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小説『花そとば』 第8話

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  こえんふどき五円風土記タイトル
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   はなそとば タイトル
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              第一部 八瀬童子(やせどうじ)   

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      五  夢の浮橋 (ゆめのうきはし)    



 自分という小川に清らかな泉がゆっくりと湧き出ていれば、そこへ向こうから濁水が入ってくることはない。香織から薬を飲むよう促された雨田虎彦は、ふとそんな母菊乃の言葉を想い起こした。清泉には緩まぬ湧出があるのだ。人の血流もまた似たようなものである。
 年が明けても去年からの続きのようなもの、何かの「残念」や「無念」というものが、あいかわらず蟠(わだかま)っていた。虎彦はしだいにそんな思いを強めると、もはや崩れかけた塀の背後にでも自身が居るようであり、弛緩して血流の悪い体に焦げ臭い匂いを感じた。
 悩ましい期間が長引くと、自分の才能や境遇を疑い始め、さらには身近な者を疑うようになる。そのうち自分を失う。自分を失えば、人を失う。人を失えば、物を失う。しかし悩んでくよくよ、ぐずぐずしているときは、このことがまるで分からない。どうやら体調も同じなのだ。幼い耳奥について残る、こうした戒めの言葉も、能(よく)した母の抄言であった。厳格であったその母に言わせれば、やはり精進の足りぬ心身の血流が悪いのであろう。最近、ふわふわとした遊仙感覚のような幽かな影に危うさを覚えては不安なのである。
 虎彦は香織から渡された錠剤を、一錠ごとていねいに口にふくむと、しずかに白湯を流し込んだ。
 そうして処方に委ねたそのままの姿勢で、ステッキに両手をかけていると、辛うじて自分の心が保たれているようにある。すると一瞬、どうしたことか自分をみて頷く母の影が泛かんでみえた。虎彦はしずかに黙祷(もくとう)でもするかのごとく眼を閉じていた。

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 鳥辺野があり、その南の蛇ヵ谷から深草にかけての光景は、虎彦の原郷にあたる。じゃが谷は大正期後、五条坂界隈が手狭になり、多くの陶工が工房の地を拓くために移り住んだ谷である。何かと気随であった母菊乃はよく蛇ヵ谷を訪ねていた。泉涌寺の帰りにはいつも細く淋しい山路を北に道草でもするようにして、工房をめぐり、鳥辺野の墓地を詣でて奈良へと帰るのである。幼い眼に、それらは薄暗く怖い道草であった。
 だがそうした怖い墓場続きの道にも艶やかな母の面影が一つある。母は泉涌寺からじゃが谷、鳥辺野墓地を廻るときは決まって同じ絵柄の着物を着た。源氏香紋である。さも占いか縁起でも担ぐかのようにその紋の服を着ていた。
「かさね・・・、少しは源氏物語を読んでいるのかい?・・・」
 と、脇にいる香織に、虎彦はふとそんなことを訊いてみたくなった。

げんじ 7

 一昨年の夏、香織が別荘に住み込むようになって半年を過ぎたころのことだが、誕生日のプレゼントに神田神保町の古書店から源氏物語を取り寄せて、香織にそれを贈ったということを君子から聞いていた。
 母菊乃が幼い虎彦に語り聞かせた深草とは、記憶の中にしかない「けものみち」のように滲み出してきて、百夜通いの深草少将(ふかくさのしょうしょう)や無名抄のうずら鳴く里などは、それでもう、存分の気分になった古典なのである。小野小町ほど、有名でありながら、謎に包まれている女性はいないのだが、道草のついでに母菊乃が語り聞かせた紫式部も幼き耳にはまことに謎多き女なのだ。
 そんな女が書き遺した「源氏物語」とは、到底、男の興味の外にしか置かれないような物語にしか思えないのだが、しかし女性の嗜好とは存外侮れない人間の本質に眼を輝かせるものらしく、母菊乃が若くしてそうであったことを思うと、はたして香織がどう感じるのかは随分と興味があった。
「へぇ~・・・、読ませてもろてます。君子はん、京都に生まれたんなら、一度は読みィな、そないいいはった。そんなんで貰うた本やさかい、大事ィに読ませてもろてます」
「そうか・・・、で・・・、どれほど読みこんでみた?」
「どれほどや、そういいはッてもなぁ~・・・。貰うたの一昨年の七月やから、もう三、四十回は読んでますやろか。」
「ほう・・・、そんなに読み返したのか!」
「へぇ~・・・。せやかて、うちには、ほんに難しい本やわ。読み始めたら、最初えろう面白い物語やと思いましたんやけど、何度か読み返すうち、そないしてたら、うち、えらいうっかりやした。読むほどに、えろう難しなって、そのうち、うちにはよう分からへんなった。時々、君子はんに習うてみるんやけど、そやけど、よう分からしまへん。せやけど・・・あの本、嫌いやあらへん。分からへんでも、折角、君子はんが呉れはッた本や思うと、何やうちそれだけで嬉しいんや。せやから、うち、大切に読も思てます・・・」
 そう香織は答えたが、虎彦が思うには、香織の年齢がそう言わせる意図が手にとるようにある。それそこが紫式部の比類ない気性というものなのだ。それは彼の平安時代の、持ち前の「気っぷ」というものであるのかもしれない。宮仕えに抑制されてきた創造力の香気が一挙に吹き出した衝撃がある。それは虎彦が読んでも、どこか女世帯の鏡台の匂いをこっそり嗅ぐようなものだった。強いてそれを言えば、式部の目を通して、時代とともにしだいに女の性(さが)がめざめ磨ぎ澄まされてていく物語である。しかしそれを読んだからといって、女性の心身が育まれる物語というわけでもない。虎彦の尋ね方は、香織が強いて答えねばならない何の意義のない愚問だったようだ。だが、源氏物語はしつこく読み砕けば、かならずどこかに気楽な風が通ってくる。虎彦はそう思いながら泉涌寺道の西方、道路と小川のまじわる場所まで二人は歩いた。

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 虎彦は病んだ右足を曳きながらパタリと止まると、借りた香織の肩からそっと手を放し、す~っとステッキを水平に上げ、また静かに下ろすとその尖(さき)で路面の上をかるく叩いた。
「かさね・・・ここだよ。ここが夢の浮き橋だよ・・・」
 唐突に、そう虎彦に促されても香織には、虎彦が意図する状況がよく呑み込めなかった。路面のどこを見回してみても、ただの路上ににしか過ぎない。何一つ落ちてもいない。ここが夢の浮き橋というが、信彦がコツンと叩いたその路面は、どうどこから見つめても単なる路面で、ことさらそれらしきモノは何も見えなかった。香織はわけもわからずたゞポカンと小さな口を開けている。
 しかし虎彦はそこに「源氏物語宇治十帖」に描かれた「夢の浮橋」跡であることを母菊乃から聴かされた記憶がある。何よりも養母お琴から浄瑠璃ごとのように繰り返し聴かされていたし、現に何度か、そのお琴の手に連れられて訪れていた。ともかくここは、紫式部が源氏物語の幕を閉じる最終章で描き現わした橋である。
「かさね・・・、もう眼で確かめることは不可能だよ。千年も前の浮橋だからね。今となっては私の眼でも、かさねの眼でも、他の誰の眼をしてでも、この結界に架けられた橋は、見えるはずもない橋なんだ」
 と、そう言ってはみたが、同じ言葉を幼い虎彦の耳にも同じように聞かされた。母菊乃も養母のお琴も同じ言葉で語ってくれた。その言葉通りに繰り返している虎彦自身がいることが、香織に語りかけている虎彦には不思議であった。あえてそれを語ろうとしたわけではない。語らせられているような妙にふわりとした感覚を覚えた。あのとき母菊乃は、赤い蛇の目傘の尖(さき)で地の底をコツンと軽く叩いたのだ。
 確かにそのはずである。その夢の浮橋という、小野の里の川に架けられていたという橋は、現在、川はコンクリートで覆われてた暗渠(あんきょ)となっている。どう、そこに夢の浮橋が架けられていたのかを求めようとしても、すでに名残の欠片(かけら)さえなく、紫式部の描いた橋の形跡はすべて千年の彼方へと消え去っていた。
「いいかい、かさね。これから話すことを後でレシティーションできるよう、しっかりと頭に刻み、その光景を心の眼の中に、いつでも再現できるよう繰り返し覚えるように・・・」
 虎彦はそういうと、向かい合った香織と、五歳で他界した光太郎と、その母である香代が香織と同じ歳の十七で嫁いだ日の姿とを、見比べられる眼の高さの位置に、いや、光太郎と妻香代と、母菊乃の御霊がみな呼び逢えて還り、香織の眼の高さで落ち合える位置に、曲がろうとはしない膝を虎彦はそっとかばいながら、片足を伸ばしたまま冷え切った地べたにストンと腰を落とした。
 虎彦が一旦こうなると、もう誰もそのテンポを乱そうとするものはない。世の中で一番重要なことは、夢の浮橋以外にはなくなってしまっていた。

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「ああ・・・、またかいな。れしてィ~しョん・・・、暗誦(あんしょう)いうことやったなぁ。老先生、これいい出しはったら、もうアカンわ。きかん人やし・・・。せやけど・・・、これほっといたら、うちがァ、かなわんしなぁ~・・・」
 香織は虎彦のそんな視線をえらい恐ろしく感じるが、途中まで小声でそういって、しかしもう逃れようもなく、ふと間を置いた眼を空に向けると、雪を含んだ灰色の雲が、低く頭をおさえつけるように垂れこめていた。
 新世紀になって八十歳を過ぎたここ数年、虎彦はしだいに過ぎ去っていく恐怖に苛立ちがあった。そうした苛立ちが、残されて流れ去ろうとする時間に対するしびれるような重宝な味わいに拍車をかけていた。そうしてふと気づいたときに、空や海や野が薄暗くみえて、これから拡がろうとする青い光線がその中心にみえた。それが未明から朝の陽が昇る間の、かけがえのない隠国(こもりく)からのサインなのであったのだ。
 やがて丹(に)の色の仄かな光がそこに加わると、逢初める青と丹の光がしだいに落ち合いながら、鮮やかにプリズムで結ばれては、一面を染めるバイオレットの空間が広がってくる。いつしかこれを本物の夜明けなのだと想うようになっていた。かさねに、その隠国の夜明けをみせたかった。
 そう思う虎彦は、おもむろに鞄から古い一通の、昭和十八年当時の電文を引き出すと、少し振るえる手のままに香織の手を引き寄せ、そっとその紙をてのひらの上に置いた。
「イマサラ二 オウベクモナシ ムラサキノ ノノハテ二キエタマエキミ カヨ」
 電信の歌である。当時、養母お琴が打ってよこした妻香代の、享年二十三の辞世のそれは「今更に追うべくもなしむらさきの野の果てに消えたまえ君 香代」という一首であった。
 虎彦はこの電信の経緯(いきさつ)を香織にいい終えてから、またそっと鞄の中に納めようと手を伸ばしたが、瞬時、風に吹き煽られた古い紙切れは、はらはらひらひらと路傍を舞い回りながら、地べたに落ちてカサカサと転がった。
 この電報を受け取った昭和十八年当時、虎彦は上海(シャンハイ)にいた。外套(がいとう)の襟をたて、凍えるようにひっそりとこの歌を涙して読んだ。雨田虎彦は上海の路傍で、酷く落胆し、日本の国というものが、自分の心を揺さぶらなくなっていることに気づいたのである。
 虎彦は転んでいくその電報をみつめながら、そっと香織に微笑した。香織にはそれが、電信を追いかけてしまいたい虎彦がそこに居て、それでも必死に何かを堪え我慢しているかのような二人の虎彦に見えた。
 源氏物語が紫式部によって「いつ頃」、「どのくらいの期間かけて」執筆されたのかについて、いつ起筆されたのか、あるいはいつ完成したのかといった、その全体を直接明らかにするような史料は存在しない。その物語を妻香代は、必ずしも長編の物語であるから長い執筆期間が必要であるとはいえず、数百人にも及ぶ登場人物が織りなす長編物語が矛盾無く描かれているのは、短期間に一気に書き上げられたからであると考えるべきで、若くして確かにそうであるとすら語っていた。
 香代が人より特段感性を高くして生まれたわけではない。京都とは、そんな女性をいともたやすく育てる風土なのだ。そこには人にやわらかで柔軟な日本独自の豊かな風土があった。比べて今、日本国の人民がタイ米を食べることを余儀なくされ、松本サリン事件や霞が関地下鉄サリン事件など、国家未曾有のオウム真理教が関与するテロ犯罪で国内は混沌とされる年次に明け暮れている。虎彦には暴走を始めた日本国が見えるようである。
 しんしんとくる北風に晒されながらそう思う虎彦は、間もなく東福寺駅へと来るであろう駒丸扇太郎のことを気に止めると、昨年、その扇太郎が語っていたフランスで見たという薄暗い海峡の漂いが、腕時計の盤上でめぐる秒針の動きを絡らみ止めるかのようだ。それは亡国の暗い泡立ちである。消え去らないその暗い泡が、とぐろでも巻く黒い蛇ように泛かんでいた。



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                              第9話に続く
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   京都 立春。




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  つきの暦  2013年2月

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