯のカルヴァドスには、人を騙して奇跡を起こす力でもあるようだ。南フランスでは呑まない北西部フランスの酒である。醸造されながら完成に至らぬ(存在しないワイン)というものが、葡萄の育たないノルマンディー史には無数に存在した。この挫折の裏面史にあるカルヴァドスは、しばしば現実に存在するボルドーやブルゴーニュの上質ワインよりも刺激的だ。これは、あらかじめ挫折することで、現実に存在している図太くも繊細な林檎の味わいである。

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 そうして眼を閉じてみる駒丸扇太郎の脳裡には、三十数年前の昨夜、扇太郎がリゾート地「Deauville(ドーヴィル)」にいた眼の記憶が泛かんでいた。
 夏場しか賑(にぎ)わいのない小さな街である。ノルマンディー海岸を見終えてから、競走馬とカジノ場の雰囲気を味わいたく数時間立ち寄った。そのドーヴィルからパリまで車で約二時間、深夜、扇太郎は、A13の高速道路をひたすらと走り終えると、Paris(パリ)7区街にある「Hotel(ホテル) du Cadran(デュ・カドラン)」に着いた。現在のなかに過去が存在している。同じように、未来も現在のなかにある。もうろうと寝て、それでもやはり早朝には、目が覚めて、扇太郎はとりあえず新聞を買いにホテルを出た。
 7区街にあるホテル・デュ・カドランは市のほぼ中央、このホテルからは、エッフェル塔やシャン・ド・マルス公園までほんの数分である。
「ああ~、今朝はカブト虫の夢に、起こされずに済んだ。ようやく・・・・」
 と、歩きながら朝一番の背伸びをする扇太郎は、仰いだパリの青い空に、もうカブト虫が飛んでいない事が何よりもまず爽やかな出来事であった。
 南フランス地方では、収穫期を控えたフランス葡萄(ぶどう)の「カベルネ・フラン種」に大量のカブトム虫が集まり、果汁が吸われてしまう被害が発生していた。
 その防除のために扇太郎はフランスまで出向くことになった。普段は、日本の森林を巡ることが多い扇太郎である。甲虫類学を専門とする、最近の扇太郎の仕事はもっぱらナラ枯れ被害の調査と対策であった。そんな日本での調査実績が、フランス政府に高く評価された。
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 南フランス地方のぶどう畑の収穫は八月には終わる。
 その収穫前に扇太郎は「エクス・アン・プロヴァンス、ボルドー、ブルゴーニュ」のぶどう畑を巡る調査研究を依頼された。約一月の長丁場の仕事を成し終えた扇太郎は、帰国前に、束の間の休暇を取ることに決め、パリ近郊で過ごすことにした。
「休暇ほど早く過ぎ去るものはない。ああ、残り後六日か・・・」
 パリでの休暇滞在は十日間の予定である。扇太郎はすでに四日を使い果たした。せめて後十日欲しいがと未練がましい扇太郎は、欲張りな目配りを左右の建物に触れさせながら、シャン・ド・マルス通りを右に曲がると、足早にセーヌ川に向かうブルネド通りへと出た。
「有美子さんは、今、どの上空辺りか・・・」
 と、ふと仰ぐ朝の上空には、パリの灯りを待ちわびて機上にひとりいる人影が恋しく想われた。昨日、9区オマル通りのホテルから7区街へと変えたのは、ここがセーヌ川の南岸に面しているからで、明日には、有美子が日本から、初めてのパリ観光に到着する予定であった。
 そのセーヌ川に沿った地域のうち、イエナ橋(Pont d'Iéna)より上流の、約8キロの区間は、この都市が辿(たど)ってきた歴史を色濃く表しているが、扇太郎は、特にその中のマレ地区、16世紀から17世紀にかけて王侯貴族の豪華な館が建てられた界隈を、妻と過ごす最後の日にあてたかったからだ。

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 ホテルを出ると、新聞というより、じつは、パリの朝市が見たかった。
「郊外のアントニー、そのマルシェにでも、バスに乗って出かけるのも悪くはないが・・・」
 と、思うも、マルシェによって売っているものも違えば、集まる人も違う、決めかねながら歩いた。
 七月のマルシェなら「pêche plate(ペッシュ・プラット)」を探すのもいい。これは日本人には形が珍しい饅頭(まんじゅう)をパンと手で叩(たた)いて潰(つぶ)したような平らな桃で、酸味を抑えた感じは、甘さを引き立たせてジューシーでもある。
 だが、フランス各地で生産されているチーズの数は、400近くにのぼると言われている。ソーセージ同様、その魅力にはまり込んでしまう食品であるから、今日はチーズの集まるマルシェで、カマンベールとシェーヴルをひとつずつ購入しようと、扇太郎は考えていた。
 シェーヴルは非常に種類が多いのだが、白くてフレッシュなものほど淡白で、かたく乾燥したものほど香も味も強くなる傾向があると聞いていたし、郊外のマルシェならば期待できると、灰をまぶしたタイプを選べるかどうかを楽しみにしていた。
「有美子さんと、シェーヴルで、祝杯だ」
 パリに来たのなら、あちこちのマルシェで専門のスタンドを見つけては、「食の国・フランス」を実感したいものだ。十日間の休暇となると、そうそうに取れるもではない。しかも愛妻と丸三日はパリの休日を過ごすことになる。今回のパリは眼と口の滋養、目的がそうであるから、その前に、フランスの活字も補給したい。とりあえず扇太郎は新聞を買うことにした。

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「えっ、軍隊か?・・・これは、・・・・」と、
 角を曲がり終えた、眼の前の一瞬、扇太郎に、ドキリと鼓動が止まるような感覚が残った。そのまま緊迫した眼で早朝の通りをのぞくように見た。
 すると、凱旋門の周りやシャンゼリゼには、戦車や装甲車いっぱい並んでいた。
 未(いま)だ人通りも少ない、歩く人といえば、まばらな散歩者ぐらいのもので、しかも無言の大軍が通りを占領している、と非常事態を想像してしまうほどの現実である。
 何事かと思ったが、キオスクで買った新聞に「Fete nationale」の文字があるのを読んで事情がようやく飲み込めた。今や日本の市街地などで、一般人がたやすく見られるはずもない光景ではないか。「今日はパリ祭=フランスの建国記念日なんだ」と驚いた。行進は十時からとあった。
 これは、ぜひ観たいと思い、パリ郊外の街ル・ヴェジネのマルシェなら歩いても行ける、明日の予定に加えることにしようと、また、ひたひたとホテルへと引き返した。
「ふむ~う。やはり、日本は不参加か。フランスは参加、しかし入場式には出ないのか」
 扇太郎は朝刊「Le Figaro(レ・フィガロ)」に眼を通しながら、どうやら、日本を含む六十七ヶ国のIOC加盟国がモスクワ五輪に参加しないことを表明しそうだという記事に、予想は抱いていたが、ソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、西側諸国の集団ボイコットという事態に至ろうとする経緯が妙に胸を暗くさせた。その影で小さく、小さく、鈴木善幸 首相内閣誕生の記事がかすむように載せられていた。
「さあ~、ぼちぼち歩いて行くか。パリ祭・・・建国の日・・・フランス革命に・・・」
 この日は、フランス各地で一日中花火が打ちあげられるという。そのこともフィガロ紙で確かめた扇太郎は、革命の発端となったバスチーユ監獄襲撃に関して特集された物語風に組まれた記事が興味深くて、二度も読み返した後に、ジャムとバターを塗ったバゲットにカフェオレで軽く朝食を済ましてから、行進が行われる190年祭を盛り上げようと飾り立てられたシャンゼリゼ通りへと向かった。
「昨日までの暑苦しさ、あれは、一体どうしたというのか。日本の中春ぐらいの陽気じゃないか」
 1980年7月14日のことだ。しかし七月とはいえ、パリの盛夏にしては、めずらしく爽やかな気温で、適度な潤いで街を包む空気は、扇太郎におだやかな日本のやや南風の春を感じさせた。
「たしか、午前中が軍事パレードだと聞いたが・・・」
 パレードは盛大な花火の打ち上げで開始された。エコール・ポリテクニーク、サン・シール陸軍士官学校、フランス海軍兵学校の生徒による行進でまず幕を開け、歩兵部隊、機械化部隊が登場する。シャンゼリゼの両側を埋め尽くす人々、大統領官邸前のひな壇には各国の高官たちが並んでいた。その上空を、フランス空軍のアクロバット飛行チームである、パトルイユ・ド・フランスが華を添えた八機構成の編隊は、まさに「神業」の名にこそ相応しいヨーロピアン演技飛行を鮮やかに行なった。

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「18世紀、フランス王太子妃、かのマリー・アントワネットが、贅を尽くした生活をしていた頃、フランスの国民は、毎日食べるパンすらないほど貧しい生活をしていた・・・確かにそうであるが」
 パリ祭の歓喜は革命者らの歓喜でもあるが、革命の当時、確かなことは、開放によって凋落(ちょうらく)し崩壊した王家のみが「家」と呼ぶにふさわしかったわけで、清寧(せいねい)な世となった今に、革命のみを尊ぶ、これが充溢(じゅういつ)した生命力を得るための祭典になるのか、と戸惑うと、やや扇太郎はしょんぼりとなった。
 祭典をみ終えた扇太郎は、その官邸裏のカフェの道路に面したオープンエアに陣どることにして、マロニエの影を風がさわやかに洗っている席で、デカフェはカフェイン抜きのエスプレッソであるが、その渡仏してはじめてのコーヒーを啜(すす)ろうと、カップを持ち上げた。だが、そのとき・・・、
 帰還しようとする装甲車が、ギーっという爆音をたて、巨大な犀(さい)が襲いかかるように鉄鋼の身体を揺らして、真正面で身構える扇太郎に向かって突進した。
「うおっ、いひぃ~ッ・・・・」
 一瞬のことで、扇太郎に防ぐ手立てなどなく、身を後ろに突(つ)っ張(ぱ)った。到底、大勢を整えるなどの余裕など扇太郎に与えられない。ただ、悲鳴を上げながら、眼だけを見開き、体は硬直してとても逃げる延びる隙(すき)などはなかった。
 装甲車は空(から)の椅子を二つ青空に跳ね飛ばして、扇太郎の席から50センチほどのところでかろうじて止まった。扇太郎はその不運で幸いな現実に、一度あの世へと吹き飛ぼうとした自身の胆(きも)を、ようよう引き戻すことが出来たような青ざめた気分の中で、その胆が未だに凍結した冷たい震えをともなって、さすがに声など出るはずもなく、呆然(ぼうぜん)と周辺を見渡していた。やがて、ハッチが開き、中から兵士が出てきたが、装甲車の上で何やら口論らしく騒ぎ立てる兵士二人の声が聞こえてきた。
「C'est votre défaite・・お前の負けだ」
「Vous avez fait une erreur exprès・・お前はわざとミスした」
「C'est ma victoire・・俺の勝ちだ」
 と、そう言い争って運転士らしき兵士が、大衆の面前で、ペッと車上に生唾(なまつば)をはき捨てた。どうやら運転士と同乗していた兵士とが賭けをしていたらしい。あのスピードで道路の角を曲がれるかどうか、を。扇太郎には、いかにもこれが「常敗フランス軍」らしい行状だと見えた。
 以来、南風を感じると、扇太郎は、春の訪れをパリ祭に感じた。パリの街で起きた「フランス軍が扇太郎を攻めてきた」一見パロディーな光景ではあるが、醜い行状がトラウマとなってしまったらしく、記念日の七月ではなく、春を感じる季節がくるころには、兵士らの口論を思い出すようになった。
「さあ~、今日でこの街での一人暮らしとも最期か。午後には有美子が到着・・・」
 どうやら昨日の微妙に快適な爽やからしき気温は、乾燥し過ぎた翌日にはありがちな気まぐれであるらしい。翌日、朝食を終えた扇太郎は、昨日パレード後の行状によぎる不快さをリフレッシュしようと、予定通りマルシェへと出掛けるため、フロントに立ち寄ると「古い歌の中に、パリはやはり春が一番、たとえ天気が気まぐれでも」という一節があることを聞かされた。そのフロントクラークは余程の旅の達人でもあるらしい。昨日の扇太郎の体験を見通せるはずもないのだが、外出しようとする客人の背に「パリはどの季節の時期でも活き活きとしていますからね」と、さりげないが、さも爽やかな言葉を掛けて送り出してくれた。
「La ville d'amitiés de Paris il comme vigueur qui devient en permanence libre de danger par toutes les saisons.・・・・・・・・・・」
 帰国後にも、そんなフロントクラークの素敵な笑顔と贈られた言葉とが、扇太郎の心に沁みるように、あるいは胸に描き込んでくれたように、パリで過ごした休暇の一切を、素敵な花束の良き出来事として束ねてくれたのであった。
 しかし「Une bulle, une bulle, une bulle.」と、聞こえたような、あの余韻は一体、何だったのであろうか。それがフロントクラークの言葉の余韻であったのかどうかさえ解らないのだが、送られた言葉の後を追うようにして、「泡、泡、泡」と、ささやくような声が聞こえた。気のせいなのだろうか。しかし、扇太郎がそうこだわるのには、ささやいたと思うその声が、かの装甲車が暴走した瞬間にも聞こえたような気がするからだ。扇太郎はあの一瞬、硬直はしたが、突進してきた状況の全てがスローモーション化された映像として眼に焼き付いていたし、ゆるやかに流れる光景の中では、なぜか装甲車の速度に合わせて身を躱(かわ)したのだが、ささやくのはその声か音か、同質のようで不思議なのだ。
「もう、あの日から21年経った・・・」
 ホテル・マルソー・バスティーユ(Hôtel Marceau Bastille)の窓からバスチーユ駅(Bastille)界隈を望みながら駒丸扇太郎は、21年前に感じた「弾けた泡の響き」の幽かな記憶を、ていねいに巻戻しつつ、しずかに耳奥へと曳き篭らせていた。バスチーユ駅のリヨン通り側の出口から徒歩5分程度で、さほど遠くなく、大きな通りから一本中に入っていて静かなホテルである。新世紀となった2001年7月、三度目のノルマンディー海岸を訪れた後、扇太郎は21年振りにまたパリ街にきた。
「あのとき、有美子がパリに到着する時刻までには、まだ時間の余裕があった。僕はそれまでに、もう一つ二つ済ませておきたいことがあった」
 前日歩いたバスチーユ駅界隈を眼に映しながら、扇太郎はその眼を21年前に重ねながら遠くさせた。そこには当時の有美子の微笑みがある。その笑みは同時に、10年前に他界した妻有美子の面影であった。
「君は面影で少し若いが、すっかり僕は老人になっている」
 バスチーユ近くに立つアリーグル市場(Marché d'Aligre)は、月曜を除く毎朝多くのスタンドが出ることから、周辺に住む住民に圧倒的な人気を誇る市場である。特に野菜や果物の安さは目を見張るものがあり、種類も豊富。フランスならではの食材や、季節ものも充実している。このマルシェはアリーグル通り沿いに並ぶのだが、つき当たりの広場には小さな蚤の市も立っていた。一通り雑貨やアンティークの掘り出し物を物色してみた扇太郎は、最後にカルヴァドスを一瓶余分に買い求めた。ここまでは、21年前と同じである。
 マルシェの地下が階段を下りて最寄駅、ライン⑧メトロのルドリュ・ロラン(Ledru Rollin)がある。しかし前日の扇太郎はライン①に直に乗るために、バスチーユ駅へと少し歩いた。バスチーユ広場を見てから、ライン①でモンマルトル方面のメトロ駅ポルト·ドゥ·クリシーへと向かおうと考えていた。しかし、そう考えたのは、1080年当時、旧バスチーユ駅が現存していたからだ。
 華の都パリとは地上の言である。地下は、そのギャップに唖然としてしまう。地上の醜さを、全部地下におしこめてしまったのではないかと思うくらい、日本人の眼には、その地下や地下鉄の薄暗さはまことに異質である。夜の地下は怖い。駅は全体的に古い作りになっている。だが唯一、ライン①番線のバスチーユ駅ホームからは空が見えた。
 ライン①メトロから空が見える駅はバスチーユだけである。セーヌ川にまたがってホームが建設されているために、bd Bourdon側から線路を見下ろすと、両方向の出入りを眼にその人模様を楽しむことができた。ただしこの駅には、もうひとつ忘れてはならないバスティーユ駅ならではの見所がある。それはヴァンセンヌ城Château de Vincennes方面行きホームの壁画だ。端から端まで描かれたフランス革命の絵巻壁画は圧巻であった。21年前はそこに興味を奪われて、前日は雨のためにマルシェで足を止めた。そんな扇太郎には二度も果たしそびれてしまって再び足を運ばせたい場所がある。そうして遠い当時の情景を想い起こすと、扇太郎はおもむろにホテルの部屋を出た。
 5号線のボビニーBobigny方面ホームには、バスティーユ牢獄の城壁の一部があらわになっている。駅出入口の一つはオペラ・バスティーユに連絡しているが、扇太郎は改めてその牢獄の城壁の名残りを確かめると、バスティーユ広場へと下りた。バスティーユ駅は、メトロ1号線、5号線、8号線が乗り入れている。1号線ホームはサン・マルタン運河の入り口であるアルスナル港に面する橋架上の地上駅である。ホームの屋根の上はバスティーユ広場地上部の端にあたる。そのバスティーユ広場にかつて存在したヴァンセンヌ郊外線のターミナル駅が旧バスティーユ駅であった。
 1859年開業。パリ東部ヴァンセンヌ方面への郊外線が走り、近郊への足としてパリ市民に利用された。特にジョアンヴィルなどのマルヌ川沿いにはガンゲットというダンスホール兼安食堂が並び、パリ市民の休日の行楽として愛用された。1960年代になると、この東部ヴァンセンヌ線および西部サンジェルマン線をパリ地下で結ぶパリ高速地下鉄RER A線の建設計画が始まり、その完成により1969年12月14日にバスティーユ駅は廃止された。その後展示会場として利用された後、1984年に解体され、今は現存はしない。跡地にはオペラ・バスティーユが建設され、フランス革命200周年記念日の前日にあたる1989年7月13日に落成した。21年前の扇太郎がパリを訪れた1980年、駅機能は失われていたが、旧バスティーユ駅の全景は遺されていた。
 そのターミナルの旧バスティーユ駅跡地は、革命200周年のシンボルとしてオペラ・バスティーユ(Opera Bastille)として生まれ変わっている。バスティーユ広場は、フランス革命の発端となった場所だ。1789年7月14日、当時牢獄だったバスティーユ要塞を市民が攻撃し、フランス革命が始まった。広場中央の記念柱は、その革命をたたえるものである。その後この広場には、郊外線のターミナル駅ができた。1900年に開通したメトロ1番線が、バスティーユまで東西に走り、ここからGare de Lyonリヨン駅へ大きく曲がるのは、バスティーユが広場として重要な位置にあるだけでなく、この二つの鉄道駅を繋ぐためでもあった。
「これが、新オペラ座か・・・」
 旧バスティーユ駅の跡地であるその残像を、眼に泛かばせて広場に立つ扇太郎は、革命100周年にあたる1889年の記念建造物がエッフェル塔であることを重ねながら、「オペラ」と呼ばれるオペラ・ガルニエの旧劇場とともにパリのオペラシーンを支える、完成当時世界最大のオペラ劇場をしばらく眺めていた。
 そして扇太郎は広場周辺を少し歩いてみた。新オペラ座のある場所のバスティーユ駅から延びた線路は、高架橋を通って郊外のヴァンセンヌ方面へと延びて行った。この高架橋は赤レンガ造りで、現在は整備されてアーチ下がアトリエやカフェになっている。橋の上は緑道となっていて、緑の散歩道として歩くことができる。線路は廃線のため跡形も無く撤去されているが、いくつかの駅は残っている。廃墟として裏寂れているものもあれば、住宅や美術館に生まれ変わっていた。それらを眼に収めた扇太郎は、また足早にライン①番のホームへと向かった。
 パンテオン近くの自宅で、娼婦に看取られて死去したポール・マリー・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine)は、遠からぬサン・テチエンヌ・デュ・モン教会で葬儀が営まれた。その彼が、パリ市17区のバチニョル墓地(Cimetière des Batignolles)に埋葬されている。多彩に韻を踏んだ約540篇の詩の中に、絶唱とされる作品を含みながら、その人生は破滅的であり享年51であった。扇太郎は彼のその墓前にカルヴァドスを注ごうと考えていた。

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 だがその駅のホームで列車を待っている途中で、扇太郎はふと、「彼の一生には酒・女・神・祈り・反逆・背徳・悔恨が混在した。晩年には文名を高めデカダンスの教祖と仰がれた」ことのクロノロジーが過ぎると、陰湿の漂う墓地は止して、バスチーユ駅を出て、パリ6区のリュクサンブール公園へと向かうことにした。
「Qu’as-tu fait(どうしたのだ)」
 と、いう聞き覚えのある声がホームに立つ扇太郎に泛かんだのだ。するとそこにヴェルレーヌの一篇がすんなりと重なった。
 メトロに乗ることを止めた扇太郎は、駅を出るとセーヌ川を南に渡り、ビストロが建ち並ぶカルチエ・ラタンの小道を足早に歩きながら脳裡にその詩を温めた。

 空は屋根の彼方に
    あまりにも青く、あまりにも静か!
 棕櫚(シュロ)の樹は屋根の上で
    その枝を揺する。

 ああ、あのときの君は、何をしたのだ
    今でも涙が止まらない、
 あのときの君は、何をしたのだ、
    君の青春は何だったのだ?

「これは、彼が監獄の窓から見上げた空の景色だ」
 狭い独房の中で纏めた無言の恋歌だというが、この詩作は、あわい気配のようなものとしての音楽ではない。そう思えると、『叡智』までの代表作をすでに書き終えて、売文稼業に身を沈めパリの場末を彷徨するヴェルレーヌの後ろ姿が泛かんだ。「君の青春は何だったのだ?」と、扇太郎自身への問いかけに変わった。すると彼のクロノロジーを、ちょうど逆回しにしたくなった。ちょうど、というのは、扇太郎がこの詩作に青年期に触れたからだ。右手首を撃たれたランボーより、銃口を向けたヴェルレーヌが人間として痛々しかった。
 サン・ジェルマン大通りをオデオン広場まで戻り、広場の交差点を右に折れロデオン通り(Rue de l 'odeon)に入りオデオン座へ向かうことになる。広場からオデオン座までの道は店も少なく、先ほど通ったサン・ジェルマン大通りの向こう側のランシエンヌ・コメディ通りよりも寂しい気がした。オデオン座は大きなロータリーのあるオデオン広場をかかえ、ホテルやレストランの入ったビルに囲まれている。一度目にパリを訪れた頃は、このオデオン広場に面したホテルに泊まっていて、角のレストランがいつもお客がいないので不思議に思っていた。だが、オデオン座の公演が終わる深夜にお客が入っていることを知り納得したことがある。そのオデオン座の裏に回るとそこはリュクサンブール公園の森であった。
「青春の、暗い出来事を哀しむのには、やはり明るい場所がいい」
 リュクサンブール公園にはヴェルレーヌを刻んだ立像がある。
 エッフェル塔を望めるその庭園のあちこちに、合計100以上の彫像、記念碑、噴水があるが、扇太郎はヴェルレーヌの前に佇むと、立像の足元を囲むように広がる緑の芝生へそっとカルヴァドスを注いだ。もう枯葉ではない、ランボーの季節とは違う「巷に雨の降るごとく わが心にも涙ふる」七月の若葉に一雨を降らすように落とした。



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                              第11話に続く
                      みうまそうたろう 文字 かな 正

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   京都 立春。




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   きょうと 2はなそとば 2

   クリック・ボタン gifA 5 gif   ひめくり古都の道
   京都 花そとば



  つきの暦  2013年2月

  つきの暦 2013 2



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立体言語学博士
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