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小説『花そとば』 第9話

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                           Web小説

   はなそとば タイトル
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              第一部 八瀬童子(やせどうじ)   

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      六  亡国の泡 (ぼうこくのあわ)   



 日本には「一期一会」という言葉がある。
 日本人の手において、じつに温かい熟語である。吾輩の手にも温かいのだ。
 これはそもそも日本人が規範とした作法であった。この作法の整えを点前(てまえ)という。そうしてこのような作法の無い吾輩の窓辺居にも、手に触れるようにこの点前を辿れば日本人としての嬉しさといつでも逢える。
 吾輩がこう想う廃屋の窓辺には、昨夜もお会いしたばかりの主人、阿部秋一郎の姿が早懐かしくある。
「久しぶりに、論語でも読んでみるか・・・!」
 よって子曰『学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎』(学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや、朋(とも)あり遠方より来たる、また楽しからずや、人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや)と窓はいう。かって主人と暮らしたこの窓は言語なのである。この言語は吾輩と洛北山端を結ぶ夢の浮橋であろうか。

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 さらにこの窓を開けば、また子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし、とある。この温故知新の感慨は、孔子の言語を和訳すれば「歴史を深く探求することを通じて、現代への認識を深めていく態度、これこそ指導者たるの資格である」という。
 秋一郎がいつも見上げていた山端(やまはな)の空もまた言語なのである。
「この言語は吾輩を主人の面影へと誘う亡国のオペラなのであろう・・・」
 と、吾輩は最近、窓辺から芹生と瓜生とを直線で結べる光景がじつに懐かしく思える。
 その窓も空も、また吾輩90歳の励ましであろうか。率寿で、あるならば、また子曰く『六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩』の訪れを温(たず)ね、ねばならぬのであろう。(われ六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず)という。
 かって主人はよくこれを吾輩の前で唱えていた。「六十歳で誰の意見にも耳を傾けられるようになった」という孔子の、これはもう、すでに吾輩への遺言ではないのか。この序に従えば秋一郎の聲(こえ)に、しばらくは耳を傾けてみたい。京都の地夭(ちよう)とは「地上に生じた不思議な兆し」なのであるからだ。
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 今、奈良へ向かう雨田虎彦と清原香織の二人は気づかないであろうが、密かな影が二つピタリと寄り添っている。吾輩は一乗寺下り松から駒丸扇太郎の影に潜んでついてきた。
 たしかにその影は二つなのだ。
 間もなく我々は東福寺駅へと到着するが、吾輩は夢の浮橋に立つ二つの影に気づいている。

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 山城の【八瀬の庄】には大明神の社が座り、神々の存在を感じる鬼伝説のアララギの里があるという。そこで暮らす人々の営みの実体とは、未だ正に古(いにしえ)であり、その交感を描き遺すために、都を逃れた気随な旅人は、遠路はるばるそのアララギの里をひたすらとめざしていた。
 時代は太古の「大国小国の国造(くにのみやつこ)を定めたまい、また国々の堺、及び大県(おおあがた)小県(おあがた)の県主(あがたぬし)を定めたまう。」時節のころであった。
 この旅人の名を犬養部黒彦(いぬかひべのくろひこ)という。
 犬養部(いぬかひべ)とは、大化前代の品部の一つで、犬を飼養・使用することを「業」とし、その能力を持って中央政権に仕えた。

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「嫌な世だとお捨てになった世の中も、未だ未練がおありだとは、これより厄介なことが増えねばよいが・・・。」
 と、いう小さな影が、山城をめざす犬養部黒彦の人影の中にピタリと溶けこんでいる。
 黒彦には悟られまいとして影となり、擦り音一つさせることなく主人に寄り添っていた。
 子飼いの黒丸である。
 奈良の倭(やまと)の都では「今より以降国郡に長を立て、県邑に首を置かむ。即ち当国の幹了しき者を取りて、其の国郡の首長に任ぜよ。」という。そのような時代である。
 さらには「国郡に造長を立て、県邑に稲置を置く。」「則ち山河を隔(さか)いて国郡を分ち、阡陌(せんぱく)に随ひて、邑里を定む。」という。(阡陌は南北・東西の道の意。道路の交差している所)。
 またこの時代とは、成務天皇13代で、応神(15代)仁徳(16代)や倭の五王よりも遡る4世紀のことで、すなわちこれが古墳時代の前期にあたる。
 彼(黒彦)の逃れた都とは、いわゆる初期ヤマト政権なのであった。
 この政権において、服属させた周辺の豪族を県主として把握し、その県主によって支配される領域を県(アガタ)と呼んでいた。
 当初大倭(やまと)を発った旅人の犬養部は、河内(かわち)へと出て、摂津(せっつ)から山背(やましろ)を廻りながら西海の道をひたすらと歩き、筑前の伊都県から奥山へと分け入り、荒々しい阿蘇の山並みを渡りながら、熊県へと向かう山路を左に逸(そ)れて、これより諸県ともいえる境界の、迷いながらも玄武峠へとさしかかっていた。この地には天孫降臨の伝えがある。だがそれは出口。
 裏返せば黄泉の国へと通じる入口であった。
「やはり我が犬がおらぬと、能(よ)きことは何一つ無い。ここに黒丸がおればのう・・・。」
 倭では屯倉(みやけ)の守衛に番犬が用いられた。この番犬を飼養していたのが犬養氏なのだ。犬養部は犬を用いて屯倉の守衛をしていた人々である。黒彦もその一人なのであった。
 その黒彦が愛犬黒丸の影を見失ったのはひ英彦山(ひこ)から阿蘇山へと向かう険しい山岳を渡り歩くころである。しかし、はぐれた黒丸ではない。黒彦にそれが見えぬだけである。黒丸は途中から幽かな影の姿となって、この世からは消えたように見せかけていた。そうするだけの仔細がある。
「まことに捨てがたいことが多い都でも、主人が、明け暮れ日の経つにつれて、思い悲しんでおられる様子が、じつにお気の毒であった。そのことが剰りにも悲しいので、「別れ別れになりても、再び逢えることは必ず」
 と、お思いになる場合でも必ずや有りやと思い、こうして姿を消している。
 しかしやはり、ここ一、二日の間、別々にお過ごしになった時でさえ、気がかりに思われ、これぞ不憫で、主人が心細いばかりに思えたものよ。
 さてさて、主人は「何年間と期限のある旅路でもなく、再び逢えるまであてどもなく漂って行くのも、無常の世に、このまま別れ別れになってしまう旅立ちにでもなりはしまいか」と、たいそう悲しく思われなさるのであろう。
 じゃが、しかしやがて「こっそりと一緒にでは」と、お思いになる時が必ずやくる。そうじゃ、そうじゃ、ほどなくその時はくるのじゃ。しかしそのほどなくの間がいかにも気掛かりよのう。未だ足腰の力衰えぬ主人ではあるが、このような心細いような山峡の、雨風より他に訪れる人もないような所に、このようないじらしいご様子では・・・・」
 このように心砕く黒丸は「どんなにつらい旅路でも、ご一緒申し上げることができたら」と、それとなくほのめかしてみたいのだが、ここは主人の為、一つ堪えねばならない。黒彦はその気配さえ感じず、只、黒丸とはぐれたことを恨めしそうに思っていた。
 そんな太古の二つの影が時空を超えて現代に顕れている。
「どうやら六道の辻から這いだしたようだ・・・」
「みなとやの、幽霊子育飴でも、なめさせてみるか・・・!」
 秋一郎がよく買い求めていたお気に入りの飴だ。
 眼の前には夢の浮橋がある。そうとも知らず雨田虎彦は扇太郎が語った話を思い出していた。
 京都東山(松原通大和大路東入二丁目轆轤町)には、幽霊に飴を売ったとする飴屋「みなとや」が現存しており、幽霊子育飴を販売している。飴に添えられた由来書によれば、幽霊の子供は六道珍皇寺の僧侶になり、寛文6年(1666年)に68歳で入寂したという。これにしたがうなら、幽霊が飴を買いにあらわれたのは慶長4年(1599年)の出来事になる。吾輩が聞いた伝説では、娘の手に持たせた三途の川渡し代の六文銭は無くなっていて、赤ん坊は主人が売った飴を食べていた。

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 それにしても夢の浮橋と言えば、数奇な運命をたどった石がある。
 その石は、南北朝時代に、後醍醐天皇が肌身離さず持ち歩いていた。
 戦国時代には、豊臣秀吉、江戸時代には、徳川家康の手に渡り、「お守り」の石とされてきた。この石が彼らの命を本当に守ったかは定かではない。だがしかし、心をなぐさめていたことは間違いない。吾輩も見たが、その銘ゆえか、ツルリと心の垢でも洗われるかの福与かな美形の石である。
 その石の名前は、「夢の浮橋」。現代人は、徳川美術館に行けば観ることができる。吾輩はこの石の伝承を阿部秋一郎から聞かされた。

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 フランスには、葡萄のワインやコニャックでは語れない潮騒がある。
 その潮の音が幾重にも重なる駒丸扇太郎には、いつしか綻(ほころ)びの醜聞に耳を塞ぎたくなる惨めな色音の泡立ちとなっていた。とはいえ、潮流のストレートな攻撃衝動はすでになくなっている。このままでは過去の話には戻らないのである。
 戦禍の正体は、勝利者のシンボルで華麗に風化していた。何一つ汚れのない瞳のような海が扇太郎をみつめている。しばしそう見入ってみると、その大罪を訴えてやまない。扇太郎は不可思議な地上の星でも見る心地がした。人間とは、かくもゆゝしいことをする。
「いつでもそうだ。どこでもそうだ。痕(あと)はいつも机上の空論とさせる」
 と、扇太郎は開口一番に怒りに近い気勢をあげた。
 東福寺駅へと向かう香織の肩を借りて片足を曳きながら歩く雨田虎彦は、そう扇太郎がまず気勢をあげて語り始めたフランス滞在時での旅の話と、いかにも空しく語り続けた姿とを眼に鋭く泛かばせていた。

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 眼の前の波にたゞ美しさだけが遺されている。「1944年6月6日」という時間が当たり前ではなくなっていた。これでは、落胆を忘れ、人間は苦しまなくても済んだのではないかと、誤解してしまうではないか。しかし理不尽な埋没を許さない矜恃(きょうじ)さえあれば「腐ったリンゴはひと噛みでわかる」のだ。
「アメリカ軍は中部南太平洋の島々を次々と陥落、6月にはサイパン、テニアン、グアムなどマリアナ諸島への攻撃を開始した。その海は、この海とつながっている」
 すでに半世紀を過ぎた時間、本来なら煮詰まって一連の海は腐りきっているのだが、そうは感じさせない。常に、勝利者は悲しみの手応えを亡くそうとする。扇太郎は、どのように向き合うべきかについては、その「近現代の彫琢」をどう理解するかが、自身は今後どこにどう立ち向かおうとしているのかを、読み解くヒントとなることを密かに期待していたのだ。しかし、不毛な反目を見せるべき海の姿は消えていた。
「闘争の心理を、美しく誤魔化そうとする」
 この世には、誰にも感謝されない非情の泡沫(あぶく)というものがたくさんある。扇太郎にとっては、弾ける泡のその一つが、明治末期に編集された前衛の一冊であるのだ。
 この浜辺では何よりもその手垢に染められた一冊が示唆的であった。
 日本人に西欧の風物文物へのあこがれを『海潮音』が抱かせてくれた。上田敏の象徴派訳詩集の「選ばれし者の不幸」をそう思う者は、永井荷風がそうである。北原白秋がそうであった。あるいは三木露風がいた。カルヴァドス(calvados)の黒いボトルを片手に揺らしながらその「秋の歌(枯葉)」をつぶやくと、棄てられた戦場の淵を濯(あら)う異国の海峡は、神への冒涜さえもダンディーで、たゞ深く静かな淪(さざなみ)を聴かしてくれた。
 エーリッヒ・マリア・レマルク(Erich Maria Remarque)による第二次世界大戦後の逸作(凱旋門)にはたびたびカルヴァドスが登場し、この酒を有名にしたが、ドーバー海峡には、どうやら、この「りんごの酒」が確かに似合うようである。

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 レマルクは、第二次世界大戦中のパリを舞台に、ナチスの影におびえ復讐相手を追い続ける日々を生きる医師ラヴィックと女優ジョアンの鮮烈な恋を中心に、時代に翻弄されながらもひたむきに生き抜く人々を描いた。2000年には宝塚歌劇団によってミュージカル化されている。「おれは復讐をし、恋をした。これで充分だ。すべてというわけではないけれど、人間としてこれ以上は望めないほどだ」という。これは最悪の時代と境遇の中で精いっぱいに生きて、望みを果たし、ついに心の動揺が鎮まったときの主人公ラヴィックの心の底からの感慨であった。
「著者レマルクは、敗者の国を抜け出し、勝者の国を描いた」
 扇太郎がパリにあこがれたのは、まだ高校生の頃読んだこの「凱旋門」からである。ゲシュタポに追われるユダヤ人亡命医師、ラビックと天涯孤独な端役女優、ジョアンが、ナチの暗雲迫り来るパリで繰り広げられる絶望的な恋の物語を読んで、まだ見たこともない異国の町に思いを馳せたものである。

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 小説には凱旋門近くと思われる通りの名前がしばしば登場した。シャンゼリーゼ通りはもちろんだが、マルソー通りとか、エトワール広場、ピエール・プロシェール・ド・セルビエ通りなどといった、いかにもパリらしい通りの名前が次々に出てきて、小説を読んでいるうちに自分が行ったこともないパリの街中をうろついている思いにさせられたのである。だから、いつか海外に行けるようになったら、まず真っ先にパリに行って、ラビックとジョアンが歩いた街を歩きたいとずっと思っていたのであった。
 その望みが扇太郎にかなったのは1973年(昭和48年)である。
 凱旋門を自分の目で見、シャンゼリーゼの裏通りを歩いて、それがレマルクの小説と同じイメージであったことを確認したのだ。しかし、小説の中でどうしても理解出来ないことが一つだけあった。それはラビックとジョアンがパリの裏町をさまよった後に、必ずお酒を飲んでいたことだ。それも水代わりにである。ジョアンが「喉が渇いたわ」というと、「コニャックを飲むかい。それともカルヴァドスにする」とラビックが聞いている。これを読んでフランス人とは、喉が渇くとコニャックのような強いお酒を日常的に飲むのかと、そう思い驚いたのだが、後でレマルクが無類の酒好きから書いた文章と分かった。じつはカルヴァドスという林檎の酒がフランス産であることもこの小説で初めて知った。
「しかし小説でそれを知って、敗戦国の人間が、勝者の国に素直に憧れていいのか」
 という、しだいにそんな思いがつのる。自虐して見えてくる人間の逆(さか)しまがあることに気づいてきた。人間が繰り返す闘争の心理とは意外に単純なものだ。唯物である。父誠一は出征先の中国南方からレイテ島に征く途上で「兵站(へいたん)の補給がまゝならず、常に飢餓の恐怖と隣り合わせであったのだ」という。「戦争は物の不均衡(ふきんこう)から起こる」とも語っていた。日本では飼い犬の強制供出「毛皮は飛行服に、肉は食用に、大3円、小1円」とは、それはもう正気ではないほどに馬鹿げている。
「もう喧嘩はすみましたか。喧嘩をしてこそ初めて仲良くなるものですよ」
 と、毛沢東主席が田中角栄首相と握手した。扇太郎が初めてパリを訪れる前年の出来事だ。日中は戦後30年近く続いた対立関係を終え、国交正常化を果たした。その友好の会談の場であった釣魚台の迎賓館の一室には銀座「木村屋のアンパン」が用意されていたという。その田中首相の好物と引き換えに、翌年の日本には、パンダのぬいぐるみに大はしやぎする日本人の姿があった。そうした風潮に扇太郎の父誠一は「日本人はすぐああなんだから」と渋い顔をした。誠一は中国大陸を転戦して帰還した傷痍軍人であった。中尉として所属する第16師団は支那事変(日中戦争)が勃発すると南京攻略戦に参戦した。さらに大東亜戦争(太平洋戦争)ではフィリピン攻略に参戦し、マニラ陥落後フィリピンに駐屯した。だがレイテ島に移駐すときに機銃掃射にて負傷し傷痍者となった。その父が他界した7年後、ドーバー海峡を見つめながら扇太郎は父誠一の遺品である『海潮音』の序を見開きにして暫く佇んでいた。
 その序文の冒頭を引くと「詩に象徴を用ゐること、必らずしも近代の創意にあらず、これ或は山岳と共に旧きものならむ。然れどもこれを作詩の中心とし本義として故らに標榜する処あるは、蓋し二十年来の仏蘭西新詩を以て嚆矢とす。近代の仏詩は高踏派の名篇に於て発展の極に達し、彫心鏤骨の技巧実に燦爛の美を恣にす、今ここに一転機を生ぜずむばあらざるなり。マラルメ、ヴェルレエヌの名家これに観る処ありて、清新の機運を促成し、終に象徴を唱へ、自由詩形を説けり・・・ 」とある。

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 実際、永井荷風の「ふらんす物語」もこれによって誕生したようなものだ。父誠一は生前、秋深くなると切断された右足の付け根が冷えて痛むのか、義足を支える腰骨の肌を涙眼で擦り撫でながらよくこの詩を口号(くちずさ)んでいた。そうしてまで呟くのは「好き嫌いではなく。日本はまさに世界に正面から向き合わねばならないのだ」と侘しそうに語っていた。蛮行と過酷な戦争体験からくる平和への思いであった。
「誠一のような死闘の辛酸をなめた戦闘経験者世代は台湾に愛着があり、国交正常化と言われても素直には喜べない。しかし最終的には世間が日中友好ムードに流されていく。父が見せたあのときの渋い言葉の表情は、当時の日本人の心理をよく表していた」
 そういう口ぶりの、深いしわを刻んだその父の皮をむいたら、芯にはみずみずしい明治生まれの青年がいるのでは、と思わせたのだ。
 中国は国交回復後、友好の証しとして「カンカン」「ランラン」の二頭のパンダを贈り、日本はしばしそのパンダブームに酔いしれていたのだが、父誠一はそうした真下に他界した。相互の歴史認識、台湾問題など難題だらけの国交正常化交渉がまとまったのは、その交渉の背景に前年の米中接近、中ソの対立があったからだ。1972年9月29日の日中共同声明で、相互が大きな譲歩に踏み出せたのは、つまるところソ連国を会談のテーブルに乗せた軍事問題の取引である。この声明によって日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省することが声明に盛り込まれた。両国間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出された日に終了した、とする認識に父誠一はいかにも疑心暗鬼で否定的であった。5年後の1978年8月には日中友好条約が締結され、中国側は賠償金請求を放棄する代わりに、日本側からODA等の巨額な経済援助を引き出した。これがパンダ二頭分の代価であった。こうした決着の行為が不正常なのだ。
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「パンダさんが転んだ・・・か」
 日中友好条約後の9月に長女夕実が生まれた。祖父となった誠一はその3年後に他界するのであるが、生前の面影として、2歳半ほどの孫娘を子守する誠一は、達磨さん遊びを「パンダさん遊び」と揶揄しながらも初孫とする遊戯が、唯一憂さ晴らしらしく、じつに嬉しいそうであった。この義足では二つの小娘にもまゝならないと笑っていた。
 誠一は駒丸家の嫡男として明治38年に生まれた。遺品である「海潮音」は同年に初版されている。嫡男の誕生を祝賀する記念の一冊として祖父誠太郎が所望し買い求めたものだ。扇太郎が誕生したときも誠太郎は上田敏の『うづまき』、これは自伝的小説であるが、その復刻版を命名の下の床の間に飾り立ててくれた。それらは祖父の嗜好品ではあるが、駒丸家では代々上田敏が身近な存在として無意識のうちにあった。
「秋の日の ヴィオロンの ためいきの・・・」
 眼の前に「D-DAY」と同じ波濤(はとう)がある。訳詩は意味を伝えれば用が足りるものではない。英独仏三カ国語の詩の味わいを感得し翻訳するとは、想像を絶する語学力だ。「近代詩壇の母はまさしくこの人である」とは、北原白秋が上田敏について語ったことばであった。一体どんな男かと、感嘆してそう想う扇太郎は、どうしても、青白い兵士らの生気をくみとらねばならなかった。生前、父誠一には自身が軍人であったことが、結果として村の若者を戦場に向かわせたことに、自責に似た思いがあったからだ。
 人を駆り出す役目がそう呵責させた。その誠一は戦後、公職に就かず、ひっそりと暮らした。そして海潮音は祖父誠太郎から父誠一に継がれながら遺された品である。そうした戦時の経緯を自らへと引き取るために扇太郎は覚悟すべき認識を持たねばならない。上陸作戦の暗号とされたこの詩を読み聞く度に、誠一は胸がかきむしられる様な、全体を強く縛られる呵責に打たれたという。今は淡い輪郭しかもたないが、かつては大西洋の壁、その要塞の浜辺であったことを意識しながら、扇太郎はポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine)の歌をつぶやいて七月にしては暑いとも思えない冷やりとした風のビーチを歩いた。

      Chanson d'automne

      Les sanglots longs
      Des violons
        De l'automne
      Blessent mon coeur
      D'une langueur
        Monotone.

      Tout suffocant
      Et blême, quand
        Sonne l'heure,
      Je me souviens
      Des jours anciens
        Et je pleure

      Et je m'en vais
      Au vent mauvais
        Qui m'emporte
      Deçà, delà,
      Pareil à la
        Feuille morte.

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      落葉

      秋の日の           鐘のおとに        げにわれは
      ヴィオロンの         胸ふたぎ         うらぶれて
      ためいきの          色かへて         こゝかしこ
      身にしみて          涙ぐむ           さだめなく
      ひたぶるに          過ぎし日の        とび散らふ
      うら悲し。           おもひでや。       落葉かな。

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「この暗号を、この海は、今、どのように聴いてくれているのであろうか」
 上田敏は、ヴェルレーヌの詩を日本古来の和歌の手法を使い七五調の変形五五調にして、和音のシャンソンとしてリズム感を出した。だから、日本人の誰にでも、安心して耳に入ってくるのではないか。日本語として詩情を湛えた作品に生まれ変わらせた。「とび散らふ」の「ふ」は反復、継続の助動詞ではないか。したがって「しきりにとび散る」「散りつづける」ということになる。日本人の心に飛び散り続けてきた。
 その落魄の心は永遠のものとして現在も散り続けている。詩作とは、識字する人が人らしく生きる拠(よ)りどころではないか。心打つ詩は尊厳と言っても過言ではない。それを冒した理不尽の世界がここにある。
 血のオハマF地区というビーチに立あおぐと、頭上の高みから、血とも肉ともつかぬ赤色の粒が、ぱらぱらと零(こぼ)れてくるが、しかし、眼の前では眩(まぶ)しいばかりに白く光っている。遠い現実にたたずむ扇太郎は、気温25℃という少し肌寒い夏の盛りの海峡の浜に、たゞ心だけが爛(ただ)れるような傷みを感じ、しばらくとり残されていた。
「上陸は六月だった。その暗号が秋の歌とは・・・どうする・・・ヴェルレーヌ」
 第二次世界大戦の末期、BBC放送がヴェルレーヌの「Chanson d'automne(秋の歌)」を放送した。これは「連合軍の上陸近し。準備して待機せよ」という、ヨーロッパ大陸の対ドイツレジスタンス全グループにあてた暗号放送であった。ドイツ軍の国防軍情報部は事前にキャッチしていたというが、この秋の歌で、ノルマンディー上陸作戦は開始されたのである。Robert Capa(ロバート・キャパ)は第1歩兵師団16連隊E中隊の一員としてこの戦いに従軍した。
「あのピンぼけの惨状の震えこそが、戦場という非常の真相なのであろう」
 キャパの写真を想い起こし、そっと砂浜を手均(なら)した扇太郎は、追悼のカルヴァドスを抜いてそこに注いだ。そのキャパは1938年に中国大陸で日本軍に抗する中国人を撮っている。最後にカメラを向けたのは、ハノイ南方のジープの上であった。ベトコン討伐のフランス軍のジープである。だがドアイタン要塞から1キロの地点で地雷に抵触し、土手を上がろうとしたキャパはカメラをもったまま爆死した。

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 インパール作戦は、当初から補給や制空権の確保を無視した無謀な作戦だった。3月作戦開始、緒戦は目覚ましく、日本軍はインパール後方のコヒマを占領したが、インパールを目前にした食糧と弾薬は底をつき、ついに退却を余儀なくされた。撤退途中、飢えと病気で多くの兵士が倒れ、戦死者3万人、戦傷病死者4万人とする。 そうしてノルマンディー上陸作戦のころ、サイパンが陥落する。
「あの人形も、アホウドリではないか。あのボードレールの・・・」
 サン・メール・エグリーズのサン・コーム・ヂュモン教会の壁に、82空挺師団ジョン・スティール二等兵の人形がある。ドイツ軍がいる町の真ん中に降下してしまったスティール二等兵のパラシュートは教会の塔に引っかかり、彼は捕虜になるまで死んだふりをしていたのだ。

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「1980年・・・・」
 二度目の体験となった。7年振りにまた訪れることができた。丁度、父誠一の七回忌と重なって、巡り合わされた訪仏として思われ、前回よりも奇縁さが増して鎮痛であった。朝目覚めると、父誠一は眠るように死んでいた。自然死のようで病死である。糖尿病患者は人工透析の影響による水分量の変化により、断端形状の収縮・肥大といった変化が問題となる。体脂肪は断端を不安定にする原因となる。また、過剰な肥満に伴う体重変化は断端周径を大きく変化させ、不適合の原因となりやすい。戦後の誠一は、義足と闘って戦死したのだ。その永訣の夜にでも読んでいたのであろう、常備のごとく愛読していた上田敏訳詩の数冊が父の枕許に積まれ、内一冊は見開きのまゝであった。
 それはもう二十年以上も前の一日、再び訪れた駒丸扇太郎はノルマンディーの海と空の青さを翔る白い翼の信天翁(L'Albatros)を想い泛かべていた。
「おきのたゆう・・・」と心の昂りを歌うが、
「僕もまた、世間という甲板に捕まえられた、まるで悪の華のアホウドリと同じだ」
 扇太郎はこのL'Albatrosを泛かべると、自身も人類が生れるずっと以前に、深海に漂っていた無数の原始の生き物、単細胞の生命体、あるいはプランクトンのような、クラゲのような水中生物であったことを想像した。そのたよりない生命は、生れたときから孤独の中に投げ出され、だれと話しあうこともなく、相談することなく、ただひたすら生きるためだけに浮遊しているのである。
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「その生命体のいくつかは餌を取るために周期的に発光する。それは自己完結的な、絶対的な孤立だ。僕は、あの原初のライフスタイルからどのくらい変化し、あれからどれくらいへだたっているのであろうか」とも思う。
 就寝前に、グラスを掌で包んで暖め、立ち昇る芳醇な香りを愛でるのが、いつしか扇太郎には欠かせない日課のようになっていた。
 最初に微量のカルヴァドスをグラスに注ぎ、火を点けて燃やすのである。美しい青白い炎こそが、真の美味しさを引き出してくれる。まずグラス中に香りを充満させて、その酒は捨て、立ち初めし香りのそこに新しいカルヴァドスを注ぐのである。そうすることで、20年以上眠っていた酒を生き返らせる。火を点けることで、元の香りのの10倍以上、香りが引き立ってくる。まずは、ひと口、口に含むと、カルヴァドス特有の風味が、スーッとあたかも音を立てるように、口から鼻へと突き抜けてゆくのだ。この香ばしさこそ、カルヴァドスの醍醐味なのである。

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 20年以上のカルヴァドスは、リンゴパイのように少し甘く、深い香りを持っているが、こうすることで、最高の状態の味と香りを引き出すことができる。凝縮された濃い香りが、喉の奥へとジーンと染み込んでゆく。グラスを傾けながら、過去を思い、未来を想う。ユックリとユッタリと、豊潤な時間が過ぎて行く。そうすることで、扇太郎には、レマルクの小説『凱旋門』に描かれた古きよきパリ街が脳裏に甦るのであった。しかし今は、小説にあるパリ街に憧れる気持ちなどはない。レマルクの見た敗戦国という亡国に耽るのである。その亡国の一連から、やはり亡国である不自由な日本の現在について考えさせられ、亡国の泡が湧き上がるのであった。



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                              第10話に続く
                      みうまそうたろう 文字 かな 正

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   京都 立春。




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  つきの暦  2013年2月

  つきの暦 2013 2



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Sotarou Miuma
立体言語学博士
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