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ひとひらの書 第15話 『女生徒』 下

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      A 7 gif   第15話・・・『 女生徒    

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      A 15 gif ひとひらの書 第6 女生徒 太宰




      銀河団にはダークマター(宇宙の暗黒物質)がたくさんある。
      そして文学作品においてもダークマターは存在する。
      それは人間の数だけ在ると言っていい。
      しかもその数は、地球誕生以後に発生した総人口である。
      無論、未だ発見されていないダークマターもあるであろう。あるいは、今後未来にて誕生する新種だってきっとある。この五体銀河団を理解するとき、文学の本質が見えてくる。
      人類は、言語から文字を創り、文章を創り、文学へと進化させた。
      しかし、その、そもそもから人間心理の裡にダークマター域は創造されている。
      この創造主を人類は神と名付けた。その神とは、またダークマターである。
      古代の日本における言霊(ことだま)の使用も、じつはこの域にある。著しくシンプルなところで人間のア二ミズム論は発生した。それは本能と置き換えてよい。文学とはその本能の進化である。
      そうした進化にあって、現在あらゆる人が重力レンズを発揮する。
      識字率、学習能力の向上で、発揮力は高まった。
      しかしその反面、退化させたものもある。あるいは都合上、廃棄したものがある。
      そこで作文職業の作家であるが、これは非常に顕著な重力レンズ効果を発揮しようとする。あるいは発揮したいと思考する。しかし全ての作家が発揮できるわけではない。願望と結果は食い違うことになる。それは人生と同質である。それでは、作家とは何か?。優れた作家とは何か?。小生は、これを「強い重力レンズ効果を発揮する職人」と呼ぶことにする。
      そしてその作家とは、五体銀河団域にあるダークマターを抉り描くのである。
      太宰治は、このダークマターを作文として独自の文体で表現した。

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      その太宰の『女生徒』に即して彼の文学文体をどう汲むか、という課題にさらに接近してみようと思う。
      そのことは、我々めいめいの文学観・言語観を、あるいは発達観を、幾つかのテーゼとつきあわせ、検討することでもある。
      またその幾つかのテーゼとは太宰の抱える暗黒物質であり、そのことの検討とは太宰の暗黒物質をどう処理するかである。読書とは、その処理能力で効能が大きく左右される。
      そこで4つの仮テーゼをご用意した。
      しかもこのテーゼを太宰の作文志向性を応用して逆テーゼしてみたい。下記に4名の女子と1名の男子が登場することになるが、それらは小生が発生させた架空の人物(同年齢の学生)である。
      この5名に太宰の『女生徒』の読後感想を聞いてみる。

      女子A 反発の一語。 
      『正直にいって私はこの話が、大キライなんです。不自然でくらいこの話をよんでいくと何かが、私をゆううつのそこにひきずりこんでいきそうな気持にさせるからです。
       それでいてむりに明るく自然にえがこうとしているような気がして、どうもスキになれないの。それにこのえがき方、きもちわるい。アア、胸がむかむかする。イヤァダ!!。
      もし、こんな女の子が、私のそばにいたのなら、いいえ、いるはずだわ、そしたら、私、その子を思いきり、ひっぱたいて、こうさけびたい。
      「なぜ、あなたは、そう何もかもを、みにくい、そしていやらしい物として見てしまうの」って。
      できないかもしれないけどそうしたい。私だって、バスや電車の中などで、いやだなァとかんじる人はいるけれど、外見だけできめないで、なぜそんなカッコウをしているのだろうと考えて見ます。“ああ、きたない、きたない、女はいやだ”こう彼女は言っているけれど、なぜ、そうなのかを考えない。自分だって女なのだ。
      その人の一部分を見ただけでそれが全部だと思ってしまう。
      きたないかっこうをしていたら心もきたないと思ってしまう。アアいやだ。ある人は、彼女にはおとうさんが、いないから、ひねくれているのだといっていたけれど、私はそうは思わない。
      たしかに彼女は少しひねくれてはいる。けれど、それは、お父さんがいないからではなく、その頃の世の中のせい、つまり、自分の意見をはっきりといえない世の中のせいなんだ。
      もし、その人のいうとおりに、お父さんが、いないせいだったとしたら、私は、彼女がよけいにくらしく思い、彼女の何もかもがきらいになる。なぜなら、世の中には、おとうさんのいない子、そしておかあさん、おとうさんもいない子もいる。それもたくさん、そして、いてもいっしょにくらせない人もいるのだ。おかあさんの愛情だけでもしあわせなはずなのに。話が少し、それちゃったかナ。
      それに私にこんなことをいう資格があるかどうか、それは疑問だな?。だって、私はもっとみにくい人間かもしれないから。
      もう、こんなの、二度とよまないわ。百万円くれるといっても、アア、つまんない』

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      女子B 『女生徒』は私
      『とてもおもしろかった。
      私の家とこの女生徒の家がとってもよくにているということもおもしろかった理由のひとつだ。だから時々おどろくほどぴたりと私の心にせまってくる。
      私が考えていることとこの女生徒はあまりにもそっくり同じことを考えている時はびっくりしてしまった。この小説は一人の平凡な女生徒の平凡な一日をテーマにしている。だから、とってもおもしろい。S.十三年ごろの女生徒だそうだけれど、考えている事が今の私たちにもピッタリくる。
      なんか自分の友達の日記でもみているみたいな感じがする。
      この女生徒はいろんな事を考えている。といっても別にしょうらいの希望があってそれにむかっているわけでもなければ、現在の日本の状態についてなど考えているわけではない。女生徒は自分のまわりの事でせいいっぱい。ほめたり、けなしたり、きびしく批判したりしている。
      その批判が今の私にこれまたピッタリくるからおもしろい。自分の立場とまるでかけはなれた題材もおもしろいけれど、この『女生徒』のようにふつうのほんとうにありきたりの少女をテーマにした小説はよけいピタリとくる。
      この『女生徒』は、夜を最後におわっている。
      だからこの女生徒の明日は、誰も知らない。もちろん女生徒にだってわからないはず。それでも、この女生徒の明日を私たちはどういう一日かだいたい見当がつく。この女生徒の明日は、多少のちがいはあっても私の明日でもある。だから分るのだ。明日はまた今日のくりかえし。灰色の朝がやってきて、きたないものを見ると不けつだと思い、きれいなものを見るときれいだと思う。そして、またあさっても同じことのくりかえし。
      私の明日だってそうなのにかわりなはい。
      この女生徒もしかしたら私……?』

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      女子C ふつうの女の子
      『この小説にでてくる女の子(つまり女生徒)別に変わったところなんてない。普通の女の子じゃない、と読んだ後でそう思った。ところが、皆なの意見を聞いてると、この女の子はどうやら普通じゃないんだそうだ。ということは私が変な女の子だということかしら?。
      だって私、本当にこの女の子と似てるんですもの。女は不潔だと彼女は言っている。そのことだけ違って、後書いてあることなんか、よく私が考えることなんです。
      外には出さないけど心の中(例えば日記など)でこんなことを考えている人は、けっこう多いんじゃないかな。この女の子に会ってみなくちゃわからないけれど、表面は明るいハキハキとした子かもしれない。今井田さんと会っている時だって彼女は一人でいやがっていても、今井田さんには、けっこう明るい、かわいい女の子としてうつったかもしれない。
      心の中で思っていることは相手につたわらないで表面の印象だけうつったかもしれない。女の子なんて本当に何考えているかわからない。だから誰でもまわりにこんな性格の人がいたって心の中はのぞけないのだから、その人の心の存在に気づくはずはない。
      それに別にお道具なんて言ってるからって、下品な感じはしない。何しろ作者は男性なんだから(女の人の心理をここまでえがけたのが気味が悪いっていうより、むしろ不思議です。恋をしていないエミリー・ブロンテが嵐ヶ丘を書いたように……。)どうすれば、女性らしく感じるかと苦心したように感じます。(もっとも、このころの女性の言葉づかいは、みんなこんな言い方みたいだから、むしろこれで自然なのかもしれない。)けっきょく、女の子が気づかない女性の心理をよくとらえていると思います。
      そこいらにいる女の子をえがいたような、ようするに私がいいたいのは女性の心理を知らないのはむしろ女性ではないかということだ。
      しつこいけれど、結論として、この小説の女生徒は普通だと思うし、それは今の女の子にも通じていると思う。(私がそう思うだけかもしれないが)別に時代がこうだったからこうだという時代のワクは感じない。ただ彼女、人より少しだけ感受性が強いところがある。そしてチョッピリオセンチ』

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      女子D 親近感とこわさと
      『ぜいたくは敵だという時代に、下着にバラの刺しゅうをする女生徒。戦争へ戦争へと押し流されている時、それの原因を作った首相に反発を感じる女生徒。彼女は「王子さまのいないシンデレラ姫」であり、「山賊」であると思う。
      私は彼女に親近感を感じると同時に、こわいものを感じます。彼女が共通点を持っていると同時に、私達の奥にかくれているものを引きずり出すからです。彼女があまり私たちに似ているために引きずり出されるのかもしれません。その点で彼女は山賊です。
      「王子様のいないシンデレラ姫」私達もそうかもしれない。いつも夢ばかり見ている。なにか素晴らしい事が、いつかなどと、決して実現しっこない夢、シンデレラには、王子様がいた。夢をかなえてくれる人が、でも彼女や私達にはいない。私は彼女はまだ若いんだなあと思います。
      私達の奥にかくれているもの。それは、自分を飾ろうとしたり、むやみに悲しがったり、おせじを云ったり……といろいろある。それはだれもがもっている。人間くさい欠点だと思う。この小説を読んでいて、ある、私もこんなことがあったなあと思ったしゅん間、ハッとする、そこに私がいるからです。ほんとに、ほんとに、彼女は人間くさい。いやになってしまう。でも、彼女には夢がある。否定しながらでもあると思う。夢があるってことは若いことだ。彼女は今にも夢を失うかもしれない。(年をとると共に)
      私が、女生徒をおもしろいなあと思ったのは、人の描き方が素直な所です。おもしろいよりか、悲しい事かもしれない。だって、まるでその人たちが浮かぶように、詳しく書いてあり、浮かべてみると、よく似た人がいて、アアと思うような文だから。
      それに一番最後の文、ピリッとしていて、おもしろい。いろんな事を想像できて。たとえば、彼女は、小説を書いた、作者が作った今の彼女は、もう存在しないのか、それとも、昔ながらの夢を持ち、おばあさんになってどこかにいるのか、それとも私達と同じ姿で、私の目の前に存在しているのか。……

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      男子A 現代に通ずる『女生徒』
      『この女生徒は、たしかに自分に対しては、正直なのかもしれない。
      なぜならば自分自身の弱みとか、悪い点、つまりあまり素直ではないというような事を、書いているからである。それが、わかっていてもなおせないなどとも書いている。
      だから正直なようにみえる。しかし、本当に正直なら、素直に直したり、、悪い点をきちっとしたりできるはずである。それができないというのは、彼女がまだまだ自分自身に弱いということだろう。
      正直であるが弱いということだ。こういう面は、僕と何か共通するような気がする。
      だから僕にとっては、恐ろしいような気もする。しかし、こわいというより何かしたしみがもてるのだ。正直に書くと、この女生徒の考える考え方などは、僕ににていると思う。
      この女生徒の生きた時代に、こういう人は少なかったんではないかと思う。みんなぼうとしているという事は共通しているけど、自分に対して正直である。この人みたいではない人たちは自分をごまかしてしまうのではないだろうか。現在でさえ、そういう人は多い。あまり一つの事に集中せず、すぐ思いが変る。ふと何かむかしのことを思いだす。というような事が多い時代、そういう時代に生きた女生徒。わかっちゃいるけどやめられないという女生徒。現代に通ずるものをもった人。
      だから僕は、この女生徒は好きです。僕たちのもっとも弱い面をズバリ書いた様でこわくもあり、好きでもあるのです』
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      以上、計5名のサンプル・テーゼをご用意した。
      こうしたテーゼとは、哲学の用語法であるが、仮説したのにはアンチテーゼがあるからで、その点が現在の教育現場で問題となっている。じつは、そのことがあってご用意した。
      アンチテーゼは誤解のある言葉である。
      よく「反テーゼ」=「アンチテーゼ」として説明しているものがあるが、それは違う。現在の教育現場では、この取り扱いに多々誤用が見受けられる。
      例えば「魚とは海に泳いでいるものの総称である」という主張(テーゼ)がある人から出されたとする。これは一見正しいように見えるわけですが、そこには落とし穴がある。
      そこをついて他のテーゼを出すのがアンチテーゼである。
      したがってテーゼに対する反論ではない。
      もしテーゼに対して反論すれば、テーゼはそれに反発する。
      思慮深くされたテーゼほど反発は強くなる。
      ある教師は、
     「文学作品の<送り内容>は、つねに受け手の生活の中にあったものの再組織である」という。
      暗い谷間の民族的体験の典型的要約ともいうべき『女生徒』を、こんにち読みかえす意味はどこにあるのか。『女生徒』にべったり共感する子どもの読みを、どこで、どんなふうに問題にしていったらいいのか。こんな心情を小生にぶつけてきた。
      おそらくこれは、上記の女子BあるいはCのような読後の感想に接したのであろう。
      そして次に、
      『女生徒』は“私”の分身であり、同時に“私”の告発者でもある、という理解が教師をもふくめて一方に存在する。と同時に、『女生徒』の世界はナンセンスきわまる、という反発が他方に存在する。この相反する方向差を、教室ではどう問題にしていったらいいのか。という。
      おそらくこれは、上記の女子AあるいはDと男子Aの感想にでも触れたのであろう。
      また別の教師は、
      「本来の場面規定をおさえるという操作が同時に、その作品と自分との関係のパースペクティヴを規定する操作にならなければならない」という。
      女生徒の生きた時代をぬきにして、なんてじめじめした観念遊戯の持主だと反発しても、それは作品との真の対面を意味しない。また、この作品の登場人物はこういう時代に生きていたのだから、こんなふうに理解すべきだ、ふうの読み手の感動ぬきにした、客観主義的理解も、文学の理解とはほど遠い。結果において文学から遠ざける操作を、文学の授業ではついやりがちだ。とグチるのであった。
      さらにもう一人別の教師は、
      国語教育としての文学教育という提唱にこたえるために、授業を実際にどうくむか。鑑賞学習・文学理論学習・文学史学習を立体的に構成するというのは、たとえばどういうことか。『女生徒』を中学後期で教材化するにあたって、どんな教材群の中に位置づけたらいいのか。と、悩んでいた。
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      こうした教師らの言論は教育者の言葉としてじつに丁寧である。
      しかしこうした教科指導の丁寧が、読者である学生にとって親切であるとは限らない。そもそも小説という文学を教材群に取り込んで思春期教育に宛てることに無理がある。
      優れた文学や小説ほど人間の暗黒物質を孕ませている。
      これらは教育の域で補えるものではない。
      しかし、これこそが現教育現場での実情なのである。
      特に小説においては作家自身の自業自得の問題が底辺にあるのであるから、処理に応じて悪書にもなれば善書にもなろう。この善悪の問題に触れることが、教育となれば、その定義すら無限大ではないか。現代の教育とはまことに末恐ろしい研究をなさっている。これには、すべからく脱帽である。
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      小生は「女の子のこと」はさっぱり苦手で、ろくに口をきいていなかったし、そのわりに何人もの女生徒に憧れていたので、小生は太宰がなんでもお見通しなんだと素直にうけとって、『女生徒』を鞄に入れた。
      つまりこれがぼくの太宰治との出会いである。
      そろそろここらで書いておくが、その後の小生は太宰効果の甲斐もなく、大学3年にいたるまで「女の子」も「女」も知らない三四郎だった。
      たしかそのとき読んだ文庫本と、今回手元にある『女生徒』は同じ角川文庫だったとおもう。そうだとすると、この文庫には女性の独白体ばかりの作品がずらり並んでいて、ダザイの何たるかも知らない高校1年生には、これらの『葉桜と魔笛』や『きりぎりす』や『皮膚と心』や『女生徒』は、あまりにも女性の繊細で裏腹な感覚が吐露されていて、いささか魔術が効きすぎたにちがいない。
      なにしろ独白体なのだから、しかも太宰治が「女の子の心がよくわかるぞ」と暗示をかけたのだから、そうでなくともウブすぎた小生には効き目は抜群なのである。そこに作者の創意操作があることなど、まったくおもいもよらなかったはずである。
      だいたい『皮膚と心』なんてのは、「ぷつッと、ひとつ小豆粒に似た吹出物が、左の乳房の下に見つかり、よく見ると、その吹出物のまわりにも、ぱらぱら小さい赤い吹出物が霧を噴きかけられたように一面に散点していて、けれども、そのときは、痒くもなんともありませんでした」で始まるのである。
      思春期の学童が、これでどぎまぎしないわけはない。そのあと、「こんなものが、できて」と、太宰はあの人に見せました、六月のはじめのことでございます、と続くのだ。
      そんな『女生徒』は標題通りの女生徒の感覚だけで一気に独白したもので、さすがにのちに太宰の代表作のひとつとなっただけあって、念がいっていた。冒頭だけしるせば、こんな調子である。
      「あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんが、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合わせたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだかもっとやりきれない。云々‥」
      というふうにどんどん続き、挙句が「いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶えしちゃう。朝は、意地悪。」なのだ。

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      いまなら江國香織がどう書こうと、松浦里英子が親指Pで遊ぼうとも、なんとでも読めるようになったものの、当時はまったくダメだ。いやいまがタメで、当時はよかったのかもしれないが、いちいち反応してしまう。
      たとえば、「いまの何げなく手を見たことを、そして見ながらコトンと感じたことをきっと思い出すにちがいない、と思ってしまった。そう思ったら、なんだか、暗い気がした」とあれば、えっ、そうなのかと思い、「キウリをたべる。キウリの青さから、夏が来る。五月のキウリの青みには、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったい悲しさがある」なんてことが書かれていれば、今度女生徒がキウリを食べるところを見なくちゃ、来年の5月になったらキウリを見なくちゃと思う始末だし、さらに「けさの小杉先生は綺麗。私の風呂敷みたいに綺麗」では、ひたすらその言い回しと風呂敷の妖しい関係にとらわれるばかりで、どうも読書も太宰も文学も、なかったのである。
      この文庫『女生徒』に収録された作品の多くは昭和13年から17年くらいまでのあいだに書かれている。甲府の西堅町や御崎町に住んだり、三鷹の上連雀に住んだりして、結婚したばかりの石原美知子によると、珍しく淡々とした日々だったという。
      29歳から33歳くらいまでのことで、たしかにこの時期は自殺未遂をしていない。
      それまでの28歳までは、パピナール中毒症になったりカルモチン自殺を図ったりで、ともかく自殺衝動の中にいた。いまさら説明するまでもないだろうが、これはすでに文学を志していた17歳のときに、麻酔を打たれたように傾倒していた芥川が自殺したことの衝撃がどこかでずっと鳴り響いていたせいだった。
      もっとも太宰治の人生など、当時の小生にはまったく響いていなかった。
      それより豪気で大胆な先輩が『女生徒』には脱帽していること、この文庫には「女の子」というものが絶対に男性には理解できないものであることが告示されていること、いったん女性が自分の心を語りはじめたら、それはエピクロスをもってしてもエマーソンをもってしてもその哲学を越えられないこと、それにしても女性の心の中に浮かんでいるイメージというものは、頼りなくも哀しく、美しくも筋が通らぬものであることなどなど、そういうことばかりを知ったことが大きくて、小生はこのあと長らく『斜陽』も『ヴィヨンの妻』も『人間失格』も読まなかったほどだった。まして、井伏鱒二との関係も、保田與重郎の「日本浪漫派」に与したことも、知らなかった。
      数年前、友人の嫡男が「この休みは太宰を全部読みましたよ。やっぱりすごかったなあ。うまい、うまい!」と言っていたとき、うーん、小生はそのように太宰を読んだことがなかったなと、あらためて太宰を「女心の代理人」のようにしか読んでいなかった青春期のことを思い出したものだった。
      ところで、本書のなかでは『女生徒』が北村透谷賞を受けたのもなるほどと思わせる佳作になっていて、この告白体の書き方がその後の少女マンガ家らに影響を与えたこともまちがいがないともおもうのだが、それとはべつに、小生は『きりぎりす』や『饗応夫人』にあらわれる嫁いだ夫人たちの宿命とでもいうものがあまりにせつなく、可哀想で、たしか、うっうっと何度も胸をつまらせたのではなかったかと憶う。
      それはまた、一言でいえば結婚をした女性はすべて哀しい宿命を背負うんだという、とんでもない偏見を小生に植え付けたようで、その後ずいぶんの月日がたったのちも、知った女性が離婚したと聞いたり、「別れました」とか「一人に戻ったの」と聞くと、ものすごく胸を撫でおろしたものだった。
      もうひとつ、ある。
      『女生徒』を読んでからというもの、小生は以前にまして女生徒を複雑崇高に見るようになってしまっていて、それが同級生の彼女にすらあてはまってしまい、まったくにっちもさっちもいかなくなってしまったことだ。
      実はその女生徒には、きっと当人が驚くほどにマリアのような憧れをもってしまったのだが、おかげでというか、案の定というか、彼女を卒業後に新宿あたりの喫茶店に蛮勇奮ってやっとこさっとこ連れ出したときは、ただ劇場で市原悦子のラシーヌを一緒に観たというだけで、途中で、「私、帰る」と言われ、それはそれは、ずいぶんめちゃくちゃな太宰効果になってしまったのだった。
      今回の読了後には、そんな思いでまでもが付録としてついてきた。
      太宰の暗黒物資とは、それほどまでにリアルティーである。
      小生の裡で太宰の重力レンズ効果は甚だしく強力であった。

                                 

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      太宰治(1909~1948)
      青森県津軽に生まれる。本名は津島修治。18歳で芥川龍之介の自殺に衝撃を受けて以降、計四度の自殺未遂を繰り返す。帝大仏文科に入学するも授業料未納で除籍。人間の偽善と虚無を描く自虐的な作風で「無頼派」と呼ばれ、戦後文学の第一人者となる。39歳で玉川上水に女と投身心中。他の代表作は「斜陽」「走れメロス」「人間失格」「津軽」「グッド・バイ」など。

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      だざい太宰治 女生徒 17肖像 W500

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                        読了記  第16話に続く・・・連載

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                      ひとひらの書 8 H78
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      ひとひらの書 10文字 W500H100


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ひとひらの書 第14話 『女生徒』 中

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      A 7 gif   第14話・・・『 女生徒    

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      A 15 gif ひとひらの書 第6 女生徒 太宰




      アインシュタインの一般相対性理論では、銀河などの質量を持つ天体(一般に物体)があると、その影響で時空が歪むことになる。
      背景の天体から電磁波がやってくると、その歪んだ時空を通過することにより、電磁波の進む経路が変わる。これを観測者から見ると、電磁波がいろいろな方向から視線に入り込んでくるため、あたかも重力源(この場合は銀河)がレンズのような役割を果たしているように観測される。
      これを重力レンズ効果と呼ぶ。(図1と図2を参照)
      図1は重力レンズ効果。図2に示した例は、銀河団が重力レンズ効果を引き起こしている場合である。この銀河団(Abell 2218)は約21億光年彼方にある。背景にある、もっと遠い所にある銀河の像が、重力レンズ効果でアーク(弓)状に見えている。銀河団にはダークマター(宇宙の暗黒物質)がたくさんあるので、非常に顕著な重力レンズ効果を発揮する。これを「強い重力レンズ効果」と呼ぶことになる。

      だざい太宰治 女生徒 18 図1 W500H378
      図1 強い重力レンズ効果の概念図。

      だざい太宰治 女生徒 19 図2 W500H291
      図2 強い重力レンズ効果の例。21億光年彼方の銀河団Abell2218に付随するダークマターの重力によって、この銀河団の背後にある、より遠方の銀河が重力レンズ効果を受けてアーク(弓)状に見えている。

      一方、弱い重力レンズ効果と呼ばれるものがある。
      それは銀河団などの顕著な構造がなくても、銀河が適当に集団化していると、その背景にある銀河から放射される電磁波は弱いながらも重力レンズ効果を受ける。
      その場合、強い重力レンズ効果の場合のように、銀河の姿がアーク状に見えることはないが、少しだけ変形して見える(図3)。これを「弱い重力レンズ効果」と呼ぶ。
      視野に見えているたくさんの銀河の形状を統計的に調べて、どの方向にどの程度の質量があるかを調べることができる。そして図3は、この弱い重力レンズ効果を使って調べた、ダークマターの空間分布である。

      だざい太宰治 女生徒 20 図3 W240H193  だざい太宰治 女生徒 21 図4 W240H193

      図3 弱い重力レンズ(WEAK LENS)効果。(左)ランダムな銀河分布。(右)左図のランダムな銀河分布に対して、弱い重力レンズ効果が効いている場合の銀河の見え方の例を示す。銀河の形状がレンズ効果で歪んでいることに注意。

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      宇宙の質量密度を調べると、陽子や中性子(バリオンと呼ばれる)など、我々の知っている物質が占める割合は約1/5でしかない。残りの質量密度はダークマターと呼ばれる正体不明の物質である。したがって、宇宙の大規模構造は主としてダークマターが決めていることになる。なお、ダーク(暗黒)と呼ばれるゆえんは、ダークマターは電磁波を出さないので、私たちには見えないからである。
      ちなみに、質量とエネルギーは等価なので、宇宙のエネルギー密度も調べることができる。
      宇宙には見える質量(バリオンの質量)とダークマターの質量が担うエネルギーの2倍強のエネルギーがあることがわかっている。これはダークエネルギーと呼ばれている。ダークマター同様、ダークエネルギーの正体も不明である。
      以上のことは、「ダークマターの中で銀河が育つ」銀河形成論を観測的に検証したものだ。
      宇宙の中で、たくさんの銀河が泡状の大規模構造を作って分布していることが 1980年代後半にわかり、銀河形成論に大きなインパクトを与えた。また、そのような宇宙大規模構造がどうしてできたのかが大きな謎として呈示されていた。
      銀河や、銀河の作る構造は、宇宙初期に生じた密度の小さな揺らぎ(凹凸)が少しずつ成長して、130億年余の時間をかけて進化してゆくと考えられている。
      その際、目に見える物質の揺らぎだけでは、構造が成長するまでに時間がかかりすぎる問題点がある。そこで、目に見える物質よりも数倍質量密度の高い、ダークマター(暗黒物質)があり、その密度の揺らぎがまず濃くなってゆき、その中で銀河の「種」の成長を促すというアイデアが提唱された。
      ダークマターの存在は、近傍の銀河や銀河団の観測から知られていたが、これが宇宙の大規模構造の形成にも重要な役割を果たしていたという考え方である。
      それでは、「目に見えない」ダークマターは、実際の宇宙の中では、どのように分布しているのだろうか?。そして、銀河の形成とはどのように結びつくのだろうか?。
      そこで、「重力レンズ効果値測」と呼ばれる手法を用いて、視野内のダークマターの分布を調べることになる。目には見えないダークマターも、「質量」は持っている。ある場所に質量を持つ物質がより集中して分布していると、相対論的効果によって背景の天体の像にゆがみ(重力レンズ効果)が生じる。この「ゆがみ」の程度によって、そこにどれだけの質量があるのかを推定できるのである。
      小生は今、こうした質量計算法を応用して人間の脳内感性質量の測定を進めている。
      人間の感性には宇宙と同じようにダークマターの分布がある。
      例えば人が文章を創るという感性には、暗黒物質との関係で形成される。
      これ以上ここでは述べないが、太宰治の作文は、この暗黒物質の作用効果が著しい。つまり、彼の作品の多くが「重力レンズ効果」で形成されている。
      未だ研究・検証の途上ではあるが、「太宰は突出した重力レンズ効果能力を保有する」と推察している。現在、応用言語学科学研究の進歩はこのような段階に突入した。
      太宰治の特異なる文学資質は、やがて新しい時代の文学表現観測研究の方向性をも提示させようとしている。小生にとってこれほど優秀な文体を創る作家は、抜群の研究被写体である。

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      さて、さて堅苦しい前置きとなってしまった。
      話を太宰の『女生徒』に戻ることにする。
      この短編集で、どの短編も女性一人称で書かれている。みんな夢見がちだけど、心のどこかで現実の残酷さに気づいている、あるいは現実を直視しなければならない状況にある。そして、そんな彼女たちの心情が、太宰治の綺麗な日本語で上手に描き出されている。
      その中で一つ、小生の好きな描写をご紹介する。
      「おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびお目にかかりません。」
      じつは小生、最初この本は、イングランドへの旅行中、列車の中などの移動中に読んだ。
      西洋の国で純日本文学を読むというミスマッチさが何とも心地よく、まるで女生徒に出てくる女性(主人公)のように、異国の地で1人酔いしれていた。
      そのようにこの本は、小生がある種成長していく中で、どうやら失くしかけていた夢見る気持ちを思い出させてくれた。今考えると、そこに重力カレンズ効果を見出せる。
      太宰はイングランド地方で読まれるために書いたのではないだろう。
      だが、この一冊は、読み手が普段とは違う浮力状態にあるとき、ことさら効果を発揮するようだ。

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      近年、角川文庫の太宰治生誕100年フェアの装丁が眼に止まり、思わず太宰を5冊ほど買ってしまった。小生の中では「津軽」を読んでから、やはり太宰治の暗いイメージ(での読まず嫌い)ががらりと変わって好きな作家になったという経緯なので、大方は書斎の棚に並べ尽くしてはいるが、歳相応にまたいろいろ再読したいと考えている。
      しかし最近、新潮文庫で「ヴィヨンの妻」を読んでから今回この「女生徒」を再読したのであるが、同じ短編が被っていたりしたので、同じ文庫でそろえた方がよかったのかも知れない。だが何度読んでも好いものはや、やはり良い。やや不経済だが、佳いことが加速し進化するのであるから、万事よかったのである。
      ちなみに角川版の「ヴィヨンの妻」にはどうやら映画化された「パンドラの匣」も収録されている。新潮版には入っていなかったが、小生は新潮文庫の「パンドラの匣」を買ってました。少し余談だが、しかしこれなども被写体が太宰であれば、そんなロスも御愛嬌というものであろう。
      またやや個人的な話になるが、小生は何度か『女生徒』を読むうちに、女生徒は夏場の猛暑の盛りに効果を発揮する効能があるように考えている。
      一度、夏バテ気味でちょっと読書が億劫な時期に読んでみたのだが、すると、するすると文章が入ってきて、短編集で短いし、とてもいい短編が多いせいか、妙に食欲までが増加した。
      この夏バテ予防効果の太宰について、以前、現役の女子大生数人に意見を聞いた。
      すると太宰の「おさん」を読んで(新潮の「ヴィヨンの妻」にも収録されていたので、2度目でしたが)一人の女学生は次のように思ったという。
      「太宰は女はバカで、でも強い存在なんだといい意味で知っていて、それに甘えてふらふらしてたんじゃないかなあって。で、一番甘えてたのは奥さんなんじゃないかなあって。なんかそう思って、ほほえましいような哀しいような、なんともいえない気持ちになりました。でも、強くても、男がいなくなったら寂しいんだよ。それもわかってたろうに。「おさん」は何度読んでもそう思って切なくなりそうです。たしかに本が切ないと、その反動のせいか、太宰を読んだ後は、甘いケーキが欲しくなりますね」と。
      そして次のような女学生もいた。
      「太宰でステキだったのは「葉桜と魔笛」。恋に恋する少女たちの切ない想いが、ぎゅっとこめられた切ない物語で、短くて無駄がなくて切なさの結晶みたい。「皮膚と心」も好きだったなあ。夫婦になってもいつまでも恋をしている、そんな二人が切なくもほほえましいなあと思いました。あと、女のふとした衝動を描く「誰も知らぬ」も切なかったし、「きりぎりす」は富を得て変わっていく夫を見つめる妻の目が切なかったし、「貨幣」は面白い視点で女の母性や強さを描いてて印象深かったし、「恥」は女の自意識過剰さを面白く読んだし、と、思えば、どの短編もいろいろな味わいを見せてくれて、一辺倒じゃない面白さがありました。あれほど切ないと、やはり食欲は減退することはないでしょう」と。
      さらに次の女学生は傑作であった。
     「ヴィヨンの妻では、太宰が投影されたダメな男の面倒を見るような短編が多く、女性視点の私小説みたいな作品も多く見られて、どうしても暗い影がつきまといましたが、この作品集は本当にバラエティに富んでいて、作家としてのってた時代の作品が揃ってるんじゃないかな、と、何も調べずにそう思い込んでしまいます。女が読んでも切ない、そして女は強いんだよな、そうだよな、と思わせるような、味わい深い短編をじっくり堪能した気に満たされました。さて、次はどの太宰を読もうかな。と、考えると、まずその前に腹ごしらえが必要です。私、太宰の女生徒を読む前に、あん密三個、食べましたよ」と大笑いした。

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      以上のような女子学生との感想交換を踏まえると、次回の後編(下)にては、女学生が太宰の『女生徒』に即して彼の文学性質をどう汲むか、という面白い課題に深く接近してみようと思う。
      そのことは、老若男女を問わず我々日本人めいめいの文学観・言語観を、あるいは発達観を、ある種サンプルとしてのテーゼとつきあわせ、検討することでもあろう。
      より細かく砕き宇宙の暗黒物質としての太宰を論じたい。
      やはり心理の重力として考える太宰効果と効能は面白いのである。


      だざい太宰治 女生徒 16 W500H267
      太宰治(1909~1948)
      青森県津軽に生まれる。本名は津島修治。18歳で芥川龍之介の自殺に衝撃を受けて以降、計四度の自殺未遂を繰り返す。帝大仏文科に入学するも授業料未納で除籍。人間の偽善と虚無を描く自虐的な作風で「無頼派」と呼ばれ、戦後文学の第一人者となる。39歳で玉川上水に女と投身心中。他の代表作は「斜陽」「走れメロス」「人間失格」「津軽」「グッド・バイ」など。

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      だざい太宰治 女生徒 17肖像 W500

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                        読了記  第15話に続く・・・連載

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                      ひとひらの書 8 H78
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ひとひらの書 第13話 『女生徒』 上

    Ron B
      ひとひらの書 1文字 W200H40signbot (12)ほん1 W45H40ひとひらの書 2文字 W156H40
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      A 7 gif   第13話・・・『 女生徒    

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      A 15 gif ひとひらの書 第6 女生徒 太宰




      この本を読んだ時、男がいつまでも三四郎でいるわけにもいかないと思った。

      あさ、眼をさますときの気分は、面白い。お部屋のお掃除をして朝ご飯を食べて学校に行くと、美術の先生にモデルになってくれなんて頼まれる。こんな心の汚い私をモデルなんかにして、先生の画はきっと落選だ。家に帰ると客がいて、母親のためにいい娘を演じていやいやお料理。お風呂に入ってお洗濯を済ませたら、布団にどさんと倒れ込む。眠りに落ちる時の気持って、へんなものだ。おやすみなさい、私は王子さまのいないシンデレラ姫。
      と、いう具合である。

      さて、起床から就寝までがこのようである。
      三四郎なら驚くわけだ。
      これは太宰治得意の独白体で綴られた、14歳の女生徒の起床から就寝までの物語。大人と子供の真ん中である14歳の頃に、誰しも抱いたあのときのモヤモヤが見事に描かれている。
      男が、そのモヤモヤ感を理解するには、これほど好都合な一冊はない。先に女性に読まれてはならない本であったことを自覚した。だがそれはもう遅い。小生がこの一冊を初めて手にしたのは遠に30歳を越えていた。表題からまず放棄していたのだが、侮れない佳作の太宰がいた。
      走れメロスや人間失格しか読んだことがないという人にぜひ読んでもらいたい作品であろう。太宰治へのイメージが大きく覆ることになる。

      だざい太宰治 女生徒 3 W500H332

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      だざい太宰治 女生徒 9 W500H180

      小生はこの一冊(砂子屋書房)を古書店で初めて買った。
      以来、新装が新しくされる度に買い求めている。最初の読了後にそうしたくなった。読了してみて妙な重さが胸の隅に溜まっていた。それは男性であることのプレッシャーであった。
      小生だけではなかろうが、普通の男性は、女性にはなれないという人間最大の欠点がある。さて、それをどう克服するか、と考えた挙句の結論であった。
      おかげで同一の作品を色合いよく順番に並べるようになった。
      この『女生徒』は、着せ替えてみると、そのつど内容の一新する至極便利な本である。
      今、小生の書棚には、色々な太宰の女生徒が寝起きしている。
      世の中には、そうしたい、しておきたい不思議な本がある。
      女性の涙を忘れないためにも、小生はこの蒐集を怠れない。

      涙 W150H78 gifだざい太宰治 女生徒 10 W350H78

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      だざい太宰治 女生徒 11 山崎剛平 W500H312

      本というものは人間に不思議な行動を起こさせるモノである。
      小生が初めて手にした太宰の『女生徒』が砂子屋書房の古本であった。
      砂子屋書房といえば、詩人の田村雅之さんが昭和56年(1981年)に設立した出版社の砂子屋書房は、小さいながらも多くの俳人や歌人、詩人などにその名を知られる。
      昭和初期にも同じ名前の出版社が存在していた。
      現在の砂子屋書房は、昭和初期の砂子屋書房創業者から許可を得てその名を継いでいる。もともと、砂子屋は山崎家の屋号だった。
      歌人の山崎剛平が昭和10年(1935年)から18年(1943年)まで営んでいた砂子屋書房は太宰治をはじめ当時の新進小説家や歌人などの本を出し、その丁寧な装丁でも評価されていた。
      現在の砂子屋書房は神田駅近くの内神田にあるが、かつての砂子屋書房は上野桜木町27にあった。
東京藝術大学美術学部の通りを隔てた北側に、上野桜木会館がある。その隣、現在の地番では台東区上野桜木1-6に位置する。
      昭和9年(1934)年に上野桜木町に居を定めた山崎剛平はその地で翌年から昭和18年(1943年)まで砂子屋書房を営み、昭和20年に出身地の兵庫県赤穂郡に戻った。そして平成8年(1996年)にその地で亡くなられている。
      小生が古本を手にした後、20年を経たときの他界であった。
      一度、古本の住所である台東区上野桜木1-6(かつての上野桜木町27)を訪ねた。その時分にはすでに砂子屋書房の面影すら現地にはない。その後に、消息を知ることになる。そして他界まで親しいお付き合いをさせて戴いた。卒寿を迎えられて喜んでいたのだが、その5年後の7月8日のことであった。
      太宰治は、日本人の中で最も太宰を愛した山崎剛平を小生に紹介してくれた。

      だざい太宰治 女生徒 12 W500H312

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      太宰治といえば誰もが真っ先に名を挙げるのは「走れメロス」「斜陽」「人間失格」あたりだろう。
      確かに太宰という名を文学史上において不動のものにしたのはこれらの傑作群だし、それらが代表作として扱われることについては異存はない。だが、それはあくまでも文学史を語る上での話。
      はっきり言って斜陽や人間失格なんてジメジメした読んでいて鬱になるような自殺願望小説群より、ずっと大衆的で面白くて、生の輝きに満ちあふれた作品を太宰は他にいくつも残している。
      そんな太宰の多様を知れば、今回取り上げるある少女のたわいない一日を少女の独白という文体で捉えた「女生徒」という短編も、間違いなく太宰の最高傑作の一つと呼ぶに値する名短編である。
      朝に目を覚ますときの気分から夜眠りに落ちるときの気分まで、とにかくこの「私」は一日中ベラベラと解説しっぱなしなのだが、それがもう気持ち悪いくらいリアルなのだ。
      女の子ならではの物の考え方、気分の機微が実に的確に捉えられている。
      たとえば新しい下着につけた小さいバラの刺繍が上着に隠れ、誰にもわからない、となぜか得意になる感覚。たとえば電車の中にいる濁った目をしたサラリーマンたちを見て「ここで私がにっこり笑ってみせるだけで、ずるずる引きずられて結婚しなければならぬ羽目に陥るかもしれない、恐ろしい気をつけよう」と思う感覚。
      あるいは厚化粧のババアを見て女は嫌だ、洗っても落ちない雌の不潔さ生臭さがたまらないからいっそ少女のままで死にたくなる、と思う感覚。
      なるほど、女の子が読めばどれもこれも「うん、その気持ち、わかる」と頷いてしまうに違いない。
      太宰という小説家は、小生にとっては「乙女心の極意」を極めた男性小説家として君臨しており、その一点においては尊敬しているし、追いつき追い越したいと思えてくる。
      なぜなら太宰は今でも一部の女性読者に圧倒的に支持されているではないか。
      まあそんな感じでこの「女生徒」は、一人の乙女がどんなことを考えて一日を過ごしているのか、の完璧なケース・スタディである。これはすなわち全編が非常に今流の萌えである。
      なにしろお風呂で窓を開けて「空には星がキラキラ。なんど見直しても、キラキラ」だ。さすがの小生もお星様キラキラは恥ずかしくて書けそうにない。発想が奇抜、さらに奇形ですらある。普段の男に、太宰先生の領域に達するまでは、まだまだ修行が足りなさすぎるようである。
      よくぞ男性のコンプレックスを引き出してくれる。
      ちなみに太宰の小説で何が好き? と聞かれれば、小生はこの「女生徒」ともう一つ「雪の夜の話」という短編を迷わず挙げる。これも「女生徒」と同じ少女の独白文体の短編で、雪の日に妊娠中の義姉のためのお土産にもらってきたスルメを道に落として失くしてしまう話だ。
      なにしろ雪が積もっていて見つからないので、この美しい雪景色をたくさん瞳にたくわえてお腹の赤ちゃんのために瞳を覗かせてあげよう、スルメなんかにこだわるのは卑しいことだ、そうだそうだと一人勝手に納得して帰る女の子の気持ちの動きがとても生々しいのにとても幻想的、というわけのわからない短編なのだが小生はこの話が太宰作品の中では一番好きだ。
      そんな気にさせた初動が『女生徒』であった。
      太宰だけを語れば、それらが小生が理想とする小説の一つや二つとなる。興味をもたれたかたはぜひ一読を。「斜陽」なんてつまんないから読まなくていいですよ。なんてことまで、言えるほどに傑作であることは過言ではない。
      それが過言でないことの査証に次の場面がある。

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      お風呂場に電燈をつけて、着物を脱ぎ、窓を一ぱいに開け放してから、ひっそりお風呂にひたる。珊瑚樹の青い葉が窓から覗いていて、一枚一枚の葉が、電燈の光を受けて、強く輝いている。空には星がキラキラ。なんど見直しても、キラキラ。仰向いたまま、うっとりしていると、自分のからだのほの白さが、わざと見ないのだが、それでも、ぼんやり感じられ、視野のどこかに、ちゃんとはいっている。なお、黙っていると、小さい時の白さと違うように思われて来る。いたたまらない。肉体が、自分の気持と関係なく、ひとりでに成長して行くのが、たまらなく、困惑する。めきめきと、おとなになってしまう自分を、どうすることもできなく、悲しい。なりゆきにまかせて、じっとして、自分の大人になって行くのを見ているより仕方がないのだろうか。いつまでも、お人形みたいなからだでいたい。お湯をじゃぶじゃぶ掻きまわして、子供の振りをしてみても、なんとなく気が重い。

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      これなどは、男の小生には、もう暗記するしか手立てがない筆の運びだ。
      なんとなく気が重い、という太宰の気心がもはや天文学としての重力である。昭和初期女学生の群像からこの重力が算出でき得るところが、まさしく太宰なのである。
      アインシュタインの想像力とはまた別世界の天才技なのだ。
      時空を超えて、現在の女子生徒に重なり落ちる配剤が魅惑ではないか。
      後編(下)にて、この重力の算出力について、その詳細を語りたい。



      だざい太宰治 女生徒 16 W500H267
      太宰治(1909~1948)
      青森県津軽に生まれる。本名は津島修治。18歳で芥川龍之介の自殺に衝撃を受けて以降、計四度の自殺未遂を繰り返す。帝大仏文科に入学するも授業料未納で除籍。人間の偽善と虚無を描く自虐的な作風で「無頼派」と呼ばれ、戦後文学の第一人者となる。39歳で玉川上水に女と投身心中。他の代表作は「斜陽」「走れメロス」「人間失格」「津軽」「グッド・バイ」など。

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      だざい太宰治 女生徒 17肖像 W500


                        読了記  第14話に続く・・・連載

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                      ひとひらの書 8 H78
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ひとひらの書 第12話 『夜明け前』 下

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      ひとひらの書 3文字 W500H313
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      A 7 gif   第12話・・・『 夜明け前    

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      A 15 gif ひとひらの書 第5 夜明け前 藤村




      人間は何かを食べながら現在を生き続けている。
      藤村とて、その条件は等しい。もし違いがあるとすれば日々の献立だ。
      藤村の見たモノ、触れたモノ、口にしたモノ、その諸々の食が『夜明け前』には描かれている。そして藤村が小説で献立した配膳の陰に、彼の現実と内情が吐露されている。
      島崎藤村の「夜明け前」の舞台は、中仙道の木曽十一宿ひとつ馬籠宿である。
      その馬籠の本陣・問屋・庄屋を受け持つのが旧家の島崎家。ここを大名、旗本、幕府役人をはじめ多くの旅の人が宿泊しあるいは昼など小休止したりした。
      小説の楽しみはストーリーの展開にあるが、舞台背景には様々な小道具が描かれる。本説とは別の、あるいは一つの楽しみ方としては、夜明け前の場合でも、とにかくいろいろな食べ物が登場するし、気をそそられる小道具を見出しては試みることが可能であることだ。
      藤村は自然主義の作法で舞台の端々を描きだした。
      江戸後期から明治中期あたりまで、山の中、木曽路あたりではどのようなものが食されていたか、またこれも興味深いところである。

      まごめ馬篭 1 W500H217

      まごめ馬篭 2 W231H150   まごめ馬篭 3 W246H150

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      とうそん夜明け前 46 寝覚ノ床 W500H230
      とうそん夜明け前 44 越前屋 W240H150  とうそん夜明け前 45 越前屋 W240H150
                             木曽路寝覚の越前屋

      越前屋という旧旅籠(はたご)の面影が現存する。
      場所は馬籠ではないが、木曽郡上松町の寝覚にある。
      寝覚ノ床の、あの木曽八景のひとつ、その奇岩の道路向かいにある老舗だ。
      越前屋は寛永元年(1624年)に創業した。現在分かっている限りで日本で3番目に古い蕎麦屋と言われている。当時からさまざまな旅人が宿場に立寄り、立場茶屋として栄えてきた。
      北川歌麿、十返舎一九、岡本一平氏、前田青邨氏などの書や画も残されており、島崎藤村の小説「夜明け前」にも登場する。
      現在、旧中山道沿いには大正元年に3回目の建て替えをした旅館も保存されて残っている。宿場として栄えた頃の旅人の姿に思いをはせながら、昔ながらの白い蕎麦を賞味したくなる。
      その蕎麦に絡むように、藤村の童話集の言葉がある。
      「・・・・・寝覚の寺には、浦島太郎の釣竿といふものが有りました。 それも伯父さんの話して呉れたことですが、浦島太郎の釣をしたという岩もありました。それから、あの浦島太郎が竜宮から帰って来まして自分の姿をうつして見たといふ『姿見の池』もありました・・・・・」 (藤村童話集 「ふるさとの中の「浦島太郎の釣竿」より)と。
      この藤村のいう浦島太郎の長寿にちなんで越前屋では「寿命そば」と名付け、現在にいたっている。また、浦島太郎が愛用したと言われる釣竿が、越前屋のすぐ近くにある臨川宝物館に展示されている。
      越前屋では「ひきたて、うちたて、ゆでたて」にこだわり、創業以来のコシのある白いそばを出している。そばの実を臼にかける時に身の中心部だけを使用しているため、白いそばになる。この製粉が創業以来300年受け継がれて長寿そばの「コシのある白いそば」がつくられる。

      とうそん夜明け前 42 越前屋5とうそん夜明け前 43 越前屋6
                                長寿そば

      とうそん夜明け前 39 越前屋2 W250H187とうそん夜明け前 40 越前屋3 W250H187
        左は木曽街道中膝栗毛(十返舎一九)の越前屋。      右は続膝栗毛 木曽街道膝栗毛(十返舎一九)の越前屋。

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      その藤村は、例えば半蔵の父・吉左衛門が友人で馬籠で造り酒屋をしている金兵衛から誘われての夕食で「酒のさかな。胡瓜もみに青紫蘇。枝豆。到来物の畳いわし。それに茄子の新漬。飯の時にとろろ汁。すべてお玉の手料理の物で・・・・・」と、お玉は膳を運んできた。
      それらは、ほんの有り合わせの手料理ながら、青みのある新しい野菜で膳の上を涼しく見せてある。
      「やがて酒も始まった‥」
      ごちそうというより山や畑でとれた素朴なものである。海のものとして畳いわしが出てくる。少しあぶってつまみにすると酒に合う。描写はまことに簡素ではあるが、読んでいるだけで食べてみたくなる。きっと藤村自身が口で試みた食材や郷土の物産であろうからと、予定なき試食日など企てるのも楽しいものだ。
      アトリ30羽に茶漬け3杯の話。
      「アトリ30羽に茶漬け3杯食えば、褒美として別に30羽貰える‥食えなかった時はあべこべに60羽差し出さなければならないという約束だ・・・・・、食い手は、吉左衛門と金兵衛。さて、食った・・・・・、アトリは形も小さく、骨も柔らかく、鶫のような小鳥とは訳が違う・・・・・」と。
      昔もこういった大食い大会的なものがあったのも面白いし、さてさて「アトリって、一体どんな鳥かな!・・・・・」と、珍鳥が一役を担う。野鳥自体、現在ではほとんど食わないが、山間地ではよく鳥網にかかっていたらしい。名前だけでは想像しがたいが、珍味には違いない。
      鳥獣保護という観点から、今ではもう語ることさえ憚れるようになってしまったが、木曽はかつて「野鳥を食べる」メッカであった。昭和8年10月から昭和9年4月までの木曽谷一円の野鳥の猟獲高の記録がある。
      それによると「ツグミ19万羽、アトリ16万羽、マヒワ6万羽、ミヤマホオジロ12000羽、シロハラ9000羽、イカル9000羽、ウソ5000羽、ホオジロ3500百羽、シメ3000羽、マミチャジナイ2700羽、カワラヒワ1400羽、カシラダカ1200羽、アオジ900羽」とある。こんなにもたくさんの渡り鳥が木曽に来ていたということも驚きなら、こんなにもたくさんの鳥を捕獲したということも、それらを全部、人が食べたということも、全て驚き以外の何物でもない。これが当時の日本社会の常識であった。
      木曽の人は今でも「ツグミやアトりに比べたらニワトリの焼き鳥なんて全くのマガイモノ」とまで言い放つほどだ。藤村の当時から木曽は、霞網猟による鳥屋場のメッカだったのである。
      藤村に採り上げられると、小生はどうにもアトリという野鳥が食べてみたくなった。
      そして何度か木曽を訪ねた折りに、土地の杣人に尋ねてみた。
      その試食の感想は控えよう。下記の写真のように愛くるしい綺麗な小鳥である。

      とうそん夜明け前 47 アトリ W500H752

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      日常の食生活も登場する。
      芋焼餅というものがある。
      「本陣と言っても、吉左衛門の家の生活は質素で、芋焼餅なぞを冬の朝の代用食とした」
      「‥二人で松薪をくべていた。渡し金の上に載せてある芋焼餅も焼きざましになった頃だ。おふきはその里芋の子の白くあらわれたやつを温め直して、大根おろしを添えて、新夫婦に食べさせた」と。
      その芋焼餅というのは今はないのだろうか、ふと出逢いたくなる。
      観光地で見かける芋を串に刺して焼いている、あのアレとは違うのかな。それとも里芋を茹でてつぶして団子状にして焼くのだろうか、と一度食べてみたいものだ。
      五平餅の記述もある。
      半蔵がお民という嫁をもらった頃のことだ。
      「炉辺では山家らしい胡桃を割る音がしていた。おふきは二人の下女を相手に、堅い胡桃の種を割って、御幣餅の支度に取り掛かっていた。・・・・・、おまんは隣家の子息にお民を引き合わせて、串刺しにした御幣餅をその膳に載せてすすめた。こんがりと狐色に焼けた胡桃醤油のうまそうなやつは、新夫婦の膳にも上がった。吉左衛門夫婦はこの質素な、しかし心の籠った山家料理で半蔵やお民の前途を祝福した」と。
      「その名の御幣餅にふさわしく、こころもち平たく銭型に造って串刺しにしたのを一つずつ横にくわえて串をぬくのも、土地のものの食い方である」と。
      五平餅も地方によって形がいろいろあるが岩村、明智、足助あたりは大きな小判型だし恵那、中津川、馬籠などはみたらし団子状である。塗りつけるタレもその店独特であるが、胡桃や胡麻が入っていると一際旨い美味となる。果たして馬籠の五平餅とは!、と指食が動くことになる。
      今頃の季節、夏の暑い頃は「酒のさかなには、冷豆腐、薬味、摺り生姜に青紫蘇。それに胡瓜もみ、茄子の新漬くらいのところで・・・・・」と。
      ここれなどは今と同じで100年以上前と少しも変わらない風物詩。そして木曽名物といえば昔も今も蕎麦でしょう、ということで、こんなことが書いてある。
      「半蔵の家では、おまんの計らいで吉左衛門が老友の金兵衛をも招いて妻後へ行く児を送る前の晩のわざとのしるしばかりに、新蕎麦で一杯振舞いたいという。・・・・・酒は隣家の伏見屋から取り寄せたもの。山家風な手打蕎麦の薬味には葱、唐からし。皿の上に小鳥。それに蝋茸(ろうじ)のおろしあえ漬物、赤大根。おまんが自慢の梅酢漬の芋茎(ずいき)」と。
      薬味までがわざわざ書いてあるところを見ると、その地方の特色が見事に出ているのではないか。藤村はリアルなのである。今じゃ蕎麦の薬味に唐辛子は使わないが、一度試みたい気になる。
      さらに本陣には幕府の高官が突然宿泊することがある。
      「お平には新芋に黄な柚子を添え、椀はしめじ茸と豆腐の露にすることからいくら山家でも花玉子に蛸ぐらいは皿に盛り、それに木曽名物の鶫の2羽も焼いて出すことまで・・・・・」と。
      蛸をどうして海から運び保存するのだろうか。海のものといえば信州松本あたりだと飛騨ブリが日本海から運ばれてきていたが、そういうものはさすがに木曽まではなかったのかもしれない。
      飲み物はほとんど「あついお茶」が出るが、ねぶ茶、というものが登場する。
      「あなたの好きなねぶ茶を入れてきました。あなたは‥」とお民がきいたねぶ茶とは山家で手造りにする飲料である」という。
      これなど小生は聞いたことも飲んだこともない。今度、馬籠に行ったら探してみようと思うのだ。どんな味や香りがするのかは、様々拾いだして、こうして書いているときりがないが、とにかく「夜明け前」を読むと木曽地方の風味にお腹がグ~となってくる。今もその味は南信州の山中にある。

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      もはや言わずとも知れた篠田一士(しのだはじめ)に『二十世紀の十大小説』という快著がある。
      今は新潮文庫に入っている。
      円熟期に達した篠田が満を持して綴ったもので、やや過剰な自信があふれている。
      その十大小説とは、プルーストの『失われた時を求めて』、ボルヘスの『伝奇集』、カフカの『城』、芽盾の『子夜』、ドス・パソスの『USA』、フォークナーの『アブロム、アブサロム!』、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』、ジョイスの『ユリシーズ』、ムジールの『特性のない男』、そして日本から唯一「合格」とでもしたごとく藤村の『夜明け前』を執っている。
      モームの世界文学十作の選定や利休十作をおもわせるこの選び方にどういう評価をするかはともかく、篠田はここで『夜明け前』を「空前にして絶後の傑作」といった言葉を都合3回もつかって褒めそやした。
      日本の近代文学はこの作品によって頂点に達し、この作品を読むことが日本の近代文学の本質を知ることになる、まあだいたいはそんな意味を込めている。

      とうそん夜明け前 50 篠田一士の本 W500H264

      ところが、篠田の筆鋒は他の9つの作品の料理のしかたの切れ味にくらべ、『夜明け前』については空転して説得力をもっていないとしかおもえない。やたら褒めすぎて、篠田の説明は何にも迫真していないのだ。
      どんな国のどんな文学作品をも巧妙に調理してみせてきた鬼才篠田にして、こうなのだ。
      『夜明け前』が大傑作であることは自身で確信し、内心言うを俟たないことなのに、そのことを彷彿とさせる批評の言葉がまにあわない。
      これは日本文芸史上の珍しいことである。
      漱石や鴎外では、まずこんなことはおこらない。露伴や鏡花でも難しくはない。むろん横光利一や川端康成ではもっと容易なことである。それなのに『夜明け前』では、ままならない。もてあます。挙げ句は、藤村と距離をとる。取ろうとする。
      いや、後に少しだけふれることにするが、日本人は篠田に限らず島崎藤村を褒めるのがヘタなのだ。
      『破戒』も『春』も『新生』も、自我の確立だとか、社会の亀裂の彫啄だとか、そんな言葉はいろいろ並ぶものの、ろくな評価になってはいない。
      ここで結論のようなことを言うことになるが、われわれは藤村のように「歴史の本質」に挑んだ文学をちゃんと受け止めてはこなかったのだ。そういうものをまともに読んでこなかったし、ひょっとすると日本人が「歴史の本質」と格闘できるとも思っていないのだ。
      これはまことに寂しいことであるが、われわれ日本人が藤村をしてその寂しさに追いやったともいえる。
      ともかくもそれくらい『夜明け前』を論じるのは難しい。それでも、『夜明け前』こそはドス・パソスの『USA』やガルシア・マルケスの『百年の孤独』に匹敵するものでもあるはずなのである。まずは、そのことを告げておきたかった。これは冒頭の告白と重なる。
      さて、『夜明け前』はたしかに聞きしにまさる長編小説である。
      第1部と第2部に分かれ、ひたすら木曽路の馬籠の周辺にひそむ人々の生きた場面だけを扱っているくせに、幕末維新の約30年の時代の流れとその問題点を、ほぼ全面的に、かつ細部にいたるまで執拗に扱った。
      これを大河小説といってはあたらない。
      日本近代の最も劇的な変動期を背景に一人の男の生活と心理を描いたと言うくらいなら、ただそれまでのこと、それなら海音寺潮五郎や司馬遼太郎だって、そういう長編歴史小説を何本も書いてきた。そこには勝海舟や坂本龍馬の“内面”も描写されてきた。
      しかし藤村がしたことは、そうではなかったのだ。
      『夜明け前』全編を通して、日本人のすべてに「或るおおもと」を問うたのである。その「或るおおもと」がはたして日本が必要とした「歴史の本質」だったのかどうか、そこを描いたのだ。
      それを一言でいえば、いったい「王政復古」とは何なのかということだ。いま、このことに答えられる日本人はおそらく何人もいないと思われるのだが、当時は、そのことをどのように議論してよいかさえ、わからなかった。
      藤村がこれを書いたときのことをいえば、「中央公論」に『夜明け前』の連載が始まったのが昭和4年、藤村が最晩年の56歳のときだった。
      昭和4年は前の年の金融恐慌につづいて満州某重大事件がおき、翌年には金輸出解禁に踏みきらざるをえなくなった年、すなわち日本がふたたび大混乱に突入していった年である。ニューヨークでは世界大恐慌が始まった。
      そういうときに、藤村は王政復古を選んだ歴史の本質とは何なのかと、問うた。
      しかもその王政復古は維新ののちに、歪みきったのだ。
      ただの西欧主義だったのである。むろんそれが悪いというわけではない。
      福沢諭吉が主張したように、「脱亜入欧」は国の悲願でもあった。しかしそれを推進した連中は、その直前までは「王政復古」を唱えていたわけである。何が歪んで、大政奉還が文明開化になったのか。
      藤村はそのことを描いてみせた。それはわれわれが見捨ててきたか、それともギブアップしてしまった問題の正面きっての受容というものだった。

      とうそん夜明け前 53 王政復古 W500H366

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      もう一度、物語を覗いておく。
      主人公は青山半蔵である。父の吉左衛門が馬籠の本陣・問屋・庄屋を兼ねた人だったので、半蔵はこれを譲りうけた。この半蔵が藤村の実父にあたる。『夜明け前』は明治の青年にとっての“父の時代”の物語なのである。
      物語は「木曽路はすべて山の中である」という有名な冒頭に象徴されているように、木曽路の街道の僅かずつの変貌から、木の葉がそよぐように静かに始まっていく。
      その街道の一隅に馬籠の宿がある。
      馬籠は木曽十一宿のひとつ、美濃路の西側から木曽路に入ると最初の入口になる。そこに本陣・問屋・年寄・伝馬役・定歩行役・水役・七里役などからなる百軒ばかりの村をつくる家々と、六十軒ばかりの民家と寺や神社とが淡々とではあるが、脈々と生きている。
      そこにあるとき芭蕉の句碑が立った。
      「送られつ送りつ果ては木曽の龝(あき)」。それは江戸の文化の風がさあっと吹いてきたようなもので、青山半蔵にも心地よい。
      半蔵はそういう江戸の風を学びたいと思っていた青年である。そこで、隣の中津川にいる医者の宮川寛斎に師事して平田派の国学を学ぶことにした。すでに平田篤胤は死んでいたが、この国のことを馬籠の宿から遠くに想うには、せめて国学の素養やその空気くらいは身につけたかったのである。残念ながら宣長を継承する者は馬籠の近くにはいなかった。
      そこへ「江戸が大変だ」という知らせが入ってくる。
      嘉永6年のペリー来航のニュースである。さすがに馬籠にも飛脚が走り、西から江戸に向かう者たちの姿が目立ってきた。けれどもニュースは噂以上のものではなく、とんでもなく粉飾されている。
      物語はこの「黒船の噂」が少しずつ正体をあらわすにつれ、すばらしい変化を見せていく。

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      とうそん夜明け前 54 W500H214

      半蔵は32歳で父の跡を継いだ。
      すでに村民の痛ましい日々を目のあたりにし、盗木で追われる下民の姿などにふれて、ひそかな改革の志を抱いていた半蔵は「世直し」の理想をかすかながらも持ちはじめていく。
      だが、そんな改革の意識よりもはるかに早く、時代は江戸を震源地として激変していった。このあたりの事情について、藤村はまことにうまく描写する。
      安政の大獄、文久の変、桜田門外の変などを馬籠にいる者が伝え聞く不安のままに、そこで憶測をまじえて国難を案ずる半蔵の心境のままに、描写する。
      たとえば木曽寄せの人足730人と伊那の助郷1700人が動いて馬籠を通って江戸表に動くといった木曽路の変化をとらえ、また、会所の定使いや牛方衆の口ぶりやかれらのちょっとした右往左往を通して、その背後の巨大な変貌を描いていく。
      こうして山深い街道に時代の変質がのしかかってくると、半蔵はふと古代への回帰を思い、王政の古(いにしえ)の再現を追慕するようになる。
      そんなとき、京都にも江戸にも大騒動がもちあがった。
      皇女和宮が降嫁して、徳川将軍が幕政を奉還するという噂である。半蔵もさすがに落ち着かなくなってくる。しかも和宮は当初の東海道下りではなく、木曽路を下る模様替えとなったため、馬籠はてんやわんやの用意に追われた。
      村民たちは和宮の降嫁道中に沸き立った。加えて、三河や尾張あたりから聞こえてくる「ええじゃないか」の声は、半蔵のいる街道にも騒然と伝わってきた。半蔵は体中に新しい息吹がみなぎっていくのを実感する。
      ここから、ここからというのは第1部の「下」の第9章くらいからということだが、藤村は日本の夜明けを担おうとした人々を、半蔵に届いた動向の範囲で詳細に綴っていく。
      たとえば長州征伐、たとえば岩倉具視の動き、たとえば大西郷の噂、たとえば池田屋の事件。なかで藤村は、半蔵が真木和泉の死や水戸浪士の動きを見ている目が深くなっていくことをやや克明に描写する。これは読みごたえがある。さすがに国学の解釈にもとづく描写になっている。そして半蔵が「思いがけない声」を京都の同門の士から聞いたことを、伝える。「王政の古に復することは建武中興の昔に帰ることであってはならない。神武の創業にまで帰って行くことであらねばならない」と。
      そして藤村はいそいで書き加えた。
      「その声こそ彼が聞こうとして待ち侘びていたものだ。多くの国学者が夢みる古代復帰の夢がこんな風にして実現される日の近づいたばかりでなく、あの本居宣長が書き遺したものにも暗示してある武家時代以前にまでこの復古を求める大勢が押し移りつつあるということは、おそらく討幕の急先鋒をもって任ずる長州の志士達ですら意外とするところであろうと彼には思われた」と。
      かくて「御一新」である。半蔵はこれこそは「草叢の中」から生じた万民の心のなせるわざだろうと感じ、王政復古の夜明けを「一切は神の心であろうでござる」と得心する。
      半蔵が日々の多事に忙殺されながらも国学の真髄に学び、ひそかに思いえがいてきたこの国の姿は、やはり正しかったのだ。
      けれども、世の中に広まっていった「御一新」の現実はそういうものではなかった。半蔵が得心した方向とはことごとく異なった方向へ歩みはじめてしまっていた。それはたんなる西洋化に見えた。半蔵は呆然とする。ここから『夜明け前』のほんとうの思索が深まっていく。

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      とうそん夜明け前 55 W500H253

      木曽福島の関所が廃止され、尾州藩が版籍奉還をした。
      いっさいの封建的なものは雪崩を打つように崩れていった。
      本陣もなくなった。大前・小前による家筋の区別もなくなった。村役人すら廃止された。享保このかた庄屋には玄米5石があてがわれていたが、それも明治5年には打ち切られた。
      それらの変化はまさに半蔵が改革したかったことと同じであるはずだった。しかし、どうも事態はそのようには見えない。そんなおり、父が死ぬ。
      いちばん半蔵がこたえたのは、村人たちが「御一新」による改革をよろこんでいないことだった。その理由が半蔵には分析しきれない。なぜ、日本が王政復古の方向に変わったのに、村が変わっていくことは受け入れられないことなのか。もしかして、古の日本の姿は、この村人たちが愛してきた暮らしや定めの中にあったのか。半蔵の煩悶は、まさに藤村の疑問であり、藤村の友でもあった柳田国男の疑問でもあった。

         やなぎだ柳田国男 1

      もっと答えにくい難問も待っていた。
      平田派の門人たちは「御一新」にたいした活動をしなかったばかりか、維新後の社会においてもまったく国づくりにも寄与できなかったということである。半蔵がはぐくんできた国学思想は、結局、日本の新たな改変にかかわっていないようなのだ。
      それでも半蔵は村民のために“新しい村”をつくろうとした。努力もした。
      しかし、その成果は次々にむなしいものに終わっていく。山林を村民のために使いやすいようにしようとした試みは、山林事件として責任を問われ、戸長免職にまで追いこまれた。半蔵は自信を失った。そこへもってきて、挙式を前に娘のお粂があろうことに自殺騒ぎをおこした。いよいよ日本の村における近代ならではの悲劇が始まったのである。
      それは青山半蔵だけにおこった悲劇ではなく、青山家の全体の悲劇を迎えるかどうかという瀬戸際の悲劇でもあった。そして、その悲劇を「家」の単位でくいとめないかぎりは、馬籠という共同体そのものが、木曽路というインフラストラクチャーそのものが瓦解する。
      民心は半蔵から離れていかざるをえなかった。誰も近代化の驀進に逆らうことなど不可能だった。
      半蔵はしだいに自分が犠牲になればそれですむのかもしれないという、最後の幻想を抱くことになる。
      半蔵は「一生の旅の峠」にさしかかって、すべての本拠地とおぼしい東京に行くことを決意する。そこで一から考え直し、行動をおこしてみるつもりだったのだ。43歳のときである。
      縁あって教部省に奉職するのだが、ところがそこでも、かつて国の教部活動に尽くしたはずの平田国学の成果はまったく無視されていた。維新直後の神祇局では、平田鉄胤をはじめ、樹下茂国、六人部雅楽(うた)、福羽美静らの平田国学者が文教にも神社行政にも貢献し、その周囲の平田延胤・権田直助・丸山作楽・矢野玄道らが明治の御政道のために尽力したばかりのはずである。
      それがいまやまったく反故にされている。祭政一致など、神仏分離など、ウソだったのである。半蔵はつぶやく、「これでも復古といえるのか!」。
      この教部省奉職において半蔵が無残にも押し付けられた価値観こそは、いよいよ『夜明け前』が全編の体重をかけて王政復古の「歴史の本質」を問うものになっていく。が、半蔵その人は、この問いに堪えられない。そしてついに、とんでもないことをする。
      半蔵は和歌一首を扇子にしたためて、明治大帝の行幸の列に投げ入れたのだ。悶々として詠んだ歌はこのようなものだった。「蟹の穴ふせぎとめずは高堤やがてくゆべき時なからめや」。このときの半蔵の心を藤村は次のように綴る。
      その時、彼は実に強い衝動に駆られた。
      手にした粗末な扇子でも、それを献じたいと思うほどの止むに止まれない熱い情が一時に胸にさし迫った。彼は近づいて来る第一の御馬車を御先乗(おさきのり)と心得、前後を顧みるいともまなく群衆の中から進み出て、その御馬車の中に扇子を投進した。
      そして急ぎ引きさがって、額を大地につけ、袴のままにそこにひざまずいた。
      「訴人だ、訴人だ」
      その声は混雑する多勢の中から起こる。何か不敬漢でもあらわれたかのように、互に呼びかわすものがある。その時半蔵は逸早く駆け寄る巡査の一人に堅く腕をつかまれていた。大衆は争って殆ど圧倒するように彼の方へ押し寄せて来た。
      結局、青山半蔵が半生をかけて築き上げた思想は、たった1分程度の、この惨めな行動に結実しただけだった。
      それは難波大助から村中孝平におよぶ青年たちの行動のプロトタイプを、好むと好まざるとにかかわらず先取りしていた。「日本の歴史」を問おうとした者は、藤村が鋭く予告したように、こうして散っていっただけなのである。
      これですべてが終わった。木曽路に戻った半蔵は飛騨山中の水無神社の宮司として「斎の道」(いつきのみち)に鎮んでいくことを選ぶ。
      その4年後、やっと馬籠に戻った半蔵は、なんとか気をとりなおし、村の子弟の教育にあたろうとする。自分の息子も東京に遊学させることにする。この東京に遊学させられた息子こそ、島崎藤村その人である(このとき以来、藤村は父の世界からも、馬籠からも離れていき、そして『夜明け前』を書くにいたって接近していったのだが、おそらくはいっときも馬篭の父の悲劇を忘れなかったにちがいない)。
      しかし、馬籠の現実に生きている人々はこのような半蔵をまたしてもよろこばない。
      半蔵は酒を制限され、隠居を迫られる。そうしたある日、半蔵がついに狂うのである。明治19年の春の彼岸がすぎたころの夜、半蔵はふらふらと寺に行き、火をつけた。狂ったのだろうか。藤村はこの最も劇的な場面で、よけいな言葉を費やさない。
      半蔵の放火は仏教への放火だった。我慢に我慢を重ね、仏教に背こうとした放火であった。仏に反逆したのではない。神を崇拝するためでもない。神仏分離すらまっとうできなかった「御一新」の体たらくが我慢できなかったのだった。

      炎の動き

      こうして半蔵は長男に縄で縛られ、息子たちや村人が用意した座敷牢に入れられる。幽閉の日々である。わずかに古歌をしたためるひとときがあったものの、そのまま半蔵は死んでいく。まだ56歳だった。すなわち、藤村がこの作品を書いた歳である。こうして物語は閉じられる。時代は「夜明け前」にすぎなかったのである。
      青山半蔵は島崎正樹である。
      むろん多少の潤色があるものの、ほぼ実像に近い。
      藤村がそのような父の生涯を描くにあたって、かなり綿密に資料にあたっていたことはよく知られている。馬籠に遺る村民たちの記録や文書もそうとう正確に再現された。しかし、それだけならこれは鴎外が『阿部一族』や『渋江抽斎』を仕立てた手法とあまり変わらない。
      けれども藤村は父の生涯を描きながらも、もっと深い日本の挫折の歴史を凝視した。そして父の挫折をフィルターにして、王政復古を夢みた群像の挫折を、さらには藤村自身の魂の挫折を塗りこめた。
      なぜ、藤村はこの問題を直視する気になったのか。
      藤村はしばしば「親ゆづりの憂鬱」という言葉をつかっている。血のことを言っている。自分の父親が「慨世憂国の士をもって発狂の人となす。豈悲しからずや」と言って死んでいったのだ。これが藤村にのしかからないわけがない。
      それでも『若菜集』や『千曲川のスケッチ』を書くころまでは、父が抱えた巨大な挫折を抱えるにはいたっていないはずである。父が死んだのは藤村が15歳のときで、その後もしばらくは父親がどんな人生を送ったのか、まったく知らないままだった。

                とうそん夜明け前 56 記念館展示品

      藤村が父の勧めで長兄に連れられ、次兄とともに9歳で上京したのは明治14年のことである。
      泰明小学校に入り、三田英学校から共立学校(いまの開成中学)に移って木村熊二に学んだ。ついで明治学院に進んで、木村から洗礼をうけた。19歳、巌本善治の「女学雑誌」に翻訳などを載せ、20歳のときに植村正久の麹町一番町教会に移った。
      ここまではまだキリスト教にめざめた青年である。明治女学校で教鞭をとったとき、教え子の佐藤輔子と恋愛したことに自責の念を感じているのがキリスト者らしい。
      ただし、この時期の日本のキリスト教は内村鑑三がそうであったように、海老名弾正がそうであったように、多分に日本的な色彩の濃いもので、のちに新渡戸稲造がキリスト教と武士道を結びつけたように、どこか神道の精神性と近かった。
      このことは、青山半蔵が水無神社の宮司になって、それまでの日本の神仏混交にインド的なるものや密教的なるものが入りこんでいることに不満を洩らすこととも関連して、藤村自身が青年キリスト者であった体験を、その後少しずつ転換させ、父が傾倒した平田国学の無力を語っていくときの背景になっているとおもわれる。
      つづいて透谷の自殺に出会ってから、藤村は少しずつ変わる。
      キリスト者であることに小さな責任も感じはじめる。
      けれどもロマンティックではあれ、まだまだ藤村は情熱に満ちている。仙台の東北学院に単身赴任し、上田敏・田山花袋・柳田国男らを知り、『若菜集』を発表、27歳のときに木村熊二の小諸義塾に赴任したときも『千曲川のスケッチ』を綴って、その抒情に自信をもっていた。
      それが30歳をすぎて『破戒』を構想し、それを自費出版したのちに二人の娘をつづけて失ってからは、しだいに漂泊と韜晦の二つに惹かれていったかに見える。36歳のときの『春』や、そのあとの芭蕉の遍歴に自身の心を託した『桜の実の熟する時』の岸本捨吉の日々は、そのあらわれである。
      こうして、藤村は自分の生きざまを通して、しだいに父親の対照的な人生や思想を考えるようになっていく。島崎正樹すなわち青山半蔵は、藤村とちがって断固として馬籠にとどまり、日本の古代の英知を透視して、そして傷ついていった人だった。青年藤村には歴史がなかったが、父には歴史との真剣な格闘があった。
      もともと自分を見つめることから始まった作家である藤村は、しだいにこの父の姿の奥に自分が見るべき歴史を輸血する。それが藤村のいう「親ゆづりの憂鬱」をもって自己を「歴史の本質」に投入させるという作業になっていった。
      しかし、たんに歴史と文学を重ねるというだけなら、それこそ露伴や鴎外のほうが多様であったし、小説的だった。藤村が描いた歴史は、あくまで“父の時代”の歴史であり、その奥に父が抱いた王政復古の変転の歴史というものだった。
      このことを藤村ほど真剣に、かつ深刻に、かつ自分の血を通して考えた作家は稀有である。それは、日本の近代に「過誤」があったのではないかという苦渋をともなっている。藤村の指摘はそこにある。そして、そのことをこそ物語に塗りこめた。
      では、過誤ではない歴史とは何なのか。過誤を避ければ苦渋がないかといえば、そんなことはもはや日本の歴史にはおこりそうもなく、たとえば三島由紀夫の自決のようなかたちでしかあらわれないものかもしれないのだが、それでも藤村は結果的ではあるけれど、唯一、『夜明け前』をもってその過誤を問うたのだった。答えがあるわけではない。むしろ青山半蔵の挫折が答えであった。
      いやいや、『夜明け前』には答えがある、という見解もある。
      このことをいちはやく指摘したのは保田與重郎であった。
      いまは『戴冠詩人の御一人者』(昭和13年)に収録されている「明治の精神」には、次のような意見が述べられている。「鉄幹も子規も漱石も、何かに欠けてゐた。ただ透谷の友藤村が、一人きりで西洋に対抗しうる国民文学の完成を努めたのである」と。
      実はこの一文には、篠田一士も気がついていた。篠田はこの保田の一文に気をとられ、自分の評価の言葉を失ったとさえいえる。しかし、さすがに『夜明け前』を国民文学の最高傑作だというふうには言うべきではないだろう。そこは徳富蘇峰とはちがっている。
      国民文学ではないとして、もうひとつ保田の意見のやりすぎがある。それは藤村が西洋に対抗したわけではないということだ。
      小生が見るに、藤村にはラファエロ前派もあるし、ギリシア文学もある。藤村がフランスに行ったとき、リモージュで思いに耽るのは、そうしたヨーロッパの浄化の力というものだった。ただ、藤村は晩年になるにしたがって、それらのヨーロッパを日本の古代的なるものや神道的なるものと直結させるようになっていった。突拍子もないことではない。白井晟一などもそうやった。
      そういうわけだから、『夜明け前』を国民文学とか西洋との対決とはいえないのだが、それでもこの作品は日本の近代文学史上の唯一の実験を果たした作品だったのである。われわれは半蔵の挫折を通して、日本の意味を知る。もう一度くりかえてしておくが、その「実験」とは、いまなお日本人が避けつづけている明治維新の意味を問うというものだった。
      小生は20世紀を大きな不満をもって終えようとしていた。昭和の終焉から、とくに日本の20世紀について、誰も何にも議論しないですまそうとしていることに、ひどく疑問をもっていた。われわれこそ、真の「夜明け前」にいるのではないか、そんな怒りのようなものさえこみあげたのだ。
      そうした世紀越えから、すでに十数年、未だ空洞である。
      島崎藤村はこの空洞の入口を描いた。それが『夜明け前』という空前の大作である。


                                  


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       木曽路


                        読了記  第13話に続く・・・連載

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ひとひらの書 第11話 『夜明け前』 上

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      A 7 gif   第11話・・・『 夜明け前    

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      A 15 gif ひとひらの書 第5 夜明け前 藤村




      まず初めに一筆啓上して告白しておきたいことがある。
      夕方になると近所の特老施設から島崎藤村の「椰子の実」の曲が毎日流れてくる。
      枝はなお影をやなせる、と、かれこれ20年は聴かされている。
      だが小生は、藤村の不倫について今日まで一度も非難してこなかった。
      その実をとりて胸にあつれば、新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)であるはずなのであるが、それはそれ、矛盾のこれは今更、どうしようもない告白である。しかし、小説家、特に私小説作家は「無頼」「放縦」を気取っていたから堅気じゃない、とるに足らず、非難していたらキリがないということではない。
      未だ非難するに足りる根拠が小生の裡に不足していた。
      時が経過するほど、その埋められぬ穴が、より空洞化することを強く感じる。
      小説『夜明け前』とは、小生にとってそのような世にも不思議な大作なのだ。

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      そうまず告白しておいて、小生は幾度この夜明け前を読んできたであろうか。
      すでに少なくとも30回ほど眼に触れてきた。すべて読了とまではいかないが、この大作には、その必要を駆られた。必要というより、むしろ需要を見出した。それは人生の糧としての需要である。
      転ばぬ先の杖のような薄暗い需要なのだ。
      適齢に応じた小生のニーズをこの書籍は供給してくれたことになる。
      そして最近、また読んでみた。しかし穴はやはり空洞のまま埋められぬ。
      そこでまた南信州の馬籠(まごめ)まで足を運ぶ需要の発生となる。
      空洞は迷宮入りのように手招きで小生を呼び出してくる。
      今朝もまたそうであった。テレビニュースで我が国の総理がにこやかに横顔を顕わしていた。話題は対米関係であり、安保に絡むいつもの尾ひれ時事である。どうにも日本は、黒船以来、アメリカとの通商にて積み残しが多い。幕末のトラウマからの解放が満たされてない。

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      時を経ると、装丁が新たに施されリフレッシュされた気分もあるが、どうも小生がこの一冊に手を伸ばすときは、時代の閉塞感を感じたときのようだ。
      そして大雑把に小見出を付けると、この大作はやはり次のようになる。

      時代への期待と失望 自然も大切な主人公

      小説『夜明け前』は、明治維新前夜の出来事を、武張った政治の出来事としてではなく、庶民の生活を主として描いた作品として、この作品は小生に強い印象を与えた。
      数多くの維新小説が、剣劇、陰謀、戊辰戦争という具合に描かれているのに対し、『夜明け前』は、青山半蔵という国学者で街道宿場の主人を中心にして、時代の変化を庶民の視点から小説化している。
      一見起伏のとぼしい淡々とした小説でありながら、この小説が読者を飽かせずに、引っ張っていく力を持っているのは、半蔵の個人的な悩みが、時代への期待と失望という、引き裂かれた状況になり、ついに彼が発狂するという結末に追い込まれていくところが、迫力をもって描き出されているからである。
      小生自身は、昭和の戦争と戦後の平和の時代を考えるときに、この『夜明け前』を心して読み、その小説作法の妙に教えられ、そして厳しく励まされた。
      小説のおもな舞台は、木曽路の入り口である馬籠宿である。
      街道を往来する人々は、さまざまな情報をもたらしてくれ、半蔵も新時代の到来を知ることができる。しかし、この小説は、半蔵という個人を中心にして成り立っているだけではない。彼は作品の主人公の一人にすぎないので、こういう個人を超えた民衆や学者や山の民の心が生き生きと伝わってくるところに作品の独創性がある。ここにまず感心する。
      小生がもう一つ感心するのは山道を往来する人々の見る四季おりおりの美しい自然の様子が小説に興趣をそえていることである。
      日本人が故郷として懐かしむ風土が生き生きと描かれている。人間だけを主題としている欧米の小説とは違って、ここでは自然もまた人間と密接不可分な関係を持った大切な主人公として堂々と自分を主張している。
      先端的な都会の風俗を描く現代小説とは、まったく違う小説の味わいがそこにあって、大いに読者を楽しませてくれる。こういう小説が書かれたのは、島崎藤村が故郷の風土を微細に描くだけの観察の蓄積を持っていたためだと小生は思う。彼は環境小説の大祖なのである。

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      とうそん夜明け前 資料2 W500H375

      とりあえず四部作を要約する。

      第一部の(上)・・・・・・山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念願の平田篤胤没後の門人となる。黒船来襲以来門人として政治運動への参加を願う心と旧家の仕事にはさまれ悩む半蔵の目前で歴史は移りかわっていく。著者が父をモデルに明治維新に生きた一典型を描くとともに自己を凝視した大作。

      第一部の(下)・・・・・・参勤交代制度の廃止以後木曽路の通行はあわただしくなり、半蔵の仕事も忙しさを増す。時代は激しく変化し、鎖国のとかれる日も近づく。一方、幕府の威信をかけた長州征伐は失敗し、徳川慶喜は、薩長芸三藩の同盟が成立していよいよ討幕という時に大政を奉還した。王政復古が成り立つことを聞いた半蔵は、遠い古代への復帰に向う建て直しの日がやって来たことを思い心が躍るのだった。

      第二部の(上)・・・・・・鳥羽伏見の戦いが行われ、遂に徳川慶喜征討令が出される。東征軍のうち東山道軍は木曽路を進み、半蔵は一庄屋としてできる限りの手助けをしようとするが、期待した村民の反応は冷やかなものだった。官軍と旧幕府派の激しい戦いの末、官軍方が勝利をおさめ、江戸は東京と改められて都が移された。あらゆる物が新しく造り替えられる中で、半蔵は新政府や村民の為に奔走するのだった。

      第二部の(下)・・・・・・新政府は半蔵が夢見ていたものではなかった。戸長を免職され、神に仕えたいと飛騨の神社の宮司になるが、ここでも溢れる情熱は報われない。木曽に帰り、隠居した彼は仕事もなく、村の子供の教育に熱中する。しかし、夢を失い、失望した彼はしだいに幻覚を見るようになり、遂には座敷牢に監禁されてしまうのだった。小説の完成に7年の歳月を要した藤村最後の長編である。

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      とうそん夜明け前 21 四冊 新潮文庫 W500H200

      だが、この本を初めて手にするには、ふとした切っ掛けが必要であろう。
      小生もそうであった。何度か最初の入口で放棄した。挫折した。
      読みたいと身構えると、だらだらとした難解さがしぶとく顔をのぞかせて、もはや藤村から逃れたくなる。筆の運びが明治時間なのである。六時の鐘の後、次の鐘突きまで筆はゆるやかに流れる。
      現代人は、すでに寺の鐘、柱時計のボンボン音から至極遠のいていた。
      そのことを痛く痛く、痛感して、ついに対応を拒絶する。
                               掛け時計
      まずもって柱時計の指針の刻むテンポでページをめくる時間の確保が肝要だ。
      読み通すには、藤村と歩測を等しくするある種の忍耐を要請される。
      小説から要求されるわけではない。藤村がそう要求する。
      しかし最近、どうもそのことが解消された気分を感じた。
      ふとしたきっかけから、島崎藤村の長編「夜明け前」を、また読み返した。
      そう、この本は、ふとしたきっかけが大切なのである。
      新しい装丁本は、2部構成で、文庫本は上下に分かれるので4冊になる長編、本来はしんどい話だが、今読み始めたら、巧みな設定と緻密な時代考証に基づいた重厚な展開に引き込まれ、飽きずに読み続けることができるだろう。2000年以降、暗い夜明け前の木曽路が装丁の色で明るくされた。
      先を急ぐ若い時分だったら研究目的でもなければ、興味深く読めなかったと思うが、ゆっくり展開する厚みのあるストーリーを楽しめるような年齢になったので、改めてけっこう楽しんだ。昨今の書籍離れに、出版社も懸命なのである。より絵画的で、非常に手に取りやすくなった。

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      イラスト・金子真理(岩波書店 二部作より)
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      第一部の上巻は、嘉永6年(1853年)6月頃から話が始まる。いわゆるペリー浦賀来航の年、長年続いた江戸幕府が、欧米の圧力を受けて徐々に崩壊の時を刻み始める年。誰が読んでも、作者が描こうとしているのは幕末の変革の時代だと言うことはすぐ分かるが、やはり舞台装置が素晴らしい。
      舞台は、京都でも江戸でもなく動乱の中心から遠く離れた木曾街道の馬籠の宿場周辺、以前からのこの国の住民の生活が営まれている一地方社会だ。
      江戸や京都に発生する変革の波紋が、イデオロギー的なまたは事件性を帯びた政変劇の外皮を落して、生活への間接的影響に形を変えて、響いてくる。
      藤村は、歴史の変動を、上っ面ではなく、国民すべてを巻き込む底辺の流れとして捕らえようとして、木曾街道馬籠を舞台として選んだに違いない。舞台が的確であった。
      しかも、狂言まわしの役者として動き回る主人公(かなりの部分は作者の父親像)である青山半蔵父子の設定がこれまた素晴らしい。地域社会がこうむる影響を通して歴史を描く設定にもかかわらず、主人公青山半蔵は、国学のイデオロギーに生きようとしている目覚めた地方人。
      江戸と京都の動向を常に情報収集し、いつも気にかけている人物である。
      しかし、父の家業を継承し、家を離れることのできない立場にあり、焦燥に身を焦がす矛盾した葛藤にあえいでいる。目覚めた生活者を通さなければ見えてこないこの歴史的真実は重い。
      生活から切り離された新撰組も勤皇の志士も、歴史の泡であって、底流にはいない。しかし底辺にいても物言わぬ民衆では歴史のドラマにはならない。青山半蔵は素晴らしい歴史装置となった。
      これらの2点からだけでも、歴史小説の設定としては、文句なく優れている。しかも取材が綿密で、記述に冷静な情熱とでも呼びたくなるある種の落ち着きがあり、ゆったりと読ませてくれる。
      第一部の下巻を読んでいるところから、倒幕に向けて時代はますます熱気を帯び、起伏が大きくなっていることを強く感じとれる。近代のこの国の始まりは、そもそもが江戸幕府の崩壊と明治維新にあるわけだから、この物語はもしかするとこの国の近代の始まりについて、何か言いたいことがあるのかもしれない。そんな気分にさせられるのであるが、そこが藤村の意図であり、この小説の大糸となる。

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                 とうそん夜明け前 22 冒頭ペン書き W300H438

      そうは言っても多分に手強い書籍なのだ。
      少し小生の若かりしころの奮闘を語る。
      高校生のときに島崎藤村「夜明け前」を読もうとするも、読了に挑戦するのは大学時代の三度目のことであった。しかし、これも一種古典クラッシックなのか、向こうから手助けしてはくれない。こっちの努力だけで登ってこい、と構えているところがある。よほどのマニアでないと、この本はもう読まれないだろう。そんな落胆を何度か体験した。
      例えば「徳川家康」(山岡荘八)のような長編、あれは数十巻もあるが、次々に読みたいと思って、するすると読めたが、「夜明け前」は地名も人物名も知名度が低いものばかり、出来事も、歴史上の有名なものはない。淡淡と山深い田舎の出来事を書かれても、興味を引かないだろう。まずそこを粘り強く克服する必要がある。
      名高い文豪であるから、敬意を表して征服しようと試みるのだが、あまり面白みがわかない。と、言ってしまうと、実も蓋もないが、いまどき風の面白くしようという観点がない。これからは、読んで頂く読者あっての、文学だから、音楽でもそうだが、読みやすくする工夫が必要だ。ついそんな面倒なことすら呟くのである。
      貴種流離譚(折口信夫の説)「高貴な生まれの、弱く、力ない人間が、遠い地をさすらう苦悩を経験する」この貴種が、読者は好きで好むというわけだ。その貴人がご苦労して、栄誉ある地位に上り詰めると、庶民読者は拍手喝采してくれる。こう文学界では説明する。この説からいくところ、木曾の山奥では、「貴種」のストーリーから程遠い。この遠ざかりが藤村なのである。
      読み手と藤村の距離が重要で、斜(はす)に構えてその醍醐味は抱けない。
      彼は中津川の宮川寛斉に就いた弟子であった。
      寛斉は平田派の国学者である。この彼が日頃先輩から教えられることは、暗い中世の否定であった。中世以来学問道徳の権威としてこの国の臨んできた漢学び風の因習からも、仏の道で教える物の見方からも離れよということであった。それらのものの、それらの影響を受けない古代の人の心に立ち帰って、もう一度心寛(ゆたか)にこの世を見直せということであった。

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               明治学院時代の藤村と学友。前列左が藤村(明治21年)所蔵:明治学院歴史資料館

      藤村の文章は長く、これで一段落の半分。書いてある中身は国学の先生中津川の宮川寛斉の説明。そもそもと始めると、つい面倒な文章になる。ストーリーなら読みやすいのに、と思いつつ先に進む。木曽路、長野県、岐阜県の地味な気質が影響しているのか。鄙びた山村の夜明け前である。
      一代の先駆、荷田春満(かだのあずままろ)はじめ、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)、これらの諸大人が受け継ぎ受け継ぎしてきた一大反抗の精神はそこから生まれて来ているということであった。
      彼に言わせると「物まなびするともがら」の道は遠い。もしその道を追い求めて行くとしたら、彼が今待ち受けている人に、その人の信仰に、行く行く反対を見出すかも知れなかった。
      内容はそれなりに意味のある内容だし、普遍性はあるから、ここはまだいい。小説の手法としては、思想を文章で盛り込んでしまったら、文章がギクシャクしてしまう。まだ、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤は、一般性があるから通じるが、読者と作者との暗黙の共通理解の上、登場人物名は出てくるといいが、ローカルの人物に名前を振られても、困る。夜明け前は、そんなところがある。
      小説上では、中津川の問屋の角十=丸八だとか、蜂谷香蔵=間半兵衛(秀矩)と名前を変えているが、これは藤村の地元への配慮である。
      蜂谷香蔵=間半兵衛は、夜明け前の主人公半蔵の学友であり、後の中津川市長の間孔太郎の数代前の祖父である。現実の話とからむと、国学者として、政治の理想と商家としての投機利を求める矛盾はあまり表に出したくない。友人だった半蔵の子孫島崎藤村は、あまり迂闊なことは「夜明け前」に書くわけにいかない。その点の内情を覗くことも、藤村文学の世界である。文脈の陰に木曽の密かな暗がりがある。
      有名な冒頭に「木曽路はすべて山の中である。あるところは杣(そま)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」という。この木曽路が、もし小生の血筋だと思うと、こんな貧しい地域で祖先は生き延びてきたのかと思い、つい情にほだされ読むことになる。
      中仙道の宿場、木曾の馬篭、妻籠、中津川にも、明治維新の風を感ずるような話も伝わって来るし、影響もうけている。天狗党の一行が戦いに半ば敗れ、木曽路から中津川へ進行していく。実際の生活では、物価変動が激しく、特に純度の高い小判などが、1両を2割まし、高いときは3割増しで両替商が買い集めて、外国商社の手先に売るという話もある。そういう意味では、「夜明け前」のジャパンが目の前に展開する小説であるといえる。
      その当時の常識を身につけて読まないと、江戸時代末期の様子がわからない。読んでも理解できない面がある。1冊を半分過ぎて、後半になって、おぼろげながら、人物関係が理解できて、話の構図がわかる。そうすると、早く読めるようになる。この坂道を越えると、後は案外さらさらと行く。
      1953年(昭和28年)に「夜明け前」として、新藤兼人脚色、吉村公三郎監督により映画化されている。監督:吉村公三郎 脚本:新藤兼人 撮影:宮島義勇 美術:丸茂孝 音楽:伊福部昭。 出演:滝沢修、小夜福子、宇野重吉、細川ちか子、乙羽信子、山内明、伊達信、日高澄子などのキャストであった。すでに60年前の映画化作品であるが、なかなか文学的に仕上げられた。

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      視覚の広がりに映画という装置は藤村の文学をよりリアルティーにする。
      島崎藤村の「夜明け前」の舞台は、中仙道の木曽十一宿ひとつ馬籠宿であるが、舞台を描く小道具にこそ藤村の痕跡が秘められいる。藤村は時代の現実と実態を描いた。
      そこに自然主義の筆痕がある。
      その馬籠の本陣・問屋・庄屋を受け持つのが旧家の島崎家。ここを大名、旗本、幕府役人をはじめ多くの旅の人が宿泊しあるいは昼など小休止したりした。
      小説の楽しみはストーリーの展開にあるが、舞台背景には様々な小道具が描かれる。本説とは別の、あるいは一つの楽しみ方としては、夜明け前の場合でも、とにかくいろいろな食べ物が登場するし、気をそそられる小道具を見出しては試みることが可能であることだ。
      藤村は自然主義の作法で舞台の端々を描きだした。
      江戸後期から明治中期あたりまで、山の中、木曽路あたりではどのようなものが食されていたか、またこれも興味深いところである。
      そこらのところは、後半の(下)にて・・・・・・・・・・。

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       馬籠宿
                        読了記  第12話に続く・・・連載

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                      ひとひらの書 8 H78
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プロフィール

三馬漱太郎

Author:三馬漱太郎
Welcome to Ron「漱」World
Sotarou Miuma
立体言語学博士
Social Language Academy Adviser
応用社会言語科学研究員

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