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京都風土記『花そとば』 第39話

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   Web小説    はなそとば 文字 正

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   39

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      十  宙の雉子 (いえのきじ)   



 足音もなく雨情が帰ったのは正午前である。
 そうして帰えられて見ると、蓄音機の傍らにさりげなく白い封筒が一つ空の花瓶に立てられていた。侘しい手紙の花挿しである。その手紙は離縁した二番目の元妻、章子が牧野律太に宛てた手紙であった。

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 白秋の代読として・・・・その章子からの書簡を読もう。

 (封筒表)
 美濃国恵那郡長島町字永田
        牧野律太様
 (裏)
 相州小田原木兔の家町
       北原章子
       九月二十六日

 封筒消印小田原局受付8・9・27
 岐阜・大井局着消印8・9・28

 小田原木兔の家町という地名はない。
 白秋が傳肇寺内に建てた書斎の名前が「木兔の家」で、妻の章子が自分勝手にそう書いて差出したものである。
 本文を読むと、白秋と章子が結婚した大正5年頃から傳肇寺へ転がり込むあたりの様子が書かれている。

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 夫はその頃麻布の裏通りのゴチャゴチャした二軒長屋の一棟に、年とつた両親の外に、三人の弟妹と一緒に、貧しいどん底の生活をしてゐました。
 その壁一重越の隣は、怪しい肖像画師の看板をかけてゐましたが、後になってそれは恐ろしい、強盗の親分の隠れ家であつたと云ふ事がわかりました。それが三年の間何も知らずにゐたのですからをかしいと思ひます。
 夫の着物は其頃もうほんたうに、一枚もありませんでしたさうです。で、よく父親の、目くら縞の着物を着ては、二階の書斎につまらなささうに、坐つてゐるのでた。
 幸に父の着物は丈(たけ)も行(ゆき)も合ひましたが、それがどんなにか寂しかつた事でありませう。雀はその頃からの永いお友達でありました。
 私達の葛飾の生活も実にみじめでした。そのカサカサの米櫃の中から、一握りの米を持ち出すのが、夫には何よりのつらい事のやうに見えました。
 それは庭先に遊びに来る、雀達に食べさせる為めでしたから。そんな時夫は私をかへり見て云ひました。
『ほんたうに済まない。あんたにもこれだけの苦労をさせてゐながら、やつぱり雀にもたべさせなければ可愛さうだから』
 もうさう云はれて見ると私は何とも彼とも云へないほど、胸がつまつて来ました。さうした悲しい、一握りの米をも、雀の群れは喜んで毎日食べに来るのでした。

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 私もそれを見て決して、小憎らしいとは思へませんでした。ある時夫に、こんな事も云つた事がありました。(それはもう慰める言葉もなくなつたからでしたが)
『若しもあなたが立ち行く事も出来ず、もう餓死(うえじに)するばかりだと云ふ場合が来ましたら、この雀達が一粒づつでもお米をくはへて来て、きつとあなたをお助けすると思ひますわ』と、夫も笑ひ顔になつて『馬鹿らしい事を考へ出すもんだねえ』と云つて又寂しげに笑つたりしました。
 その頃すでに『雀の生活』の一部は書きかけられてゐました。さうして、葛飾の一年は過ぎました。
 その後東京に帰りましたものの、今さら救はれやうもない私達の生活はいよいよ苦るしくなるばかりで、夫は、落ちついて創作する事さへ出来ませんでした。それに無理を為過した為めか、私までまた、病気になつてしまひました。それは『このまゝ東京に留る事は、このまゝ死ぬる事です』とさへ主治医に言はれた位でした。
 さうしたさしせまつた運命の下に、昨年の春たうとう、小田原の『お花畑』に移りました。
 夫はその秋から雀の続稿を書きかけましたが、朝夕の寒さに、冬着一枚の持ち合せさへなかつたので、どう思つても明るい別荘地にゐられなくなりました。
 それこれの事情で遂には、逃げるやうにして、この山の荒寺にコソコソと、引越してまゐりました。幸にもここでは私たちの破れ着物も何の不調和も感じないのみか、貧しい者同志の互の憐愍から、寺の家族とも、却つて深い親しみを持ち合ふ事が出来ました。

 末に・・・北原章子
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 転居には後ろ暗い何かがつきまとっている場合が多い。白秋は転居癖があったとされているのでその通りだろう。人は誰でも真底をさらけ出すことなどない。
 章子は傳肇寺への転居について「それこれの事情」としか云わなかった。なにはともあれ大正7年10月には傳肇寺へ引っ越した。大正7年34才の北原白秋は、小笠原の生活を打切り一度東京に戻る。その白秋は大正7年3月、東京から小田原へと移り住んだ。小田原に移った彼は、自然と一体の生活を望んでいて本寺34世云隆和尚を頼り、境内に芭蕉好みの南方的な庵室、みみずくの家を建てる。

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 大正15年、東京に移転するまでこの住居で詩歌、論文、小説等を盛んに発表し文壇に華々しい活躍をした。
 特にこの小田原時代には「あわて床屋」「かやの木山」等の童謡を世に送り有名となったが、これは今日でも多くの人々に愛唱されている。
 北原白秋の生地は九州築後の城下町柳川で、当時これに似た町並みを持つ城下町小田原は深く白秋の心をとらえていた。このためか小田原住居中の文学題材はほとんど附近の風物に印象を得ている。白秋にとって小田原は、第二の故郷と言っても過言ではなかろう。
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 大正11年10月13日・・・・夕方から裏庭の風はしくしくと啼き秋色を深めていた。
 その夜、白秋は章子の手紙を読み終えると、
 何思うことなく醒めては、自身の歌を想った。
           からまつの林の雨は さびしけどいよよしづけし。
           かんこ鳥鳴けるのみなる。からまつの濡るるのみなる。
 「落葉松」の詩の第七節である。

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 章子と離婚した白秋はこの前年、大正10年に佐藤菊子と再婚した。三番目の妻として菊子を迎える。この祝言を終えてから後、信州滞在中(星野温泉)に想を得て『落葉松』を発表した。
 そうして歌集『雀の卵』を成し、翻訳『まざあ・ぐうす』を刊行する。また本年は長男・隆太郎も誕生した。文化学院では講師ともなった。さらには山田耕筰と共に『詩と音楽』を創刊した。
 菊子を迎えた後の大正10、11年とは随分活躍もした。
 そんな北原白秋が・・・・・、
 山田耕筰と著する『詩と音楽』創刊号、大正11年9月)に、
 「この七章は私から云へば、象徴風の実に幽かな自然と自分との心状を歌つたつもりです。これは此のままの香を香とし響を響とし、気品を気品として心から心へ伝ふべきものです。何故かなら、それはからまつの細かな葉をわたる冷々とした風のそよぎ、さながらその自分の心の幽かなそよぎでありますから」と、記し添えていた。
 現在でこそ落葉松の詩は第八節あるが、創刊号に「この七章は」と白秋が書いているのは、この文章が書かれた当時、「落葉松」はまだ全7章(節)なのであった。
 その夜、白秋は自身の歌を「落葉松」を幾たび口にして想ったことか。
     からまつの林の雨は さびしけどいよよしづけし。
     かんこ鳥鳴けるのみなる。からまつの濡るるのみなる。
 幾度なく胸に含ませるが、どうしても腑に落ちなかった。
 しかしこの後年、第八節を加えることにし、「落葉松」の詩の結び節とした。
 その第八節・・・・・、 
                  世の中よ、あはれなりけり。
                  常なけどうれしかりけり。
                  山川に山がはの音、
                  からまつにからまつのかぜ。

 何故・・・白秋がこの第八節を加筆して結ぶことにしたのかは、
 翌朝14日に始まる「牧水」の旅と密接となるのだ。若山牧水は新たな旅に出る。
 今宵の白秋は未だ加筆するとは計り知れない牧水の旅で、その旅立ちすら知らないでいた。牧水が旅に辿る「暮坂峠」越えとは、また牧水も知らない「落葉松」推敲の道でもあった。

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 そうして夜が更けて行くと・・・
 また白秋は詫びしく帰って行った野口雨情のことを改めて想い起こした。
「一銭値上げの・・・電気ブラン・・・か」・・・・
 しだいにその味が舌先に触れてくる。触れてはややしんみりとなった。
 浅草と文学のつながりはひじょうに深く、浅草からは、じつに多くの名作を誕生させている。白秋もかってはその浅草へと足しげく通った。好みで言えば浅草よりかは「新橋」の方だ。だが文学の勢いから言えば「浅草」だ。

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 確かに白秋がそう思うように・・・・、
 たとえば永井荷風は、小説「すみだ川」で下町情緒あふれる隅田川界隈を舞台に、美しくも哀しい人間模様を描き、その後昭和の初めには、川端康成が、浅草の最も華やかな時代を「浅草紅団」「浅草の姉妹」「浅草の九官鳥」など数編の小説に収めている。
 このほか石川啄木、萩原朔太郎、高見順、谷崎潤一郎、坂口安吾、壇一雄…など、数多くの文学者たちが浅草に心惹かれ、何らかのかたちで浅草にその足跡を残すことになる。
 ここには未だ白秋の知り得ない未来の浅草が含まれるが、そのように詩歌や小説のなかに浅草のここかしこが登場するわけである。野口雨情がさりげなく話題に採った神谷バーは、あれは奇遇な暗示なのかも知れない。しだいにそうも思えてくる白秋がいた。
 新聞や小説のなかにふとその名をみつけることは、自身が常々体験していることではないか。おそらく、明治十三年の創業以来、つねに「庶民の社交場」だっただけに、あそこには人々の喜びや悲しみ、つまり庶民の生活そのものがあったのであろう。それを証拠に自身もその味わいに惚れて通った。
 だからその場を題にした歌も生まれ、小説にも描かれるのだ。そう思い改める白秋は、雨情が語った萩原朔太郎の歌をおぼろげにも思い起こした。

         一人にて酒をのみ居れる憐(あは)れなる となりの男になにを思ふらん

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 彼の作品なら第一詩集『月に吠える』が良かった。鷗外もこれを絶賛した。それに比べると、これはさしたる歌とは思えないが、そうして想えばというと、この歌を雨情が推したことがむしろ気がかりだ。専業家からみればそう深い心象を形成する歌ではない。社交的な儀礼歌だ。
 店内のざわめきをよそに一人静かにグラスを傾ける男、さぞや電気ブランが胸深くしみたのであろう。寸評すればそのような歌である。
「しかし何故・・・雨情がこれを・・・!」
 北原白秋は、未解決のまま、白秋らしくもなく、いつしか朦朧となり深い眠りの人となっていた。このころになると白秋の羽角はすっかり衰えていた。雀の声にすらもう羽角が動かない。
 雨田虎彦の眼には、現代の神谷バーがある。
 明治後期に北原白秋が一杯7銭で呑んだ電気ブランが現在260円となった。関東大震災にも耐え遺った大正デモクラシーの賜物と思えばそう気になるほどの値上がりとは思えない。日本の古き良き伸びやかな大正モダンを飲み込めるのであるから・・・・。大正初期に萩原朔太郎が歌を詠んだように、この神谷バーは日本文学と密接であった。

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 昭和35年芥川賞を得た三浦哲郎作「忍ぶ川」、このなかにも神谷バーとデンキブランが登場する。「忍ぶ川」は青春小説として大きな感動を呼び、映画化もされた。
 その「忍ぶ川」で・・・・・
「でもせっかくの休みだから、栃木へいってきた方がよくはないかな」
 栃木には志乃の父、弟妹たちがいるのである。
「ええ。…・でも、せっかくの休みだから、ふだんできないことをしたいんです。やっぱし、浅草へいきたいわ」
「だけど、神谷バーってのはいまでもあるのかな」
「ええ、あると思いますわ。いつか栃木へ帰るとき、ちらっとみたような気がするんですの。映画見て、神谷バーへいって、あたしはブドー酒、あなたは電気ブランで、きょうのあたしの手柄のために乾杯して下さいな」と・・・・・・・いう。
 これは「忍ぶ川」の一場面。主人公と料亭「忍ぶ川」で働く志乃の会話である。
 共に不幸を背負う二人が胸をはずませて初めてのデートをするのであるが、この時もし、志乃の頬がバラ色に染まったのだとしたら、それは単に神谷バーの葡萄酒のせいだけであろうか。電気ブランという明治・大正ロマンを戦後昭和35年の舞台へ引き出してきたからこそ成立する淡いバラ色の恋愛であろう。またこの恋愛の成立には、往時のロマン派文士らの闊達な青春がよみがる。
「白秋にもこの青春はあったはずだが・・・、手紙はその青春の声であるのだが・・・!」
 現在、一杯260円で蘇らせて頂けるわけだ。
 ともかくも酒のことなら・・・、
 牧水に聞くに限る。
「だが・・・、水上紀行と、鉄道記念日、妙に味気ないことではないか・・・!」
 牧水は第一回の鉄道記念日を祝賀する泛かれ気分で沼津駅から東京上野駅へと旅立つ。その旅の産物が歌集「みなかみ」として哀愁が今日に讃美される。虎彦には、そんな人間の落差が可笑しかった。
 白秋は、後に牧水の、この旅の真相を知り、意気消沈となる。
 そして白秋は、かって花畑で見た、静かにその雀の小さな羽ばたきに泪する。



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                             第40話に続く
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   京都 天龍寺 空から。


  
   京都 東寺 空から。




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   きょうと 2はなそとば 2

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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第38話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   38

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      十  宙の雉子 (いえのきじ)   



 一通の古い手紙がある。雨田虎彦はその手紙を何度か読み直してみた。
 方々に黄ばんだ紙魚(しみ)がある。手垢(てあか)はすでに黒ずんでいる。所々にインク字が融けて霞んだ小さな輪の滴りは、この痕は誰かの涙なのであろうか。紙の四方は、折られ、摩り減り、上下に数ヵ所の破れがある。この手紙は随分と酷い旅をしたようだ。やはり雉の声は、泪(なみだ)の泣き声である。
「何かを強く戒めていた。どうしていつもこうなのか・・・」
 悔いても謝っても消えた命は戻ってこない。泪の痕は男のものだろう。そうだとしても白秋の態度は論外だ。これでは体罰で、顔を腫らして学校から帰宅した子供のようではないか。人間の下す天罰、子供でも分かるおざなりに呆れる。虎彦の眼の中で、一番(ひとつがい)になれない小さな宙(いえ)が空回りしていた。
「叩くことは、世にまつろわぬ集落の矯正に用いられる最悪の、簡単な最後の手段である」
 集落の崩壊は古くて新しい問題として、虎彦たちの前に立ち現われている。
 手紙の内容が問題ではない。そう思えて庭を見ると、また雉の影が鳴いた。
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「これは・・・、秋の賦(くばり )だ・・・。重ねられる言葉はある種の同意を誘う・・・」
 10回は読み返したであろう。虎彦はそう思う。少し眼に涙が光った。
 封筒は、本来真っ白であったのであろうが、すでに日晒しに赤茶けている。
 そして封筒の表面の宛書きと裏面の差出人は、
 (封筒表)
 美濃国恵那郡長島町字永田
        牧野律太様
 (裏)
 相州小田原木兔の家町
       北原章子
       九月二十六日・・・・・・・・と、書留ている。
「さて・・・、どうしたものか・・・!。固め直すときではないか・・・」
 この手紙をどう処理すべきかを考えると、虎彦はふと窓ガラスの向こうに遠い眼をした。
 消えない雉の影がいた。
 牧野律太に宛てた北原章子の手紙である。これは江口章子(あやこ)が、小田原兔の家町と記しているから、未だ北原白秋の妻であったころに友人に差し出したものである。

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 雨田虎彦は、この手紙が、なぜ自分の手元にあるのか、そしてこの手紙を或る日、夫の白秋が一度読んだにも関わらず手元に留め遺さなかったのか、その経緯の全てを知っている。
「九月二十六日・・・!」
 またさらに眼を遠くした。その眼を虎彦は大正11年まで遡って眼差している。
 すると自然に東亜同文書院で過ごした時代の自分の姿と、東亜同文書院にまつわる出来事が、窓ガラスから滲み出るかに映っていた。白秋も秋子もこの少し前を歩いていた。しかしそう映り出る意識には、密かに阿部秋子が上がる瓜生山の頂にある小さな祠があり、早春から初夏にかけてその祠の陰に現れて「ほろうち」をする雉の鳴女の姿が虎彦を誘うようにある。さらには、その雉が子育てを終える季節になると、秋子は祠の前で白秋の曼珠沙華を呟き、篠笛を手に祈祷を告げる姿があった。
 何よりもまた、しだいに右に傾いて行く江口章子の首が気になっていた。虎彦の手元に章子の写真が数十枚あるのだが、その顔が加齢するごとに少しずつ右に傾いている。それはミミズクの首のようだ。

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 現在、中国の上海に「徐家匯」という盛り場の一区画街がある。
 その一角に上海交通大学があるが、キャンパスは1901年に日本東亜同文会が創立した東亜同文書院を引き継いだ大学で、江前主席の出身校として有名だ。また中国にはその「交通」と名が付く大学は他にも西安交通大学がある。中国交通銀行という銀行もある。これは元は戦前の交通部(日本の運輸省)の経営になる。英語表記では交通大学はCommunication Univ.となっていて、理系では上海一の大学である。
 虎彦は戦後、この大学に五度訪れた。
 その詳細は、虎彦がゆるゆると語ることになるが、そんな時代背景を流れ過ぎた時間として眼に浮かばせる虎彦は、そこから引き出した一つの覚書きを、今、窓ガラスをスクリーンにして映し出している。

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 ・・・・・・・まもなく夜明け前の白闇となろうか。
「さて・・・・・」
 と、そう勝手に決め込んで、ふらりとやって来ては玄関を叩こうとする男がいた。
 風来坊の目の前に「みみずくの家」はある。
 ミミズクは表札を掲げないから、目印とするものは榧(かや)の巨木なのである。ミミズクにとってこの榧の木が棲家のようなものだ。きっとそうミミズクは思っている。
 榧の実は花の咲いた翌年の秋に紫褐色に熟するのだが、秋の彼岸を過ぎたあたりからこの巨木のその実は赤々となってきた。こうした人間には到底成し得ない規則正しく狂いもなく命の種を何の気負いも見せつけず淡々と循環し続ける榧の木の佇まいをミミズクは好んだ。

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 星降る夜空にはその赤実の揺らぎが金沙・真砂の風のごとく美しい。また晩秋ともなれば散り落ちて転がる此の実が褐色に朽ち果てる侘しい趣きは殊更であろう。
 その古老の巨樹の実の上を、
 みあげると仄かに白き空の高みには下弦の月が細い反りをみせてポツリとあった。

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 密かでそのささやかな貧しい光のせいもあり未だ界隈は深い眠りに包まれていた。普通、これを世間では未明という。今、まだき暗闇でしかない。しかし、どうにもこの風来坊の男は人並みの時計とうものを持ち合わせてなさそうだ。いかにもこの風来坊の素行は怪しくも可笑しかった。
 東京府内では「泥棒除けには犬を飼いなさい」としきりに警告しているが、ここは小田原である。その小田原ならやはり提灯であろう。昔、小田原では猿の籠掻きですら提灯を持っていた。小田原提灯は、大雄山最乗寺の神木を材料に使い、狐狸妖怪に対して魔除けになると宣伝した。
 これを職人・甚左衛門の技が編み出した。・・・・・という提灯のお話しに気を逸らされていると・・・、
 ミミズクの部屋には小さな灯りがあった。
 何と、ミミズクさんは夜更しなのである。どやらこの風来坊はこのことを予見していたようだ。

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「やはり・・・そうでしたか。根気ですなぁ~・・・」
 ミミズクは仕事していた。未明のお仕事!・・・だから木菟(みみずく)なのである。生憎・・・ミミズクさんの妻と長男は二日ほど実家に所用があって不在だった。
「そんなことはすでに承知の上のことだ」
 と、風来坊は融通の利かないミミズクを常々そう思う。
 誰かれなく当面「只今、妻子ともに所用にて二日ほど不在」にしてやって仕舞う。一々面倒なのは判るが、つまり此処はミミズクの書斎なのだ。以前、このミミズクは小笠原の孤島から飛来してきた。近年までミミズクはこの近郊の「お花畑」に住んでいた。そこからひょいと昨年、また所帯を新しくした。
 お見合いをして一番(ひとつがい)になったのだ。また今年の3月には一羽のひなも生まれていた。
「何だい・・・差し入れは君の仕事かい。詰まらん」
 ミミズクは空腹の余り不機嫌であったのだ。羽角(うかく)をビッと立てた。
 妻子は昨日から不在(ここは表向きの建前)、そこに極まる早朝の来客とあっては不愉快千万であった。しかも・・・この無礼極まる客人のたっての所望でミミズクは蓄音機を鳴らすことになる。
 出会い頭、何やらお互いが一抹の騒動を予感した。
 そうして一時間ほど過ぎただろうか。
 客人もそうした白秋の不機嫌な間合いにどうやら調整のしずらい嫌な不具合を感じてきた。しかしこの客人は穏やかな風体の割りには、なかなかどうして長けた押しの強さがある。やや瓜実顔のポ~ッとした普段が和服姿でふらふらとした調子をみせる男なのだ。
 白秋とはタイプが真逆なのであるから、この男には白秋は日頃より苦手意識があった。

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 さすがに互いが息詰まる。そこを素知らぬ顔で客人は話題を変えた。
「ようやく新装開店となりましたよ!」
 と、やや語尾を強く跳ねて言った。そう言い終えて、特段意味を含ませた言葉ではない、そう思う雨情がそこにいた。白秋と同業の野口雨情である。
 こういう会話の切り返し方が薄らチョボ髭の雨情らしくともいえる常套手段なのであった。

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「なにが、かね?・・・」
「例のバーですよ。ほらあのボロい神谷の・・・電気ブラン・・・」
 浅草松屋デパートの向かいにある神谷バーが、新ビルになったのが大正11年のことであった。
 浅草の神谷バーは日本初のカクテル・バーである。
 この店に電気ブランと名付けられたカクテルが登場して、およそ43年の歳月が流れていた。その間、電気ブランなるモノは、浅草の移り変わりを、東京の世の中の移り変わりをじっと見続けてきた。
 ある時は店の片隅で、またある時は手のひらのなかで・・・・・。
 電気というものが未だめずらしい明治の頃、目新しいものというと「電気OOO」などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めてきた。
 電気ブランとはたいそう強い酒だ。アルコール度数45度もあった。このグィと呑み込んだ喉越しの痺れがまた電気の漏電とイメージが重なって、その名が大衆の明治観にピタリと収まった。
 電気ブランの「ブラン」とは、カクテルのベースになっているブランデーのブランである。その他にジン、ワインキュラソー、薬草などがブレンドされていた。しかもその分量比率が秘伝という風聞も功を奏して大正デモクラシーを象徴するモダンな一品として大好評を博した。
 あたたかみのある琥珀色、ほんのりとした甘味が当時からたいへんな人気であった。
 大正時代になると、浅草六区(ロック)で活動写真を見終わるとその興奮を胸に一杯八銭の電気ブランを一杯、二杯。それが庶民にとっては最高の楽しみともなった。

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「で君・・・神谷に行ったのかね!」
「ええ、昨日・・、萩原君と。正確にはもう一人萩原君の連れがいて、まだ若いですが、これが、なかなかの詩才でして、よろしかったら今度一度お会い願いたい」
「萩原の連れ・・・一体どんな感じだい・・・使えそうかね」
「勿論・・・使えますとも・・・しかし萩原君に似たのか、やや神経質ではありますがね」
 萩原朔太郎は1913年(大正2年)に北原白秋の雑誌『朱欒』に初めて「みちゆき」ほか五編の詩を発表した。彼が詩人として出発するのはここからであった。そこで室生犀星と知り合っている。室生とは生涯の友となる。白秋はその関係をつないだ。

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「・・・・・・?!・・」・・・
「・・・それで・・・新しいビルを建てたという神谷バーの方はどうだ」
「結構モダンな雰囲気でした。それはそうでしょうとも、明治初期から一杯売りの酒屋として繁盛してきた店ですからね。調度品も相当な大枚モノでして、女給がピンの絶品ですよ。・・・・・只、例の電気ブランが七銭から一銭値上げされて八銭となりましたがねッ。」
「ああ、それから、萩原がこんな歌を即興で披露しましたよ」

       一人にて酒をのみ居れる憐(あは)れなる となりの男になにを思ふらん
                                            (神谷バァにて) 萩原朔太郎
 雨情は朔太郎と逢えたことが嬉しそうだ。
 しかしそうだとも言えない。
 どうも朔太郎を出汁(だし)にして白秋を出し抜こうかとする気配も感じとれる。
 白秋はそれらを聞いて、感じ取って、少し憮然とした。
 雨情は同類でフクロウのような男なのだ。羽角のある白秋にはそれが分かる。
 じつは、この年の5月1日に日本最初のメーデーが横浜公園で開催されていた。翌日には上野公園でも開催されたのであるが、主催者側はこれを「労働祭」と伝えていた。
 白秋はこの日、横浜の南京街に用があった。その横浜の会場付近を通る折りに、雨情の姿を見かけたのだ。そのことが妙に気掛かりであった。社会主義詩人として出発していた野口雨情である。羽角とは、哺乳類の耳(耳介)のように突出した羽毛であるが、雨情にはこれがない。白秋はよく耳が突く男であった。

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 その後、札幌市の新聞社に勤めていたときに、同僚の鈴木志郎やその妻のかよと親交を深め、「かよの娘のきみが宣教師に連れられて渡米した」という話を聞かされ、乳飲み子の長女のぶ(きみには異父妹)を抱えて、鈴木夫妻は開拓生活に挫折していたのだということも聞いている。
 8年も前の話で、その間沈着したかに思っていた。
 それがどうしたことか、つい最近、横浜の労働祭で見かけた。見かけたのだから致し方ない。日頃から眼をかけてきたから少々腹が立つ。耳に突くと虫酸(むしず)が走る。
「ふ~っ」・・・と、白秋は訝しくした眼を窓の方に逸らした。
 そうして、ふと気づくと蓄音機の音が止まっている。
 盤上では先程まで、雨情の作詞した『赤い靴』の曲がかけてあった。
                 長靴赤
           赤い靴(くつ) はいてた 女の子
           異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった
           横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
           異人さんに つれられて 行っちゃった
           今では 青い目に なっちゃって
           異人さんの お国に いるんだろう
           赤い靴 見るたび 考える
           異人さんに 逢(あ)うたび 考える
                                 あかい靴 動 gif
 しかしこの雨情が作詞した、小さな女の子が外国人に連れられて行ったというこのミステリアスな童謡は、じっに白秋の胸にピタリと密着した。
 早朝にも関わらず雨情が北原の家を訪ねたのは、白秋にこの曲を試聴して欲しかったからだ。この童謡のもともとは雨情の不遇時代、ある北海道開拓民と知り合ったことが作詞の発端とされている。
 雨情が語るには、 それは、以下のようなことだった。
 雨情は童謡作家として名をなす前は北海道にいた。
 同地の北鳴新報に勤めていた時、彼は鈴木志郎なる人物と声をかわすようになる。鈴木は、北海道の開墾地へ働きに来たものの失敗、そののち北鳴新報に職を得た人物だった。
 その鈴木には妻がいた。その妻(岩崎かよ)は再婚で、鈴木と結婚する時、彼女は前夫との間に生まれた子ども「岩崎きみ」を、アメリカ人宣教師チャールズ・ヒューエット夫妻の養女にしたという。
 岩崎きみは、明治35年に静岡で生まれている。宣教師にもらわれたのはきみが3歳の時だった。それほどに開墾地での生活は苦しかったのである。開墾をあきらめた鈴木志郎夫妻が札幌に出たのは明治40年のことだった。
 この時、夫妻の前に現われたのが野口雨情だった(鈴木は明治41年には小樽日報で石川啄木と出会ってもいる)。生きるためとはいえ娘を手放した夫妻の事情は、その出会いの直後、生後7日で娘を失うことになる。こうした身につまされる事情は雨情自身の悲しみと絡み合い、そうして「赤い靴」の歌詞が生まれた。
「悲し過ぎ、切な過ぎ過ぎるほど痛々しい非情な話だが、堪えて雨情はこれをモノにした」
 そう思う白秋は・・・・・・、
 さりげなく椅子からふんわりと腰を上げると、また蓄音機に針を落とした。
 赤い靴 見るたび 考える ・・・・、
「じつに絶妙のバランスで仕上がっている。曲調が黒子役で詩の起伏を引き立てる」
 と、沁み入り思う白秋は、しばし睡るようにして赤い靴音に耳を傾けた。そうして眼を閉じていると、次第に自身の年齢が気になって来る。妙に込み上げてきた。これはもしや一抹の不安かも知れない。
 時代は早、雨情の時代へと移行しつつある。白秋の指先は微かに振るえた。
 白秋37歳である。また雨情は3歳ほど若い。歳下ではあるが、互いにもう30を越した。
 この年「婦人之友」という雑誌が女中に変わる言葉を募集して選ばれたのが「お手伝い」という言葉だそうだ。そんなことを新聞で知らされたのは半年前のことであるのに、今ではもうその「お手伝い」という言葉がすっかり浸透しているではないか。
 時代の流れとは速いものだ。これなら女性が働くことも益々増えてきそうだ。そして今年はまた「メートル法」なるものが定められた年でもあった。

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「おい・・・雨情君!・・・君、この椅子の高さ・・・いかほどかわかるかい」
「えっ、椅子の高さ・・は~・・・七、八寸というところでしょうか!」
 ふぃに何事かと雨情は目を丸めて、でもシャキりと細目にして目尺を当てた。
 するとそれを聞いた白秋は途端に手をだらりといて奇妙に微笑んだ。
 確かに尺貫法からメートル法に変わったが、雨情には、まだまだメートル法が流通していないようだ。
「やはり、此奴も、それぐらいの男か。なるほど・・・」
 白秋はそれでやや気色がほぐれた。
「雨情君・・・そろそろ伯父さんの古い(ものさし)等は、捨てないと駄目だね」
 と言うと、白秋は雨情を上目に舐めるようにみて、ニヤリと微笑んだ。
「ふむ~う。今日の白秋さんは、やけに刺々しいぞ」・・・「そろそろ退散するか」
 するとフィを突かれてはやはり退散できない際切れの悪い雨情がいて、素知らぬ顔で仕返しに問うた。
「ゆりかごの歌、赤い靴、赤とんぼ、てるてるぼうず、七つの子、どんぐりころころ」と歌の題を並べて、
「これが何だか解りますよね!」と目尻を軽く上げた。
「それが何かって・・・童謡だろう。あるいは歌だろう・・・よ!」
 と言いかけて、自身の歯切れの悪さに白秋はハッとし、ドキリとした。浅はかな物言いは微妙な醜態の揺れとなる。それを見透かしたようにして雨情は微笑みを返した。
 雨情がいとも簡単に並べて言うた六つの歌は現在人気沸騰の童謡である。
 「ゆりかごの歌」は 作詞:北原白秋 作曲:草川 信、「赤い靴」は作詞:野口雨情・作曲:本居長世、「赤とんぼ」は作詞:三木 露風・作曲:山田耕筰、「てるてる坊主」は作詞:浅原 鏡村・作曲:中山 晋平、「七つの子」は作詞:野口雨情・作曲:本居 長世、「どんぐりころころ」は作詞:青木存義・作曲:梁田貞である。
 つまり白秋の作詞は一つ、露風が一つ、浅原が一つ、青木が一つ、雨情作詞だけ二つなのだ。
 雨情はそれ以上の言及はしなかった。
 雨情には北原家の訪問理由が他にもう一つあったからだ。
 じつは手渡しておきたい一通の手紙を知人から頼まれていた。白秋がその手紙をどうするか不安であった。しかしその雨情は、直に白秋に手渡しすることもなく侘しい足取りで北原宅を後にした。
 だがこのとき白秋には、雨情の哀しくさせた足音が分からなかった。


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                             第39話に続く
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   京都 正伝寺。



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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第37話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   37

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      九  雉子の聲 (きじのこえ)   



 奈良は樽井町に「なら天平ホテル」はある。
 近鉄奈良駅より徒歩5分ほど手軽さから当時、虎彦は定宿と決めていた。猿沢池西畔に位置し、奈良の旅館で数少ない日本文化遺産が窓から見える場所に当ホテルがあるからだ。 猿沢池はもちろん、興福寺・春日原始林などを眺望することができた。

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 京都八瀬の別荘で、故郷の夜空に輝く星々の遠い夢をみせられた雨田虎彦が、七年ぶりに来日したM・モンテネグロの泊まる奈良ホテルを訪ねたのは、2002年が明けた仲冬の土曜日、ぼたん雪の降る乙夜(いつや)のことであった。昨年の、そのホテルとは違う。だが虎彦には、この二つのホテルもまた、ある種奇遇な運命で結ばれているように思われてならない。

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 今、虎彦の眼に泛かばせている一筋の光景は、モンテネグロと一夜を過ごしたにその時すでに抱えていた。時の刻みの順番でいうならそうなる。しかし、どうやら天命の時間では、未だ満たされていなかったようだ。1978年・昭和53年のことであるから、すでに25年の歳月が流れている。こうして1年半の時をずらされた天の采配がどこのあるのかは人の不可視だが、老人の眼にはそれが芳醇でさえあった。
 老いてこそ熟成される揺らぎの美妙を思い計ることができる。
 光陰矢の如し、たしかに加齢する歳月は速く、しかし戦後復興の何と鈍感で怠慢な流れであったことか。進化とはいうが、実際は退化ではないのかとも思われる。戦後60年、虎彦の眼に映るその年月は、日本人が真の豊かさから少しずつ遠のいて過ぎた時間だった。
「戦後の日本は、人間が成熟しないまま経済だけが大国化した。いずれ退化が高じて泥水が溢れだす。すでに腐りかけた汚泥を匂い立たせているではないか・・・!」
 そんな苛立ちの中に光陰矢の如しなどと悠長に浸れない。加齢はしたが、それでも完全な失望の壊死だけは避けたいものだ。毒蜘蛛のドクイトグモに噛まれたことで壊死する日本人であっては、じつに多勢の戦友や英霊に面目が立たないではないか。彼らは暴走した軍部とは違う。家族という最小単位の八紘一宇を本分として天命を散らした。それは家族や親族のやはり英霊である。

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「靖国神社・・・!。あれこそが戦後の日本人が身勝手で成した神仏を偽る負の遺産ではないか。彼らの多くは国家の氏神の血筋ではない。故郷の個々の小さな氏神の血流ではないか。大半は小さな集落の将来のために軍靴をはいた。靖国の名で一塊に束ねられて、死に何の意義があろうか。何と馬鹿な・・・!、屈辱でしかない・・・」
 全国津々浦々の氏神を祀る悠久の集落が瀕死寸前の現代である。虎彦は一見の食客ほどにしか過ぎないが、現在暮らす京都山端の集落も例外ではなかった。
 25年前、虎彦は、ここで一人の万葉の旅人と奇遇な廻り会わせをした。
 それは西本秋夫という虎彦より年輩の男性であった。
 正確には、初対面だから、お会いしたというより、同じホテルに偶然宿泊したことになる。これが人と人の巡り合いというものであろう。しかもその出逢い方が大浴場の湯船の中であった。
 ようやく実証実験も終わったというので、
 湯船にひたりながら虎彦は半眼に身をだらりと、しばし湯けむりのやわらかな癒しを楽しんでいた。
 そこに先客が一人いた。何やら仁王のごとく湯船の中央を陣取っている。
 しかもヒソヒソと何事かをつぶやいていた。
 何度も繰り返すから、そうして『いつちんかつちん』というリズムが次第に耳に憑いてきた。

         いつちんかつちん
         樫の実
         眼病の小守が来て拾ふ
         いつちんかつちん
         樫の実
         拾ふはしから又おちる
         いつちんかつちん
         樫の実
         うしろのお山に
         陽がくれた。

 と、何度繰り返されたであろうか。他に聞こえる音もなく、ついに覚えた。

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 奈良の湯に浸かり「樫の実」と耳にすれば、それはやはり「・・・・ひとりか寝(ぬ)らむ。の万葉集1742 」であろう。樫の実は一つの殻に一つずつ入っていることから,「ひとり」にかかる。虎彦は自然とその枕詞の揺らぎを連想した。
 しかし、しかし繰り返しいう「いつちんかつちん」の抑揚が大和言葉のそれとは違う。ここだけは妙に耳に馴染まない。だが、ユーモラスに懐かしく聞こえていた。
 しかしそこはやはり奈良だ。田の実の祝(たのむのいわい)というものがある。これは陰暦8月1日、稲の初穂を田の神・氏神などに供える穂掛けの行事。また、贈り物を相互に取り交わした民間行事で、田の実の節ともいう。あるいはこれはまた、「たのむ」が「頼む」に通じるところから、主君に太刀・馬・唐物などを献じ、主君からも返礼の物を賜る儀式でもあった。どうやら鎌倉中期から行われ、江戸時代には徳川家康が江戸入城を8月1日としたため、元日と並ぶ重要な式日となった。
 そんな田の実の祝に関係した独特の言い回しであろうかと、何分奈良でのことであるから、そう深読みに考えてもみた。だが、そうした、いつちんかつちん、は豊後地方の方言であった。
 この方言の彼方から、虎彦の耳には、何かが届きそうなのだ。
 そして・・・、数日後、その西本秋夫氏からの郵便小包が届いた。
 開くと、一冊の書籍と丁寧な手紙。そこには観賞チケットが添えられていた。
 「白秋を恋した女 江口章子・・・
 北原白秋と運命的な出会いをし、数奇な運命を生きた情熱の詩人」
 これは昭和53年10月、大分県民芸術文化祭で公演された舞台の表題である。
 北原白秋の第二妻・江口章子(あやこ)が舞台化された。

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 ここで虎彦は、原田種夫の「さすらいの歌」を知り、章子の数奇な運命に驚愕するきっかけとなった。さらには西本秋夫の「北原白秋の研究」「白秋論資料考」という大著に出会った。西本氏はすでに北原白秋研究の第一人者として著名であったのだ。
 傍線を随所に引いて汚した数冊は今も虎彦の座右にある。この名著なくして江口章子は語れない。53年2月26日には、章子の歌碑建立除幕式が香々地町の長崎鼻であったようだ。どうやら西本秋夫先生はその建立に奔走されてこられたみたいで、10月の初演当日は東京から大分まで来県され、長崎鼻での除幕式での話などされ、舞台上から熱い感謝のメッセージを添えられた。この舞台のフィナーレで歌われた短歌が、建立された長崎鼻の歌碑に刻まれている。

          ふるさとの 香々地にかへり 泣かむものか 生まれし砂に 顔はあてつつ

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 江口章子(あやこ)は、大正5年白秋と同棲し千葉県葛飾に住む。
 その6年に上京、7年に小田原お花畑に移転し、北原家に入籍した。しかし木菟(みみずく)の家新館建築祝宴の席でのいさかいが理由で別離する。5月25日に離婚した。
 その後いくつかの遍歴の途次、昭和6年に発病。京都帝大病院精神科に入院(病名、早発性痴呆症)するも1ヶ月で退院する。
 9年から12年にかけ、詩集「追分の心」を出版。信州蓼科高原に観音堂建立、托鉢して資金集め、12年8月に入仏式を行う。観音堂増築のために托鉢して資金集めをする。その蓼科からの帰途、車中にて再び脳溢血で倒れる。また13年、詩文集「女人山居」を出版。

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 先の歌碑の歌は、信州蓼科観音堂にいた章子から大分県中津市稲堀にいた縁者利光ふみ子あてに送られたハガキ(昭和12年9月20日消印)の文面に書かれた望郷のうたである。
 江口章子は明治21年(1888年)大分県西国東郡香々地町(当時岬村)で江口家の三女として誕生した。現在は豊後高田市香々地。編入前2005年3月までは香々地町であった。
 江口家は大阪通いの鉄の貨物船まで持った米屋と酒造業で、豊前第一の大分限であった。近所の小学校通学に、使用人が付いたほどだ。大分市に県立女学校が設立されると四期生として受験し、首席で合格する。母サツキの実家大分市威徳寺に寄宿し通学した。
 その卒業式前、授業参観にきた安藤茂九郎(弁護士)に見染められ結婚する。夫が検事になり柳川に転勤するが酒乱、女遊びの夫に愛想をつかし離婚するも、香々地に帰るがすぐに上京した。
 この東京で、女性解放を叫ぶ平塚らいてうの青踏社に入り野上弥生子、伊藤野枝、原阿佐緒、岡本かの子、尾竹紅吉などと交友を持ち、生田花世の夫生田春月の紹介で白秋に会う。
 その当時、北原家は柳川の大火で大酒造屋の工場、家を全焼し、一族郎党白秋を訪ね上京してきたので、北原家は貧乏のどん底にあった。
 貧しさに耐え歌を求めた白秋と章子は同棲し、千葉県葛飾真間に住み、紫烟草舎の生活を始める。白秋の「雀百首」「雀の卵」は、二人の愛の結晶から生まれた、白秋作品中の最高傑作と言われている。

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 大正7年、小田原お花畑に移転したころ、鈴木三重吉が白秋を訪ね、芥川龍之介、江口渙と話し合い、子どもの文芸誌「赤い鳥」を出版するのでと協力を依頼した。
 6月に創刊号を出版し、芥川は「蜘蛛の糸」を書き、白秋は「栗鼠、栗鼠、子栗鼠」と「雉子車」を寄せた。この創刊号に「かたぎの実」という白秋自選の推称童謡が載っており、作詞者は、槇田濱吉となっている。
 この歌を西本秋夫は湯船の中で歌っていた。

        いつちんかつちん
        樫の実
        眼病の小守が来て拾ふ
        いつちんかつちん
        樫の実
        拾ふはしから又おちる
        いつちんかつちん
        樫の実
        うしろのお山に
        陽がくれた。

 病ん目(やんめ)は、西国東地方の方言である。
 章子が出版した「追分の心」「女人山居」の中にこの童謡詩が載っている。これを鈴木三重吉は傑作だとほめている。そうしてこの歌は、後世の人々の間でも傑作となった。そうなる背景に、西本秋夫の地道な研究の牽引がある。
 このことを西本秋夫は、白秋が「赤い鳥」への投稿詩が少ないため、自作の詩に架空の人名をつけて載せたのではないか、これは章子のかいた詩とみてまちがいない、と語った。
 そうして「赤い鳥」次号に白秋の「雨」がのった。

        雨が降ります 雨が降る
        あそびにゆきたし かさはなし   
        紅緒のかっこ(下駄)も 緒がきれた 

        雨が降ります 雨が降る
        いやでもおうちで あそびましょう
        千代紙折りましょ たたみましょう

        雨が降ります 雨が降る
        けんけんこきじ(子雉)が 今鳴いた
        こきじもさむかろ さみしかろ

        雨が降ります 雨が降る
        お人形寝かせど まだやまぬ
        おせんこ花火も みなたいた

        雨が降ります 雨が降る
        ひるも降る降る 夜も降る
        雨が降ります 雨が降る

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 初めて江口家の庭に立ったとき、雨田虎彦は、遠くの小高い山から鋭い鳥の鳴き声を聞いた。
 案内の地元老人に聞くと、あれは雉の声だと言う。
 このとき「雨」の歌詞が頭をよぎり、あれはやはり章子の歌だと直感した。
 これについも西本秋夫の「白秋論資料考」にあり、「雨」は共作ではないかと指摘している。
 「赤い鳥」運動に賛同した作家は、小山内薫、野上弥生子、島崎藤村、高浜虚子、谷崎潤一郎、小川未明、江口渙、秋田雨雀、西条八十、佐藤春夫、三木露風、山田耕作、宇野千代、木下杢太郎、林芙美子、広津和郎などが星のように居並んでいた。
 大分の舞台では、「雨」は章子の作だと断定して上演された。
 そうして章子は、多くの観客の涙と共感の拍手をいただいた。
 虎彦が訪ねてみたが、江口家の家の中に人の気配はなかった。
 隣に立つ白壁の土蔵は、章子が晩年京都の養老院から帰ってきて最後に寝起きしたところだという。原田種夫の「さすらいの歌」の終わりに「1年3ヶ月、江口章子は極端に言えば糞尿にまみれて、座敷牢のなかで生きた。危険なので寒くなっても火の気ははいらなかった」とある。昭和21年10月29日の朝、雪の降りしきる中で、章子はひとり息絶えていた。59歳であった。
 その枕元には手垢で黒光りした白秋の「雀百首」が残されていたという。
 またその白秋も、太平洋戦争が始まって1年目の17年11月に死んだ。
 枕頭には陸軍省から贈られた将官刀が飾られており、青山斎場には帝国芸術院、日本文学報国会、大東亜文学者大会、日本文学報国会詩部会、日本少国民文化協会、日本音楽協会などなどの弔辞が捧げられ、大木惇夫作詞、山田耕作作曲の「挽歌」が合唱団により場内に流された。
 会葬者は3,000人、勲4等瑞宝章が授与された。そんな白秋に捧げた章子の歌がある。

        ひとときの 
            君の友とて生まれきて
                     女のいのち まこと捧げん

 江口家の墓所は、長崎鼻の対岸の丘の中腹にある。
 だらだらした坂の小道を上がると、小大名の墓かと思わせる苔むした大小の石の墓が整然と並ぶ空き地に出る。そこが江戸時代からの一族の墓所だ。探したが章子の墓がない。
 案内役に問うと、墓地の片隅、木陰になった場所に置いてある人頭大の石を指した。
「えっあれが章子の墓ですか」「そう聞いてます」と至極短い言葉を交わした。
 案内はしたがその老人に妙な沈黙がある。
 「おまえはこの墓所には入れないのだ」という江口家の怒りの焔がその石を包んでいるようにみえた。江口家の跡は平地になって今は何もない。故郷には粒ほどの痕跡もない。

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 この後、虎彦は大分市の章子にゆかりある諸寺を訪ねた。
 大分高女に通学していた市内勢家町の威徳寺、母方の実家であるが章子の痕跡は全くなかった。大分高女跡に戦後建った県庁の巨大ビルに寄り添って「大分県教育発祥の地」の碑が立っている。
 章子が病気と闘いながら西国巡礼の帰途訪ねた大分市松岡の浄雲寺では、古刹が大切に残され、住職のお母さん相馬さんに、おばあんから伝え聞いたという章子の印象を聞かせてもらった。この口伝も久しく人に語ることもなく走馬灯のごとく薄らいでいた。
 次に大分市内の木ノ上にある少林寺を訪ねた。
 章子はここで暫く寄宿し、広い寺内の小高い位置から平安開基という古い歴史を持つ霊山と対し、山裾を流れる七瀬川の清流で遊び、22首の歌を遺している。章子が寄宿していたという数寄屋風の茶屋はハイカラな建物に替わり、茶寮という名が刻まれていた。章子の痕跡はここでもなく、禅宗は代替わりになると本山から次の住職が派遣されるそうで、今となっては想い出を語れる人はなかった。
 皮肉にもこの少林寺境内に、白秋が訪れたときに詠んだ歌が碑となって堂々と立っていた。

         山かげの 
           ここのみ寺の かえるては 
                     ただあおゝし 松にまじりて

 この碑に真向かい、章子を憶う心情が隠語として隠されてはいないかを問いかけてみたが、それはなかった。今、虎彦が眼に浮かぶ光景は、香々地町の国道213号線を少し入った港から見た夕日である。最後にこの小さな漁村から落日の光景をみた。

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 丁度そのとき、これから時間をかけてオレンジ色の太陽が水平線へと沈んでいくのだが、章子の哀しみは既にこの世にはなく、あの海神の彼方に居るように感じられた。
 そうして後方の山並みを振り返ると、江口章子の故郷とは霊山の連なりである。
「この・・・、章子が、京都で暮らしていた・・・!」
 と、思うと、雨田虎彦の眼には、瓜生山に棲み居るであろう雉の姿が泛かんでくる。そこでその幻影には章子の故郷で聞いた雉の鳴き声が重なっていた。
 波田慎五郎の話を聞いてなれば、おそらく雉の泣き声が、これほど哀愁を帯びて痛切な籠らせ方をするものなどとは思いもしなかったであろう。25年前のモノは単なる感傷に過ぎなかった。
 太陽光で見る羽の色は綺麗なのだ。特に首から腹の色は宝石のように輝いて見える。冬から春にかけての羽は特に綺麗なのである。その綺麗さには深い意味が秘められていたようだ。
 雄の雉は、顔の赤い肉垂れと長い尾が特徴で、体は黒く見えるが、日が当たると首から胸の金属光沢が緑や紫に輝く。雌の雉は、全身薄茶に黒褐色の斑点があり、目立たない。
 そのキジは数羽のメスが複数のオスのなわばりを次々に廻り、オスはそれらのメスに対してディスプレイを行い、メスは気に入ったオスと交尾するという乱婚性をとっている。
 日ごろは、歩く方が得意であまり飛ばないが、外敵から逃れるときなどには丸味を帯びた翼で垂直に飛び上がり、滑空する姿が見られる。生息場所は平地から低山帯にかけての草原・川原・農耕地・明るい林などで、巣は地上に作る。しかし、この生態こそが「雉の鳴女」なのだ。神話などではなく、現代に継がれた実話なのである。
 オスはケッケーンと言う鳴き声の後にドドドドッと羽を打ち付けて音を出す。この「ほろうち」と呼ばれる動作を繰り返して、自身の存在を遠くのメス達にアピールする。 ほろうち は早朝から正午までは数分から数十分の間隔で続けられるが、さすがに午後3時を過ぎると回数は少なくなるが、また夕方ごろに聞く事ができる。
「あの眼配り・・・、あれこそが雉の特徴だ・・・」
 雉は、まぶた(瞬膜)を人間のように"上下"に閉じるのではなく、"左右"に閉じる。
 雉はその眼をさせて、「ケーン」と大声で鳴き縄張り宣言をする。その後両翼を広げて胴体に打ちつけてブルブル羽音を立てる動作が「母衣打ち(ほろうち)」なのだ。
 そう密かに思う虎彦の眼差しは、いつも阿部秋子の上がる、瓜生山の頂を向いていた。
「なはじつのひん(名は実の賓)・・・!」という。
 この言葉を思い出した。
 荘子曰く、 賓は主に対する客、そえものの意だ。尭から天子の位を譲られるのを,許由が辞退したときの言葉を逍遥遊にてそう記す。
 たしかに曰く通り、名誉は実際の徳のそえものである。実質のない名誉は無意味なものである。雨田虎彦には瓜生山の頂にある小さな祠に現れは鳴くという、雉が緑の胸を輝かせながら天を仰いで吠える「ほろうち」が、阿部家に言い伝えられる春の賦(くばり )の顕れであろうことが判った。
 そう思えると、阿部秋子がなぜ白秋の曼珠沙華を呟くのかも判った。



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                             第38話に続く
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   京都 妙心寺。



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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第36話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   36

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      九  雉子の聲 (きじのこえ)   



 さきほどまで、ある弔いの光景を浮かばせていた雨田虎彦は、慎五郎が持参して見せた分厚い一冊と同じものが東京の書斎の奥で眠っているのだと思うと、この世には、奇遇ではない宿命という実在を体感したようで身震いがした。今いも一羽の雉(きじ)が藪奥から飛び出してきて、ほろうちの甲高い声を空に向かって突きあげるようだ。虎彦の五体は指先の根まで振るえ、まったくそんな身震いを老人はした。

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 はくしゅう書籍 5

 それによって、古い弔いの光景がにわかな色彩を加えられ、虎彦の眼に弔いがより鮮やかな蘇りの光景となって泛かんできた。同時に、そこにまた阿部家の深い関わりと、山端集落との結びつきが泛かぶのだ。
 眼に浮かぶのは、もう15世紀も前の太古の、古い錆びれた日本の神々の弔いであった。
 人間よる古事記が記される以前のその昔、雉の鳴女(なきめ)とい神がいた。
 この鳴女こそが、今、虎彦の全身を振るえせている。
 雨田虎彦は、老いた眼を若かりしころのように悠々とさせていた。

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 多くの神々とオモイカネは、「鳴女という名の雉を派遣するのがよいでしょう。」と答えた。そこで、タカミムスヒとアマテラスは、雉の鳴女(なきめ)に「あなたが言って、アメノワカヒコにも問いただして来なさい。(あなたを葦原中国に派遣した理由は、荒ぶる神々を説得して帰伏させろということのはずではなかったのですか。なのに、どうして8年もたっても復命しなかったのですか)とそう言って来なさい」と命じた。
 そうして、その鳴女は高天原から降って、アメノワカヒコの家の門の楓の上に止まって、アマテラスとタカミムスヒの言葉を、つぶさに、言葉どおりに伝えた。

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 ところが、アメノサグメというものがこの鳥の言うことを聞いて、アメノワカヒコに「この鳥はたいへん声が悪い。殺した方がよい」と勧めたので、アメノワカヒコは高天原の神から持たされた、アメノハジ弓とアメノカク矢を使って、この雉の鳴女を射殺してしまった。
 すると、その矢は鳴女の胸を貫いて、天上まで上っていき天の安の河原にいたアマテラスとタカギノカミのところまで届いた。タカギノカミというのはタカミムスヒの別名である。タカギノカミがその矢をとって見ると、血が矢の羽についていた。
 タカギノカミは「この矢はアメノワカヒコに与えた矢である。」と言って、多くの神々に見せた。そして、「もし、アメノワカヒコが命令に背かないで悪い神を射た矢がここに届いたのならばアメノワカヒコにはあたるまい。逆に、アメノワカヒコに悪い心があるのならば、矢に当たって死ぬ。」と言って、その矢を取って矢が飛んできた穴から衝き返して下すと、朝の床に寝ていたアメノワカヒコの胸に当たってアメノワカヒコは死んだ。
 ところで、高天原から派遣した雉は帰ってこなかった。「雉の片道使い」ということわざは、こういったことが起源になっている。
 さて、アメノワカヒコの妻のシタテルヒメの泣く声が、風と共に高天原まで届いた。そして、高天原にいるアメノワカヒコの父のアマツクニタマとアメノワカヒコの妻子達が聞いて、地上に降ってきて泣き悲しんだ。
 さっそくそこに喪家をつくり、河の雁を支社に食事をささげる役とし鷺を喪屋の掃除をする役とし、翡翠を食事をつくる役とし、雀を米をつく女とし、雉を泣き女として、八日八晩の間、連日にぎやかに遊んで死者の霊を迎えようとした。
 このときに、アジシキタカヒコネノカミがやって来て、アメノワカヒコの喪を弔った。
 そのとき高天原からやってきたアメノオヒの父と妻は、泣きながら「私の子は死んでいない。ここにいる。私の夫は死んでいない。ここにいる。」と言って、手足に取りすがって喜び、泣いた。その父や妻が見誤ったのは、二柱の神が似ていたからで、見誤ったのも無理はない。
 ところが、アジシキタカヒコネは、たいへん怒って、「私は親友の弔いに来たのだ。それなのに、わたしを汚い死人と間違えるなど、とんでもない」と言って、大きな剣を抜き、喪家を切り伏せ、蹴飛ばしてしまった。

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 この蹴飛ばされた喪屋は、ミノの国の相川にある喪山となった。持っていた剣は大量(おおばかり)といい、まだ神度(かむど)の剣といった。
 そうしてアジシキタカヒコネが怒って飛び去った時に、妹のシタテルヒメは、兄の名を知らしめようとして、次のように歌った。

    天なるや 弟たなばたの うながせる 玉のみすまる みすまるに
    穴玉はや み谷 二渡らす アジシキ タカヒコネの神そ

「天上にいる若い織姫が首にかけている糸で結んだ玉飾り、その意図で結んだ玉飾りは、穴の開いた玉で出来ている。その穴のような谷を二つも渡られた。それがアジキシキタカヒコネノカミである」
 この歌は夷振(ひなぶり)である。虎彦は静かに眼を閉じた。
「江口章子(あやこ)・・・!」
 そんな瞼の裏に一人の女性を偲ぶと、かって訪ねた大分の旅が泛かんでいた。

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 雉鳴きて平穏訪る、という。戦地から帰還した虎彦は、敗戦をそう感傷させる雉と出逢った。そこは生まれ故郷の山河、生駒山である。その生駒の山中で聞いた一羽のほろうちから、連想させる神の物語を感じた。
「戦争は終わったが、私は最も倭(ヤマト)を梃子摺らせた神という事になっている」
 と、神はさも悲しそう語りかけてきた。

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 どうやら、祀られている杜人モリト(=王樹様)と部下であった守人モリト(=私)が混同されていった結果そうなってしまった。こう言って神は腹を曲げている。
 虎彦がよくよく聞いてみると、戦争が終わって早々、監視の為に送られてきた雉鳴女キジナキメという女性の神霊が、そういう勘違いをしてしまったのが問題であるらしい。
 さらに虎彦は、この神の悲痛な声に耳を傾けてみた。
 私もまさかあの王樹様と間違われるなど欠片にも思わなかったので勘違いは進行し、中央の命令によって『モリト』の名を変えるよう言われた時も私の改名だと思っていた。神はそんなことをいう。
 さらに、倭のイワレビコは切り札の八咫烏(やたがらす)と互角以上に戦う王樹様を随分と畏れているようで、名を変え、信仰が王樹様に向かないよう封じ続けたい、と。

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 これに従えば、史書において中央が使わした神の一柱としてやる、と。雉鳴女の話を聞くに、私が深く臣従している事が周辺地域の安定に必要なようで、従わねば再び矛を交え民を殺す事になるだろう、などと軽く脅迫してきた。元々が中央の仲間だ、等と書かれるのは不快だったので、後の世に間違いを正す事を約束に改名に従った。
 私は王樹様を祀る者、社ヤシロの人として名を『杜人モリヒト』と改めた。
 辛気臭い戦後処理も終わり、失われた時間を補うように急速に復興が続く。
 鉄器文化は木材加工技術を飛躍的に上げた。より大型の舟の作成も可能となり、漁業は再び発展の時を迎えている。 少々コストが高いが、鉄製の農具も作製して農業の効率化も図れるだろう。
 幸いにも山犬のおかげでモリトの血筋は残り、高度な技術を持つ者として国の再興を大いに担ってくれていた。私の民はきっとこれからも大丈夫だ。
 今日も私はいつものように山犬の背に乗り、ぐるりと国を観察し、杜人神社へと帰った。
 あまりに遅くなると監視役の雉鳴女が良い顔をしないのである。彼女はいつもピリピリした攻撃的な気配を隠そうとはしない。私は言ってみれば敵国の王に当たるのだからしょうがない話ではあるのだが……。
 山を登り、木々を掻き分け御社が見えてくると幾つもの気配がある事に気が付く。

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 漁民達が網を抱え境内で祈りを捧げていた。それを前に雉鳴女が困ったような表情でこちらを見ている。私が何事かと尋ねると、漁が上手く行くようにお願いに来たのだと言う。舟で沖に出るのは死の危険が付きまとう。大漁祈願よりは安全祈願のようだった。
 ……そのために、わざわざ山奥の緑深い神社まで来てくれた。
 胸にありがたい気持ちが込み上げて来て一も二もなくすぐさま私は応えた。
 漁港に御社を築いてもらえれば、波の荒れる日はすぐに鎮めてあげる。
 私の言葉を聞くや否や、彼等はすぐさま飛び出し山を降りていった。
きっと2、3日の内に簡単な御社が拵えられるのだろう。分社を作るのは確かに考えていなかった。交番や派出所のように要所へ置いておくと便利だろうか……。
 思索に耽る私に雉鳴女が疑問の声を上げる。いつになく鋭い視線はただの詰問でないと告げていた。私も、真剣に答える。
「貴方は山の神ではなかったのか」
 私は、山の神であったとは思っていません。
「貴方は海の神であるのか」
 時と場合によればそうする事も出てくるでしょう。
「山犬に乗る神が海も治めると?」
 民を守るため、治めては駄目なのですか?
 私は相手の言い分にちょっと悩んでしまった。神様は意外と『何とかの神』のように専業が多い。複数を兼ねる神も多いのだが、この聞かれ方はおそらく、『中央が海を治める神霊を遣わすからお前は大人しく山だけ治めていろ』の意味で言っているに違いない。
 思わぬ所で叛意と取られかねない発言をしてしまったか!。そう内心で慌てる私だったが、雉鳴女は優しく微笑んだ。
「私はどうにも貴方の事を見誤っていたようです」
「倭では荒ぶる野蛮な神であると伝えられておりました」
「真実は杜人の神は慈悲満つる賢神であったと」
 鳴女の字に賭けて、誤りを正す事を誓いましょう。
 ……と、本来、私のお目付け役で上役でもある彼女が私に頭を下げた。私は間抜けにも驚きのあまり立ち尽くしていただけだった。

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 それから、月が一回り満ち欠けを繰り返した後、雉鳴女は中央へと帰っていった。あの質問の日から彼女は監視役にも関わらず私の仕事を良く補佐してくれた。鳴女とは伝令を主に行う神霊の一族で、多種多様な経験から凡そ何でもできるらしい。また手伝いに来てくれないかな、と私は凪いだ海に呟いた。
「はやり、これは『鄙の国』の匂いだ・・・!」
 そう改めて感じ直した雨田虎彦は、大分の旅をまた思い起こした。
 かなり以前の話(1978年・昭和53年)だが、 奈良で感触を抱き、そうして重箱の一段ほどに分厚い一冊を旅行カバンに押し込んで、虎彦は大分県に行くことにしたのだ。その一冊とは、青表紙の上製本、北原白秋について書かれた重要な書籍であった。じつはその半年前の4月5日に、大阪府藤井寺市の三ツ塚古墳から古墳時代の修羅が出土した。虎彦は前年からその発掘に携わっていた。
 修羅(しゅら)とは、仏教の八部衆の一人、阿修羅であり、また仏教の六道の1つ、修羅道ともみられるのだが、それが古墳から出土するものではない。古墳発掘の場で、修羅と書けば(ソリ)と読み、巨石運搬用のソリである。これは重機の存在しなかった時代に重いものを運ぶ重要な労働力を軽減させる手段であった。コロなどの上に乗せることで、摩擦抵抗を減らすことができる。
 この発掘は全国的に大きな反響を呼び、同年9月3日には、朝日新聞社や考古学などの専門家によって、市内の大和川河川敷で、復元した修羅に巨石を乗せて牽引する実証実験が行われた。
 実証実験の見学を終えた後、虎彦はしばらく飛火野を歩きながらホテルへと向かった。



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                             第37話に続く
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  つきの暦  2013年1月

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京都風土記『花そとば』 第35話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   35

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      九  雉子の聲 (きじのこえ)   



 八坂神社から帰ると裏山の藪の茂みをじっと見ていた。
 そして、眼をそうさせたまま、脳裏には遠い昔の、ある弔いの光景を浮かばせていた。
「寒さが温んだら、もう一度、瓜生山の頂に上がろう・・・」
 奈良から戻った日にそう思い、雨田虎彦は今日もまた同じようにそう思った。M・モンテネグロに会って以来、そう思い続けてはいたのだが、老いた足取りがなかなかそうはさせないでいた。
「これでは・・・、あの、ほろうち、ではないか・・・!」
 裏の藪から眼を居間に移すと、テーブルの上には、3つのコーヒーカップが香織が運んできたままの状態から微塵も動かないでそのままにある。すでに来客は去りコーヒーは冷めていた。

 コーヒー珈琲 600

「何や・・!。手ェつけはらんと。せっかく君子はんが・・・」
 客の一人は、狸谷の波田慎五郎である。もう一客は、詩仙堂裏の駒丸扇太郎であった。香織はコーヒーを運んでから一度も顔を出してない。三人が何やら息を詰めた気配を匂わせていたからだ。それにしても二人は、足音一つさせないで風のように帰って行った。
「かさね・・・、裏山で雉(きじ)の声するの、聞いたことあるかい?」
 ぼんやりとした小さな声でそう訊いた。
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「雉やしたら、裏には来ィしまへん。崖ェあるさかい子ォこさえるの向きへんのや思うわ」
 と、意外に味気なく、夕餉支度に追われてそうあっさりと答えると、香織は手つかずのカップを盆に下げてキッチンへと向かった。そのいかにもさり気ない後影を見つめながら虎彦は「やはり瓜生山か・・・」と思った。
 羽をバタつかせてケンケーンと鳴く。これを雉の、ほろうちという。
 春を告げる声でもある。早春の草原や果樹園の茂みなどで耳にする。縄張りの主張やメスへのアピールだ。4月ごろ繁殖の季節を迎えると、この時期の雉は、赤いトサカが大きくなり体も大きく見えるようになる。行動をより大胆にするようになる。だが冬場、ほろうちをしないわけではない。
 以前、虎彦は高野川を渡った鞍馬山に向かう柿園で聞いたが、あれは晩秋であった。雉の居る場所はかなり薄暗いところで、上空が遮られているほど安心できるのか人が近づいても逃げないことが多い。一度は大原のミカンの木の下で、ほろうちは直立して鳴き始めるが、その姿をみたことがある。虎彦の記憶では、そのときメスがすぐ横にいた。冬の雨後、緑のない枯れ草を歩く雄の雉はよく目立つ。
 しかし、虎彦が想う雉は、瓜生山の雉だ。

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 来客が去れば応接の四脚はポッカリと穴を開けたように夕暮れの陰でそう見える。
「アメノワカヒコの妻のシタテルヒメの泣く声が、風と共に高天原まで届いた。・・・そして、高天原にいるアメノワカヒコの父のアマツクニタマとアメノワカヒコの妻子達が聞いて、地上に降ってきて泣き悲しんだ・・・。ああやはり、これは・・・、あの、ほろうち、ではないか・・・!」
 またそう思えると、応接の椅子に腰を落として、もう一度慎五郎の話を泛かべた。
「ねっ、どうして降らないの?・・・」
 と、夕実から問われ、
「ふーん、どうしてだろうね。・・・・」
 と、慎五郎は答えた。
 子供は大人社会を選べない。多くの場合、希望と化した予測は裏切られることになる。だが親としては、そこから子供を持つということの、そして子供を育てるということの喜びをいだく不思議さが始まる。意外な個性を持った子が育ち、驚かされることになるのだ。

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「雨の降らない御堂筋・・・」と、
「雨を詠う作詞者の声・・・」か。
 慎五郎はしだいに、子の夕実に囚(とら)われ、夕実の夢がいう「雨」に囚われていくという感覚を抱いてみると、そこにRobert Villon(ローベル・ヴィヨン)教授の顔が懐かしく重なってきた。
 放置すればやがて喪失感を抱くであろう子の夕実。恍惚とした時の夢を見つめながら喪失感に近い溜息をついてみせたヴィヨン教授。二人が、共通して感じさせるものは、同じ性質が引き起こしてみせる喪失感ではないか。慎五郎はそれが、どちらも人間の想像力をかき立てる美学としての表現だと確信すると、白い教授のパナマ帽を眼に想い泛かばせ、そこに悔悟の念を抱きながら昭和53年10月の出来事を思い出した。
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「あのときの、ヴィヨン教授が正しかった」
「雨の作詞は、白秋でありませんでしたね」
 親子なのだから、師弟なのだからいずれは解り合えるという幻想は幻想として、宿命的に相容(あいい)れない親子や師弟というのも間違いなく存在する。
 そうだとすると、夕実とヴィヨン教授はその宿命を前にして立ちすくみ、慎五郎はその宿命にどれほど荒々しく爪を立てようとしたであろうか。そう考えると10月の結論の皮肉な運命がやるせない。慎五郎はヴィヨン教授に一言の詫びを入れねばならなかった。
 思い出した10月の「雨」が慎五郎をそうあおり立てた。
 神に摂理されながら完成に至らぬ「存在しない雨」というものが、この世には無数に存在するのかも知れない。もしそうであれば、慎五郎の今煽(あお)られるこの挫折にも等しい裏面史は、しばしば現実に存在する降り注ぐ雨より刺激的だ。
 だが、あらかじめ自らが挫折することで「雨を見ること」を感じさせる時間が現実に存在していることを、一体どう考えるべきか。そう想われると慎五郎はひからびた地に立たされて熱い太陽を身に浴びるようであった。
「教授はPluieと名付けましたね」
 慎五郎はシモーヌ・ヴェイユが『重力と恩寵』のなかで「メタクシュ」というきらきらとしたギリシア語を何度もつかっていたのを思い出した。メタクシュとは「中間だけにあるもの」という意味である。きっと雨にも重力と恩寵が関与しているのであろう。
 雨は重力とともに地上に落ちてくるが、その前にはいっとき重力に逆らって天の恩寵とともに空中で中間結晶化というサーカスをやってのけているはずなのだ。ヴィヨン教授はその「いっとき」を追いつづけた人だったのだ。
 そう思って、あらためて教授と過ごしたエズ(EZE)での夏休みを振り返ってみると、教授は地上の雨にはいっさいふれないで、天から降ってくる途中の雨だけを凝視しつづけて慎五郎が聴かせた童謡「雨」の雨音を聞いていたことに気がつかされるのだ。

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 そうしてあのときヴィヨン教授は、飼っていた駒鳥に「雨」とい名を付けた。慎五郎がその鳥を眼に泛かべると、教授の手元からその鳥が帽子を啄(ついば)み飛来してくるように感じられた。
 そう感じると、その駒鳥は狸谷に飛来してくるのだ。狸谷では熱い太陽に煽られた慎五郎、秋子、夕実の三人が地蔵と化して佇んでいる。駒鳥はその、それぞれに教授からの帽子をプレゼントしてくれる。どうしたことかヴィヨン教授は、狸谷育った秋子には笠地蔵のあの菅笠を、慎五郎には黒いパナマ帽を、夕実にはピンクのリボンを掛けた麦わら帽子をかぶせてくれる。慎五郎はそんな錯覚の赤い雨をふと抱かされていた。

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 昭和53年10月、高度成長期にふくれあがった中高年層の中で、ラインの管理職からはずれたオフィスの窓際にデスクを構えるミドルたちを「窓際族」と揶揄した年である。またこの年、原宿の竹の子族と、「あ~う~」という、大平首相のやたらに間延びした口調を慎五郎は記憶しているのだが、微笑ましくもないそんな色彩の紡ぐ妙な慰めには、ほろ苦い世相をにじませていた。
 東京という都会のくたびれる通勤や通学の、肩が触れ合う空間には、かんしゃく持ち、気配り下手、仕事でしくじったかの人が地下鉄に揺らされていた。その許容の物差しは微妙に各様で、ささいな言動があらぬ化学反応を引き起こす。思えば、そんな東京そのものが、巨大な満員電車のようなものであった。
 しかし何かと縮こまりがちで、虫酸が走りそうなそんな時代に、対して丁寧に時間をかけて編まれた書籍には、万感、胸を襲って貫いていくものを感じさせられた。慎五郎はそんな一冊と出逢ったのだ。その一冊が慎五郎の世相の走る虫酸をゆっくり溶かしてくれた。慎五郎は刻み込むように綴る著者の背中を感じ取りながら読み進めてみると、自身がその著者の何かを引き取って実現しなければと覚悟した。
「・・・・・・・・、・・・」
 と、長い沈黙の中で、ふと虎彦はある種のひらめきを覚えた。
 眼の中には、慎五郎が持参して見せた分厚い書籍がある。だが、その一冊は同じモノが東京の虎彦の自宅もあった。ここがじつに奇遇なのだ。その本を慎五郎から見せらたとき、虎彦はふと涙すら覚えた。
 おもむろにステッキを突きたて身体を起こすと、もう曲がらなくなった膝を固々しく曳き磨りながら静かに書斎へと向かった。その眼には日本で最も古い「記紀」が泛かんでいた。
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 二つの書に夷振(ひなぶり)という歌の記しがある。

    日本書紀
    あもなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまるの あなだまはや みた
    にふたわたらす あぢすきたかひこね
    あまさかる ひなつめの いわたらすせと いしかはかたふち かたふちに あみはり
    わたし めろよしに よしよりこね いしかはかたふち

    古事記
    あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる みすまるに あなだまはや
    みた にふたわたらす あぢしきたかひこねの かみぞや

 この夷振(ひなぶり)は大歌所(おおうたどころ)に伝えられた宮中を代表する楽舞である。鼓吹に合せて奏楽し、朝会公儀等の時に用いられる。
 和歌の祖とされる下照姫の作とされ、由来は日本書紀の歌謡となる。
 しかし古事記のこれは、日本語なのだろうかと解釈に苦しむ歌であるが、古事記には、その一部分が伝わる。
 この歌を解釈した本居宣長は、
        天なるや 弟棚機のうながせる 
        玉の御統 御統に あな玉はや
        み谷 二(ふた)わたらす 
        阿遅志貴高日子根の神ぞや
 と、して天織姫が首にかける宝石と、アジスキタカヒコネ神が発する光が谷を渡って輝く情景を描いた。
「これは・・・、日本版の七夕、織姫と彦星なのだろうか・・・!」
 とも虎彦には思えるが、古今和歌集、その仮名序は、この歌について次のようにいう。
        世に伝はることは、久方の天にしては下照姫に始まり..
        下照姫とは 天わかみこの妻なり
        兄の神のかたち 丘谷にうつりて輝くをよめるえびす歌なるべし
 ここでは、夷(ひな)を「えびす」と言い換えている。枕詞「あまさかる」は「ひな」で受けないと五七調にならないが、本来はエビスを修飾する言葉が「あまさかる」だったのかもしれない。そうであれば、夷振は「えびすぶり」になる。そう辻褄を合せると、西宮戎の「えびすかき」が宮中で披露されていたことにも通じるではないか。あるいは虎彦が今日訪ねた八坂神社とも重なり合う。
「しかし・・・、 あまさかる鄙(ひな)という書き方は万葉集にはない。どうもここは、後代の解釈による当て字のようだ。(鄙)という字は悪い意味が強すぎて避けられていた。どうもそう思える・・・」
 そう思い当たると、虎彦は眼を細く鋭くして、天井を見上げると夜空に北極星でも見出したかに一点を見た。そこにはかって万寿寺でみたものと同じものが吊るし止めてある。
 香織に頼んで御所谷の竹原五郎から拝借したものだ。
 みつめると赤いトウガラシの小さな束が、鬼門を祓うとばかりに揺らいでみえる。そう思えてやや嬉しさが微かに湧くと、しだいに眼を庭先へと回したが、眼をやるその顔がチラリと窓ガラスに映ると、虎彦はにわかに笑みを浮かべたその自分の顔を、じっとみて口角にして笑った。


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                             第36話に続く
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   京都 平安神宮神苑。



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   きょうと 2はなそとば 2

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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第34話

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                          ごえん風土記 かな上 
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   Web小説    はなそとば 文字 正

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   34

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      八  夢の歯車 (ゆめのはぐるま)   



 そんなEZEとは別に、二夏の大半を過ごした「Arles(アルル)」にある教授の生家での実生活、このアルルそこが慎五郎の「願望の僻地」なのであった。アルルはまたファーブルの愛した僻地でもある。
「la(えっ)surprise(これは)? .・・・これは一体!・・・」
 水色の封筒の、その一枚のPapeterie(びんせん)はじつに思いがけないものであった。

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 アルルArles 動1 gif

 便箋には「M. Shingoro, comment allez-vous.Même pendant que boire du vin, s'il vous plaît lisez ceci. C'est le dernier cadeau. Eternal Love.・・・慎五郎君、お元気ですか。ワインでも飲みながら、これを読んで欲しい。これが最期の贈物です。永遠の愛を込めて」という、極短い一行の言葉で結ばれていた。
 それは只(ただ)、ぼんやりとした胸の痛みを感じさせては、ふと裁ち切られてしまう、サプライズな手紙なのである。慎五郎は、教授の思いが何かしら言い明かされぬまま、じつに教授らしく閉じられていることに微妙な不安を抱かされた。それはこれから、人間の魂の昇天のしかたを克明に描きだそうとしている不安である。
「たしか、教授には、もう10年ほどお会いして無いが・・・最期の贈物・・・?」
 繰り返し何度手紙を読み終えてみても、慎五郎には、やはり言葉の投げ掛けが奇妙に感じられた。しかも郵便物には、教授が今どこにお住まいなのか、その住所が記入されてない。以前なら手紙の交換を頻繁に行なっていたが、ここ5年間はそれも滞(とどこお)り、しかも10年もの間、一度もお会いする機会がなかった。
 そのヴィヨン教授がある日、「この詩は女性好みの黒い歌ですね」と言った。
 装いのベースとなる色を大別すれば、ブラック、ベージュ、グレーの三色になるという。ベージュは優雅な雰囲気を漂わせ、グレーは他の色との相性がとてもよい。古来から軽さを求めるファッションの流れもあって、ベージュ、グレーの両色はとても人気が高い。しかし、そうした中にあっても、ベースカラー「黒」が不変なのだとヴィヨン教授は考えていたようだ。
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 くろ黒 動1 gif

「本来、作詞家は黒衣だから」と、
 やや冗談ぽく言ってたのであるが、「黒」は主張しない色なので「女性が一番キレイに見える色」というのがヴィヨン教授の信念でもあった。そういうヴィヨン教授が「この作詞者は、女性ではないのかね!」と訊ねた。
「いえ、北原白秋という男性ですが」
 と、慎五郎は当然とばかりに答えた。
 そう返事し終えた後は、すこし小首をかしげて暫くは何事か不信そうな趣きで思案している気配があった。その曲は慎五郎がヴィヨン教授の「日本の歌ですか」と問われ、興味深げな教授にさり気なく聴かせた北原白秋作詞の童謡「雨」であった。そのときのヴィヨン教授がみせた表情を慎五郎は忘れられない貴重な思い出となっている。日本を見知らぬヴィヨン教授は、一度曲を聞いただけで、黒に軍配を上げたのだ。

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       雨が降ります 雨が降る
       遊びに行きたし 傘はなし
       紅尾の木履も緒がきれた

       雨が降ります 雨が降る
       いやでもお家で遊びましょ
       千代紙折りましょ たたみましょ

       雨が降ります 雨が降る
       けんけん小雉子が今鳴いた
       小雉子も寒かろ 寂しかろ

       雨が降ります 雨が降る
       お人形寝かせどまだ止まぬ
       お線香花火もみな焚いた

       雨が降ります 雨が降る
       昼も降る降る夜も降る
       雨が降ります 雨が降る

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 慎五郎は改めて雨の作詞を、何度か繰り返し口篭らせてみた。
 ヴィヨン教授から届いたその荷の中には、分厚い茶封筒が三つと、ワインボトル一本が入っていた。
 一抹の胸騒ぎを抱きながら、とりあえず茶封筒を開こうと中指の爪を立てたとき、また電話のベルが慎太郎を呼んだ。それまで居間のソファーで教授との思い出に夢中であった慎五郎は、憮然(ぶぜん)とした心持ちで受話器を荒々しく掴(つか)み上げたが、電話の向こう側には秋子がいた。
「ああ、あなた、今、韓国が大変よ。大統領が暗殺されたみたい。昨夜のことらしいわ・・・」
 驚きの冷めやらぬ声でテレビを至急見るよう慎五郎を急き立てた。秋子の言葉使いは演出という職業柄か日頃から地口(じぐち)や冗句(ジョーク)にも富んでいる。速報を見るまでもなく伝達は再生した録画よりもリアルであった。
 まことに一気に、淡々として、所々にハングルを夾み、これは秋子の演出力であるが、韓国人(コリアン)特有のスパイスまで効かせた、まさに彫刻刀で削ったような緊迫感と、戒厳令下の状況を痛切に伝えてきた。
「えっ、昨夜・・。10月26日 の夜、 朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が暗殺・・・」
 一瞬、茶封筒を開こうとする慎五郎の指が止まった。

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「私は、ゲシュタルトなのよ」
 と、普段、そう言い放っては慎五郎に素直な微笑みを投げかける秋子である。それは一面だげで私を評価などしてくれるなという自慢のシグナルであった。そう言われると慎五郎の奥なるアーキタイプが揺らされて動きだすことになる。また秋子はそんな効果を自分の作品のなかで使いたい質(たち)のようだ。
 狸谷の暮らし向きをすっかり慎五郎に委ねる現在の秋子の仕事は、学生時代からの念願であった舞台装置の演出である。そんな彼女の持論は、その音、その光は、ある舞台作品のためだけに構造特性としてのプラスα(アルファ)をもたせ、その作品の内部だけでゲシュタルトを発揮するようでなければならないという。どうやらその音や光のゲシュタルトは偶然の出逢いでしか得られないモノであるらしい。
 秋子のいう偶然とは、そういう生活構造のなかで追求する偶然なのである。そして、そのように生活しようとする女、それが秋子だった。意外なコラボレーションとの同居が慎五郎の生活にはあった。
 秋子はいつ時も闊達(かったつ)で明朗な女である。夕実の小さな手をとって微笑みながら今ごろ、不思議そうな顔をしているのであろう慎五郎の、渋い想像を愉快にふくらまして、小幅にゆっくりと階段を降りていた。

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「於(お)ゆみ、足元、転(こ)けんように、気いつけてな」
 改札を抜けた帰りの席は、やはり遠く和歌山城下を見晴らかす先頭の窓がいい。五十ほど階段を降りると、その先頭にパロラマがある。お茶目な夕実は秋子をたくみに先行指導して一等席を確保した。しばらくすると赤いケーブル電車は山の斜面をぐんぐん高度を下げていく。標高1000mに等しい高野山の10月下旬は紅葉の真っ盛りである。秋子と夕実は、秋の風情を増して彩る赤味を帯びた美しい岩肌に、見飽き足りない未練を抱きながら、わずか十分間の紅葉狩りを満喫して極楽橋駅へと到着した。
 そうして早、難波駅に着きミナミから電話したようだ。
 秋子は心斎橋商店街の老舗「ミツヤ」で夕実の好物である「カニコロスパ」を食べさせた後、御堂筋の銀杏並木を北に歩きながら地下鉄中央線に乗るために本町駅へと向かっていた。この先、綴織(つづれおり)緞帳(どんちょう)の仕上がりを確認するために深江橋近くにある日本スクリーンに向かう予定なのだが、暗殺事件は、途中で立ち寄った船場センタービルの反物問屋内のテレビニュースを観て、それをとんだ速報だと知らされた。
「당신은 어젯밤에 어디에 있던나요? ・・・あなたは昨夜、どこに居らしたの」
「もう、そのハングルは止(よ)してくれないか。その時分なら、すでに飛行機の中か、あるいは羽田と思うが・・・」
 昨日の午後6時まではソウルにいた。おそらく機上にあって羽田空港着までの間に事件が起こったことになる。あるいは到着後かもしれないが、そんな訃報事と重なり合いながら、改めて動かそうとする慎五郎の指先は、教授の机の引き出しをこっそり引いてみるような、微妙に気の進まない重たいものであった。

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「雨、降っていないの。みどうすじ・・・ねえー、どうして降らないの」
「あれ、於ゆみ、お母さんと変わったの。そうか雨、降ってないのか。そうだよね、降らないと・・・」
 どうやらアジア系外国人特有の妙な発音の日本語が幼い日本人の魂を強烈に刺激したということであろう。独特のリズム感とパンチの利いた歌唱力、夕実の耳には欧陽菲菲(オーヤンフィーフィー)の歌う「雨の御堂筋」が不思議なのである。小ぬか雨降る御堂筋、の「雨」が銀杏並木を濡らしていないからだ。1971年に大ヒットしたベンチャーズ作曲の歌であるが、夕実はこの台湾出身の女性歌手の旋律に不具合な疑いの眼を向けていた。

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「ねっ、どうして降らないの?」
「ふーん、どうしてだろうね。・・・・そうだ、夜に降るんだよ。こころ変わりな夜の雨・・・だろう」
 と、つい答え返し、夕実はそれでスッキリと納得したみたいだが、秋子には夕方以降くれぐれも御堂筋界隈には近づくことのないよう別路線で京橋あたりからでも帰宅するように念を押した。
「解りました。でも本当にそんなことで、良いのでしようか?」
 少し冷ややかな物言いである。秋子は脇に置いて指先を触れ合わせなながらいる夕実をみつめながらそう訊き返した。慎五郎が夕実に対して子煩悩なこと、それは微笑ましい。だからといって、どこか玩具にでもして弄(もてあそ)ぶような甘やかしの時間は、無意味なやり過ごしのような気がして、夕実の躾(しつけ)として如何(いかが)なモノかと思うと不安なのであった。
「大丈夫!。天才には見せてはいけないモノがあるからね。君が躾に気がかりなことは分かる。だがね、躾は只(ただ)の手なづけにしか過ぎないものだ。むしろ於ゆみには、嗜(たしな)みの正しさが大切なのさ。嗜みは一生のモノだからね。だってそうじゃないか、躾は親がどうにでもできるが、嗜みは自分で工夫して創らないと成らない。済(な)せば成る、とは成らないのが嗜みだと思う。正確な嗜みの見極めを与えないといけないね・・・」
 慎五郎は夕実の将来について次のように考えている。人間は自分の生涯をしだいに遡及(そきゅう)しながら、黄金であった年代を迎えつつあった自身の生活背景にひそむ病巣をえぐっていく。そこに浮かび上がってくるのは嗜みの血に流れる質感ではないか。求める本質とは既に世に生まれでる時点で備わっている。またその本質に迫るためには左右の判断が重要となるが、幼ければ、的確な判断を補佐し与えてくれる人間の眼が大切なのである。幸福の達成感は、自分の嗜みと比例するモノでしかない。それはまた、意外なごった煮が自身では創り出せないのと同じように、慎五郎は、夕実にはその意外な窓枠からモノを見つめ続けて欲しいのだ。

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「天才には見せてはならない、正しい嗜み・・・」
 かつて秋子が神戸の異人館で慎五郎と三度目の出逢いをしたときは、彼はもう30歳になっていたが、それでも、その一点の乱れもない紋付袴(もんつきはかま)を着こなした全身からは、その恰好とは逆に輝かせた眼が異人館にふさわしく探求心という名のオーラをたちのぼらせていた。秋子はそんな青龍をみた。
「ああー、そうね。たしかに、あれも嗜み・・・」
 そのときのオーロラは今も秋子の胸に忘れられないモノとして残されている。秋子はそれを眼に引き出してみた。そのオーロラに魅せられて秋子は慎五郎と一緒に同じ道を歩いていきたいと思い、行く行くは京都を自身が引継ぎたいという申し入れもあって慎五郎に嫁(とつ)ぐことを決めたのだ。そう、あれはたしかに躾ではない。ああ、あれが嗜みというものだ。秋子はたしかにそんな輝きを感じた日のことを思い出した。

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「語学は、まず先に、本質を押さえさせないとね」
 と、このように言う夫の口癖を秋子はよく耳にする。夕実が一歳のころからの口癖だ。何故、一歳の児に語学かと最初は戸惑いすら抱かされた。一歳に、本質を抑えさせろ、とは無謀とも思う。慎五郎は、日本人が語学を習得する上での、教育の弊害(へいがい)に、強い関心を表していた。
 覚える、慣れる、時間をかける、の三る法では身に馴染まないという。日本の語学教育は、端(はな)から子供を馬鹿にしているという。それは、日本人が総力で獲得したはずの学習法を、何故、その必要性を先に習い手である子供達に習得させようとしないのか、という懐疑でもあった。
 これらは慎五郎の体験からのモノであろう。たしかに大人になって振り返ってみても、どうしてあんな学習法が必要だったかは分からない。日本人が日本語を身につけるのに何の理屈もいらないが、日本人と異なる言語を身につけるためには、先ずその理屈を身に馴染ませてやれと言うのである。それを本質という。そう思い立つと秋子は、夕実についての関心を暫く放置させておこうと考えた。


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                             第35話に続く
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   京都 灯りと花の路 東山花灯路。
 京都東山参道界隈で行われた、日本情緒豊かな露地行灯約2500基の灯りと生け花の散策路。「京都・東山祈りの灯り」。



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   きょうと 2はなそとば 2

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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第33話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   33

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      八  夢の歯車 (ゆめのはぐるま)   



 フランスから「POSTEXPORT(ポステクスポール)一通と、COLISSIMO(コリッシモ)一箱」が届いたのは正午が少し前であった。
 6㎏用箱とあるが、送り主はRobert Villon(ローベル・ヴィヨン)教授である。
 秋晴れの穏やかな日で、京都の狸谷は比叡の西陰とういう質(たち)もあり、嵐山などに比べると秋色の訪れも遅く、この頃ようやく丹色(にいろ)の彩りを見世(みせ)はじめていた。

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 玉露を淹(い)れ立てる湯加減を計りながら、その温もりの手肌で先ほど波多野から届けられた郵便物にそっと触れてみた。早速開くには妙な慎みを覚え、一知半解(いっちはんかい)のもどかしさがあった。
 開く前からこんなに開くことを憧れていた郵便物はなかった。受け取る直前にすでに胸がはちきれていたといってよい。これも偶然である。だから先ず撫(な)でるように触れた。泛(う)き泛きしすぎて、どうにも開ける算段にまでならなかった。慎五郎はしばらく、まどろみの中の逆旅(げきりょ)の風景に座らされていた。
「私は、ヴィヨン教授に訊(き)きそびれていた事が未だ数多くある・・・」
 先ほどまで、山桜を見続けていたからであろう、まるで幻覚剤を飲み込んだまま、また別の映画を見ているようなのである。
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 その逆旅の中には、明るい道や暗い森を抜けていけば出会える幻想としてのヴィヨン教授がいた。しかしこの時はまだ、その幻想がどんな前後の脈絡をもっているかということなど、まったく意に介していなかった。慎五郎は、あたかもフランス人が、フランスを思い出しているかのように、フランスをつねに香ばしく語ってくれていた、ローベル・ヴィヨン教授のことをひたすらに回想した。
「もう、パリの郊外では、乗馬で散歩する人が多い。当時、よく見かけたが・・・」
 サマータイムが終わって日本との時差が8時間ぐらいの少し遠さを感じるころの、フランスは日照時間を短くさせた夕暮れ時がとてもいい。どうにも人恋しくさせて、素晴らしい紅葉を随所で堪能することができる。
 郊外の川辺には、優雅な形の家々が続き、或日その一軒の家に伺って、田舎暮らしのフランス人に実際に会ってみると、表情も会話も柔和なのだが、言葉にはし難いほんわりとした綿にでも包まれるような体験をした慎五郎には、石の積み重なるアンティークな秋色が印象深く思い起こされた。
「サン・ラファエルに向かう道中もじつに良かった。しかし、トランペットの嵐には困ったが・・・」
 高い山がなく台地が国土の大部分を占めるフランスでは、車窓から黄金色に色づいた黄葉をどこまでも続かせて行く。日光が流れるようにたわむれて夢幻の印象をつくりつづけていた。
 じつに広大だから、慎五郎が窓辺から望む京都の紅葉山とは断然趣きも違う。しかし親しみという一点では、見飽きた瓜生山の紅葉が安らいでいい。そんな慎五郎の、やがて艷やかな賑わいをみせるであろう、その楓(かえで)や錦木(にしきぎ)の林をながめていた眼が、懐かしい輝きとなって10年前の面影を拾うように捕らえると、紫煙を燻(くゆ)らした老紳士の横顔がみるみる明らかとなってきた。

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「リヴィエラ海岸を見下ろす石畳の村・・・」
 太陽に干涸(ひか)らびた石畳の道を一歩一歩登っていくと、まるで中世のおとぎ話の世界が山頂に現れる。この頂上からコートダジュールを一望できる鷲の巣村がEZE(エズ)という古い山城跡の回廊であった。
 夏になると慎五郎は、かならずヴィヨン教授からこのEZEの街へ誘われて、しかも一度は一人だけでこっそり訪れた。迷路のような路地が続き、一年中花が途絶えることがない街並み、蔦の絡まる石造りの家、サラセン人の外部からの攻撃から備えて要塞化した村のそれらはあたかも中世に迷い込んだ錯覚を覚えさせた。
 長い夏休みの読書後は、いつも石のパティオの日陰が転(うた)た寝の指定席で、子守のようにそっと脇に置かれた白いパナマ帽が、いつしか主人から放れ自由にコロコロと転がり遊ぶかの長閑(のどか)さも、またお決まりの光景なのであったが、慎五郎はそんなヴィヨン教授のシルエットを居間の窓ガラスにくっきりと映し出していた。
「Restez Fous.」・・・(愚か者であり続けよ!)
 と、目覚めてはいつも口癖のようにこう語り掛けられた。ヴィヨン教授は、そうして好奇心と人生の楽しみを膨らましてくれたまえと、パナマ帽をそっと拾って差し出す慎五郎に、さもニーチェの静香(しずか)さでも匂わせるように遠い眼をされて、さりげなく濃厚な励ましで勇気を与えてくれた人である。ニーチェもまたエズの街とは思索で結ばれているが、ヴィヨン教授とは、ニーチェの自叙伝『この人を見よ』をみずからで独自の解説を加えながら、哲学の魅力を学ばせてくれた恩師でもあった。

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 ヴィヨン教授がニーチェから索(ひ)いたアフォリズムの樽に、漬け熟(な)されるされるような慎五郎の夏休みであったが、その肩の荷の重さを振り返れば、それらは皆、まさにそういう稀な心根の持ち主により与えられた貴重な時間なのであった。教授と過ごしたすべてを出来事の順に並べなおしてみること、教授からタグをつけられて贈られた書籍の数も膨大である。慎五郎の行き先を厳密にしるしてくれること、ヴィヨン教授の作業とはそういうものだった。
 それらは人への温かい情愛を包んでいるのだから、久しくお会いしていない異国人(エトランゼ)からの郵便物は、いかにも唐突に恩師を迎えた慎五郎にとって、新たなときめきを抱かせる訪問客なのである。
 わずか二年間の留学中の交流ではあったが、送る人も送られる人も、オルリー空港のターミナルで涙を流していた。そう、あの別れも箴言(しんげん)であろう。
「Mon fils! Mes amis! Shintaro, merci. 」・・・(息子よ。友よ。しんたろう、ありがとう)
 声高々に涙を流されて、慎五郎が、搭乗口へと消える間際まで、ローベル・ヴィヨン教授は、白い頬をまっ紅に染めて立ちすくみながら高々と両手を振り上げて見届けてくれたのだ。
 人間肯定の深い思いが常にヴィヨン教授の背後にはあった。
「君は頭もいいし、行動力もあるのだが、万事に用心深いところが、君を年齢よりも老成した感じにみせていて、周囲の眼から多少、野暮ったく思われがちだ。そこが軽んじられる要因にでもなると君が困るのであるから、君には我が母国の太陽をもっと感じ取ってもらいたい」
 という、そんな教授の言葉を想い泛かべて窓辺に映し返してみると、呼び戻されてよみがえる面影との再会に、懐かしさの深まりを悉皆(しっかい)と抱いた慎五郎は、ローベル・ヴィヨン教授の後について初めて上り下りした、カスバのように曲がりくねったエズの坂道を、踏みしめて歩いた感慨をしんみりと思い出していた。

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「ああー、私はなんと愚かなことを・・・」
 あれこれ思いだすと、正直、至らなさが恥ずかしくて、只(ただ)、詫びるしかない。
 開放感あふれるここでの生活をニーチェは「エズでは、喜びのあまり小躍りしているのを人に見られ、我慢して威厳を保つのが大変だった」と回想して書き残しているのだ、と、そのように教授から教わったのだが、当時、慎五郎に下心がなかったわけではない。
「そもそも、永劫回帰の思想とは、やたら難解なモノではないか」
 そう考えて逃げ腰でいたのだ。間違って、月並みで安直な理解のし方をしてしまうことだってある。そうなると厄介は、ヴィヨン教授を「期待を裏切られました」と幻滅させ、凶状でも廻されることになったのでは帰国後が面倒であると考えていた。毛頭、哲学に没頭する気概など無かったに等しいのであるから、いささか、慎五郎にとって夏休みの存在は煩わしことであった。
 しかしヴィヨン教授が「一切はこわれ、一切は新たにつぎ合わされる。存在という同一の家は永遠に再建される。一切は分かれあい、一切はふたたび会う。存在の円環は、永遠に忠実におのれのありかたをまもっている」と、煙草を燻らせていう、その語種(かたりぐさ)には、妙に人を曳き込み魅了させる力があった。
 そうして魅了されてみると、知らずと慎五郎もまたニーチェと同じような開放感を味わっていた。ヴィヨン教授に導かれて、トンネルのような細い通路に入れば、粗(あら)い石組みの家、遥か窓を見開いてみればエーゲ海の光、これが思索の虎口(こぐち)かと思える体験をした。
 そこには教授から「フランス的身体性」とは何かという問題が突き付けられていたが、それこそが慎五郎の過去と現在をつなぐ貴重な架け橋なのである。




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                             第34話に続く
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   京都 三十三間堂 大的全国大会(通し矢)。
 三十三間堂で2013年1月13日に開催された「三十三間堂大的全国大会」。「通し矢」に由来する行事で弓道をたしなむ2000人の新成人が振袖袴の晴着姿で行­射する姿は、京都小正月の風物詩。大的大会は三十三間堂本堂の西庭の南側に直径1メートルの的を置き、60メートル離れた場所から矢を放ち当てるもの。江戸時代の通し矢では、一昼夜のうちに何本的に当­てられるかを競ったと伝えられている。蓮華王院 三十三間堂「大的大会、楊枝のお加持」住所:京都市東山区三十三間堂廻町。



  
   京都 蓮華王院 三十三間堂。




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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第32話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   32

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      八  夢の歯車 (ゆめのはぐるま)   



 たしかに、(むべ)の、小さな花が秘めてもつ力を覚えた。そして、ぼんやりと、道が二つに割れて見えた。しだいにそれが、過去と未来の道だと分かった。さらにその道には、深い青の淵があり、そこより弾け出た緑珠の荒魂が慎五郎の首筋をなでるように揺らした。
 緑の珠は弾けたが、そこにはまた静かな森の奥深くに咲くように、むべの花が泛いている。

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「しかし・・・、この懐かしさは、一体何・・・?」
 手先までが秋子の篠笛にまだ揺らされている。しかもどこか聞き覚えのある潮騒の揺らぎだ。
「どうも・・・、僕がむべの花に触れてはいけないらしい。何となくそんな気がした」
 花は幽かにしか見えないが、しかしその花影が覆うようにして、青い淵が消えた。そこで、たしかに慎五郎は夢を見ていたことに気づいたのだ。だがまだ途中であるのかも知れない。耳奥で秋子の笛が揺れ続けている。その笛の音は、明らかに慎五郎が見憶えている山端の風景を強引なほど曳きつけていた。

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 金縛りにする、そんな夢の中では、すっかり慎五郎と秋子とが逆転したごとくに入れ替わっていた。
 いつしか秋子が江戸気質の東京人になっている。
 しかし夢から醒めてみれば、そう夢に想う慎五郎の理由も明快だった。
 この夢の話を秋子にすれば、きっと「うすらぼんやりとした欲求にまかせて私を慰みものにしちゃいけない」と彼女は言うだろう。秋子は理論的である。
 たしかに慎五郎は一時期、中途半端に狸谷に暮らす秋子の世界に興味を持っていた。その間の慎五郎は、秋子が仲睦まじく狸谷の住民らと交流できる姿に、別の負の感情である嫉妬すら覚え、自身でも考えようの及ばない、ある悪質な眼差しを向けた意識で胸を染めていたのだ。慎五郎は「自身でもはっきりとしない欲求で秋子を知ろうとしていた」のだ。
 夢はその間の、慎五郎の妙な感情をあぶり出していた。しかし、そうした負の感情を抱かせ、それを糧とさせて生きようとさせる秋子こそ、かけがえのない慎五郎の「奇貨」なのである。そう思えたから「私はこの女性と一緒に暮らさなきゃならないのだ」と決心した。それゆえに今、祖父富造の日記をもとに、阿部家を引き継いだ秋子の心情を解きほぐしている。
「ああー、あれは太郎冠者(たろうかじゃ)の桜!・・・そうか、そうか」
 さりげないが夕実の言葉の音感のようなものには凍てつくように鋭いものがある。新たに感じるものがあった。慎五郎は、できるだけ正直に、できるだけ偽りなく山桜を感じてみたかった。

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 室町時代の狂言「墨塗」の中では、「男心と秋の空は一夜にして七度(ななたび)変わる」という表現がある。これはそもそも、男のほうが女より浮気しやすいということだ。紫式部の「源氏物語」にあるようにじっと忍耐強く待つ女と対照的に男は気の赴くままに次々と女心をくすぐっていくが、それが男という動物の本性なのであろう。しかし時代を経るに従い、狂言は面(おもて)をもつ能樂とは違い、人間の顔そのもので写実性豊かな狂言として滑稽色を強めるようになった。可笑しみの裏にこそ眼には見えない四次元の本質はある。

       炎の動き

「人とはやはり、他では収まりきらないモノであろう・・・」
「自分が傷つくと心を痛め、傷つけるモノには怒る人になる」
「今度、夕実には、能樂の鉄輪(かなわ)を、見せてやろう・・・」
 大名狂言の墨塗は、遠国の大名が都より国元に帰ることになり、在京中の愛人のもとへ太郎冠者を伴って暇乞いに行く。女はひどく悲しみ、涙を見せて嘆くのだが、実は水をつけて偽りの涙を流していた。ここまでが「序」という無拍子である。この一次元から二次元へと狂言を進化させる。
 次の「破」から拍子が加わると、それを太郎冠者が見抜き、太郎冠者はそっと墨の水入れと取り替える。しかし、女はそれとは知らず泣き続けていた。最後は「急」に転じて加速させ、やがて大名は女の顔が黒くなるのに驚き、別れの形見にと鏡を手渡すのだが、すると鏡に映し出された自分の顔の墨塗をみて、女は怒り、逃げる二人の顔に墨を塗りつけて、仕舞いには、三人とも墨塗りの顔になるという筋立である。しかしそうした筋の、その残り滓、妙に持ちこたえられない中心、慰めにもならない断片を感じさせる。

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「この墨塗の序破急(じょはきゅう)を、抽象させる例えが能楽の鉄輪なのであろう」
 それは「女」と云うには禍々(まがまが)しく、「鬼」と云うにはあまりにもモノ哀しい。人間が、心を墨色に染めた物語である。これを観て、坊主はまだ喜べる、というのであろうか。鉄輪とは、自分を捨てた夫を呪い、鬼と化す女の言語譚(たん)なのだ。今日の歌舞伎語りではない。迂闊(うかつ)だと、人はそこを遊蕩(ゆうとう)な見世物にするものだ。
「丑(うし)の刻(こく)参り・・・・あの桜が、夢のお告、神託なのであろうか?」
「あれが狂い咲きとして見えることが、デペイズマンであれば、私は今、異国へと送られていることになる」
 慎五郎には、女の面(おもて)が見せる鬼のようなすさまじさ、鬼の形相の面が垣間見えるのだが、秘すれば花という、裏面には、恋しい男を慕う女のせつなさもある。いずれも同じ人情ではないか。その情念には灼熱に身をよじりたくなるような怨念と、その灼熱をいったん避けて人情の効く風情に入るような残念とがある。慎五郎はまだ暫くは瓜生山の見てはならぬような山桜を、焼香を灯すような眼で愁傷に細くみつめていた。

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「時節を待つべしや、まずこのたびは帰るべし、・・・か」
 真ん中には中庸(ちゅうよう)だけがある。表も裏もない。それが人間なのだ。だが、怨念(おんねん)となれば、それはまた別モノのような気がする。怨念とは、ひと度その人の裡(うち)から浮遊すると、後は人智では及ばない幽鬼のような存在として妖気を放つ新しい生命の生まれ変わりであるのかも知れない。その鬱屈した動きの型を表現しようとするものが猿樂に至る能樂であるとしたら、鉄輪がそうであるように、風姿花伝の人は中庸にして過甚ならず、変化(へんげ)は未完で閉じるしか手立てなどない。心にそう慎五郎が見改めると、一樹の桜はもう墨染めていた。
 樹木は老いてからがだんだん凄まじい。そういう老人力の樹というものは昔から世界には数多くあるけれど、慎五郎が接した範囲でも老人になって何でもないような樹はもともと何でもなかったわけで、たとえば屋久島の縄文杉、米国カリフォルニアのジェネラル・シャーマン、米国ホワイト山地のブリスルコーンマツ、メキシコのエル・アルボル・ デル・テューレ‥‥そのどれもがみんな凄かった。呪鬼というのか、みんな深々とした妖気のようなものを放ってくる。これこそが正統の妖気である。

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「能は、枝葉も少なく、老木(おいき)になるまで、花は散らで残りしなり・・・・か」
 こう世阿弥(ぜあみ)には見えた、その父の観阿弥(かんあみ)は死の十五日前にも、駿河の浅間(せんげん)神社で、奉納の能を一心不乱に舞い立っていた。それは動かず、控えめな舞である。これが世阿弥のいう「まことの花」である。この花の伝わりが「風姿花伝」、人の動きと心の動きをしるした「舞道理論」なのだ。
 これはまた父観阿弥から与えられた「花の形見」なのであった。父観阿弥が到達した舞道の極致をのべている。「その風を受けて、道のため家のため、これを作する」「これを秘して伝ふ」とあるから、伝家の奥義でもあったのだ。そんな眼をして桜をみると、白さから墨染めた山桜には身振りや手振りがあった。
「秘せねば花なるべからずとなり・・・という」
 狂い咲きして慎五郎がながめる山桜の齢(よわい)はまだその老木という域ではない。壮年前期の一樹なのだ。世阿弥はいう「上がるは三十四、五までのころ、下がるは四十以来なり」と。そうして行く末を見極める時期なのである。慎五郎は、世阿弥のいうこの青年の若さが消えようとするその年域にいた。

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「この分目(わけめ)を知ること、肝要の花なり・・・その分目とは、一体?」
 この先、どう秘すれば花と成るのか、どう行えば精神の修成をたどれるのかと思うが、そうかこれは不惑の窓なのかと、より夢中になったその時、玄関先で家内を訪う馴染みのある大きな声が聞こえた。
「何んや居てはるやないか、平気なもんや」
「今日のは、また、えらい大きな荷(やつ)やさかいに、それもまたえらいに遠い処からや」
 一条寺郵便局員の波多野照夫である。波多野は老いるにつれて「平気」ということをしきりに言うようになったという。秋子がそんなことを語っていた。

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 どうやら見当のつかない横着が平ちゃらになっていくのであるが、定年で一度局を退いたが再び嘱託として配達員をやっている。腰を据えてこの男の都合に係わると、慎五郎が知らない気楽というものが何故(なぜ)か次々に広がっていく。秋子のよく知る現役のころは、貴き血筋のアンシャン・レジームさを見せびらかす嫌な質(たち)の男であったが、最近は様子がまるで違うらしい。その通り、静謐(せいひつ)なバサラのようなものを感じさせた。どうしてかと訊(き)くと、還暦の時分に愛宕山で採った毒キノコに祟(や)られたという。そんな話は妙な夢の後だけに、巻きこまれて慎五郎が頭を冷やすのには丁度よかったが、波多野はそんな珍しい話を長々として帰って行った。

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「人生というものには、やはり偶然が関与するものだ」
 波多野という男の変化がそうであるように、慎五郎と秋子とが二度目に出逢った縁も偶然だった。それは東京の夜中に街を歩いていて、ふと見渡した公園の何に目をとめたかという偶然である。
 いつ、どこで、どんな女に出会ったか。慎五郎は生まれてきてからこの方、数多(あまた)ある女を見てきたことになる。秋子はその一人なのだ。最初の出逢いが京都の五条坂であった。だが二度目に出逢った秋子は、意外な東京の公園の外灯に赤いフィルターを取り付けていた。それは慎五郎には、一連の星座をかたどる銀河のうちの星姫の一つに出会うような偶然であった。
「あれが、ちょっと冬めく冷たい公園の夜陰なら、偶然はなかったのであろう」
 そう思うと、一瞬、慎五郎はハッとした。
 あのとき秋子は夜桜の公園にいたのだ。たしか4月の中旬で満開を通り越した花はもう人知れず見向かれることのない青葉まだらの季節なのである。秋子はその散り残る桜木を赤く染めようとしていた。秋子はあのとき、出会ってみなければ決してわからない結晶的な雰囲気というものを実験しているのだと言った。偶然は、そうして特別な夜の思想までをも慎五郎に与えた。このとき慎五郎は二度目の秋子が吹く笛の音を聞いた。
「あれはそう、何かの深奥を感じた、あのキリコの形而上絵画にも似た感覚じゃないか・・・」
 どうしてキリコなのかは解らないが、慎五郎の眼は未来都市の静寂に光と影だけを泛き上がらせていた。


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                             第33話に続く
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   京都 八坂神社 初能奉納。



  
   京都 薪能。
 京の初夏の宵を彩る「京都薪能」。平安神宮。空が暮れゆくのに合わせて光を増す炎が能舞台を浮かび上がらせ、観光客や市民が舞台で繰り広げられる幽玄の美。




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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

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京都風土記『花そとば』 第31話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   31

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      七  邑の月 (むらのつき)   



 入道雲が千切れると、にわかに空は高くなる。
 さて・・・・・秋立ちぬ。
 白露の風を朝夕の頬にとらまえてみた。
 彼はやはり益々白い秋の詩人なのである。
 北原白秋の仰ぎみた空とは・・・、
 千恵子ではないが、ほんとうの彼の空を探してみたい。
 彼が歩いた白い道を『白秋曼荼羅』とでも見立て、日本人ならば居そうな白秋の彼岸いうものに眼差してみたい。
 そうであるから「秋立ちぬ彼について」諸本を開き、白秋が生きて歩いた軌跡を訪ねては、その足音に臨みつつ、あるいは彼の周辺のうごめきについて執りながら、白秋という男が享けた煩悩と歌の連なりに輪廻する詩情の色彩を耕してみることにする。
 そこで寺田寅彦の蓄音機の上にこの曲を乗せてみる。
 この道は・・・いつかきた道。
 あの丘は・・・いつかみた丘。
 寅彦はまた『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルともいわれるが、その寅彦とは科学と文学を調和させた文士「吉村冬彦」でもあった。

        この道はいつか来た道
        ああ そうだよ
        あかしやの花が咲いてる

        あの丘はいつか見た丘
        ああ そうだよ
        ほら 白い時計台だよ

        この道はいつか来た道
        ああ そうだよ
        お母さまと馬車で行ったよ

        あの雲もいつか見た雲
        ああ そうだよ
        山査子(さんざし)の枝も垂れてる


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 この歌詞には、北原白秋が晩年に旅行した北海道と、母の実家である福岡県南関町から柳川までの道の情景が歌い込まれている。
 白秋は、1885年(明治18年)11月25日、福岡県南関町の母の実家で生まれ、まもなく柳川の家に戻った。
 母の実家から柳川までの道は白秋にとって格別な思い入れがあり、帰省のたびに欠かすことなく訪ねるのがこの上ない楽しみだった。
 白秋は、この詩について後に次のように書いている。「・・・あれはやはり『思い出』の系統に旅中から得た北海道風景を織つたものである。形式は五七二行に『あゝさうだよ』を挿入して一聯(いちれん)をなした。私の新定律の一つである。・・・」と。昭和4年のことだ。
 「この道は いつか来た道」の五・七、「ああ、そうだよ」の二・四、全体として「五・七 二・四 五・七」の音数でできている。
 白秋が「この道」を発表した時すでに、感動の意味を込めた終助詞「よ」で結ぶ詩作をきわめていたことがわかる。北原白秋の新しい世界が広がっている。
 「揺籠のうた」(大正10年『小学女生』掲載)カナリヤが歌ふ「よ」。「砂山」(大正11年『小学女生』掲載)海は荒海、向うは佐渡「よ」。「ペチカ」(大正十三年『満洲唱歌集』掲載)ペチカ燃えろよ、お話しまし「よ」。さらに「からたちの花」(大正13年『赤い鳥』掲載)からたちの花が咲いた「よ」。そうして「この道」(大正15年『赤い鳥』掲載)ああ、そうだ「よ」、と連呼し連辞する。
 白秋をこうさせる「よ」とは、憧憬に浮かび来る幸福であった自身を省みた哀愁であった。幼きころの幸福である。それはまた茨の道あればこその白秋の幸福であった。

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 白秋は我が道を省みて「お母さまと馬車で行ったよ」という。
 そうした白秋の「よ」とは、日本語の音節のひとつであり、仮名のひとつである。1モーラを形成する。五十音図において、第8行第5段(や行お段)に位置する。また現代標準語の音韻、1子音と1母音からなる音 「yo」であり、母音い「i」の口の構えから行われる半母音である有声子音「y」とからなる音である。
 さらに「よ」は、「余」または「予」で、日本語で一番短い一人称である。
 すると白秋が「この道」で発した一人称としての「よ」と呼び止めた「1モーラ」とは、これをどう解釈したらよいのであろうか。モーラ(mora)とは、音韻論上、一定の時間的長さをもった音の分節単位である。
 慎五郎は、白秋の1モーラとは、と、ふとそう思ったとき、柳川をどんこ船で揺らされていた秋子が「狸谷に悪いことが起きるたび、白秋の詩に思いをぶつけて乗り越えてきた。こんなに辛いのだから、後はいいことしかないと思って。でもまた、乗り越えなければならないことが起きそう。明日からはまた、菜の畑を過ぎ、葱(ねぎ)の畦道を通り、紅葉が多くお落ちて賑わうところが秋子の帰る家なのだと祖父が言ってたけど、きっとまた今夜、夜に何者かが門を叩くのね」と、妙に淋しげに漏らした言葉を想い起こした。そして彼女の吹く篠笛が、小さな1モーラの慟哭として思い起こされた。すると慎五郎の眼には、秋子と歩いた狸谷の月夜に照らされてみた、幽かな道の辺の青い淵どりが沁み入るように泛かんできた。
 慎五郎はじっと真夜中の月をながめながら、月の移りめぐる過ぎし日のことを考えていた。
 その月のめぐりとは、みつめる人間のみが知る歯車である。
 この世には、世にまつろわぬ「鬼」がいた。
 なぜ、その鬼が「悪党」なのか。歴史をかみ砕いてみると、鬼を語りぐさにして、世にはばかる勝者の鬼がいたことがみえてくる。その勝者の鬼への拍手喝采は「盛者(じょうしゃ)必衰(ひっすい)」の無常の物語とされて、今に継がれる語りぐさである。憎まれッ児(こ)、世にはばかるという。が、逆しまに、世にはばかると、いつしか鬼にされ、悪党と恐れられることになる。これが人の世の常として、国家とは、その勝者の鬼の集団であった。現代に同じ懸念を抱くまつろわぬ鬼も少なくはあるまい。
 この世の常識とは、その国家だけが持つ伝家の宝刀だが、それを世にはばかる勝者の鬼が抜くのだから、副作用として、確からしく思えた常識が、別の常識に乗り超えられることは常にあることだ。いまでは誠の鬼が影を薄くした。副作用に困るのは常識ある国民なのである。そうさせるのは国家であり、非常識に無表情な勝者の鬼たちであるのではないか。この世とは、常識的な思考に長(た)けていては、少しも見えないものである。
 現代を常識の進歩だとすれば、その常識の進歩は、勝者としての鬼の知的到達点であり、世界で最も不確実なものだ。非常識者は苦手、と忌避する常識者が沢山いる現代の中で、鬼にあらがいがたい憧憬を抱く非常識な人も少なからずいる。阿部秋子がそうであった。現代社会が常識のみで記述でき、日常生活も常識なしには成り立たない現実を知り、その常識の危うさを掘り下げると、さらに鬼への憧憬は深くなってくる。
 やれば叱(しか)られ、やらねば叩(たた)かれ、はばかる情は、いずれにしても角が立つ。当世、たしかに、二の足を踏むことばかりではないか。諍(いさか)いを逃れ、じっと丸まれば、しかし己(おのれ)の頭に角(つの)が出る。
 「現代は常識の幼形(ネオ)成熟(テニー)として進化した」と、現在の波田慎五郎は、そんな魅力的な仮説を持っている。

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 そのように思えると、慎五郎はまた秋子の篠笛が偲ばれた。
 或(あ)るエポックの衝撃により、時代感が急激に成長しようとすると、人は、好奇心に満ち、探索し、道草を食う。攻撃よりも防御、体験よりも知能遊び、信じるよりも疑い、これらのことが優先され、合理的な想像力の射程が延びてくる。この射程内で現代の常識はつくられた。法律もそうである。
 秋子の篠笛を耳に澄まして眼を閉じていると、その眼には月がめぐり、耳には笛の音がめぐりはじめた。その二つがしだいに青い淵を歩いた記憶の脳裡で一つに重なってくると、慎五郎はやがて、過ぎ去った時代の音でもカツカツとめぐるような感覚の足音に縛られていた。
 さきほどまで北原白秋の1モーラについて考えていたが、そのモーラは日本語のリズムで、またモーラは「拍(はく)」である。そう考えてみると秋子の篠笛は鮮やかな拍子木を打っていた。何やら数輪の歯車が音一つ立てず噛み合っている。その歯車の赤いめぐりを感じていると、慎五郎はいつしか深い眠りに落ちていた。

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「鬼とは、何か。わたしが、鬼か ?・・・・・・」
 清楚な白い花が秋子の手で控え目に活けられている。そのさりげない慎みが、さりげなく、さりげなく、活かしてあることを感じた慎五郎は、一間の部屋にはばかるほどのモノの面(おもて)をみせた浮き上がり方に、はっとして、そこに引き立つ幽かな姿に、小さな花が秘めてもつ力を覚えた。

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 普段、めったに花瓶など置かない出入りの少ない部屋であるから、秋子は昨日の慎五郎の様子をどのように見取ったかは分からないが、今日もまた、この部屋に入ることを感じ取っていたことだけは確かだった。
 「わたしの誕生日と、同じ日に鬼の貌(かお)など、何も好き好んで見るものか。だが・・花の・・これでは鬼払いではないか」
 と、慎五郎は、じっとまた、白くそり返る花をみつめた。これは、狸谷で、秋子が摘んだ郁子(むべ)の花である。この郁子と阿部家との結びつきは古い。郁子は秋になると、丸長い紫のアケビに似た実をつけるのだが、その実を平安の昔には苞苴(おおむべ)といい朝廷に献上するものとされていた。その「おおむべ」が変化して「むべ」の呼び名になっている。京都・狸谷の阿部家は、御一新以後もその歴史の縦糸をしっかりと捉え、世にはばかりて仰視する営みを継ぎ継いできた子代(こしろ)という家柄であった。

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「もう、いいのではないか。此(こ)の花は・・・」
 そうした家系の意識をたどりながら、遠うに曾祖父秋一郎は他界し、六年前に実父清文を亡くし、ニ年前に祖父寅造が他界したことを見届けた秋子であることを見知る慎五郎は、阿部家の流れいく水との訣別(けつべつ)を次第に考えるようになっていた。
 秋子は、渋い顔つきの慎五郎が、きっと明日が自分の誕生日であることも忘れている、と思ったに違いないのだが、慎五郎には肌をピリピリとさせるものがあった。
 東京から来客気分で来たせいか、古い京都の町並みに魅惑さえ抱いた楽天家の慎五郎には「生々流転」の意識などはない。
 だが、秋子は常に、京都の川のもつ、強大な侵蝕力を感じながら生きてきた。しかし川という生きモノも、時代の生活に包含されて流れるようになると、すべてが弱い川の流れでしかない。かつては生活の全体に流れこむ気魄(きはく)があった。たしかに「家」は核心であったのだ。郁子の花は、すでに時代にそぐわないそれらを慎五郎の脳裡(のうり)によみがえさせるのである。慎五郎は胸の奥底でそんな格闘を強いられていた。

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 「みんな流れに沿うてきたんや。自然に逆らうことは何よりいかんことや」
 こんな口癖を聞かせつづけている養母の和歌子だけは、女のいのちの逞(たくま)しさを細い身に感じさせて未だに気丈夫でいる。八十の齢(よわい)でありながらも、自然に逆らおうとはしないからであろう。高野川の水の知恵が、いつまでも永遠のもので、阿部家を守り、それが和歌子の生きる力となっているのだ。
 「しかし、もはや世代の落差というか、エネルギーを包容しない流れのようであるではないか・・・」
 漠たる不安を抱えながらも、やはり情けない思いを抱くことの方が強く、その暗がりの裡(なか)で「世にはばかる」とは、果たしていかほどまでに生きる感度を高めればよいのであろうか、と。
 ここ三日ほど、腑抜(ふぬ)けのように、窓辺の春をながめながら思案などし続けていたが、ふと、そうして居るみずからは不惑(ふわく)にはばかられた男なのであって、四十のときもそうであったが、六十にもなろうとするそんな男からのぞかれる窓を、じつは開いたのは自身であることに立ち返ると、そうさせた窓が情けない思いを抱いてることに突き当たった。
「私も情けないが、窓が情けないのだ」
 波田慎太郎は、欠けた何かを心で補おうとする時、心意気として、世にはばかるモノの苦心があることを覚え、やはりそれは、この世に不可欠な存在であるし、従えば、在(あ)ることの大切さに気づくのである。
「有るものは(情けない心)で、無いものは(惑わない心)なのだ。これが俺の、不惑の窓、そして還暦の窓か」と、
 胸に突き当てたが、有るモノが無くて、無いモノが有る、という事を、理屈と取るか、屁理屈と取られるかが、慎五郎には問題であった。いずれにしろ、流れをどう変えるか、その決断の時期を慎五郎は迫られていた。
 山桜が裏山の端(はな)にある。それは阿部家の祖父秋一郎が植え遺した記念樹であった。孫である嫡男の清太郎(清文)がこの世に生まれてきた証(あかし)でもあるのだが、やがて散り終える時節であったから、そもそも、この一樹の花の最後の風情をながめたくて開いた窓なのである。しかし、その花が、はらはらと、散るさまを眺めている裡(うち)に、地に落ちる間の静かさがあり、花にも裡(うち)があることを慎五郎は感じた。

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「私は、この桜と同じ歳なのか・・・」
「本当に、同じ季節を生きてきたのであろうか。この花には、情けないと思わせる力がある」
 他界した清太郎の身代ともなれば、今日までの生きようというものに決着すべき時期であることは認めねばならないが、果たしてこのままで阿部家が継続されて維持できるのか、慎五郎はその決断を迫られていた。
 花は、ただ、ひらひらと落ちることに懸命である。その花に、人は魅せられて美しいと思い込むのだが、花は人が見ようと見みまいと身勝手に、ただ、散っている訳であって、慎五郎は、花が地に落ちる間に美しくして見せる、そんな桜の言い訳が知りたくなった。
「打つ釘もあれば、打たれる釘もある」
 「されど、どちらの釘に情があるのか。あるいは釘を打つ人の情とは何か」
 と、慎五郎は、ひらひらと散る桜の窓辺で、行く春をながめながら、散りて春の終わりを告げながら、散り際に名残り惜しみ気もなくひらひらと舞う花が、人にはそれが風情であり、言い訳がその情であるのだから、と、その「情」について考えてみた。
「無情とは、勝者の言論であり、非情とはまつろはぬモノの言論である」
「また、はばかる者は強情である」
 桜が遠い眼をしていると思うから、慎五郎も、また遠い眼をして、この世に有ると考える、情のそれぞれを考えてみたのだ。桜がそうであるように、阿部家も「家」によって生活は維持され、様々な生活様式が伝承されてきたのも確かである。その根性としての情を、慎五郎は見極めなければならなかった。
 「たしかに、世にまうろわぬ「モノ」がいた。それらは、みな、生きとし生けるものの中に存在した」
 そう思うことが出来る慎五郎は、厭世(えんせい)のひびきだけは跳ね返したかった。世の中をいやなもの、人生を価値のないものと思うことはない。ただ、今は、凹(へこ)んでいたいだけだ。凹んだ分だけ、後で幸せが大きく感じられることだってある。
 中世の話になるが「川は水を閲(す)べて以て川を成し、水は滔々(とうとう)として日に渡る・・・」を「悲しい哉(かな)」としても、これと共鳴し合うのを現代は許さない。無常の薄明のなかに耳にして聞こえてはくるが、それは髪にシラミをわかせて天下国家を論じるような古めかしさで、現代にしてこれは根(デ)なし(ラシ)草(ネ)であるのだ。
 デラシネ・・・、つまり根無し草。転じて、故郷や祖国から切り離された人らである。

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 狂い咲きした山桜の一樹をながめながら、午前中が終わろうとしていた。
「この気色・・・これは明示なのか?それとも暗示なのか?」
 あたかも山桜が秋を春にでも捏造(ねつぞう)したかのようなそれは普段の瓜生山(うりゅうやま)の光景ではなかった。明示なら見極めてから閉じるだけでいい。だが暗示であるならば兆しを開き見定める必要があった。
「まことは無相真如の体(たい)、一塵法界の心地の上に、雨露霜雪の象(かたち)を見す、というが・・・」
 仄かな白をしだいに青白くも見せていく姿は、しばしば息を呑むほど美しい。誘われると時々は見たくなるような幽明な艶がある。不束(ふつつか)なところから覗くとその狂い咲きの花はいやに艶っぽく生めいていた。
 やはり実際の出来事のファクターはフィクションの泛力(ふりょく)より遥かに富んでいるようだ。
 それは、それは、近く遠くの青空の、それで記憶の粉塵の杜(もり)を静かに歩くようで、まるで花をさかせた痕(あと)が錯覚の別世界にでもいるように人知れず懐かしい。その決して散ることのない白のひとひら、淡いひとひらは、霞んだ幽(かそ)かな天然のプレパラートなのであった。京都にはそんな幽鬼らが棲んでいる青山が数多くある。
 ここしばらく波田慎五郎は韓国(ハングル)に旅をしていた。
 異国でのホテル暮らしに躰が慣らされた仕業(せい)か、どうやら我が家の枕には嫉妬(しっと)というものがあるらしい。シルクでくるんだ羽毛(ダウン)から綿布に押し込んだ小豆(あずき)では頭の据(す)わりに違和感があった。無論、愛用の枕は小豆だが、いたし方なく浮気した。浮気をすることの怖さは、寺の多い京都に暮らすと茶飯事のことである。見知らぬ鬼籍がいつもいる。追いたてる鬼女の夢にうなされた慎五郎は、その枕に叩(たた)き起こされた。愛想尽かしの適(かな)わぬ浅い眠りに気怠(けだる)くとり倦(つか)れてみると、未明の隣の居間では、電話がやけに怒鳴っていた。
「誰だ、こんな時間に・・・」
 寝床を這(はい)出るようにして受話器を取り上げると、相手は秋子であった。
「あら、やはりお帰りでしたか。そんな予感がしたの、ほゝほゝほ・・・」
 と、聞こえたが、この電話がじつに不思議だった。
 ここから先の話が慎五郎には夢のようだ。
 いつしか秋子が妻になっている。しかも我子までいる三人家族の物語ではないか。
 その妻の傍(かたわ)らにいるのであろう、長女夕実(ゆみ)の声も小さく聞こえたが、二人は今日の夕方には帰ってくるらしく、母娘仲良く朗(ほが)らかなことは結構なことではあるが、そう伝える秋子の声は酷(ひど)く長々と明るかった。
「笑いごとじゃないよ。こんな未明に・・・」
 3歳になる夕実と一緒に高野山に行くことは承知していたが、仏の山は未(いま)だ暗がりであろうと思う慎五郎には、間もなくケーブルに乗って極楽橋駅へと下りようとする二人の姿など過(よ)ぎるはずもなく、急(せ)くような用件ならまだしも、なんとも気紛(きまぐ)れで不躾(ぶしつけ)な秋子の長電話が訝(いぶか)しく感じられた。
「えっ、未明・・・そう・・・もう八時半ですよ。あら、まだ寝てらしたの。ほゝほゝほッ・・・」
 と、仕舞いは、あっさりと笑い声を洩らし、電話がプツリと断ち切れた。
 京都の闇は、常に、56億7千万個中、56億7千万個の項目を更新しているという。滅法な暗示の中で救済を待つという長(たけ)た手習いは、都人にもともと生得的にそなわっている位の風情というもので、人はその嵩(かさ)を覗(のぞ)けるようになって人並みとなる。はんなりとした風姿はその気位の証(あかし)でもある。慎五郎も一塵法界(いちじんほっかい)の匂いを嗅がされながら、その暗示を信じるかのようにして生きてきた。
 片や、江戸気質(かたぎ)の秋子は、いつもそこらが妙にさりげない。連れない味気なさは痛罵(つうば)に近い嫌味をも京育ちには抱かさせる。しかもそこで話を断ち切られると、謡われていく言葉と音と律動が呪術的な抑揚のようなものになっていく。そんな無用心の一方的な交信エラーに、慎五郎は、闇夜の背後から不意討ちの一(ひと)太刀(たち)をあびせられたようで、陰府(よみ)にでも随(した)がわせられるような電話の切られようが無性に腹立たしかった。
 切ったのか、切れたのかは分からぬ曖昧(あいまい)な電話の断たれように、唖然(あぜん)とさせられたことでようやく目覚めた慎五郎は、真逆(まさか)と、とりあえず居間のカーテンをそっと開いてみた。
「ああー、やはり秋子の言う通りなのか・・・」
 空は澄んで青高く、晴天を宣告するような日和(ひより)である。時計を確かめると、たしかに九時前であった。さらにカレンダーの日付も確かめたが、1979年10月27日、これもたしかに土曜日で間違いはない。ただし、夢と幻を紡ぎはじめてみると、そう止まるものではない。何か無意識の経験でもあるのか、昨夜からの記憶に不確かなところが多く、何時(いつ)、家に着き、寝込んだのかが、どうにも要領の得ない慎五郎であった。
 秋子に促されて開いた窓辺なのだが、どうやらそこはふたたび「無」だか「薄明」だかに似ていて、慎五郎の目の前にある光景は、自分をくるりと宙返りさせてしまい、不可思議な空間として気色を蕩(とろ)けさせた。

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「なに!あれは・・・サクラ?・・・」
「山桜だ。10月・・・狂い咲き・・・」
 瓜生山では前代未聞の花の創作が始まっていた。
 しかし此(こ)の桜は不動明王の顕(あらわ)れとして村人が認(したた)めた敬虔(けいけん)な一樹ではないか。その桜が狂い咲きなどするはずはない。かつて一度も狂い咲きなどしたことはないのだ。だが眼に映る山桜は、瓜生山でなにやら春のように騒いでいるではないか。しかも麗しい。慎五郎はむしろそう期待したいのだが、逆にこれが自分の錯覚であれば、期待はあっけなく裏切られることになる。いくら両眼を疑い瞬(しばた)いても、やはり桜は咲いていた。
「そもそも、人間の知覚ほど、曖昧(あいまい)なモノはないではないか」
 思い当たる事といえば、昨日の夕方に韓国の金浦(キンポ)空港に向かう前に、京城(ソウル)市内の酒場(デポチプ)で쌀막걸리(サル・マッカリ)という濁酒(タクチュ)と、あるいは동동주(ドンドンジュ)という酒とを重ね呑(の)みしたことでしかない。
 大きな丼のような器によそい、それを呑んだが、その時、小指でよく混ぜてから大振りの陶器製の椀で豪快に飲むのが通で、それが韓国の伝統的な飲み方とされるなどと聞いたから、帰国前のオフな身軽さから豪快に呑んだ。しかしアルコール度数は6~8%程度の濁酒(どぶろく)なのだから特にそう凄(きつ)い酒ではない。ひらりと身を躍らせてみたがもう酔いは醒めていた。
 いくらどう眺めようとも窓辺からは、たしかに狂い咲きした山桜が見えた。
 これも秋の白さかと思うのだが、春にも咲いて正しく日本の四季を花信させた桜であったことを考えると、窓辺には秋、思惑には春、異なる二つの実在に、可笑しさでは済ませられない何か他の分別を桜に求められているようで、自然は厖大(ぼうだい)と畏(おそ)れる慎五郎は、妙に割り切れぬ現実をみせつけられているようであった。
「やはり私がどうかしている。濃い茶でも淹(い)れてみるか・・・」
 目覚しは玉露に限るようだ。宇治モノもいいが、滋賀の朝宮モノもいい。信楽(しがらき)の狸とは縁深い阿部家では代々、家内では朝宮茶を好み、来客には宇治茶を薦(すす)めるという、そう受け継いできた点前(てまえ)の仕来(しきた)りがあった。

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 淹(い)れようと茶筒に手を伸ばしかけた、その矢先に、電話が鳴った。また、か。電話とは、日常の現実感覚の中をすばやく動きまわるから、ある種厄介(やっかい)なモノだ。居ながらも出渋るこちらの気配を察してでもいるかのように、電話は怒鳴るように慎五郎を呼んだ。
「なんだ、於ゆみ、か。・・・えっ、もう難波に着いたの?・・・そう、もうそんな時間か!・・・」
 夕実はまだ極めて幼いのだが、やたらに淑女で、京都の女と伝統に弱い現実的な妻秋子の歩く先、届かす眼に、真っ向から純粋な眼を丸く剥(む)いて、慎五郎の味方をしてくれる最大の不世出な日本人なのだ。
「あのね。あのね。お顔にスミを塗るの。真っ黒にすると、するとね、お坊さんが喜ぶの」
「へえーっ、お坊さん、喜んだの・・・」
「そう、スミを塗ると、転(ころ)んと、喜ぶの」
 事情を知らない者にとってはちょっとした謎であるが、夕実の小さな言葉の火種は、常に何かの臨場から芽生えた現象に関心を示していた。その芽生えはきっと京都に生まれたからであろう、その再生感覚は仏教思想に近いものだった。いつも慎五郎にはそう感じさせてくれるのだ。
 しかし、やはり幼くあどけない。普段、小さな日本人の行動規範のいっさいは、飯事(ままごと)的な遊びの中では何ひとつ守られていないし、生かされてもいない。素面はそうなのであるから鵜呑みにはできないが、空気の粒のような幼い言葉だと軽ろんじていると、いつしか慎五郎は深々とした鉄槌(てっつい)を打ち下ろされることになる。
「これからね、心斎橋(しんさいばし)、あそこでね、お昼にするの。・・・えーと、もう切るね」
 こうして電話はカチンと切られたが、「もう切るね」と結び目を添えて可愛く了(お)わらせる夕実とは、慎五郎にとって小さな異邦人(エトランゼ)なのだ。またそれは、鰻丼(うなどん)を注文するとデフォルトできちんと肝(きも)のすましが付いてくるような安らぎを抱きながら見知らぬ異国の路傍で恋人でも待ちかねる心境にさせてくれる夕実であり、ときにすべての想像力を動員させることになる。そんな慎五郎とは熱烈な夕実の共振者なのである。
「そうか・・・お顔にスミを塗ると、坊主も喜ぶのか。なるほどなー・・・」
 そう想いながら改めてながめる瓜生山の、青空に姿を見せつけた雲の棚びきは魚の腹のように青白かった。
「あっ、演目はたしか墨塗(すみぬり)だった!・・・それでか・・・」
 昨夜、金剛峯寺(こんごうぶじ)の境内では狂言が催されていたはずだ。秋子がそう言っていた。そう気づくと慎五郎はやはり夕実から何かを冀求(ききゅう)させられている感じがした。そうしてまた山桜をじっとみつめた。
 すると夕実の小さな唇がゆるやかに動き、何かを歌っている。
 これは「白秋の・・・この道」だ。
「どうして幼い夕実が、この歌を。秋子が教えたのであろうか」
 と、思いながら、慎五郎はふと、それが先ほど父富造の遺した蓄音機で掛けて聴いていた一枚のレコードであることを思い出した。しかしなぜ、夕実の声で歌うのかが判らない。じつに不思議だ、と思ったとき、慎五郎はハッとした。その拍子にパッと目覚めた。
 見開いた眼には、書斎の天上がある。その天版の節目模様をぐるりと見渡しながら眼を机の上に向けたとき、数十枚のSPレコードが黒い裸体で山積みにさていた。
「もしかすると、僕は30年近く寝ていたのだろうか」
 夢を見ていたことに慎五郎は気づいた。
「あの・・・この道は!」
 過去である。未来である。現実である。秋子の篠笛に揺らされて見た、その未だ見知らぬ幻想の道と、たしかに見覚えて歩いた覚醒の道とが、懐かしい潮騒の音と混合し合いながら、深い青の淵より弾け出た荒魂が慎五郎の首筋を揺するような夢であった。



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                             第32話に続く
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   京都 祇園節分祭。



  
   京都 二十四節気-立春。




   そうごリンク
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   きょうと 2はなそとば 2

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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第30話

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   Web小説    はなそとば 文字 正

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   30

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      七  邑の月 (むらのつき)   



 鷺草の咲く秋の夜空には孤高の白い月が一つある。
 月は季節の推移を描き、秋の冷気は一夜の月で入れ替わる。
 庭の垣根ではカラスウリの赤い吃音がその夕月に侘しく揺らされていた。

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 しろい月 動1 gif
 さぎ草 動1 gif

 戸締りの手をしばし止めさせる冷やかな月灯りであった。
 昨日は崖崩れの土砂に足を捉えられ、歩きにくさに秋暑を感じたのであるが、今夜の空の匂いでは、恐らく快い冷気の朝になる。そうなれば君子の淹れるプレス式珈琲の朝が楽しみである。
「豆はライトブレンドなんや・・・!」
 と、密かに香り立てると香織はクスリと笑みた。
 浅煎りのアメリカンタイプだ。
「プレス式ならば、これよ!。すっきりとした味わいを存分に引出し、香り高く抽出してくれるでしょう」
 そういつも言っている。雨田君子の拘(こだわ)りである。
 君子に言わせると、コーヒーの素材の味をダイレクトに感じられるのがプレス式なんだそうだ。コーヒーの旨味成分であるコーヒーオイル(アロマ)をそのまま抽出してくれる。ヨーロッパでは主流な淹れ方でフレンチプレスともいうらしい。ドリップコーヒーのように注湯に気を使う必要がないので、香織でも簡単に使えるのが魅力なのだと語っていた。笑う日の少ない君子がこのコーヒーを淹れるときは微笑む。たしかに・・・、まろやかで深みのある味わい、そして芳醇な香りがする。小さな一杯に、朝の豊かさが満ちてくる。

                      C 11 gif   プレス式コーヒー 動 gif
コーヒーの香り 610

「このポット、耐熱ガラスが二重構造になっているの。だから、味も香りも長持ち。2杯目もおいしいコーヒーをいただけるのは、この構造ならではの強み。冬場の朝はこれに限るよね!」
 別荘に来てもう三度目の秋を迎える清原香織は、いつしか君子からそれまでの暮らしには無かった新しい生活を伝授されている。恐らく明日の朝は冷えそうであった。
「ハッ・・・!そやった・・・。あかん、怒らはるわ・・・!」
 ふっと、そのとき香織は、阿部秋子の目尻をツンと上げた顔が泛かんだ。
 秋子には、その「恐らく」という言葉がない。以前に使ったとき滅法嫌われた。秋子は「おそらく〇〇よね」とは絶対に使わない。遣ってはならない忌み言葉なのである。
 恐らく、多分、おおむね、どうやら、などという曖昧な言葉遣いを秋子は忌み嫌った。邑(むら)の命を祈祷する彼女にとって、曖昧な言葉遣いは、曖昧な予見なのだ。いつも言葉とは言霊なのである。言霊の正体を知れば曖昧な表現ほど罪つくりなものはないという。無責任では困ると、秋子がそうやって香織を怒るのにも理由があった。香織が八瀬童子の血流にあるからだ。きっと君子には見せない顔であろう。
 香織は君子も好きだが、そんな秋子も大好きなのだ。秋子がいると安心する。
「明日・・・、狸谷ィいってみよ・・・!」
 午後11時、満天の方舟に星々のささやきがキラリきらりと座りはじめた。それをみて、錫箔の月は昏昏と深い眠りについたようである。
「一体どないな音ォ、するんやろか・・・?」
 眼の前の古いふるい蓄音器を香織はじっと見つめた。昨日は父増二郎の七回忌であった。
 秋子の笛とはまったく違う、笛に遊び呆(ほう)けた父増二郎の気随で不可解な顔が面白いように、懐かしさをしみじみと深めさせて浮かんでくる。そんな父を思い起こすと、墓参を済ませた夕方から死者を身近に思うこと、悼みながら生きていくことの尊さが胸に迫っていた。
「女将はんも・・・、あのころ、きっと辛かったんやわ・・・」
 古い蓄音器は、昨日、置屋の佳都子が運んできたものである。
 その佳都子は五年前、夫の由比信夫に先立たれた時も、息子にも周囲にも悟られぬよう、福々しい笑顔でこの古い蓄音機を磨いていたが、亡くなった信夫は心優しい蓄音機の職人だった。

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 ちくおんき畜音機 動1 gif

 遺品である蓄音機の傍に、佳都子はずっと古い一枚の写真を立て掛けていた。
 昨夜までは祇園の部屋でそうだったはずが、今夜は雨田家の別荘に越してきて眼の前にある。そして祇園と同じように蓄音器の横にその古い写真の一枚が立ててある。しかも香織にはじつに奇妙なことなのだが、蓄音器を運び込んだのはよいが、その脇に由比信夫の位牌までを佳都子は並べた。
 雨田家と由比信夫の繋がりなど聞いたこともない。位牌を他家へ引っ越しあせるなど可笑しな話だ。明朝の茶の湯の前支度を整えながら、香織はその妙な不具合を、何度もじろじろと眺めた。
 そして一方・・・、ようやく就寝につこうとする雨田虎彦も寝入り際で、香織が調合した香木を聞きながら、佳都子の運んできた位牌込み一式の蓄音器を眼に泛かばせていた。
 佳都子は昨夜までは、亡き夫の位牌の脇にそれらを並べ添えていた。古い写真、それは当家とは無縁の人物であるのだが、名を「由比くめ」と云う夫信夫の遺品なのだ。位牌を意味なく運び入れたわけではない。位牌あっての二つの遺品なのである。遺品を扱うには、位牌を弔う必要があった。
 生涯に一度、一晩だけ、死んでしまった誰かにもし逢えるのであれば、それはこの写真の女性ではないだろうか。虎彦は、ふとそんな想像を抱いた。その願いを叶えてくれるよう今となっては死者と呼ばれる佳都子の夫が、この写真の傍にいるように感じられてくる。そう思えるのは、昨日、香織が父増二郎の墓前で線香を手向け終えてからずっとそんな胸騒ぎを覚えていたからだ。
 その清原増二郎の墓は、京都市下京区万寿寺櫛筍上ガルの末慶寺(まつけいじ)境内にある。もう一か所北の花背にも分骨されてあるそうだが、昨日、香織と二人で末慶寺へ墓参した。だがこの墓地内には、一人の人物が増二郎の以前から眠っている。その死者の名を畠山勇子という。ここに阿部富造がよく墓参していた。

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 虎彦の脳裏には一つはこの件があった。畠山勇子は明治25年の大津事件に烈女として関係する。
 そこに佳都子の運んできた遺品の一つ、その写真の顔をよく見比べてみると、狸谷の秋子とは瓜二つの童顔にさえ思われて、妙に強く曳きつける死者の口上が感じられた。しかし気のせいかとも思う。
「しかし・・・、奇妙なほどよく似ている・・・!」
 と、たしかに虎彦がそう想うには、養母和歌子が渡米する以前に語った言葉が、ふと思い当たり、お伊勢参りをしたという和歌子の昔話を狸谷で聞かされたときに、そこで妙な気配を覚えたからだ。
「あんたのお母さんは・・・・」
 と、秋子への呼びかけがそう確かに聞こえて、しかしあのとき和歌子は、その後に続くはずの言葉を不自然に断ち、さり気なく他の話題に差し替えたのだが、聞いていた秋子の表情を思い起こすと、やはり不自然な気配であった。思い出してみると、そこが無償に気になってくる。
 あそこで和歌子が伏せた言葉とは、秋子の出生と母の素性ではないかと思えるのだ。香織は何も聞かされてなく知らないという。未だ誰も聞き覚えのない秋子の母の存在が妙に不可思議であった。
 香都子なら知っている、あるいはすでに気づいている。その由比くめは、日本で初めて、口語による童謡を作詞した人物として知られる童謡作詞家の「東(ひがし)くめ」である。
「たしか夫信夫は、和歌山の生まれだったが・・・」
 寝入りながら虎彦は、今までに香都子から聞かされた話と、そこに雨田家とは少々関わりのある由比くめを重ね合わせて秋子の探索をじっと考えた。

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 由比くめは和歌山県東牟婁郡新宮町(現:新宮市)に生まれた。
 そのくめが生まれた同年に、
 音を蓄えて記憶する労働力を発明した男がいる。
 日本では有史最後の内戦「西南の役」の勃発年であった。
 発明者であるトーマス・エジソン(Thomas Edison)自身が、自分で製作した円筒式蓄音機からの音を初めて聴いて飛び上がるほど吃驚した。
 この1877年以来、人類は文字に続いて音声を記録として永久に残すことが出来る手段を獲得したのであった。
 昭和31年(1956)当時、新宿の風月堂には2000枚以上のLPレコードがあると聞いていたのだが、1枚2000円以上の価格だったはずで、どうしても欲しいレコードを月賦で買った記憶がある。虎彦はそんな当時の記憶を思い出していた。
 その当時のことならまた一つ面白いことをが泛かんでくる。中学の国語の教科書にベートーベンが第九を指揮した時の逸話がのっていたが、音楽好きの教師が10数枚のSPレコードをうんうん言いながら教室まで抱えて来て、蓄音機にかけたことを思い出した。そのとき親友の瀬川和彦が薄く笑ったのだ。またこの話を思い出しながら和彦に語りかけたことがある。貞次郎も思い出して、じつに嬉しそうな顔をした。
 その末後の微笑みが、最も新しい戦友瀬川和彦の面影であり、しだいに血の消えた青白い死顔である。
 LPレコードは1948年(昭和23年)にアメリカで発表された。それまでのSPレコードは30センチ盤で4分半の演奏時間だったが、30センチで30分の演奏時間、再生帯域も広がり、針音がなく、S/N(信号対雑音比)が改善されてダイナミックレンジも広がった。
 日本で純国産のLPレコードが発売されたのは1953年(昭和28年)である。このような講釈を虎彦の行きつけの楽器屋の主人は、篦鮒(へらぶな)釣りの間合いに挟んではよく語ってくれていた。
 当時、その主人の影響もあり音質といものに随分と興味を抱いたものだ。
 寺田寅彦に「蓄音機」という随筆がある。
 その中で寅彦は・・・「それにもかかわらず私の心はその時不思議にこのおとぎ歌劇の音楽に引き込まれて行った。充分には聞きとり兼ねる歌詞はどうであっても、歌う人の巧拙はどうであってもそんな事にかまわず私の胸の中には美しい「子供の世界」の幻像が描かれた。聞いているうちになんという事なしに、ひとりで涙が出て来た。長い間自分の目の奥に固く凍りついていたものが初めて解けて流れ出るような気がした」と語る。
 寅彦は1896年(明治29年)に熊本の第五高等学校に入学。英語教師夏目漱石、物理学教師田丸卓郎と出会い、両者から大きな影響を受け、科学と文学を志すようになる。
 『蓄音機』・・・・、
 エジソンの蓄音機の発明が登録されたのは1877年でちょうど西南戦争せいなんせんそうの年であった。太平洋を隔てて起こったこの二つの出来事にはなんの関係もないようなものの、わが国の文化発達の歴史を西洋のと引き合わせてみる時の一つの目標にはなる。のみならず少なくとも私にはこの偶然の合致が何事かを暗示する象徴のようにも思われる。
 ついついこうしたことを思い出しながら眼の中で整理し始めた虎彦は、思わぬ深い探索事に寝込みを襲われてすっかり眼が醒めていた。
「狐に憑かれたように、エジソンに憑かれた男だった・・・」
 眼を半世紀前に巻き戻してみると、東亜同文書院を卒業した者が二人いる。その一人が瀬川和彦である。さらに和彦の面影を浮かべると、しだいに一人子息の瀬川教授が連なってくる。
「もう・・・、一年半か・・・!」
 瀬川教授とは、昨年の1月に京都を訪ねた日東大学の瀬川数馬君である。教授ほか五名がきたのは2002年の1月であった。そしてその六名の姿が思いだされると、ゆるゆるとその前日に奈良までM・モンテネグロを訪ねた雪夜の出来事が鮮明に蘇ってきた。
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 エジソンの最初の蓄音機は、音のために生じた膜の振動を、円筒の上にらせん形に刻んだみぞに張り渡した錫箔すずはくの上に印するもので、今から見ればきわめて不完全なものであった。ある母音や子音は明瞭めいりょうに出ても、たとえばSの音などはどうしても再現ができなかったそうである。

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 その後にサムナー・テーンターやグラハム・ベルらの研究によって錫箔すずはくの代わりに蝋管ろうかんを使うようになり、さらにベルリナーの発明などがあって今日のグラモフォーンすなわち平円盤蓄音機ができ、今ではこれが世界のすみずみまで行き渡っている。
 もしだれか極端に蓄音機のきらいな人があって、この器械の音の聞こえない国を捜して歩くとしたら、その人はきっとにがにがしい幻滅を幾度となく繰り返したあげくに、すごすご故郷に帰って来るだろうと思われる。
 蓄音機の改良進歩の歴史もおもしろくない事はないが、雨田虎彦にとっては私自身と蓄音機との交渉の歴史のほうがより多く痛切で忘れ難いものである。
 虎彦が眼光をこのことに鋭くさせているところに、じつはM・モンテネグロの来日と深く関わるのだ。
 そこまでを虎彦が導くには、またそこに深く関わってくる人物らの体験を重ねなければならない。その歯車が回転して廻る接点こそがM・モンテネグロが来日しようとした目的の鍵を秘めている。
 さらに現在、阿部和歌子がニューヨークに滞在しているが、80歳となったその老女が単身渡米してでまで行動を起こした目的も、こうした接点の絡みの中で渦を巻き、和歌子は阿部家と山端集落の将来を握る重要な役割を果たそうとしていた。
 まず虎彦は、久しく会っていなかった駒丸扇太郎、あるいは五年ぶりに狸谷の秋子を訪ねた波田慎五郎が語った経緯を思い起こして、彼らの姿を眼にそっと泛かべた。



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                             第31話に続く
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   京都 京都表鬼門の吉田神社「節分祭-火炉祭-」。


  
   京都 下鴨神社「節分祭-追儺弓神事-」。
 下鴨神社で毎年2月3日の節分祭で行われる「追儺弓神事(ついなゆみじんじ)」は、直垂(ひたたれ)姿の射手が舞殿から楼門へ向けて鏑矢を放つ古式ゆかしき神事。



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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

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京都風土記『花そとば』 第29話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   29

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      六  秋子の笛 (あいこのふえ)   



 一乗寺駅へと向かうその途中にあるお宅には、道路にまでしだれ咲く萩がある。そろそろ紫の花がつき始める季節であることが懐かしく想い泛んでいた。
 この道は慎五郎が秋子の家へと向かい、また帰る道なのだ。瓜生山の麓、狸谷に阿部家はあった。
 秋子は「うちは、狸谷や八瀬の人々と共に生き、共に死ぬんや」と、それを常識として生きようとする。しかし反面「どこか」を探してみる非常識なことをする。しかしそれは慎五郎が、そう区別するだけで、秋子にその意識はない。人間の見識ほど不確かなものはないであろう。人ではあるが巫女である、その秋子の揺らぐ気持ちを、慎五郎はよく理解できた。だがそうであるとしても結局「ここではないどこかに行きたい」けど「どこかに行けそうでどこにも行けない」と休止符を与えられない秋子なのであった。

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 空がうんと高くなると、夜もだんだんと長くなってくる。そう感じたある秋の日、耳を澄ませば虫の声も聞こえる、爽やかなこの季節は、狸谷の炭焼小屋でそっと本を開いてみるのにピッタリではないかと慎五郎は考えた。
 炭焼小屋とはいうものの古風な別荘である。細い杣道(そまみち)を上がるその別荘は以前、秋子の曽祖父秋一郎(清太郎)が来客のために建てたという。祖父も実父もすでに他界し、秋子は養母の和歌子と二人で、五人ほどの使用人を抱え、阿部家を見守っていた。祖父富造が亡くなった後、その間別荘は人肌が空になっていたようだ。
 慎五郎は何度か阿部家に足を運ぶようになり、そんな別荘の事情を聞くに連れ、阿部家も借り手を探しているのであるから、慎五郎がその別荘をしばらく借りることにした。
 そうするとやはりその別荘で、本を開いては、群青の空に流れる鯖雲に、閉じては、夜空を照らす満月に向かって、イメージの翼を広げてみたくなる。そうさせる要因が別荘には仕組まれていた。

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 別荘に曽祖父秋一郎が名づけた「合せ籠」という小部屋が最も奥まった山際に造作されている。昼間は一見質素な陋屋にすら思える離れ間なのであるが、秋一郎は秋季に限り、この部屋を訪れる客に解放した。
 「どこでも同じさ。僕だって同じだ」
 と、そう秋子に答えて以来、望んで慎五郎は年に二、三度は狸谷を訪ねるようになった。その気にさせたのは「合せ籠」で中秋の三晩を過ごしたからだ。

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 普段、一ヶ月ほど阿部家の山荘で寝起きし、ときとして長期滞在もあれば、その間に、秋子と二人して短期の旅に出たりすることもある。秋子が自らではどこにも飛び出して行けない宿命をもてば、動ける慎五郎が時々出向いては、秋子の気持ちに少しの風を通した。しかし、それは同時に、慎五郎自信の束の間の風通しでもあった。
 そんな慎五郎に、いつしか定形の習慣が一つできていた。
 一乗寺は宮本武蔵の下り松の決闘で吉川英治が名高くさせた京都洛北、古くから比叡山延暦寺へと続く参道で、きらら坂の旅人をやさしく見守ってきたその土地に老舗菓子処「一乗寺中谷」はある。
 いつも通り一乗寺駅を降りた慎五郎は、まずこの中谷に立ち寄り、予約済みの「でっち羊羹」の仕上がりを確かめる。東京の谷中に住む慎五郎には、真逆の「中谷」がどことなく裏道を踏むようで新鮮だ。しかし看板は「なかたに」と読む。そうして羊羹の支払いを終えると、三代目の若旦那が、その場から決まって秋子に「お届けは一時間後に、いつもの不動院へ・・・」と電話で連絡を入れた。そう暗黙することが予定された三人でするいつも通りの手筈であった。しかしこの話は、三人が申し合わせの三猿のごとくに、しばらくは触れぬことにする。

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 二百五十の階段を踏んで山へと上がれば狸谷山不動院がある。
 平安京の鬼門守護として祭祀され、悪鬼退散の霊験ありと信仰され、この寺で、かの宮本武蔵が滝に打たれて修業を続けたというが、断崖絶壁の斜面に際建つ懸造(かけづくり)の荒修験のごとくある本堂の風姿に佇めば、武蔵が滝に打たれ降魔の利剣(ごうまのりけん)の極意を感得しようとした修業の地だ、とそう語りしめても過言なき霊験が、やはりこの狸谷山にはありそうだ。

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 何よりも高楼本堂に佇んで見下す洛北の景観こそ、背に比叡山を抱きみる西方浄土、人にそう痛く思わせる安寧(あんねい)な曼荼羅を描きみるごとくある。杉木立のほどよい隙間の高みからみる、すっかり悪霊説き伏せた穏やかなその展望は、京随一の見晴らしのよさではないか。慎五郎は秋子と二人して、山の斜面に菩薩さまなどおられるような高楼によく上がった。
 もう夏のものとは思わないそんな気配に、ふと気づかされる朝が京都の狸谷にはあった。それは身を潜めていた秋が急に姿をみせたような快い空気を感じるときである。九月中旬、このころ京都山端では朱夏を過ぎて秋は色なき風の白い装いとなるのだ。これが季語でいう「けさの秋」である。京育ちの秋子にそんな京都の移ろい話をすると彼女は嫌な顔一つせず、いつもたゞ微笑んでいた。そうした笑みは白秋である。
 曽祖父秋一郎は別荘の玄関を山門に見立て「比叡山白秋」の扁額を掲げた。そしてその奥の山際に「合せ籠」の間をしつらえた。

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 別荘の裏山は、高い順に四明ヶ嶽、瓜生山、狸谷山となり、秋になるとその山並みの階段を下るようにして様々な秋虫が別荘の裏山に集うようになる。合せの籠とは、その虫の鳴き合わせを楽しむ趣向の場なのであった。
 たしかに森の世界は自由で発想が一方的ではない。思いがけない発見を与えてくれるものだ。秋一郎は、自分の子孫を育てるために知恵を絞る動植物のたくましさに驚いていたという。また合い籠の間に座っていると、自らの正体のヒントを虫たちが話しかけ、秋一郎に問いかけてきたという。それは自然の衣替えの音であった。
 秋に鳴く虫を籠で飼い、その声を愛でる日本人になろうとして宮廷人は趣向を競い合った。きわめて洗練された、そして芸術を愛する美的生活のなかで、鳴く虫たちの占める位置は、しだいに宮廷に仕え連なる人々の趣向ともなって行く。宮大工の阿部家がそうであった。
「たしかに、ムンクの叫びは、秋の色だ・・・」
 そう想わせる秋子をふと懐かしく思い出してみると、かって秋子といつも見た狸谷の夕映えを今日の夕暮れに重ね合わせる慎五郎の眼には、瓜生山で戯れていた彼岸花の赤い群生が鮮やかに泛んできた。

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 瓜生山の赤い花は色々にある。
 つらつら辛き赤椿の悲しさもあれば、さざんかの綺麗な淡い哀しさもある。また山スミレの素朴で可憐な赤紫もあれば、花くれないの野アザミまである。しかし比叡山の麓とこそ相応しい花ならば、やはりそれは群れながら細い花火でも揺らすかの彼岸花であろう。
「秋子の笛には、やはりあの花が似合う・・・」
 波田慎五郎は瓜生山の頂でみたヒガンバナの燃える赤を静かに眼に泛かばせた。
 するとまた、おもむろに秋子の小さな唇で赤く篭らす唄が聞こえて、慎五郎はいつしかその奏でる寂しさを呪文のように囁いていた。

    GONSHAN.GONSHAN. 何処へゆく
    赤い御墓の曼珠沙華、
    曼珠沙華、
    けふも手折りに来たわいな。

    GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
    地には七本、血のやうに、
    血のやうに、
    ちやうど、あの児の年の数。
    GONSHAN. GONSHAN.気をつけな。
    ひとつ摘んでも、日は真昼、
    日は真昼、
    ひとつあとからまたひらく。

    GONSHAN. GONSHAN. 何故泣くろ。
    何時まで取っても、曼珠沙華、
    曼珠沙華、
    恐しや赤しや、まだ七つ。

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 Gonshanというゴンシャンとは柳川方言で「良家の令嬢」のことであるが、京言葉特有の抑揚で歌う秋子のやわらかく細い囁きは、そのゴンシャンのフレーズを遅上がり(おそあがり)させるので、東男の耳には音程の上がり目が本来の位置より遅くれたそこが何とも器用で絶妙な奏で方にさえ聞こえ、はんなりと弾き上げて歌っていた。
 秋子は常ならぬ寺々に囲まれて育った娘なのである。さり気なく死を垣間見てきた人が口篭る、達観して何一つ躊躇いの無い静寂な無垢の小声であった。すると北原白秋と僕が一つの文脈の中で結びつく感じが迫ってきて、随分といい気持ちになれたものだ。
 詩の第一節と第二節とは、そのGonshanへの問いと答えである。しかしそう問い掛けられてみると、しかも秋子の細い口先が問うと、わざわざお墓に曼珠沙華を手折りに来た、この令嬢の理由が知りたくなってきた。
 慎五郎は勿論、白秋の詩歌の主張のすべてに賛成、というわけではない。だか、欠かせないとも主張したくなる白秋の人生観は慎五郎も必要とする。
 その答えでもある第二節の、今年で生きていればちょうど七つになる自分の子どものために、曼珠沙華を手折りに来た、それがGonshanだというところがこの唄の冷たく突き放す怖いところでもある。
 またその怖さを増幅するのが次ぎの節で、この第三節と第四節は、前の2つの節と異なり、語り手の自問自答を投げ掛けてくる。
「いけず・・・」と、
 この節目まで歌うと秋子は小言を挟みながら息を継ぎ、一、二拍止めてふ~ッと吐息を漏らしては、継ぎ足してGonshanと抑揚を変えて転ばした。
 時は真昼、秋彼岸の天高い青空の下「ひとつ摘んでも」「ひとつあとからまたひらく」という謎の生命力を垣間見せる。この節で、山田耕筰は転調した長調の曲を付けた。準じてここのところを京言葉で転調されてみると、じつに冷たく恐ろしい。京言葉ではんなりと歌われると末恐ろしくなる。

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 しかし歌い終えると秋子はいつも袖口をパタパタ振った。
 微かに、仄かに麝香(じゃこう)の香りが漂っている。そうすることでまた秋子は気分を切り換え、水鳥の浮き立つごとく山路と戯れていた。
「そろそろ狸谷の紅葉じゃないか・・・」
 と、そう想い起こした慎五郎の眼には、すべてが見どころと言って良いほど豪華な山端(やまはな)の狸谷の紅葉が様々しげく泛かんでいた。
 Gonshanと歌う秋子の声はどこか潮騒のようである。
 考えてみると秋子はガラス窓から光が差し込む部屋で、赤い珊瑚の首飾りをつまみ上げては何やら懐かしげに微笑んでいた。

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 あのときの彼女の目線の先にあった実母の形見だと言った姿見は、鏡ではなく、ネックレスを贈ってくれた実父清文の肖像ではなかったのか。とそう推測もできる。首飾りは、珍しいヒマラヤの山珊瑚なのだ。チベットの山岳信仰で重宝されているとも聞くが、そこからは法衣の清文の姿が似つかわしく映し出されるではないか。彼女が見ていたものは父親だろろうと、やはりそう考える方が彼女にとってロマンチックなのである。襟元を直そうとした鏡にしては立ち位置に距離があり過ぎた。
 焼き固まる前の土器に、何かが押し付けられた痕跡を「圧痕」という。幾度か秋子と歩いた瓜生山の山路こそ未だ消え去らないその圧痕ではないか。
 白秋ほど、郷里を愛した詩人はいないと思う。その圧痕の歌集「思ひ出」にも柳川弁が多く登場し、上田敏から激賞されたという「わが生ひたち」を読むと、掘割の情景が目に映るようだ。幼いころの記憶でも、さすがに細かい部分まで描写していて、驚かされる。帰りたくても帰れなかった白秋の柳川。誰もが持っている幼少期の原風景を、白秋は人一倍感じ取っていたのであろう。

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 亡くなる1カ月ほど前、死期を悟った白秋は、写真集「水の構圖(ず)」で、柳川を「我が詩歌の母體(たい)」と記している。やはり、柳川に生まれなければ、白秋という男はなかった。詩歌や童謡など、白秋は生涯に約2万点の作品を残したとされる。その原点ともいえる作品が「思ひ出」である。白秋の創作活動が「思ひ出」に始まり「水の構圖」に終わったことは、何か因縁めいたものを慎五郎は感じた。
 そうした圧痕としての白秋を慎五郎と秋子は訪ねた。二人して故郷である柳川に向かったことがある。
 北原白秋の第二詩集で出世作の「思ひ出」は1911年、白秋26歳のときに東京で書き上げられた。あのとき秋子はぼんやりと曽祖父秋一郎の顔を思い描きながら、白秋の歩んだ道をたどったようだ。
 水郷・柳川は、縦横に掘割(ほりわり)がめぐる。柳の枝が水面に垂れるその掘割を、どんこ舟でゆらゆらと二人は進んだ。身をかがめて橋をくぐると、日常とは異なった風景が入れ替わるように懐かしさも広がる。二人を心地よい風が追い越していった。そこで秋子は頬に風をあて自身の過去を追い越そうとした。

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 白秋が生を受け、19歳まで暮らした街並みは当時とは一変した。が、掘割のゆったりとした水の流れは今も変わるまい。大方は暗渠に眠れるのであろうが、これが白秋をはぐくんだ原風景であり、彼に決別を決意させた故郷の景色でもある。世の風はつねに不易を染めて流行に揺らぐ。京都山端も白秋の柳川と同じく時代の勢いを失おうとしている。秋子は柳川の掘に高野川の流れを重ねた。
 「思ひ出」は、その2年前に刊行した初詩集「邪宗門」に続き、白秋の存在を詩壇に知らしめた作品である。巻頭の「わが生ひたち」は故郷への決別宣言。柳川を「水に浮いた柩(ひつぎ)」「静かな廃市」と呼び、「『思ひ出』に依て、故郷と幼年時代の自分とに潔く訣別しやうと思ふ」と書いた。
 そんな白秋の故郷への眼差しを想いながら慎五郎は、秋子の眼差しじっとみた。とき折り掘面の流れを鏡にするような仕草をしたが、淀んだ流れに秋子の顔をまた溺れるような白い影を揺らがせた。

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 白秋は、柳川藩の御用商人で、九州でも有数の海産物問屋の跡取り息子に生まれる。父の代には、主に酒造業を営んでいた。白秋生家前には、現在は避難港となった船だまりがある。当時は、毎日のように帆船が到着し、長崎や平戸、天草などから、ハイカラな言葉や文物が届いた。柳川に居ながらにして、豊かな外国文化に触れることができたのであろう。
        「わが部屋」
         わが部屋にわが部屋に
         長崎の絵はかかりたり、
         路のべに尿する和蘭人(おらんだじん)の
         金紙の鎧(よろい)もあり
         赤き赤きアラビヤンナイトもあり。
 熊本県にある母方の実家で白秋は、当時としては貴重なイソップ物語やアラビアンナイトを読みふけった。これこそが「トンカジョン」(大きな坊ちゃん)と呼ばれた白秋の、文学的素養が培われていった豊饒な時間であったろう。
 しかし平穏な生活はそう長く続かない。16歳のときに実家が大火に遭い、酒蔵など母屋以外が焼失。文学に傾倒していった白秋は、旧制中学伝習館(現伝習館高)を中退し、父親の反対を押し切って、逃げるように19歳で上京し、早稲田大に進学する。
 「思ひ出」を刊行した翌年、借金を抱えた一家が、白秋を頼って上京している。彼の心の風景には、現実以上に郷里が色あせて映っていたのかも知れない。追い打ちをかけたのが、友人中島鎮夫の自死だった。
 白秋は「TONKAJOHNの悲哀」の中の一編で、その死を悼んだ。
     あかき血しほはたんぽぽの
     ゆめの逕(こみち)にしたたるや、
     君がかなしき釣台は
     ひとり入日にゆられゆく…
「抽選で・・白秋は・・生まれやんや」
 と、秋子は白秋の生家資料館の天上を見渡しながらポッンと言った。

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 「白秋」の名は伝習館時代に生まれた。文学を志す6人の友人で「白」の下に一字をあてた雅号を付けることになり、みなでくじを引いた。「白雨」中島は、白秋のよきライバルであり大親友だった。彼の死から2カ月後、白秋は上京する。そして、生涯「白秋」を使い続けた。実家の没落と親友の死。白秋にとって故郷はつらい記憶にまみれ、43歳になるまでの20年間、柳川を訪れることはなかったのだ。
 詩、童謡、民謡、短歌、書…。白秋の才能は幅広いジャンルでいかんなく発揮された。
 「思ひ出」の装丁や挿絵も自作した。表紙にはダイヤのクイーン。今見ても、実にしゃれている。
 初期の「邪宗門」「思ひ出」「東京景物詩」の3作は、ほぼ同時期の作とみられる。秋子の祖父秋一郎は「白秋はやっぱり商売人の子。間を置かずに、趣が違う3作品を発表しており、自分の売り出し方を知っていたのではないか」と指摘してたという。
 その思惑通りだったか、「思ひ出」刊行後、文学誌上のアンケートで、白秋は詩人部門の第1位に推されるほどの人気を博している。ところが翌年、隣家の人妻と恋に落ちた。夫から姦通(かんつう)罪で告訴され、2週間ほど拘留された。
 人気絶頂となった白秋が、世間的な成功、社会的名声を顧みず、愛情という計算できない感情に真正面からぶつかっていったのは、27歳の青年らしいまじめさ、真剣さだったろう。
 その後、3度の結婚や30回以上の転居など白秋の人生は穏やかではなかった。一度は決別した柳川への愛着も強かった。ささくれだった気持ちを丸ごと受け止めてくれるのは、はやり故郷だったろう。

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 41年に柳川を訪れたのが白秋最後の帰郷となった。そのとき白秋は母校・伝習館で講演している。腎臓病で目を患っていた白秋は黒眼鏡をかけ、2人の子に手を引かれて登壇し、25分ほど、作詩する上で数学や音数律の大切さを説いたという。
 二人で辿ってみると、白秋はやはり巨大だった。
 その存在は、檀一雄や長谷健をはじめ、多くの文人を輩出する土壌となった。そして、今なお、白秋が後輩たちに託した望郷の思いは、脈々と受け継がれている。
 慎五郎は秋子と追いかけた『思い出』の旅を思い出すと、ふと立ち上がり、それまで読みかけの歌集『桐の花』を放り出すと、踏石に乗って流れては千切れゆく鯖雲の揺れ動く姿をじっと見据えた。
「そうか、やはりこの表題は白秋のゴシップか・・・」
 歌集『桐の花』という表題、それは抽象思考や観念論より具体的な現世を好む白秋の性向に通じている。そもそも小説の起源こそ神話というゴシップなのだ。白秋はこんな風に利用したのかと慎五郎はたゞ深く感心した。
 そう思い直してみると、夕暮れと共に彼の鯖雲はいつしか消えていた。



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                             第30話に続く
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   京都 梅だより 世界遺産 二条城。



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  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第28話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   28

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      六  秋子の笛 (あいこのふえ)   



 書棚のガラスケースに、秋子の蟋蟀が棲んでいる。もう8年以上にもなる。そうして書斎で一緒に暮らしてきた。時折そこから引き出しては、慎五郎と問答をする。湯呑の底でつくばる虫の音は、何事かを懸命に語ろうする。
 「秋子さん、狸谷のあの篠笛、どうしたでしょうね?」
 と、蟋蟀にそう語られると、いつも手の動かなくなる慎五郎がいる。なのに、どういうわけか今日の慎五郎は、ありがたいことに、夜の稲妻に照らされたように、時代がみた夢の、一気にその夢が物語る骨格が泛かんできた。

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 「いつか必ず光りが見える」
 これは日本と、僕と、秋子とのつながりを語るのに、とても大切な言葉なのである。秋子は自分自身に言い聞かせるように僕に話してくれた。
 「・・・この道の、トンネルを進んで行けば、つらい経験をするほど、人間はそれを乗り越え、強くなる。それを伝えたくて狸谷に残るの。共に生きるの。だから篠笛は哀しみを歌う。歌うことで生きる誰かを幸せにできると信じてる。狸谷の人々が、やすらかな暮らしに戻れる日々であることを願って歌う・・・」と。
 祖父阿部富造が、そう言い残して最期に眼を閉じたという。その遺言を自身に置き換えて秋子は言った。その長いまつ毛の下の眼には、涙がいっぱい溜まっていた。

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 その阿部秋子について僕が認めざるを得ない事実を少し付け加えておけば、あれはたしか安来から帰ったその翌年夏のことだが、また河井寛次郎に会いたくて記念館を訪ねた。否(いや)、1955年なのだから安否に駆られ足を差し向けねばならなかった。また京都では、疫病や戦乱といった災害からの復興に、祇園祭が大きな役割をはたしてきた。1月17日早朝、その大震災時に慎五郎は奈良の宿にいた。その半年後に五条坂を訪ねた。

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「ふ~ん。五条辺りまで届くのか・・・!」
 南風の中に、祇園の音が五条坂で聞こえるとは意外だった。
 記念館を後にして東山五条の大通りへと出ようかとしたときに、ふと笛の音が右耳を突き、しばらく足を止めて聞き入っていた。清水寺へ向かうため五条坂を上がるつもりでいたが、自然と足と両耳が笛の音の方へ歩いていた。これが最初の立ち去り難い事実で、聴いているとその笛の音色が次第に、新しい生命を吹き込めてくれそうなそんな気にさせたことだ。たゞふわ~ッとさせられた。
「いや・・・!、これは祇園のではない・・・」
 奏でる笛の手を辿ると、音色は細い路地奥にある慈芳院から流れ洩れていた。
 聞き惚れて門前までくると、どうしても笛の手の姿が見たくなった。いつしか慎五郎は花々が風にそよぐ野原の真ん中に立っていた。しだいに汗ばむ肌が爽やかな風を感じ、ゆらぐ花が見えた。
「何だこの音色は・・・、この涼しさは・・・!」
 まず耳朶でそう感じ、にわかに五体の肌が快く感じた。
 慈芳院は臨済宗建仁寺派ではないか。その法衣の手かとも思えるのだが、どうも教理の節とも違う。簡素な門を入ると左手に、丸い薬師の石仏が座っていた。笛の音はその丸く目鼻が摩滅して柔らかな頬の辺りを巻きながら流れ、その石の薬師さんが、何やら旅人を見守る野仏のごとく思われた。

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 佇むとその音色は、金管ではなく、明らかに和の竹管の洩れである。しかも、風は吹くのではなく、人を逆しまに風に晒してくれる篠笛であった。
「こんな娘が・・・!」
 何よりもまず若すぎる女性の意外さに驚いた。
 半袖の白いブラウスにストライプの赤いネクタイは、すぐに女子高生と判った。
 驚きもし、感心もさせられると、さらに魅せられ惹かれながらしばし聴かされた。その手の笛の興趣もさることながら、そこで阿部秋子という名を初めて知り、話が寛次郎の作品や境涯に触れた折りに、慎五郎は熱い感動を抱いた。当時の政治趨勢に疑いの眼を向ける寛次郎の「精神風俗」の顕れではないか、という秋子の見解はまことに鋭く説得的であったことだ。
 秋子もまた慎五郎と同じところで、そうして寛次郎の魂の深層に辿ろうとしていた。そんな秋子は寛次郎のことを「古層の人」だとズバリ呼称した。なかなかどうして能(よく)した考古学的な言葉繰りの巧みさに、専門の慎五郎はハッとさせられ感心したのだが、その古層の人の言語に、自らが新しい生命を吹き込められるようになれたら良いという覇気をみせた口調には、堅さ一つなく、やはりそこは女子高生らしく、けろりと爽やかで、慎五郎は胸の塞ぎをさらりと漁られて新鮮であった。
 聞けば秋子は寛次郎の妻つねとは縁戚の身で、つねは京都の宮大工の娘でもあることから、秋子もまた同じように宮大工の家系に近く生まれた。
 秋が訪れる度に、あのときの秋子の「古層の人の言語」という言葉がしきりに思い出されるのは、決まって秋子という名の趣きがそうさせるのではあるが、狸谷の森を守る宮大工方の家柄に生まれ、戦争の混乱にあって嫡男に恵まれ無かった家系の秋子には、先祖伝来の田畑や山林を守り継ぐ担い手としての責務があった。秋子の暮らしの大半はそのことへの憂いが常に占めていることを、慎五郎は知っている。

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 近隣の里人に任せている田の収穫は今年も無事できるのであろうか。収穫の季節を迎え、刈り入れの進む高野川沿いの美しい水田をながめながら、この国の「農」すべての無事を御田植の神に秋子は強く願わねばならなかった。何よりもまた秋子は八瀬童子の縁に深く連なっている。その身上はまことに宮家の秋の豊穣と縁深くあった。
 天皇崩御の折りは八瀬童子が先祓う仕来りとなる。新嘗(にいなめ)の「生」と風葬の「死」は常時一体の備忘事であった。
 ぎりぎりの緊張の中で秋子は日々の暮らしを守り、祈りの篠笛に手を触れていた。あのとき秋子は篠笛で恵みの風を呼んでいたのである。それらを知り得ると、いつしか慎五郎もしきりに京都の秋の気配を気に止めるようになっていた。
 秋子の母秀代もその苦悩のため老いた両眼はほとんど灰色に見えたという。そうした巖倉(いわくら)の巫女(みこ)である秋子は、常に厳格な軛(くびき)を保たねばならなかった。女系の細腕で、しかも女子高生の年齢で、比叡山の、その山端(やまはな)の村人らの生死、農の生死、山の生死に責任を負っている。秋子はできるだけ多くの死に休止符を打たねばならない。さもなければ神が秋子の生に休止符を打つ。
 秋子の篠笛は巫女の手による音色であったのだ。
 しかしその彼女は、ついに「転向」したのではないか。何かとんでもない王道を歩き始めるのではないか。と慎五郎が肝を冷やりとさせられる妙な構図の可笑しさがあり、危惧すべき行動をいつも身に纏わせていた。
 不用意に近づこうとする慎五郎の足元には、地雷が多すぎてどこで爆発するか分からない。重すぎる負担を分担してくれと誰かに訴えることもできない。むしろ誰も住んでいない島にでも向いたかったのであろう。
 しかしながら、どのように秋子が自由な振る舞いをしようとも、生死を左右しうる最たる巫女であることは変わらない。神は死しても負担するべきではないか、というわけだ。
 養母の和歌子を除けば、それを至極まっとうに思えるのもじつは慎五郎だけであったろう。その慎五郎はいつしか知らぬまに責任の一端を担いでいる。何よりも和歌子が喜んでいた。ここも認めざるを得ない確かな事実だが、慎五郎がそう感じ始めたのは、やはり愛用のショートピースを秋子が指先一本で転がしたころからだった。

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 そのときの日と同じように彼女は日常を遊戯し続けた。
 神は常に秋子に死の矛先を向けている。
 神との意見が異なれば、いつでも切って捨てられる。
 そんな秋子は、辛い日々も、笑える日々につながっていた。
 赤い小銭入れから1NOK(Norwegian krone)硬貨一枚を抜き出しては微笑んだ。
 これは秋子が最もご機嫌なときにみせるシグナルである。
 さらにもう一つのシグナルは、最高の一日であることを期待するためにする風変わりなジンクスをみせた。それは朝食前に決まって振舞うのだが、秋子はさも上品な仕草で財布から引き出した1000NOK紙幣に白いハンカチを添えると、丁寧にていねいにアイロンを掛けるのだ。

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 ある日、エドヴァルド・ムンクはフィヨルドの近くを歩いている時に「自然をつらぬく、けたたましい、終わりのない叫びを聞いた」と言っている。『叫び』はその経験を絵画化したものである。すなわち、しばしば勘違いされるが、この絵は「橋の上の男が叫んでいる」のではなく「橋の上の男が叫びに耐えかねて耳を押さえている」様子を描いたムンク自身の肖像なのである。単品のごとく感じるこの作品もじつは「生命のフリーズ」の中の一作品であり、単独の絵画としてではなく、連作として鑑賞することがムンクの本来の意図であった。
 秋子はこの連作の中にいつもいた。
 別にそこにムンクが居なくても、その意図の、序に従えばしばらくその空間には懐かしいムンクの匂いが滞留することになる。『叫び』は、その遠近法を強調した構図、血のような空の色、フィヨルドの不気味な形、極度にデフォルメされた人物などが印象的な作品でもっともよく知られ、ムンクの代名詞となっている。
 そのため、構図をまねたパロディが制作されたり、ビニール製の『叫び』人形が売り出されるなど、美術愛好家以外にも広く知られる作品である。
 秋子はそのムンクの代名詞をいつも借用した。
 夫婦共働きでがむしゃらに頑張る日本のバブル時代の「家を買う物語」のテレビ小説を、村人の生活から逃れられない民衆を束ねる視線で、彼女も同時期に幾つもみたであろう。今さらに同じ題材が、特殊な国情を加味した懐かしい思い出として、日々演じられているではないか。秋子にとってその俗世は常にゴシップなのであった。欲求は決して新しい状況を生むとは限らないことを秋子知っているのだ。
 しかし、だから今日の日本を悩ませる、あらゆる社会問題に触れながら、人間も暮らし振りも狂気に暴走して行くのだが、その死とは逆の場に彼女は立っていたいのであった。このある種、奇怪とも思われる嘆きとは、特殊な宿命を宿した人たちの衝撃的な行く末に限ったものだろうか。
 21世紀の彼女にとっては、酷く、ぐちゃぐちゃな22世紀へと送り返され、すり減らした魂を、そこでまた消し潰されることが怖いのである。だから秋子はムンクの「叫び」までを日常の計算に入れて、逆に喜びへと奔走してしまうのであった。

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 エーケベルグの丘は秋子と二度訪れている。
 オスロ中心部から路面電車で坂道を上るとその丘に着く。高台からオスロとその先のオスロ・フィヨルド港湾を望む景観に二人して佇んでみた。ムンクの言に従えば、そこに『叫び』のパロラマが実在するはずだ。
 ムンク美術館のテンペラ画と重ね合わせて窺う・・・『私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた』・・・という彼の光景を、秋子の眼が果たしてどのように写したのかは分からないが、夕暮れから月明かりに照らされるまで二人はただ静かに佇んでいた。そのオスロとはムンクにとって愛憎半ばする町でしかなかった。

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 秋子はオスロ・フィヨルド港湾を望みながら即興で篠笛を吹いた。
 「ムンクに風を呼んであげたの」
 と、秋子は言った。そうして、たゞ潮風に吹かれていた。
 ムンクもまたノルウェーの国を悩ませるあらゆる社会問題に触れながら、人々も俗世も狂気に暴走して行く姿を傍観できなかったに違いない。叫びの描写ごときで発禁だ裁判だと大騒ぎされたではないか。ムンクは両刀使いの変態どもが混合する中で、必然な悪態をつきつつ自身のクローンを創って「叫び」いう連作を描きながら自らを叫び続けたのだ。オスロのガーデモエン空港を離れるとき、秋子が篠笛にそっと触れさせてくれた、その笛の音の名残り香を抱いて、慎五郎にはそう感じとれた。
 すれ違う人である二人はそうした場所で一瞬重なり、またそれぞれの生活に戻って行くのである。束の間ではあるが、旅は、秋子のその一瞬を温かく描いてくれるのであった。
 空港は秋子にとって大好きな場所だ。祖父富造が健在であった10代のころはよく、京都駅からリムジンバスに乗って伊丹空港へ行き、行き交う人々や飛行機の発着を眺めて、一人夜まで過ごした。
「ここは、外国とつながっている・・・」
 と、思えることがあの頃の秋子には重要だった。そのときに見ていた昼夜の風景は、積み重なった記憶となって、どこか未来の自分史につながってゆく。意識的にする「ムンクの顔」もまた小さな旅の記憶だ。いつもそう思って叫び直し、「なんて不自由な生きっぷりだろう」と自らで驚いてみる。阿部家の仕来りを守り継ぐ女が重宝だからという理由で人生が始まるなんて、と思い悩んでも、しょせん宿命の奔放さに人はかなわない。そこで果たせるものは、自らで独特のスパイスを楽しく利かせるしかない。それがいつも旅に似てると思えるのは、少し歩いてみて不思議なのだが、歩き終えてみたら、こんな人生の物語であったのかと驚くことだ。
「いつも、未知の場所に行く感じなのだ」と、
 その気になりやすのだとは思うが、到着ロビーから出てきた人たちを見るだけで、自分も旅から帰ってきた気持ちになる。空港で見たり、実際に空港から具体的な旅をすることで、秋子は色々な人生を一瞬、生きることができた。

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 二人がオスロのガーデモエン空港を離れるときは、秋の夜更けである。 
「遠方とはそもそもなんだろう」
 と、慎五郎はふと淋しい場所を考えた。
「遠方に行けば淋しさは減るのであろうか」
 と、秋子はぼんやりとした不安を抱いた。
 お互いには見通せない、そんな二つの問いが、それぞれの心に長い余韻を残しながら、互いはすでに運命が交錯していることも知らずに、二人それぞれに寂漠としたものを抱えさせて、オスロ上空へと機影は消えた。そうして夜空へと消えいて行く機影を感知して想い見ることが、またそれが秋子の旅なのであった。



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                             第29話に続く
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   京都 梅だより 北野天満宮。




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  つきの暦  2013年1月

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京都風土記『花そとば』 第27話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   27

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      五  泥の坂 (どろのさか)    



 気随な旅人のように、たゞ漠然と京都を訪れたわけではない。
 ささやかな糸口でも丹念に掘り起こせば、万に一つの手掛かりを得ることになる。考古学は最初の入口がすでに迷宮である。手数足数を重ねながらも、報われることは当初から切り捨てている。常日頃、波田慎五郎はそんな迷宮の暗渠の中で地道に手探りの作業をし続けてきた。
 その慎五郎は、長年さる植物に適する土壌を探し求めてきた。
「あのとき・・・の、あれが・・・。私に、夏の賦(くばり)を告白していたのかも知れない・・・」
 振り返ると、聞き漏らした声が、ようやく産声を上げたように思えた。
 聴くとロウソクの光でもきらめくような音色だが、どこか悲しみも帯びて聞こえる秋子の笛の音を、静かになぞりながらショート・ピースをくゆらせていると、やはりそう思われてならない。
 人は、たしかに、どこかの土の上に立っている。その土は干からびてから香気を立てるのだ。しかしその香気は常に地底深くにある。慎五郎はたゞ掘削の地点に立ちたかった。

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「菩提樹の、黄蘗(きはだ)の釉薬か・・・」
 秋子から貰った蟋蟀の湯呑をそっと握りしめた。
 握りしめると微妙に指先が震える。この土の匂いは、そこにまた風神がいることを感じさせる。神寂びて感じる漂いを人の数式で割り出せぬのと同じように、風土という匂いは、人の理屈なのでは成立しない。指先が改めてそのことを感じ取っていた。
 風土を、理屈なく人は特定して嗅ぐではないか。やはり秋子のように、そこに風神を立て、風袋で煽られた風が風土を焦すものだとすれば、固有の匂いが香りたつこともあろう。すると、やはり風神は本能として風土のなかにいる。慎五郎はそんな仮説を立てると、す~っと鼻から紫煙を吐いた。

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 ある特殊な匂いが、慎五郎に五条坂のモノだと直感させたのは、古い文芸誌の対談をスクラップにするために切り取ろうしたとき、ふと眼に止まった「その土を、泥鰌(どじょう)は好んで食べていました」という男性の言葉であった。
 慎五郎はこの一言から五条坂を訪ねようと思い、しかし未だ探し求めて歩き続けている。終点はもう少し先にあるようだ。くゆり昇るピースの紫煙にそんな五条坂が泛かんできた。
 関東という東京からは箱根で関西となる。長いトンネルをくぐる辺りから京都駅に着くまでに関西の泥鰌について考えていた。慎五郎の父寿一(としかず)は京都伏見の育ちである。その伏見から南に淀川を越えて巨椋池(おぐらいけ)はほどなく近い。学童のころ寿一はその巨椋池の痕(あと)でよく遊んでいたという。

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 新幹線の車窓に父寿一の思い出話を泛かべていた。
『私は子どもの頃、よく泥鰌を掘った。
 池のすぐ脇に、水のなくなった田んぼに小さな穴がある。
 そこを掘っていくと泥鰌がいる。
 かなり太い泥鰌が捕れた。
 あれは冬眠しているのだろうか。
 泥鰌も随分と災難だろうよね。
 小学校から帰ると直ぐに、友だちの幸太郎と、弘子と、
 「ドジョウ掘りにいこか」などといって、
 ブリキのバケツを持って稲の刈り取られた田んぼに行った。
 穴を見つけそこを掘ると必ず泥鰌がいた。
 何匹か捕ると飽きてしまって家のほうに戻り、
 ベーゴマとかビー玉などをやった。
 しかし少し大人になって京都の歳時記で「泥鰌掘る」を見つけ、
 ふと、また泥鰌を掘ってみたくなった。
 泥鰌掘る、は季語として使われる。そう書いてある。
 冬になると泥鰌は田や沼や小川、水溜りなどの泥の中に身を潜め、    
 冬期は水も涸れているので、泥を掘り返して容易に捕えることができる。
 だから、冬の季語だという。
 だがな。これは少しおかしな話だと思った。
 巨椋池の跡地辺りでは、夏場でも掘るとよく泥鰌は捕れた。
 たしかに冬場は田んぼを掘ったが、夏場は沼地の泥を掘ると泥鰌はいたよ・・・』
 四条河原町から鴨川の右岸を下りながら、三十三間堂付近まで、その父のいう泥鰌のことを考えていた。
「夏場に掘っても泥鰌は捕れる・・・!」
 どじょうの歴史的仮名遣いは「どぜう」とする。この「どぜう」は江戸時代に鰻屋の暖簾や看板にそう書かれていた。しかしそれ以前の室町期、文献に「土長」「どぢゃう」の表記がある。だとしたら「どぜう」に泥鰌の起源を求めてもさほど意味はない。また泥鰌は、泥土から生まれる意味で「土生(どぢゃう)ともいう。その泥鰌が水中の酸素が不足する夏場の池を掘ると捕れたと父のいう、そんな小椋池の泥鰌がいることが不思議であった。

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「泥鰌は池の泥を食べれるのであろうか・・・?」
 巨椋池は干拓されて農地ではあるが、往年は多様な動植物の生息地として、豊かな環境を育み多くの人に恩恵を与えてきた。歩きながら泥鰌が一体何を食べていたかを考えていると、目前は五条坂であった。
 清水寺に程近い、東山五条。大通りからひと筋それて路地に入ると、そこは静かな住宅街である。河井寛次郎記念館はその京都五条坂にある。
 車一台がやっと通り抜けられるほどの狭い道沿いに、鐘鋳町の古民家が建ち並んでいるのだが、いかにも人通りが少ない若宮八幡宮を少し南に入ると、京都の人々の生活に溶け込むようにして閑静に建っているのが、かつての寛次郎の住居である。タクシーの運転手に「東山五条西入一筋目下がる」と伝えるとよい。寛次郎が他界したのは1966年(昭和41年)11月のことだが、その9年後の昭和50年、大学生の慎五郎は四条河原町からとぼとぼと歩いた。建仁寺を過ぎた辺りから徒歩10分ほどであったろうか。
 記念館は昭和48年に公開された。 慎五郎はその二年後に訪れたことになる。
 和風の空間なのに、ズドンと洋館のごとく吹き抜けで突き破られていた。雑多で未体験の違和感、そこにまた場違いな滑車が吊るしてあった。恐らく作品や資材を運ぶためのものだったのだろうが、記念館らしからぬ不純物のごとくに感じられ、突如それによって、なんだかえらく大きいもの、重い胸倉のようなものに包まれた。圧迫される、その理由がしばらく慎一郎にはわからなかった。なぜなら、そのころの慎五郎は、河井寛次郎の陶芸のすべてに嵌(はま)っているわけではなかったからだ。書も恣意に嬲(なぶ)られた筆感がして好みではなかった。そもそもそこらが、どうにも底が浅い。感心するほどの晴眼に乏しい。たかが本数冊を読みかじっただけの慎五郎は、寛次郎については先が見えない未だ晩生でしかなかった。

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 大正から昭和にかけて京都を拠点に活躍した陶芸作家・河井寛次郎の作品を展示する記念館である。寛次郎自身が設計し、亡くなるまで過ごしていた住居をそのまま公開しており、暖炉や板の間、書斎や居間も彼が暮らした当時の姿のまま遺されている。
 そうした遺品は、彼が制作・デザインした家具や調度品の数々や作品の一部が無造作に、ごく自然に配されていた。また、中庭奥には実際に使われていた窯や陶房もそのまま残されている。
 しかし自然体であるが故に、そこらは乱暴な寛次郎の形骸なのだ。気魄は何となく伝わるが、民藝運動論のみでゴリ押しをする、やはり門外漢には最初から一つ一つ積み上げて精査するしかなかった。本来、そこには闊達なユーモアが溢れた空間なのであろうが、その一つすら推しはかり難い慎五郎なのであった。
 大学卒業後に考古学に携わろうと思いたったときに、慎五郎はこっそり一つの目標をたてた。
 それは分類学的に「新しい場所」という問題を自分なりに追いかけようということだった。卒業に至るしばらくのあいだ「墓場と形骸」という研究論文を編集してみたのも、そうした一つの試みだった。
 新しい場所について本気で考えてみたかったのは、卒論として纏めた「墓場と形骸」でも触れてきたことだが、研究過程で明治・大正期に蠢(うごめ)いた人々の死に遭遇したこと、および柳宗悦の『用の美』という哲学観念を見て、そのときに初めて新しい場所というものを感じたからであるが、そのすぐあと、アンリ・ベルグソンの卒業論文「場所について」を読み、そのまま白水社のベルグソン全集をだいぶん読んだが、さらにそこからアリストテレスのコーラとトポスをめぐる場所論の周辺の道をあれこれさ迷ったせいでもあった。
 しかし幾度かのさ迷いとは、さしたる前進の足しになるほどのモノではないようだ。迷いは拓かれる道に憚(はばか)る棘(とげ)のようなものだ。一つ一つ抓んで引き抜くしかない。そうした未だ主軸の定まらない中にあって、開館されたことを知ると、一度、河井寛次郎記念館にも足を運ばねばならないと考えていた。
 昭和50年(1975年)6月3日、佐藤栄作元首相が逝去する。
 築地の料亭「新喜楽」で財界人らとの会合において脳溢血で倒れた後、東京慈恵会医科大学附属病院に移送されたが一度も覚醒することなく昏睡を続けた後のことで74歳だった。16日には国民葬が行われた。
 その翌月、梅雨明けの7月14日である。
 暑い盛りの京都盆地は、三方の山々が屏風、地を這う南風の熱射で酷く汗ばんだ。
 学生時代に古跡調査で何度か訪れていたが、その大半は春か秋の穏やかな日和ばかりだった。今回の背景には社会風俗の精妙な観察もあり、さらに社会に組み込まれた民衆が、どんな生き方を選ぼうとしているか、彼らの精神風俗をあざやかに描きだしていることが、肝心な読みどころでもある。そう思うにつけて夏の京都の祭り日を選んだ。
 祇園祭りの、宵々々山の日、その午後であった。
 四条河原町から八坂神社界隈は、16日宵山の大本番の佳境を兆す人いきれに噎(む)せ返るようである。
 豪壮かつ華麗なこの祭は、千百年の伝統を有する。
 秋子の湯呑を撫でてみると、慎五郎は、たしかに夏の賦(くばり)の告白を手のひらに感じた。


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 祇園祭は、京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは「祇園御霊会(御霊会)」と呼ばれた。貞観年間(9世紀)より続く。京都の夏の風物詩で、7月1日から一ヶ月間にわたって行われる長い祭であるが、そのなかでも「宵山」(7月14日~16日)、「山鉾巡行」(7月17日)、「神輿渡御」(7月17日)などがハイライトとなっている。
 宵山、宵々山、宵々々山には旧家や老舗にて伝来の屏風などの宝物の披露も行われるため、屏風祭の異名がある。また、山鉾巡行ではさまざまな美術工芸品で装飾された重要有形民俗文化財の山鉾が公道を巡るため、動く美術館とも例えられる。
 京都三大祭り(他は上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭)、さらに大阪の天神祭、東京の山王祭(あるいは神田祭)と並んで日本三大祭りの一つに数えられる。また、岐阜県高山市の高山祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の1つに、前述の高山祭、滋賀県長浜市の長浜曳山祭と並んで日本三大山車祭の1つにも数えられるなど、日本を代表する祭である。
 河井寛次郎記念館に何度も足を運んだ慎五郎は、いつしかこの一連の祭礼を見学するために京都へと足を運ばせたことになる。
 その慎五郎がそうしてようやく心得たことは、祇園祭が「古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869年)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を 祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまる」ということである。またそうする祇園祭とは「7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越 祭」で幕を閉じるまで、一ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられる」という一連の期日で決済され、禊がれることである。だがそのためには蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)の護符を身に纏うことであった。
 八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔鳴尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなした。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束された。その故事にちなみ、祇園祭では「蘇民将来子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕することになる。
 神事終日の7月31日には、蘇民将来をお祀りする、八坂神社境内「疫神社」において「夏越祭」が行われ、「茅之輪守」と「蘇民将来子孫也」と「粟餅」を社前で授与される。この夏越祭をもって一ヶ月間の祇園祭が幕を閉じるのである。
 八坂神社では茅の輪から抜き取った茅を参拝者が自分で小さい茅の輪にして持ち帰って玄関などに飾ることで、夏を健康に過ごせるご利益があるとして、「蘇民将来子孫也」と書かれた紙縒りを、作った小さな茅の輪に結べば完結となる。
 6月3日に雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生した1991年・・・、
 7月1日にエフエム京都(α-station)が開局したこともあり、今回は祇園祭の各鉾町が鉾、曳山を組み立てる山鉾建(やまほこたて)をじっくり見学したいという思いもあって9日には京都へと向かった。
 山鉾建は、10日から14日までの5日間で行われる。京都を訪れるのは3年振りのことであった。
 この山鉾建で祇園祭山鉾巡行が近づいたことを感じさせる。山鉾建は大きな筐体を複雑に組み立てる鉾や曳山、簡単に組み上げられる傘鉾などそれぞれ工程が異なるので、組み立てが始まる日は異なっている。
 昔から伝わる「縄がらみ」と呼ばれる手法で、専門の大工方が釘を一本も使わずに重さが12トンもある鉾を組み上げる。大きな鉾の組み立てには3日程も要する。20メートルほどもある長い真木(しんぎ)を空に向かって立ち上げる場面は圧巻である。
 真木をつけた櫓(やぐら)を道路に寝かせ、太く長い綱を人力で引き垂直に起こす。立ち上がった瞬間には見物の人達からいっせいに拍手が湧き上がる。形態の異なる船鉾は鉾建ての方法も異なるのだが、組み上がった鉾や山は飾り付けをして、それぞれの定められた日に曳初が行われ、前掛、胴掛、見送、水引などの豪華な織物の飾り物は17日の巡行本番に使われる物と、それまでに飾られているものとは異なることが多いので、連続した組立に興味を抱く慎五郎は14日、15日の正午近くまで各鉾町を見学した。

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 そうしてまた18日には東山五条の河井寛次郎記念館を訪ねた。
 1890年(明治23年)に当時の島根県安来町(現在の安来市)の大工の家に生まれた河井寛次郎が、陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも優れた作品を残しながら、師弟関係を重んじる陶工の世界にあって、学校という教育機関にて指導を受けた新しい世代の陶工となっていく姿は、惹かれて調べを進めるうちに、これはものすごい思想者であることがたちまち伝わってきた。
 五代目、清水六兵衛の技術顧問を務めた。六兵衛40歳のときだ。
 このとき清水六兵衛(のち清水六和)は55歳。この六兵衛が、それまでの清水(しみず)の読みを「きよみず」に改めた。寛次郎が技術顧問のころ後六代となる長男の正太郎は京都市立美術工芸学校絵画科を卒業する。
 時代性に鑑みて寛次郎という男の実在のかくれた側面が、すでに慎五郎の裡ではダントツなのである。連続性と複雑性、差異と内包、秩序と組織、変化と適合といった問題意識にみられる具体的な提起は、ほとんどこの男によって慎五郎の知覚のバリアを食い破っているといってよい。
 しかし、河井寛次郎が最高にすばらしいところは、「用の美としての人間の精神」というものを「観念として測定されたこと」に対して、つねに「具体的に設計したこと」と「変化させたこと」によってたえず照射しつづけようとしたことだった。しかも日本伝統の心髄でもある京都に根付こうとして、その古都に居を構えて気魄の生涯を貫き、それでも無位無冠の陶工として晩年まで創作活動を行い1966年に76歳で没したことである。
 寛次郎を取りまく人物たちの言動が縺(もつ)れあって、波瀾に富む生涯が躍動すらする。彼らはそれぞれ何かに反抗している。がしかし、反抗は個々ばらばらで、限りある時間の中では何の実りもなく終わるのだ。彼らは精神風俗を重んじる日本人のエッセンスを汲みとった上で、自家製に仕立て上げた。さらに西欧を望見するばかりに終わらせるのでなく、日本の伝統に深く分け入っていた。
 また、考えられる限りの冒険を尽くして、寛次郎は人間の魂の深層に辿りつこうとした。
「存命の内に、お会いしたかった」
 そう悔しく思うにつけても、寛次郎の遺した業績の多面さ、広大さにあらためて感嘆を深くする。されど流れ去った過去から実体と正体を把握することは不可能に近く、二十度目となる今回も慎五郎はやや肩を落とした。そうして一先ず記念館を出たものゝ、一呼吸して汗ばんだ身なりを整えると、慎五郎は改めて記念館全体を見渡した。
 だがそれでも立ち去り難い慎五郎には、奇妙に去り難くさせる輝きで記念館の庇瓦が琥珀色に夕映えているように思われた。棟方志功の筆による看板も淡い茜に絞られて妙にしんみりとさせられる。
 たゞに日本の民芸品に触れ研究するのであれば、都内目黒区駒場四丁目の日本民藝館でいい。柳宗悦によって創設され運営され、木造瓦葺き2階建ての蔵造りを思わせる本館には、柳宗悦の審美眼を通して蒐められたものが、日本および諸外国の新古諸工芸品約17,000点を数え所蔵されている。
 中でも、朝鮮時代の陶磁器・木工・絵画、丹波・唐津・伊万里・瀬戸の日本古陶磁、東北地方の被衣(かつぎ)や刺子衣裳、アイヌ衣裳やアイヌ玉、大津絵、木喰仏、沖縄の陶器や染織品、英国の古陶スリップウェアなどは、質量ともに国の内外で高い評価を受けている。また、民藝運動に参加したバーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、芹沢銈介、棟方志功ら工芸作家の作品も収蔵している。これらを常設展と特別展とで見比べれはこと足りるわけだ。
 すでに足しげく日本民藝館には通っている。通えば見えてくるものはある。だがそれらは、やはり蒐集済みとなった先人の形骸でしかない。慎五郎はより生身の寛次郎に近づきたかった。観念ではなく、その人肌の実体に触れて見たかった。

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 古萩と呼ばれる萩焼の茶碗が茶会で使われていたことが、十八世紀半ばを過ぎたころの大名家の茶会記に表れていて、また幕末に至るまで、松本御用窯を率いた八代坂高麗左衛門は、その御用窯の開業から後年に没しした三代坂高麗左衛門までの時代の製品を「古萩」と呼ぶとする、漠然とした言い伝えのあることを述べていたのだが、それらのことから、十八世紀前半には萩焼茶碗を古萩の茶碗と、そうでない当代作の茶碗とに区別する認識が生じていた。しかし一方で、古萩の茶碗がどのような造形的特徴をもった茶碗を指し示すのか、またその古萩が古窯から出土する実に豊かな造形性を示す陶片のどれに相当するのか、その実態が明らかにされているとは言い難い焼き物の一つであった。
 これを為体(ていたらく)だと寛次郎は名指した。茶人贔屓目の有名無実、それは実態の底知れぬ虚説だと喝破した。
 日用の美意識から隔絶した勝手な主観論には手厳しかった。
 たしかに古くから「一楽、二萩、三唐津」と謳われ、侘数寄に適う茶の湯の具足として、高い声価を得てきた萩焼である。高麗茶碗を生み出した朝鮮半島由来の作陶技術を伝え、江戸時代を通して、萩藩御用窯で制作させた萩焼の精品は、しかしその流通規模は極制限されたものでしかなかった。藩主の御遣物として、貴顕への献上、諸侯への進物、家臣への下賜に用いられるなど、限られた階層とその周辺にのみ流通した。
 とくに、その主力器種である茶碗は、領内で採れる特定の土や釉の素材感を前面に押し出しながら、茶の湯における美意識の深化や流行など、折々に重視された使い手たちの趣味性を意識的にかたちへと編んでつくられてきた。だが、こうした当代の数寄者に好まれ続けた萩焼の茶碗のあり方が、桃山時代以来の侘びた風情を濃密に伝承する茶陶という、「古萩」イメージの形成に強く作用し、伝世の茶碗のごとく巧みをこらす逸品の銘として作為されるようになった。制限された用の美とは、それが日本人の美意識の限りではあるまい。寛次郎にとって普段の用の美こそが重要であったのだ。寛次郎は茶の湯文化成長のなかで日本人が忘れたはずの「普段の美意識の正体」を問い直すことになる。その正体を怖い顔で睨んだのだ。
 そう思うと、維新後の日本に、戦後の日本に、高度経済成長後の日本に、苦い記憶が多過ぎる。
 遠い眼をさせて、寛次郎の眼の奥底にあった光り、ここを思い起こした慎五郎は、さらに幾度かの出直しを覚悟し、改めて足を運ぶために一旦仕切り直さねばならないことを意に決した。
 「安木での調査が未だ残されてるではないか」
 河井寛次郎は明治23年に島根安来の大工の棟梁の家に生まれている。安来は松平不昧(まつだいらふまい)出雲松江藩の第7代藩主の影響で茶の湯がさかんだった町である。大工と茶の湯は、寛次郎の幼な心になにものかを植え付けたのだろう。松江中学の二年のときすでに「やきもの屋」になる決心をしていた。叔父の勧めもあったようだ。母親は寛次郎が四歳のときに死んだ。
「ああも、あの猫に、こだわる、その眼差しとは・・・」
「誰にでも分る、風情ある色合いと形・・・」
 安木を悉皆(しっかい)と眺めたら、またこの記念館に戻って来る。そうでもしないと全容を正しく見通せないであろう。物事のケジメにそう思い当たると、慎一郎の出直すべき足取りも少しは軽くなっていた。


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                             第28話に続く
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   京都 五条 河井寛次郎記念館。



  
   京都 祇園祭 山鉾巡行。




   そうごリンク
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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

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京都風土記『花そとば』 第26話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   26

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      四  春の賦 (はるのくばり)   



 ここに、秋子から借りた一冊の古本がある。
 借りてからもう十数年、借り忘れでもなく返さないでいる。河井寛次郎の『火の誓い』という一冊だ。後、数年すると紅蓮の赤シャツを着せてあげたい。その姿で一緒に散歩でもしよう。長らく生きてみて、そろそろ一つに生まれ還る、そんな年齢の古本である。
 返却を迫る質(たち)ではない。もう返さないことに決めた。

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 そもそもこの一冊が秋子との馴れ初めであった。これこそが絶えない潮騒の独り占めのようで、今さら返せないのである。未だ返せない事情が、じつはもう一つこの本にあるのだ。
 河井寛次郎の『・・・これこそ病む事のない自分。老いる事のない自分。濁そうとしても濁せない自分。いつも生き生きとした真新しい自分。取り去るものもない代りに附け足す事もいらない自分。学ばないでも知っている自分。行かなくても到り得ている自分。 起きている時には寝ている自分。寝ている時には起きている自分。『火の誓い』・・・』という下りである。

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 この辺りの寛次郎が言い聴かせる問答が何ともじつに奥が深い。真っ向から渡り合うには、分かち合うだけの想像力が問われ隔たりを埋め尽くす間を慎五郎は自覚せねばならなかった。
 そうした自覚を導くには、さしづめ道元禅師の言葉「自己をはこびて万法に修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり」に突き当たることにもなろうから、いずれ秋子に案内を頼み、駒丸家とは結び付きの深い修学院の赤山禅院にでも訪ねて、千日回峰行の大阿闍梨による八千枚大護摩供の加持・祈祷の比叡術など請い学べねばならないと考えていた。

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 赤山禅院(せきざんぜんいん)は比叡山の西麓にある延暦寺の塔頭である。
 慈覚大師円仁の遺命により888年(仁和4年)天台座主安慧が別院として創建した。本尊は陰陽道の祖・泰山府君(赤山明神)、かけ寄せの神として、また、京都の表鬼門にあり、王城鎮守、方除けの神として信仰が厚い。拝殿屋根に瓦彫の神猿が京都御所を見守っている。
 この方除けの神として、古来信仰を集めた拝殿の屋根の上には、京都御所の東北角・猿ヶ辻の猿と対応して、御幣と鈴を持った猿が安置されている。
 「あんた、猿にでもならはるつもり・・・」かと、
 秋子はきっとそう冷やかしてから承諾しようかと、問答の一つでも仕掛けてくるに違いないのである。そこに説き伏せの備えがいる。何かとてんごしたがる質であるから秋子との問答を、慎五郎は用意し、まずその門をすり抜ける必要があった。

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 「禅院の猿と、寛次郎が自宅に置いた猫とが問答する」
 と、さて軍配や・・・いかに、とでもなろうか。だが、おそらくこれは理屈なく即決する。
 手に何も持たない寛次郎の猫に、やはり軍配が挙がる。猫は一言も口を開かずとも猿に優るのではないかと慎五郎は考えている。しかし、比叡山延暦寺の千日回峰行においては、そのうち百日の間、比叡山から雲母坂を登降する「赤山苦行」と称する荒行がある。これは、赤山大明神に対して花を供するために、毎日、比叡山中の行者道に倍する山道を高下するものである。
 かけ寄せの神仏として人を招くとは、屁理屈がどうにも鼻や耳に障る。かけ寄せは、五十寄せとも五十払いともいい銭をかけ寄せ、五と十のつく日に集金や支払いを行うというもので、京都をはじめ関西では集金日を五十日(ごとび)と隠に称する商いの手習いが産まれ、これを赤山明神がかき寄せた。神仏に仕える身が民衆の銭集めを先導するとは、この本末転倒の屁理屈を、禅院は法衣で平然と語り過ぎる。禅院の猿が手にする御幣と鈴は、銭かき寄せの無慈悲な旗に過ぎない。
 自らの巧(うま)さを人に悟らせぬのが、本物の名人だ。知るものは言わず、言うものは知らずという。物事を深く理解する人は、軽々に語らないものである。
 磨きあげ積みあげた研鑽と技術をひたすらと庶民の幸福へと捧げ、市井の人であり続けた寛次郎とは、民衆の民芸に心優しい職人であり、それがための哲人であった。そうした彼の作品は、未来の民芸への温かい視線に培われた。
 明治という洋風偏向の真下(さなか)、日本民芸に新たな装いを加え、和を厚くするなどして風前の灯であった陶芸の弱さを補強してみせた。

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 「色彩もなく、手には何一つなく、眼を上げて何をかを招く、この男が置いた語らない猫」
 改めてしんみりとそ思う慎五郎は、そっと出窓を開くと、青のなかに白さをつよくしばるような高い空に向かってそのまゝ眼を西の彼方に遠くした。
 慎五郎は、そう思った秋の日のことを眼に泛かべた。
 鯖雲のふらりと流れる空である。そこに、眼をそうさせていると、自らが足を運んだ35年間の京都への道を想い起こし、しだいに初めて駒丸秋子と出逢った五条坂や、二人して歩いた京の都の細道が想い泛かぶのだが、五条坂の出逢いの記憶と鮮やかに結びつくもと言えば、それはやはり秋子の篠笛であった。
 「野の花のごとく・・・か」
 あのとき、ひょいと笛の音がどこからか聞こえてきた。最初は祇園の祭囃子かと思ったのだが、しかしその手の鳳輦(ほうれん)に踊る節音とはどことなく違う。
 慎五郎はいつのまにか佇み、しばらく野の風に揺らされる心地で神妙な笛の揺すぶり遊(すさ)ぶ音を聴かされていた。踊るでもなく、雅びるでもなく、侘びるでもなく、鄙びるでもなく、錆びるでもなく、市井の明暗から漏れ響く五感の音とはどことなく無縁のようで、どうにも裸体にさせられる。柔らかくはあるが人への手加減などない、それは逆しまに吹き野晒しに荒ぶ風神であった。

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                    ショートピース 動3 gif

 レイモンド・ロウィーの小鳩をたゝいた指先と、人への手加減を感じさせない野に逆しまに吹き荒ぶ風神を操るような篠笛の指先と、二つの白い指先が、高野川の春の流れに浮かんでくる。たしかにあのときは、野の風に揺り動かされる心地がした。
 僕はショート・ピースに火を点すと、いつもその燻ぶりが眼に顕れてくる。
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「まだあどけない15歳ほどの娘が・・・」
 あの手の篠笛をどう習い覚えたのかは不明であるが、宮大工の孫である秋子が宮家の影響を受けたことは間違いない。しかも、あのとき「野の花のごとく」という表現はそもそも可笑しいと、秋子にはクスクスと笑い返され、会釈とでも思ったのか軽く弾かれた。世間摺れした少女ではなかった。
「それでは、キリストはんの、あの聖書のフレーズといっしょや」と、
 そうあっさりと、機嫌良く微笑まれて、す~っと脇に置かれてしまったのだ。
 だが、そう言われてみると、逆にそうされた去(い)なし方に薀蓄(うんちく)の一味がある。慎五郎には益々讃美歌のように聞こえた。
 京都という市井の形成には、多くの社寺や宗派が深く関わっている。
 そうした仏派の中でも真宗は、プロテスタントと類似するではないか。京都人の質素・節約といった生活倫理の源泉を、その真宗の教えの中に見い出せば、市井にあって多様の商いに従事し、それぞれの家業を全うすることこそ凡夫の仏道と説いた蓮如の教えは、プロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神を生み出したとするウェーバーのテーゼと、二つは結ばれて似たるものとして重なるのだ。
 実際、京都の気質にはそうした宗教の基層があるではないか。またこの基層の上に、秋子のいう言葉もある。どうもそう感じたのだが、またそう感じさせる少女の妙に揺らがされた。
 宮家なら営みの目線は常に大君なのであろうから、キリストとなれば讃美歌そのものである。
 秋子の笛はシンプルな旋律ではあったが、微妙な抑揚をよく拾うと、深々と静謐(せいひつ)の漂うその曲の調べは「野の花のごとく」風にそよぐ草むらの野花そのものであった。

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 「美(うるわ)しのさくら咲く林ぬち・・・」
 自然とついて出た歌詞を呟くと、これは都内桜美林中学の秋子は到底知らないであろう古い時代の校歌なのであるが、慎五郎の父正次郎がよく口吟(くちずさ)んでいた歌で、ふと過ぎる思い出のその記憶とも秋子の篠笛の音は慎五郎の脳億でピタリと重なっていた。
 篠笛は旋律であり、旋律と詞を切り離せる人はいいが、慎五郎は切り離せない。そう秋子には説明した。するとどうだろう彼女の笑顔やるや、それまで笹ゆりの慎ましき常態だった筈の顔が、まるでカサブランカが突然咲いたような別顔の綺麗で鮮やかな艷めきをみせた。
 「笛を愛でるにも、そんなルールがあるのですね」
 と、一転して上品に切り返し、魂でも行き来させるかのように声を弾ませたのだ。
 秋子はさも虫の歌声を楽しむように、笛の音を楽しもうなんて、風流な人ですねと能(よくした)言葉遣いでそう言った。しかし慎五郎はそう仕切られたことに思わずハッとした。秋の虫を籠で楽しみ、風流に愛でようとするのは都人の十八番(おはこ)ではないか。それでは上手に慎五郎が仕返しされたことになる。だがそれだけでは秋子の嬉しい仕返しは終わらなかった。
 篠笛を仕舞い入れようと秋子が手にした西陣の筒袋の直ぐ脇に、目敏(めざと)くみると三品の湯呑が黒漆の丸盆の上にシャンと佇んでいる。その佇まいが洗練を感じさせた。
 門外漢の慎五郎が眺めても、その陶器である湯呑は、その場に似合う景色を創りシャンとした姿勢で佇んでいた。世事抜きに正直そう思えたし、ありていの直感として素直にそう感じた。何か簾(すだれ)越しに中庭を見るような風通しのよさを感じさせたのだ。
 そうした慎五郎の視線を鋭く感取った秋子は、篠笛を仕舞い終えようとした手をピタリと止めて、さも嬉しそうな笑みを零しながら、丸盆ごと慎五郎の手前にす~っと引き寄せた。瞬間、互いの頬と頬とが擦れそうになり、慎五郎にはたしかにそう思われたので、一抹の危うさを感じ、咄嗟に彼女の頬を片手で遮ろうとした。
 しかし彼女の所作は、片手をスルリとくゞり躱(かわ)し、はしゃぐような素早さで瞬く慎五郎の顔を横に向かせると、さらにその耳元に頬を寄せて密やかに囁(ささや)いた。
「これ、秋の賦(くばり)という名のゆ・の・み・・・」
 と、だけ囁かれて、秋子のつるんとした指先は湯呑の中をさしていた。
 そう促されて湯呑一つを強ばる手のひらに乗せられてみると、意外にその陶器の肌触りは軽やかで、仄かな温もりを帯びていた。しかも万辺なく枯れた秋景色を眺め見渡すと、誰にでも分る描かれ方、あるいは巧みな削り方で、湯呑の底に澄み透る羽をしてくつばる一匹の蟋蟀(こうろぎ)が、さも草場の陰で啼くかのように棲んでいた。そして一言、湯など注いで殺さないでと言った。

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「そうか、湯を入れると、蟋蟀が死んでしまうよねッ!・・・」
 と答え返すと、一度小さく頷くが、さらに首をさりげなく左右に振った。
「死にはるのも、そうやけど・・・、湯ゥ注ぎはると、黄蘗(きはだ)の釉薬が効かへんようになるんやわ」
「えっ、効かなくなる・・・?。綺麗に効いているようだけど・・・」
「そうやないわ。この釉薬なッ!、菩提樹の涙やして、私(うち)それ入れてるさかいに、湯ゥ入れはると菩提寺の声消えてしまいはる。そしたら、ほんに可哀そうや・・・」
 今、その湯呑の蟋蟀が、慎五郎の書棚の硝子ケースの中に棲んでいる。書斎のそのケースだけは常秋の国だ。春開く小さな硝子戸の密かな楽しみがある。
 「いつもよりうまく作れた気がする」
 と、あの時、じつに福々しい笑顔で陶器を手にして、寛次郎作品の魅力を伝えることに夢中にみえた秋子の姿が愛らしくある。しかしそんな彼女と出逢ってから、また方々を訪ね歩くまでの間、寛次郎という男の作品を見定めるようになる慎五郎には、そこに至る半世紀ほどの長々しい見極めにのめり込む道程があった。
 床屋に行ってバリカンで刈り上げた後、慎五郎は五厘の頭をスウスウさせながら書店の片隅で文庫本を手にとり、中学生だから無心で小銭を数えつゝ、さんざん迷ったすえにやっと念願の一冊を手にするくらいなのだが、それでもその一冊を箱詰めのダイナマイトのようにもち抱えて部屋に戻ってページを開くまでの出会いの緊張というものは、今でも思い出せるほどに至極ドギマギさせるものであった。

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 秘密のトンネルにこっそりと足を踏み入れ、宝石箱の鍵を密かに握りしめている、そういうドギマギの繰り返しによって慎五郎は、古い時代の生き物の死がいは、海や湖の底にしずみ、砂やどろが積もった層にうずもれていることを知ることができた。
 15歳のころの文庫本とは、一冊ずつが予期せぬ魔法のようなものである。装幀が同じ表情をしているだけに、ページを繰るまではその魔法がどんな効能なのかはわからない。さまざまな領域を横断し、しだいに慎五郎は志賀直哉の『城の崎にて』や里見弴(とん)の『極楽とんぼ』岩波文庫などともに柳宗悦の中公文庫『蒐集物語』に耽った。
 少年にとってそれら白樺派の一ページ一ページが霞んだプレバラートなのであるから、それはそれで記憶の粉塵のなかを歩くようで、じつに懐かしい。いつしか白樺派云々の垣根を越えて明治・大正という時代に癒される懐かしさに共感を抱いた。
 そうさせた懐かしさと言えば、白樺派作品を読み足していくと、柳宗悦から派生して引き出された河井寛次郎とう男の存在に注目するようになったことだ。
 つまり生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民藝運動を起こした同志たちに強く感心を抱きはじめた。

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 同志を一つ完成するには、長期の期間を必要とする。想像力を全開して構想を組立てるのに手間がかかるし、そうやって築かれる物語の基礎の部分は、丁寧に調べ尽くした現実的な細部に、支えられねばならない。良書とは何よりそうした堅苦しく思われるところから綺想に富むアイロニーが加味されることになる。
 柳宗悦という男はそういう方法を踏みはずさなかった。
 朝鮮陶磁器の美しさに魅了された柳は、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せる一方、無名の職人が作る民衆の日常品の美に眼を開かれた。そして、日本各地の手仕事を調査・蒐集する中で、1925年に民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、民藝運動を本格的に始動させていく。
 柳宗悦の朝鮮陶磁器や古美術を収集した幾多の話などを漁り手繰ると、民藝運動のそこから波打つ人脈の一人が泛き彫りとなって、波田慎五郎の眼の中に潜在し燻るそれが京都の河井寛次郎であった。
 阿部秋子の篠笛に乗せて、寛次郎が生きた面影を思えば、この男もまた風神のようである。そこに秋子の言葉を借りるなら、寛次郎の作品は、ゆく春の賦(くばり)、くる秋の賦を訴訟させている。


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                             第27話に続く
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   京都 赤山禅院。



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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

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京都風土記『花そとば』 第25話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   25

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      四  春の賦 (はるのくばり)   



 チリリン・・チリリン・・チリリンと、狸谷を静かに渡る鈴がある。
 おそらくお山の御坊にも届いているであろう。
 風が東へとなびけば、琵琶湖の左岸、鈴の音は峰を下り、坂本の日枝社辺りまで届く。
 雪化粧の瓜生山へと分け入り、秋子は村人が天にでも昇るような趣の神さびた鈴音をゆるやかに鳴らした。
 じっと居間に正座してその鈴の音を耳もとに曳きつけていた和歌子は、一度コクリと頷(うなず)いて、さらにゆっくりと安堵したかに二度頷くと、おもむろに裏山の方をじっとみつめた。
 そして今朝も昨朝と変わらずに比叡の空に凍える一樹であることを看取ると、阿部家のその菩提樹が、春の賦(くばり)を語りかけてくる幽かな声に耳をそっと澄ました。
「聞けば急かるる胸の思を、いかにせよとのこの頃か・・・」と、
 今年もまた菩提樹は和歌子の胸にそう訴えている。
 和歌子はその声にまた頷いた。三度頷くという覚書があるからだ。菩提樹の声は、阿部家が生まれつき授かる天賦(てんぷ)なのである。代々の家長が、春のくばりを聞かされてきた。
 そしてこの稟性(ひんせい)を授かるからこそ、民衆を束ね集落の生を守り抜いてきたのだ。
 立春は二十四節気の1つで、冬至と春分の中間にあたり、この日から立夏の前日までが暦の上での「春」となる。吉丸一昌(よしまるかずまさ)は、大正の初期に長野県安曇野を訪れ、穂高町あたりの雪解け風景に感銘を受けて「早春賦」の詩を書き上げたが、狸谷の「春は名のみの」とは、菩提樹のくばりであった。
 鈴の音が続けば続くほどに、菩提樹の枝先は揺れる。
「秋子、それで、ええんや・・・」
 鈴音は狸谷の冬を溶かす秋子の振り注ぐ阿部家の呪文である。瓜生山の頂から秋子は菩提樹に向かって一心に祈祷の咤怒鬼(たぬき)鈴を振り続けていた。

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「やはりこの一樹は・・・、永い絶望と失望を照らさはるための・・・、神か仏の手による一筋の光なんやと思う。私(うち)らはその木守なんや・・・。そないして・・・、今、十代目なんや」
 日本へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられるが、阿部家初代の菩提樹は紀貫之(きのつらゆき)のころと伝えられている。そして十代目は明治期に、祖父の阿部清衛門の手で長崎を経て移植された。
 そう伝えられるこの十代目も、和歌子が思うには、何やら伝説めいている。が、ともかくも清国五山寺院の一つ径山寺(杭州余杭)のモノを、清衛門が遠く船で運んだと伝え聞く菩提樹の老樹は、冬の終わりの雨に、只(ただ)しっとりと濡れるに身を任せながら、一時も怠ることなく和歌子が気にかけている暗示を永年物語り続けてきたのだ。
 くばりには警鐘の凶事を兆す声のときもある。聞き逃すことが許されぬ兆候があった。
「そや、半夏生や・・・!今年もきはるんやなぁ~・・・」
 また菩提樹は、さらに夏を告げて、修験者は深山幽谷へと分け入り修行に籠る。決まって毎年六月も末になると、一樹は或(あ)る花言葉と、ふくよかに誘う香りとでそのことを証明してくれるのであるから、やがて梅雨を越えるであろうそんな菩提樹をみつめていると、兄富造の声が和歌子の耳に懐かしく聞こえた。
「半夏生(はんげしょう)の日は、天地に毒がみちるから裏の竹林には入るな」
 という。村衆や幼子らを戒めていた言葉が、今朝もまた自然に蘇るのであった。
 遠い空の上から聞こえてくる、そんな富造の厳格で野太い声がす~っと耳奥で籠(こも)ると、今年もまた和歌子には確かな期待と不安が交錯して溢れ出してきた。
 夏が廻ることの序に従いて、小雪を散らす仕種で此(こ)の一樹の花が裏山に落ちると、決まって半夏生(はんげしょう)となる。菩提樹の淡い黄蘗(きはだ)の花は、父清太郎や一族の面々らと和歌子に夏至を、そして今尚、同族と村衆を固く結ばせていてくれる花なのである。
 夏安吾(げあんご)の山入りの前になると、数多くの修験道が阿部家の門を法螺貝(ほらがい)の音で叩いた。毎年、阿部家では、黄蘗(きはだ)の花を草木染めにして黄海松茶(きみるちゃ)の細縄をなう。
 最多角念珠(いらたかねんじゅ)にその荒縄を結いつけるのである。
 それは修験者が使う念珠で、一つ一つの珠はそろばんのような形をして、これを摺ることによって煩悩を打ち砕くという意味をもち、珠は衆生の本来的な悟りを表している。阿部家の黄海松茶の縄を結えば、星月菩提樹の念珠より霊験あらたかとの評判を呼び、多くの修験道が入山の際に訪れた。
 修験者は常に世寿(せじゅ)を求め、つつがなく夏安居を終えると夏臘(げろう)を得て、また一つ法臘(ほうろう)を足すことになる。安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指し、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視される。阿部家の黄蘗縄はいつしか飛鳥寺や延暦寺の安居院法印にも用いられるようにっていた。

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「そやった。穂野出(ほので)の田辺さんとこや。包装しはる前に電話しとかなあかン!」
 2002年2月。28日は三千院の星まつりの日で、祖父の代から毎年欠かさずに雲母漬(きららづけ)を大原に持参する手筈となっている。しかし今年のこの日は、和歌子がニューヨークへと旅立つ朝なのであった。六時前にはすでに旅支度を整え終えた和歌子には、まだ一時間ほどの余裕が残されていた。
 三千院は2月になると和歌子に星を咲かせてくれる宿曜経を伝える寺である。幼くして母を亡くした和歌子は毎年立春を過ぎると祖父や父の手にひかれて、50年前に祖父が他界してからは、欠かさず一人で星まつりに訪れていた。
「こないな勝手して、ほんにすまんこつや・・・」
 しばらく留守にすることを穂野出に伝え忘れていたことを、ふと思い出した。その連絡を怠ると、決まって平年通りの品数をきちんと揃え、三千院に届けるであろう。厭わず律儀な店である。
「雲母漬ゆうんは、おそらく京都でもこのお店でしか売ってないのんと違いますやろか。穂野出ゆう店で売ったはるのが それになります。そやかて、今の時期、予約しとかんと、もうありまへんわ」
 という、先日そんな話を聞いたばかりなのだ。損害があっては面目がない。額に薄い冷や汗を感じると、和歌子は慌てて居間の電話へと急いだ。
 そして断わりの連絡を入れると、間もなく山を下りてくる秋子を静かに待った。
 人知れず花を咲かせ続けるそんな一樹には、やはり語り尽くせぬ深い感慨がある。そうであるからこそ和歌子もまた、まだ花の無い二月の季節に無言(しじま)に立ちつくす、古老の黒い菩提樹を愛おしく大切に見届けたかった。いつも和歌子はそんな一心から、一樹が春立ちて変わり行く様子を眼を凝らしてじっと見続けてきた。
 旅支度を整え終えているものの、秋子の帰りを待って今一度言い含めておくこともある。もうさほどの余裕もないのだが、整理箱の引き出しの奥から一枚のCDを取り出すと、そっとパソコンのイジェクトボタンを押した和歌子は、秋子から習った通りに、開いたトレイへとそのCDを乗せて、ドライブへとスルーした。
 それはミュラーが遺した「冬の旅」の詩と、シューベルトの旋律を思い出させるCDであった。この冬の雨には、もう決して手に入らないものへの憧れが満ちていた。
 唯一の慰めである「死」を求めながらも旅を続ける若者の姿は、間もなく現代を閉じるから今少し何かに生きようとする老人にとっては強く訴えかけるものを感じさせた。
 旅立ちに今日を選んだのは、ソルトレイクシティーで冬季オリンピックが8日より24日まで開催されていたために、混雑を避けたかった。和歌子の眼には、ヴィルヘルム・ミュラーの水車小屋がある。
 そこに行けば、決して得られないもの、もう失われてしまったものへの憧れに満たされるに違いない。和歌子はスーツケースの荷物をもう一度確認し直した。そこには河井寛次郎作の紅彩鉢が厳重に梱包されている。愛おしく改めると丁寧にケースを閉じた。
 そして阿部和歌子80歳は単身、2002年2月28日の朝・・・ニューヨークへと旅立った。

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  人は常にいくつかの旅立ちを持つ。それが新たな旅であれ、古きに還る旅であれ、人は何かにあくがれて行く。和歌子が旅立った朝に、東京では京都の狸谷を省みる一人の男がいた。
 その眼には、いつしか見憶えてしまった早春の山端を漱ぐ高野川のせせらぎを泛かべている。
 あの日・・・、患者のかたわらの小さな椅子に腰をかけ、縦にまっすぐ切り開いた胸の内側に、鬼頭幸作は瞳孔も静かにためらいなく超音波メスを入れた。ピッ、ピッ、ピッと心拍のモニター音だけが響く。12人のスタッフが立ち会う中央手術室は静まりかえっていた。
 10万ルクスの高照度白色LEDが照らし出した無影灯光源の室内は、影の存在を否定した中で人間の五感が繰り広げる非常の世界である。その緊迫の手術台の上で秋子はたゞ青白く昏睡に落ちていた。
 幸作は、上下に走る直径2ミリほどの細い内胸動脈を丁寧にはがしていく。しごく少しずつ、丁寧に、さらに丁寧にはがした。
 この動脈は、阿部秋子がこれから安心して暮らすための命綱なのだ。心臓の筋肉に血液を送れなくなった冠動脈の代わりを果たしてくれる。だから執刀医は大切にあつかう。この心臓が拍動する状態のまゝ動脈を縫い合わせる、オフポンプの冠動脈バイパス手術が、5年前に京都順正大学付属病院で行われた。開始から約2時間、それは鮮やかで迅速な手さばきであった。波田慎五郎は特別室のモニターをじっとみつめながら、秋子の動脈にうまく血流が流れはじめたことを確かめた。

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 「あなたが、日本のエンペラーの手術をなさったドクターですか」
 と、術後に慎五郎が問いかけると、幸作は満面の笑みで「イエス」と答えた。平常な親しい笑みである。中学校からの盟友である幸作は、手術中、頭を使っているのは10%ぐらい、90%は反射的に手を動かさないといけないという。なるほど、この男の仕事は、一流のピアニストが感じさせる極限の眼光に似ている。今弾いている楽譜を見ているように、外科医幸作は、手術の先にある秋子の命をまっすぐに見ていた。
 やはり彼は評判通りの外科医であった。細やかで丁寧な仕事ぶりが執刀を依頼した慎五郎にも充分伝わってきた。ミリ単位での冷静沈着な命との攻防は、むしろ神々しくもある。
 その幸作は「手術が秋子さんに提供できる自分の真心のすべてであろうから」と言い、そういう方向で「今まで自分を追い込んできた」のだと「手術で100%と患者と向き合う」し、「必要な準備は怠らず、絶対に手抜きしない、ひたむきに秋子さんに集中するよ」と、こだわりを持って秋子一つの命に突き進むのだと彼は言った。だから、幸作に依頼することにしたのだ。また彼は慎五郎から依頼されて「他に誰がいるんだ、自分以外に引き受けて自分以上に結果をだせる心臓外科医はいないだろう」と、自分に言い聞かせたのであろう。そうして彼は託されたバイパス手術を無事成功させてくれた。
 退院後の順調な回復を見届けてから慎五郎は一度東京に引上げたのだが、すぐまた京都に引き返し、看護に戻ろうと思っても、矢継ぎ早に依頼された業務に急き立てられる日々が連続し、養母和歌子との約束である術後の見舞にもかまけて5年、退院後アメリカに留学した秋子とはまったく会っていない。
 帰国しているという風聞を耳にした。あの狸谷の丘で、もう篠笛の名乗りが吹けるようになったのであろうか。そう思い計り、揺り椅子に座りながら少し眼を閉じてみると、秋子の安らかな静養を願いたい慎五郎の脳億には、高野川の揺らぎ流れる瀬音が響き、朝まだきころは峰々をたどり比叡山延暦寺まで聞こえるという、その秋子の奏でる神寂びた篠笛の音色が泛(う)かんでいた。

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 レイモンド・ロウィーの小鳩を指先でたゝいた。
 彼女は軽くポンと爪弾くようにノックした。むろん、応えるはずもない。ノアの方舟のくだりで帰還する逸話の鳩である。このときクラムシェルの藍箱には、まだ残り五羽の鳩がいたはずだ。その一羽の頭を爪先でつまむと、彼女はピッと引き出した。
 もちろん、飛べるはずもない。鳩は身を火炙りにされる順番を、たゞひたすらと待っているのだ。僕の鳩は、我が身を荼毘に差し出せば大空へ飛ぶ自由を貰えることをよく自覚していた。それが買われた鳩の認識というものである。鳩は資本主義社会の常識を心得ている。
 彼らは火を神と崇めるTues Muslimsなのだ。藍箱の方舟は教会である。
 殉教の道を歩もうとしていた。毎日二十羽が天昇する。
 しかし、彼女につまゝれた一羽は驚いた。残りの四羽は次ぎもそうするのかと愕然とした。火炙りを待つ鳩は、火を灯されることもなく、たゞ無用で不要な棒切れのごとく転がされた。
 秋子は静かに僕の愛用するショートピースを自在に転がしたのだ。転がる鳩は拝みながら眼をたゞ閉じていた。そのとき僕は煙草を一服し、彼女の白い爪先がする始終を眺めていた。
 飼うために箱に入れているのではない。空へ放つために買ったのだ。
 そのまゝ放置された鳩は、さり気なく僕のポケットに入れ、一時間後に空へ放したのだが、僕が保有するアルゴリズムの色見本には、秋子の転がしたその色がない。
 僕は今、その細い指先の静かな「わが衣手は 露にぬれつつ」という哀れ香が果たして何色であったのかを漠然と想像している。
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 姿見の中の老婆を見て、阿部秋子は仰天した。
 「ああ、血のような空の色」
 と叫び、両耳をギュッと圧さえ、顰(しか)めた小顔の眼を一瞬丸くした。
 その歪んだ顔を見詰め終えてみると、秋子はあどけなく笑い飛ばした。
 そうして「今日も秋色やねッ」と明るく爽やかに言う。
 秋子のこれが日常の遊戯である。そうすることで秋子は気分を切り換え、実際それによって新しい知識を効率的に蓄えていき、人生を面白く進捗させることができた。
 秋子の「秋」は祖父の清太郎が与えたという。雁が音の羽擦れすら淡く感じさせサラサラと光る栗梅の髪は母から貰った。
 「手短な平和・・・」
 秋子はそう言ってテーブルの上でショートピースを転がした。上句だけポンと転がして煙草を喫うとは文句なく斬新で意外だった。和訳して喫煙をいとも美しく咀嚼(そしゃく)してしまったのだ。
 たゞの紙切れが風で空へ飛ばされるように、いとも簡単に僕の定形が崩れ落ちた。
 僕はその風圧でしばらく不正咬合の状態であったが、さりげなく手短でいかにも物臭なその言葉使いの妙な紫艶に巻かれながら僕はまたしばらくのまゝその軌跡の幽さに曵かされていた。
 やがて朝露の滴る窓ガラスの上に、秋子の白く細い指先が手短な平和という文字を描き、手招きで誘う夢をよくみるようになった。以来、神妙なその潮騒の揺らぎに僕は曵かれ続けている。

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 そんな秋子と逢う度に、波田慎五郎は、赤鉛筆でラインを引いた高校当時の、すっかり変色した古典の教科書をいま怖るおそる開いてみると、まるで紅葉が降り落ちた跡が、古細菌の化石のようになっているかのような錯覚を抱いてきた。
 微化石として多産するもの以外については、通常、断片的な知識しか得ることができないが、化石として生き残る生物は偶然に左右され、その身体の部位、条件、その他きわめて限られた場合だけである。しかし秋子の場合は「種」とよばれる連続群によって最も意味深くあらわれた標本に触れるようであったのだ。歯ぎしりするマルテルの顔が現れるかと嬉しくもあった。
 祖父の名の「秋」を引き継いだことがそうである。祖父の本名は清太郎であるが、阿部家の嫡男は代々「秋一郎」を世襲するという。戦禍にて嫡男の生存を危うくしたという体験から、祖父は子女にも秋の名を残そうとしたこともあるようだ。また、栗梅の髪を母から貰ったことがそうである。
 さらに、父譲りの白い指先がそうである。何よりも秋子が白露月に生まれたことがそうである。そうして白秋の詞をよく歌うことがそうである。
 生まれ落ちた地の「生命」やその「命名」とはすでに生きる化石であろう。慎五郎は、その秋子の名に赤い潮騒のような緩やかで懐かしい日本の音を幾たびか聴かされた気が、生半可じゃなく絶対にするのだ。
 秋子という数奇な女が抜群に面白く滑稽な古風の存在ということもあるが、日本人にはどうしても硬軟両義の感慨をともなって語らざるをえない「秋」という主題に、ひたすら一心に向かっているところがたいそうロマンチックに見えていた。また一途にも見えていた。



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                             第26話に続く
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   京都 狸谷山不動院「千日詣り火渡り祭」。



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京都風土記『花そとば』 第24話

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      三  雪の羽 (ゆきのはね)    



 どうしてもそのアメリカの言葉が耳に触れると、その度に頭の芯をつつき指の爪先までがピリピりとした。
 しかも複数の人が語りかけてくる。
 そう聞こえたが、それが物音であれば、言葉ではないのかも知れない。どうにも判然としないが、耳慣れた声か音ではないことだけは判る。しかし確かめようとして耳を澄ませば、身体の先が疼くほどに、しだいに空が大きく広がって行く。すると、和歌子は地吹雪の白い世界にいた。
 自身さえ居るか居ないのか解らない遠い時間の中で、たゞポツンと立っているようであった。
 雪はそんな和歌子を巻き包むように舞いあがり、また舞い降りてきた。
「やわらかァ~な、紙吹雪ィ散らすような、ほんに美しい雪やこと」
 天井から雪が舞いかかるのも構わず、立ち尽くしている修験衣の白い体は、雪景色の中で闇の底がほんのりと雪明りで照らされるように泛き立っていた。

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 書斎と真向き合う修験道の、やや右肩上がりの肩筋と太い猪首の気配は、たしかにあれはと思える鮮やかで、和歌子だけが判別できる懐かしい面影があった。
At last, it seems to have recalled it. Thank you. However, does Kiyoko understand I think now?I have the doing leaving. It is empty.
 やはりこれは人の言葉だ。瞬時に、そう感じ取れた。だがそれは、背中が和歌子に語りかける侘しさは、消え去ってしまったものを、もう一度この世に呼び戻そうとしてるのではないか、と思うほど寂しげにみえた。密やかな眥(まなじり)は既に何かを決めてるかのようにもある。
 鍛えられた白い影の手がふわりと動くと、指先でそっと目頭を押えた。
 そんな修験者の身辺をくるくる回りながら確かめている和歌子がいることが、また不思議だった。
It returned now my Kiyoko. It is reunion after an interval of 13 years.
 その時、今まで陰で聞こえていた何かの呪文かと思えた小さなささやきが鮮明な言葉として聞こえた。
「It waited just now. It ..training.. has returned laden.」
 と、確かに聞こえた。日本語でなくとも、そこに聞き覚えた吃音の癖があることが判った。
「お帰りィなさいまし・・・・・」
 亡き父のふせたまつ毛が涙にぬれるのを感じると、和歌子はそう言わずにはいられなかった。
 旅支度を整え終えた阿部和歌子が寝床についたのは深夜二時ごろである。
 今日、ニューヨークへと旅立つのだ、という逸(はや)る思いが80歳の眠りを浅くしていた。そんな和歌子はうたた寝の夢の間に、今は亡き父清太郎の白い面影の動きをみたのだ。
 誘われるようにす~っと目覚めると、寝床から半身をひよいと抱き上げられるかのように起こされて、おもむろに仰がされた顔の眼をそのままに、あやつり人形のごとく天井の一点をしばらく見すえさせられていた。
 しだいに紋様が泛き立ってくる。
 天井材は京都の家屋には珍しい津軽檜葉(つがるひば)が使われていた。
「そうや。このヒバいう木ィは、比叡のお山から吹き下ろさはる小雪まじりの風にィ打たれながら育たはるここらの木ィより強いんや。あゝあの時、そない言うて自慢してはったなぁ~・・・」
 和歌子は父清太郎と共に一度みたことのある北陸の海を思い出して、その景色の中を訪れていた。

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 空はどんよりと曇り、海は鉛色だった。風は次第に激しくなり、能登の七尾港に打ち寄せる波も高さを増している。餌を求めて飛び回る鷗(かもめ)でさえ、時折吹きつける突風に押されて横にすべるような動きを見せていた。腕組みをして宙(そら)を睨(にら)みつけた清太郎は、鋭い鷹(たか)の眼をして沖の波濤(はとう)をも睨み返していた。
「阿部家の嫡男(ちゃくなん)いうは代々、村が己(おのれ)のために錆びれてゆくのを、恥としたものだ」
 という清太郎の只一言の、あのときの鬼か鷹の目をして張り上げた口調が幼い和歌子の度肝を抜いた。
「人が恐れはる荒海に命ィ張らはって、いさぎよう船を漕ぎ出さはッた、そんなお人らが大勢いてたたからこそ阿部家が今こないしてあるンやわなぁ~・・・」
 天井に映える年輪が描く風雪を見すえている和歌子は、清太郎が買い付けた檜葉の丸太を見せようとして冬の七尾港まで連れて行ってくれたのと同様に、二十五代継ゝてこの家屋の様式を守り続けながら五百年余を世襲し続けてきた阿部家の永い幾歳が目に痛く映るのである。
「これらは皆(みな)、先祖代々、京都より遥かに雪深い北の果てから集めはった木材なんや」
 十二代の清之介に係わる覚書に、
「嵐が迫っていることは明らかであった。九兵衛ははち切れんばかりに帆をふくらました常光丸が、荒海の彼方に消えていくまで欄干を動こうとはしなかった。九兵衛がこれほどの危険を冒してまで常光丸を出港させたのは、清之介が手彫りの摩利支天像を握りしめていたからである」
 と、伝え記されて阿部家に遺されている。
 その九兵衛というお人はおそらく北前船の商人(あきんど)であろう。
 夢うつつに見た父清太郎の印を結びながら呼びかける影の在り様を改めて噛みしめると、和歌子は全身に圧(の)し掛かる重さを感じ、そっと天井からは顔をそむけ、蒲団(ふとん)の上にへたりと座り込んだ。

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〈The what went wrong?Does not Kiyoko have great vigour?。Recall me wanting meet me because the vase on the desk in study is seen. Kiyoko's mother also is entering in that.〉
 と、風音のように聞こえると、自然に和歌子の目は机の上に向けられていた。
「ああ~・・・あの花入れのようなお人やった・・・」
 書斎の机の上に古伊賀の焼き物が今も生前と変わらずに置いてある。
It is so. It is it. Embrace it closely when it is lonely.
 それは見る者に強烈な作意を窺わせる桃山期の伊賀耳付花生であった。清太郎はこれに〈あざみ〉と名付け裏山の茂みに咲く折々の野草の花色を借りては、花を入れない花生の景色を楽しんでいた。
It comes to have understood tasting and the earthenware. It is a daughter who still pulled my blood.
 野薊(のあざみ)の棘(とげ)を連想させることからそう命銘したという。
 胴の部分に突き刺さるように付着した窯変の細かな焦げが飛び散るように口辺まである。裾の濃い焦げの上に若草色のビードロ釉がかかり「自然の変化がこの花生の味わいだ。関白などに分かるまい」などと、まるで利休を気取るかに語っていた。
It is an important treasure brought when Kiyoko's mother marries from Iga.
 母秀代は伊賀上野に生まれた。この古伊賀は秀代が阿部家に嫁ぐとき花嫁道具の一つとして持参したものだ。端正な形態の一切が拒否された古伊賀の、緑釉(みどり)に父の姿が、見覚えぬ母の姿が泛き上がると和歌子はまたふと遠い目をした。
「お母ちゃんが生きててくれはッたら、阿部家ェもまた違(ちご)うたんやろなぁ~・・・」
 明治、大正と足早に終わり、昭和の時代もまた遠のいて、和歌子はその徒然を懐かしく泛べた。
 阿部清太郎という男は、古い家柄を鼻にかけるような人であった。
 だが誰からも信用され信頼された男でもあった。その誰もが信用しきれる男の値打ちに、和歌子はいつしか清太郎の長女として生まれてきたことへの自負を芽生えさせた。京男の値打ち、このことを疑わず永らえて八十歳になる今も変わらずに健悟でいるのだから、亡き父の蜉蝣(すがた)を偲ぶ和歌子の眼差しには細石(さざれいし)のような得心が現れていた。
I boast of an old standing of a family and the person never proudly has behavior.
 と、などと、清太郎からまたそう言われそうだと想った和歌子は、静かに辺りを見渡して苦笑した。
 洛北の高野川沿いには古びて狭い集落が、里山のような存在として点々とある。

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 着道楽などと囃(はや)される洛中の雅さとは一定の距離をおのずと保つことで、これらの山里は特有の営みと穏やかな暮らしぶりを守り続けてきたのだ。
 暮らしを守り抜こうとする里人達は、集落の中に里山という共通の鎮守を据え、何よりも要(かなめ)となる結(ゆい)を重要視し、人心の結束に努めるのである。人々は京に都が遷(うつ)される前の原住であることを心の寄りどころとし誇りとした。これらを崩され壊されることを恐れるから結垣をつくり掟(おきて)とする集落では、もの珍しき者、抜け駆けを企てる者、異形なる存在は、些細(ささい)なことまでが穿鑿(せんさく)の火種となった。
「清太郎はんは、京都ではのうて、石川の出なんやそうすどすなァ~」
「ええ」
 女学校に通うころの和歌子は、村人から父の不可思議な出生を問われると、いつも笑顔で弁(わきま)えのある物言いをして明るく答え、そう心構えして通り過ぎると妙に意地悪く聞こえるから決まって眉をひそめた。
「清太郎はん、天狗さんの子ォや聞きましたが、あれ、ほんまやろか」
「へえ、せやえど天狗さんのよう鼻ァ高こうはあらしまへんしなぁ~」
 このように母の秀代から頂くように諭(さと)される知恵で、しだいに和歌子も村の人間となり結(ゆい)の仲間入りをするようになるのだが、村長(むらおさ)の立場であった阿部家に係わる者として、村長とは頼られることによってしか存続できないものであるから、一人前になるに従って隙の無い、火の打ちどころの無い、あらゆる結のための企てを胸に秘めて備えねばならなかった。
 そんな秀代の知恵は、そのまま祖母から頂く英知でもある。
 京都人の口に戸は立てられぬもので村人達が実(まこと)しやかに語るように、清太郎は石川の真言宗寶泉寺(ほうせんじ)の修験道光雲に拾われた捨子なのだ。

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 高野山真言宗寶泉寺は、金沢市の東茶屋街から卯辰山のふもと子来坂(こらいざか)を上がると右に山号を摩利支天山とする山門がある。
 修験道光雲は幕末のころ清国(しんこく)に渡って修行を積んだ人で、少林寺拳法の達人でもあった。清太郎は一歳半で拾われた時から、この光雲に拳法と学問と修験道を叩(たた)き込まれたのだ。
 そんな清太郎が阿部家の第二十四代目として養子に迎え入れられた経緯(いきさつ)はやや複雑である。

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Ah it was a difficult time fee in all respects. Japan was an immature age when the country was opened by the external pressure, and shape in the country was not decided yet.
 このころ朝鮮半島をめぐる大日本帝国と大清国の戦争が熾(おこ)ろうとしていたが、当時の朝鮮では、明治のザンギリ頭に浮かれ、これを文明開化と謳歌(おうか)する日本人には、到底想像すら出来得ない日本敵視の民衆心理が三百年以上にも及び根付き続いていた。
 それは西郷隆盛らの征韓論によって蒸し返されるが、朝鮮民衆は、豊臣秀吉の朝鮮侵略によって受けた民族的苦痛と屈辱が長く人民の間に記憶されている。その上に当時、朝鮮政府の重税政策、官僚たちの不正腐敗の横行、日本人の米の買い占めによる米価騰貴(とうき)などに苦しみ、打ち続く旱魃(かんばつ)において未曾有(みぞう)の飢饉に悩まされていた。
 これらに耐えかねた朝鮮の農民らが、日本への米の流出防止、腐敗する官吏(かんり)の罷免、租税の減免を要求して立ち上がることになる。
 1894年6月、朝鮮史上最も大規模な農民蜂起であった。
 この農民蜂起は、東学(とうがく)の信徒が主導して地方官の悪政に対する抵抗に始まるのであるが、東学とは西学(キリスト教)に対し儒教、仏教、道教を折衷した新興宗教で、先導する朝鮮政府への抵抗が多くの農民を蜂起させた。これが甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)という内乱である。
 朝鮮政府は自力解決は困難と判断して、清国に救援を求めた。
 清国は直ちにこれに応じ、清国軍第一陣約一千名の牙山上陸を開始した。清国が日本に送った通知には〈属邦保護のための出兵〉だとある。
 これだけを切り取ると清国の行為は明らかに天津条約違反であった。
 この日清間で交わされた天津条約は1885年4月(明治18年)に締結したものであるが、これと期を同じくして、当時一歳半の清太郎が甲斐駒ケ岳の山小屋で光雲に拾われていた。そこには出生を物語るかの手紙一状が添えられていて、清太郎は籠(かご)の中で真っ白な正絹(しょうけん)に包まれていたという。

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「昔から、甲斐の駒ケ岳ェいうお山は、摩利支天の座りはるお山やさかいに・・・・」
 人伝(ひとづて)に聞き覚えた清太郎の話を、和歌子はあらためて静かにひも解いていた。
 清太郎は石川県の某士族の七男として生まれている。
 明治維新で父親は家禄(かろく)を失い、公債証書七百円の年収でもって一家九人を養わねばならなかった。今の年収で150万円ほどの暮らし向きとなる。公債700円など年50円足らずの利子しかないのであるから九人ともなると、暮らしぶりは甚(はなは)だ酷(ひど)いものであったようだ。
 当時の記録に、普通の大工が7円、村巡査が10円の月給とあるが、これらからして生活の水準が非常に低い。しかも家禄を奪われ、食い扶持を失くした士族らの多くが満足な仕事さえ無く、流浪に等しい難儀な身の上で、裏面の明治維新とはそういう時代でもあった。
 国民が右往左往するそんな最中に、
 拾われた赤児の籠に添えられて「出でて去(い)なば主なき山と成りぬとも 軒端(のきば)の鳥よ雲を忘るな」という歌が遺されていた。
 あたかも光雲に宛て、光雲が拾ってくれることを予知して詠んだような歌である。
 たとえ我が身は滅びても、この歌だけは是非(ぜひ)とも残し、歌はやがて我子が生きることを証してくれるだろう、という武士(もののふ)の静かな諦めを光雲はこの歌に認め、注がれた親の熱い願いを光雲はおもんばかった。しかと承る辞世として、光雲はこの歌は悪い出来ではないと思った。
I certainly remember only getting warm now though it is father and it is mother who doesn't remember even her face. Because it was keen circumstances, I do not have the grudge thing at all though it is true that I am a child to whom I was deserted. This song is all parents' love. However, parents' chests think of burst claws and teeth.
「お母さま・・・・」
 と、・・・・和歌子の胸に、長い間忘れていた慕情がこみ上げてきた。
 実母お華(はな)は、和歌子が4歳のころに他界した。母と慕う秀代とは後添えの人である。
 飼い馬のうしろ肥爪(ひづめ)で顔面を蹴り上げられた非業の死は、享年20歳であるから夭折といえる。その潰された顔さえも分からぬまま死別した若き躯(むくろ)には、和歌子が泣きながら追い求め慕い続けながらも心の中に培ってきた母の温もりが今もある。
 清太郎を抱え松明(たいまつ)で足元を照らしながら駒ケ岳の闇道を下ったという光雲の厚情が和歌子に伝わると、顔さえ泛かばぬ亡き母の無念さが慕われ、我乳飲み子を間引くとは自分を呑み込む地獄の境地のように思え、あの世の雪をかぶって立ち尽くし彷徨(さまよ)っているように感じられた。
 戦争の影に覆われた日々にあって、和歌子の人生の半分もまた同様の日々であった。しかし野の色、海の色だけは今よりもっと鮮やかな藍か青だったと記憶している。
 諸国の下級藩士らにとって、幕末という転換期は大いなる希望を抱かせる黎明の光であったはずだ。しかし維新の功労は平等には報われなかった。清太郎の父母もまた同様であったのであろう。
 大政奉還から廃藩置県までの4年、ここから大日本帝国憲法発布まで18年、この22年間の維新期に、日本政府は妙な歪(いびつ)さを遺し、庶民とはいつの時代でも哀れなもので、封建の世の徳川と同じように踊らされ翻弄(ほんろう)させられた。
 そう思う和歌子の目には、鹿鳴館という存在が、まるで浮世ばなれした物語のように映るのである。
「あんなん格好(かっこ)よしやないか。鬼やないと、あゝは踊られしまへん・・・」
 鹿鳴館は明治初期の急激な西欧化を象徴する存在である。
 東京内幸町に建てられた洋風建築の社交クラブであるが、イギリス人コンドルの設計による煉瓦(れんが)造りの二階建ては明治十六年に落成し、欧化主義がとられる中、内外上流人の舞踏会などが盛大に催された。これは清太郎が生まれる二年前のことだ。
「一体どこまでが文明開化ァいうもんやったんやろなぁ~・・・」
 和歌子は口元に皮肉な笑みを泛かべた。
 末慶寺(まつけいじ)は(京都市下京区万寿寺櫛筍上ガル)にある。
 朝鮮半島がこの内乱を引き起こす三年前の明治25年5月10日、日本ではロシア皇太子ニコライを負傷させた大津事件が起こっているが、この騒ぎのなかの5月20日の夜、京都府庁の門前で、一人の若い女が自殺しているのが発見された。当時二歳の清太郎が甲斐駒ケ岳の山小屋で光雲に拾われるのは同月25日のことであった。そこには出生を物語るかの手紙一状が畠山という名で添えられていて、清太郎は籠(かご)の中で真っ白な正絹(しょうけん)に包(くる)まれていたという。
 末慶寺には、事件後に自殺した烈女とされた畠山勇子の墓がある。兄富造はしばしばこの寺に墓参してたようだ。だが和歌子にはそこまでの素性は伝わってない。しかし、秋子はその何らかの関わりを富造から聞かされている気配だけは感じる。まことに不可解な清太郎の出生である。

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 天津条約違反と甲午農民戦争を格好の材料に日本軍は、清国勢力の朝鮮半島からの排除を大義名分に、朝鮮独立、公使館警護、邦人保護を掲げて半島へと大軍を動員した。朝鮮半島の帰属問題から勃発したこの日清戦争を日本国側が勝利する。
 その後、日本が勝利したその情勢に切歯扼腕(せっしやくわん)した仏国、独国、露国は三国干渉で日本が中国から租借(そしゃく)した遼東(りょうとう)半島などを奪い取るのだが、そのことを契機に半島へと南下しようとする老大国のロシア帝国に対し新興の大日本帝国が挑む大戦が引き続き行われた。日露戦争である。
 光雲から引き取られるように清太郎が阿部家の養子となったのは、折しも日本国が欧州屈指のバルチック艦隊を破り日本国側の制海権を確定させた1905年(明治38年)5月のことであった。この時、清太郎は15歳である。
 日本国は、帝政ロシアを敵視するアメリカのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフの知遇を得て、ニューヨークの金融街として残額五百万ポンドの外債引き受けおよび追加融資を獲得したという経緯も有利に加担してか、東郷平八郎司令長官が率いる連合艦隊の一方的な圧勝は、世界各国の予想に反する結果であり、列強諸国を驚愕(きょうがく)させ、ロシアの脅威(きょうい)に怯(おび)える国々を熱狂させた。
 ロシアでは、相次ぐ敗北と、それを含めた帝政に対する民衆の不満が増大し、1905年1月には血の日曜日事件が発生していたし、日本軍の明石元二郎大佐による革命運動への支援工作がこれに拍車をかけた。
 日本も、当時の乏しい国力を戦争で使い果たし疲弊(ひへい)していたため、両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和することになる。こうした日清から日露戦争に至るおよそ10年という大戦の歳月は、光雲が清太郎を青年となるよう育て上げた10年でもあるのだが、阿部家の嫡子(ちゃくし)となる披露の席の清太郎は、いぶかる村の衆らを愉快そうにながめ泰然と構えていられる器の男までに育てられていた。

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 狸谷に新たな春が訪れようとしている。
 その日は朝早うから阿部家の中庭に、三つの大釜を乗せた竈(かまど)を仮しつらえ、焚かれる大釜の上に重ねられた蒸籠(せいろう)からは、滔々(とうとう)とした真っ白い湯気が青空をくゆらすように立ち昇っていた。
「華はんお祝いや。こないなのどうかと思うてな」
「せやけど、ほんに洋行でもしはる、お雛様みたいやんか」
「あれ見てみィな、あれ、ミッション・ガールいう制服なんやて」
「どこがええのか何んやよう分からへんけど、華はんには、ようお似合いや思うけど・・・」
「ほやけどなぁ~、なんぼ華はんが好きなかて、あないな格好しはっては世間体悪いし、家の立場よう考えはらんと、きっと檀家はん陰で泣いてはるんやないか思いますがな・・・」
 と、華の晴れの姿を見た村の衆が、誰彼となく面々にざわめいた。
 これは華が平安高等女学校に入学した春のことであった。
 鍔広の丸い大きな帽子、白い大きな襟と胸元にリボンをあしらった紺の上着、おそろい色のスカート、黒い革靴という華の出で立ちである。
 村の衆にとって日本初のミッション女学生のセーラー服がいかに眩しい存在であったか、想像に余りある。大正14年当時、女性の洋装は依然としてもの珍しい風俗であった。
 ざわめく村の衆が中庭を取り囲む中、中央に立つ祖父清衛門が満面の笑みで鼻高々に挨拶を終えると、総勢七、八十人はいる村の衆から華は一斉に喝采を浴びた。
 傍(かたわ)らには馳せ参じるかのように集まった白装束の修験道七人がいた。猛々しく横一列に並び、喝采が静まると同時に、一人二人と次々に法螺貝を颯爽と繰り出し、荘厳で重奏の音色は瓜生山をも飛び越え比叡山にでも奉ずるかのような勢いで山々を鳴り渡るように響いた。
「これから皆で紅白のお餅つくさかいに、お華はんは、よう見ときやし」
 腕まくりをした祖母の貞子がそう言いながら蒸籠(せいろう)を臼(うす)の上に逆さにすると、餅米から煙のように白い湯気が立ち、あたりに甘い匂いがたちこめた。
「さあ、いくぞ」
 清太郎の号令で若い衆が声を上げた。清太郎は桶(おけ)の水で手を湿した。
「ほな、どっこい」
「あいよ」
「ほれ、どっこい」
「あいよ」
 くるくると入代わる若い衆の杵(きね)の響きに合わせて清太郎は素早く餅を返した。ぴたりと息の合った掛け合いの声とともに、臼の中の餅米はみるみる餅に姿を変えてゆく。終盤になると清太郎が一段と声を張り上げた。すると見守る村の女らは若い衆の杵に、男らは清太郎の手に合わせて声を張り上げた。
「ああ・・今日は28日。そうや、星まつりの日ィや・・・」
 書斎の前に佇んでいた清太郎がくるりと振り向くと、やや小首を傾(かし)げ何ごとかを促そうとする貌(かお)は、そのことを言いたげな目をしていたし、和歌子は一瞬、目が洗われるような気がした。
「せやけど、忘れてたこと、死にはった人に話ィすることもできィへん」
 夜明け前の暗がりに和歌子が窓辺から頬杖(ほほづえ)を立ててみる、その跫(あしおと)の無い冷たい雨は、裏庭のもみじ葉の青をふるえさせ山陰(やまげ)にある大きな菩提樹(ぼだいじゅ)の葉を寒々と濡らし続けていた。 
 瓜生山をこぬかに濡らしながら狸谷を地の底のように凍らす早春の雨なのである。この季節の雨を木(こ)の芽起こしともいうが、立春を過ぎて京都に降る雨は未だ氷雨のように冷たいものであった。

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 春と聞かねば知らでありしを、という。
「世間さまに対しシニカルにふるまうのは簡単なことや。背負わされるもの、心の中にたまるものを発散さして、リバタリアンで生きてゆけたら、そらぁ~素晴らしいことやァ~。せやけどそれが昨今の日本人の先行きが暗うなった理由(わけ)なのやおまへんか・・。せやろ、清太郎はん。生きてはったら、そらァ~怒らはるやろな~・・・・」と、
 誰と語るでもなく菩提樹をながめる和歌子はそうしんみりとつぶやいた。
「たしか吉丸一昌というお人は、豊後の国のお武家さんの子どしたなぁ~」
 比叡山の山端(やまはな)に秋子と暮らす和歌子は、この早春の賦(ふ)に思惑という怖さを感じるのだ。
 幕末生まれの祖父二十三代目の清衛門が他界して早50年になる。清太郎が他界して40目の春を迎えた。その思惑とは和歌子にとって或る種の石のような存在であり、清らかな川の流れを保つ葦でもあった。早春賦がこの世に生まれた大正二年、清衛門は同年に初めて清太郎と廻り逢えたのである。
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「和歌子・・・!。加賀にな、白山いう神様の山があるんや。その山の冬の終わりにな、淡い赤の花が美しゅう咲くんや。そりゃ~綺麗な花でな、その花がある雪の降る日、ポトリと涙ァ流しはるのや。寒いんや。それを雪が見ててな、寒いんやなぁ~と思うんや。そしたらな・・・、雪は悲しくなってな、羽ェ落しはるんや。それ、お父ちゃん見てて、冬いうもんはこないして終わるんやと思たんや。雪の羽・・・、どこかへ消えてしもた・・・」
 父から聞いた子守唄である。そう言うと、清太郎は静かに眼を閉じていた。
「せんないなぁ~・・」
 ここ数年、立春が過ぎると喜びより不安が先に立ちあがる和歌子である。
 胸の底から黒雲のように不安が湧き上がるのであった。
 昭和天皇がお隠れになると、塗炭(とたん)に世の中が乱れ心安らかならぬものを感じていたせいもあるが、世間には人々の悪意に満ちた視線(まなざし)が多すぎるのである。これらは末法の世の証(あかし)なのか。母ひとり子ひとりの少年によって毎朝宅配される新聞には、心にひそむ地獄を目の当たりにするし、目を伏せたくなるような惨事が多く載るようになってきた。



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                             第25話に続く
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  きょうの細道    C 11 gif



  
   京都 鞍馬山。



    
   京都 鞍馬の火祭。



   そうごリンク
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   きょうと 2はなそとば 2

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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第23話

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              第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   23

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うりゅう山 1

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      二  六部の春 (ろくぶのはる)    



 幼いころに伯父と思って親しんだ清文さんが、十数年後に、じつは実父でそれを今まで伏せていたのだと養母和歌子に詫びられて明かされたとき、秋子はそんな和歌子を素直に許すことができた。
 他界後に、しかも祖父阿部富造の遺言として告白されたためだ。その遺言を、秋子はすべてを過去形で物語る他人事としての単なる紙切れぐらいに思おうとした。
 本名を阿部清四郎だと確認はしたが、それは本人よって捨てられた名でしかない。望んで捨てた名を子が大切に抱くのも妙なモノに思われた。もしも父であれば、父はそんな男であって欲しかった。
 養母和歌子にしても祖父富造の遺言を預かり、祖父の存命中は固く口止めされていた。その和歌子を責めることは筋違いではないか。そう冷静に思えると、秋子はじっにあっさりとしていた。
 動揺を案じ続けた養母和歌子が不思議ぎがるほどに、それほどじっにあっさりとしていた。裏切りによる悲しみや動揺よりむしろ逆に、もしそこに何かを偲び挿むのだとすれば、それはただ一つ、ぼんやりとした結び目の見えない少しの空白を覚えたことであろうか。

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 何よりもまた、和歌子とは二十ほど歳下の、その清文は秋子の胸にじつに数多くの薫陶を遺してくれた。幼いころに触れた清文ならば、出家して高野山に上がっても何の不思議さはない。少し日が経つと、清四郎より先に清文の方に照らすことで感じられる実父の像(かたち)が思いの他快く面白いとも思えた。
「アキ・・・、この蟻なッ、ほらよう見てな。このぎょうさんな行列、これお弔いしてはるとこや。どこに向かいはるか解るかアキ。あっち御堂あるやろ。御堂の下、お墓なんや。そのお墓なッ、あそこに入口の穴ァあるんや。ほんにお山の蟻さんは、偉いなぁ~・・・。よう学問してはる蟻さんたちや・・・」
 と、嬉しそうに語るその顔が鮮明い泛かぶ。
 秋子は、こうして清文の語りかける少年のような眼差しと笑みが大好きであった。

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 大人が幼子に語り伝える童話のように、清文は優しさを湛えて、あるときは滑稽に、ジャン・アンリ・ファーブルの世界とロマン・ロランの世界とを噛砕いて真剣に面白く話してくれた。ああ、あんな難解な二人の関係を、ああも興味をそそらして解り易く教えてくれたのか、と今更ながら秋子が思い描くその天才の姿は、すでに10年前にこの世から亡くなっている。
 そのとき、じつは実父が死んでいたのだ。
 てっきり清文伯父さんは、延暦寺の若いお坊さんだと思っていた。あるときその姿を突然見なくなったが、和歌子は伯父さんが高野山に移られたと語った。幼いころの秋子には、明らかな宗派の違いなど解るはずもない。比叡山の僧が、高野山の僧に移り代わることは余程のことだ。
 勘当した身の上の亡きがらは、その父の富造が、さらに勘当して高野山へと葬られた。

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「ああ、憂国の蜜蜂さん達よ。ほらほらどうして君たちは、そんなに楽しく飛べるのかい。ブンブン笑顔で飛べるのかい。・・・・」
 と、野山を歩きながら昆虫や他の生物をみつけては語り聞かせる清文の「ああ、憂国のOOさんよ」で始まる定形の口調が独特のまま耳奥にある。
 対象として扱って面白い昆虫が、身の回の比良の山々には数限りなくあったから、清文はその生物の研究に人生の大半を注ぎ込もうとした。清文はそんな野山の達人であった。幼いころより清文の背の上で秋子は共に野山を歩き、あるいは延暦寺の僧の生活も覗きみた。
「出家しはって勘当され、死にはって、次ィお墓まで勘当やなんて・・・」
 そう思えると、しみじみと切ない話になる。裏山の崖のくぼみで、今年もまた秋子は冬の終わりを感じた。
 裏庭から仰ぐように見上げると、柱状の高い崖の頂きには猿復岩(さるまたいわ)という二つ瘤の奇岩がある。
 その奇岩の両端に、注連縄(しめなわ)を渡した山水の落とし口がある。
 比叡山の雪解け水がこの猿復岩をくぐり、岩肌の凹凸(でこぼこ)をつたいはじめると、崖の中程にあるくぼみの岩垣は、いつしか石清水を湛える小さな池となる。
 群れをはなれた野生猿はこの池に、するりと崖の上から伸びさがる葛の根をつたって降りてきた。あの杏子(ももこ)も上手にするすると降りていた。

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 それは仔猿一匹が身を洗う盥(たらい)ほどの岩垣で、夏の盛りに涼をとる山猿の、股開きに尻をひたし逆立ちで面(つら)を洗う、秋子がみかけて呆(あき)れるほどの、天衣無縫の霊怪な夏安居(げあんご)は、いささか滑稽である。呆れたついでに、密かに待ちうけて撮り、その記念写真の数枚はアルバムの中にある。
 藪柑子(やぶこうじ)の赤い実が落ちて水ぬるむころに、くぼみの淵よりあふれしたたる清らかな水辺には、毎年決まって瓜生山から鼠(ねずみ)もめんの小さな客人(まらうど)がやってきた。
 石清水に心惹かれてやって来る、この客人の澄みやかな奇瑞の声が聴こえると、阿部家の裏庭では秋子の育てる笹ゆりが、新しい花芽のさやを小さく細く孕(はら)ませる春が訪れるのである。
「ああ、六部(ろくぶ)さんや・・・来はったんや」
 と、丸く愛くるしい顔をして秋子は今年もつぶやいた。
「六部さん、来はりましたか。おこしやす・・・」
 とまた、秋子はお迎えの挨拶でもしたくなる。阿部家の春は、まずこの来客に始まるのだ。
 そんな奇瑞の客は、黄鶺鴒(きせきれい)である。
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 澄みやかな声でチチチッ チチチッとさえずり、トントンと尾羽を上下させる奇瑞の客である。
 チチン チチンと鳴く。 チチチッ チチチッとさえずる。
「ちりりん~ちりん。ちりりん~ちりん。ちりりん~ちりん。ちりりん~ちりん。・・・・・」
 と、そのさえずりは、聞いている秋子の耳で、しだいに鈴音のように響き合うようになり、阿部家の春は、この巡礼の鈴音とともにやってきた。

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 水辺にそんな黄鶺鴒が姿をみせるようになると、
「今年は、和歌子はん・・・、どこに行きはるんやろかなぁ・・・」
 と、丸く愛くるしい顔をして秋子はつぶやいた。
 阿部家の代々が廻国をした。そうした鈴音に誘われるようにして、鈴の音は乙女心につらつらと、秋子には20歳過ぎころから裡にくすぶる淡い思いが遺されていた。
 継ぎ継ぎて旅立つ男たちを見てきたことも、そここにはある。旅立ちを胸の裡にしながらも、未だ旅立てぬ秋子なのであった。
「橘の 寺の長屋に わが率(ゐ)寝(ね)し 童女(うなゐ)放(はな)髪(り)は 髪上げつらむか。と、飛びたちかねつ鳥にしあらねば・・・」
 と、万葉の昔にすでに社会の矛盾にあえぐ男がいた。
 先の旅たちかねつ鳥があたかも後進の鳥に旅立つべき道の導(しるべ)を与えてくれているかのように聞こえてくる歌声である。雁の使いは、この歌声の不幸を聴きながら発心をし、満願とする寺までを辿ろうとする阿部和歌子が、鈴音をふり鳴らしながら遍るようになってからもう五十年にもなる。
 今年もまた例年と少しも変わらない春をみずからの裡(うち)に迎え入れることを発心として、また例年の通りそうすることを秋子に書置きして、80歳の和歌子は西国の巡礼へと向かった。
「あと八年は元気でのうてはあかんのやさかいに・・・」
 身は細くとも老いの眼は気丈なようだ。そう言って和歌子は凹凸詩仙堂の角から秋子の守る阿部家の屋根を振り返りつつ、その眼には実弟阿部清四郎の若き面影を湛えていた。
 その和歌子は、八十八ヶ所をめぐり終えた後、高野山に上がり満願の墓参を果たしたいのである。80の老体で一人遍路など無謀とも思えるが、しかし和歌子も女子ではあるが、法衣の声の行き届く山端に生まれたのであるから、成し遂げて満たさねばならぬ何事かはあろう。
 それは、山端に育った女の分別として、蟠(わだかま)る一つや二つの心障りな失念を、最期にふりしぼる決着の気構えであろうか。未だ米寿までは死んでも生きるのだと叩く口は持つ。
 満願への門出・・・、それを悟って秋子は、裏の畑にいて知らぬ顔をした。

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 和歌子の気丈さは、すでにその出で立つ姿に現れていた。
 まず墨染めに再色し直したモンペ仕立ての京友禅が、達観した女僧さながらに見える。あるいは、その頭上に薪の束でも載せればモダンな大原女(おおはらめ)がはんなりと歩くようでもある。
 モンペ仕立ての創作ではあるが、まさに大原女のその風俗に似せた和歌子の風姿は、島田髷に手拭を被り、鉄漿をつけ、紺の筒袖で白はばきを前で合わせ、二本鼻緒の草鞋を履いている。
 阿部和歌子はこのスタイルで京都から飛び出すように西国へ出た。そんな度胸の気丈さは、80歳にして、若返り娘の悪戯(てんご)でも見るかの趣であった。

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「私が昔、橘寺の長屋に連れてきて共寝をした、おさげ髪の少女は、 髪を結い上げるほどの大人の女性になって、他の男と結婚しただろうか・・・」
 と、京都駅から、和歌子の視線は一点に絞られていた。
 それは・・・昔、橘寺の長屋に行って、一緒に過ごした乙女への思い。
 可愛らしいおさげ髪が似合う乙女だったのであろう。
 女性は大人になると、長く伸びた髪を束ねて結い上げる。髪上げとは、成人した女性になることを示し、結婚する意にも用いられていた。
 時がたてば、少女も大人の女性になる。
 少女の頃しか知らない、この作者は、過去の思い出から、現在へと思いを馳せていく・・・のだ。
 作者自身も当時は若く、淡い思い出としていたものが、ふっとよみがえったのであろう。
 そして、あのときの少女が、今では綺麗になったのであろうな、と懐かしく、そう思う。
 それは必ずや・・・、遠く時がたってしまった思い出ほど、心の底で忘れられない存在となる。
 密かにそう念じながらお遍路を続けてきた和歌子は、満願となる八十八番札所の寺の写真でしか見覚えのない景色を想像した。今年もまた何事かを心に秘め、発心を抱き、お遍路となった阿部和歌子は白峯寺(しろみねじ(へと向かう五月の道の辺にいた。

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 生憎、この日は雨あがりの曇天である。香川の田の畦はぬかるんでいた。
「あそこも、そこも、水たまりや。お足ィ、気ィつけとくなはれ・・・」
 と、連れ添う秋子が背後から度ゝ促しかけた。やはり気掛かりで、秋子は足もとの加勢にきたのだ。和歌子は高知と松山でニ度めまいを起こしお遍路宿に数日を伏せた。気丈な和歌子が、音をあげたかに連絡を寄こしてきたのは道後温泉の宿からであった。しかし少し回復すると、やはりまた気張っている。
 秋子から優しく促される、その度に和歌子は、うなじのあたりがツッと引きつれるのを感じた。
 秋子には、齢80になる養母の足もとが、いかにも危うく見えるのであろう。しかし老いを看取られているような心遣いは嫌である。和歌子は何喰わぬ顔で、ぬかるみを歩きつゞけた。べったり泥で汚れようとも、ひとあし、ひとあし、八十一番へと近づいてゆけることが心うれしく思えたのだ。 
 そして春泥の道をみかえると、
 帰りたいと啼いた梵鐘の白牛山国分寺から辿る白衣の影が、幽かに点ゝと続きながら綾松山へと曳き、和歌子はそのお遍路いる。口に出さずとも、秋子が心根の優しい娘であるなど、すでにとっくに解る切っていることだ。あたりの畑には、やわらなか緑のえんどうの芽が愛らしく伸びていた。そのエンドウは兄富造の大好きな花であった。このとき和歌子は、かって兄が密かに教えてくれた奈良斑鳩(いかるが)の花を眼に泛かばせていた。
「あれ・・・は、法輪寺さんの守り花や・・・そないに言ってはったなぁ~・・・」
 美しい魂ともつながる虚空の喜びを感じた。
 兄富造が語ってくれたように、小さな細いつるを伸ばして、するすると天まで伸びるような春の芽ぶきは、やがて白蝶のような花を咲かせるのである。
「砂粒ひとつ落ちとらへン。まっこと、ありがたいことや」
と、連れ添う秋子にそう呟いた和歌子は、石段の登り口にある愛染堂でそっと腰を下ろした。
「濃いお茶(ぶ)、淹(い)れてきたさかいに・・・」
 赤いボトルを取り出す秋子はどこまでも気さくだった。
 24歳を過ぎというのに、未だ少女のような無邪気さを持っていた。しかし弟の密かな落し児を養母した和歌子には、未だに子供沁みてることは、永遠に消え失せることのない喜びのようで嬉しくもあった。

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 そんな二人は八十八寺を終えると、坂出へとお遍路を引き返した。
 再びお遍路六十九番の観音寺で、静かに聞き入るように、他のお遍路者の鈴音を聴き終えた和歌子は、手筈通り坂出駅から列車に乗ると、五月の瀬戸大橋から望む小島を越えて岡山へと向かったのである。
 きらりきらりと輝く海はどこまでも長閑で、眼下にはその五月の瀬戸内がある。瀬戸内の海をながめながら先ほどは魔窟にでも踏み込んだような恐れを感じていた。
 二人の眼の前には、頼仁親王の御庵室があり,庭内に親王の歌碑がある。
「この里にわれいくとせかすごしてむ 乳木の煙朝夕にして」
 五流尊瀧院には一太刀の血痕を刻み込んだ明治の古馬車が遺されていた。
 うるしも剥落し、経年の変化に依る損傷が著しい明治初期の馬車である。
 その右扉付近を拡大すると、
「血痕と島田一郎が振り上げた日本刀が当たった痕跡が130年弱経過した今日でも判っきり解る状態。 大久保利通殺害時の際に犯人が使用し警視庁が証拠品として押収した日本刀。先端部分刃先が欠損しているのは、犯人の島田一郎が刀を振り上げた際に、大久保利通が乗っていた馬車に当り折損したのが原因。警視庁に依り証拠品として押収され保管されていたもの。刀に僅かな曇が見られる。関東大震災の際に警視庁本庁舎が被災炎上の際も無事。警視庁本庁舎特別資料室保存。一般非公開。特別公務用務者以外、部外者の警視庁本庁舎内部は一切立入不可」
 と、ある。しかし、そう記されいることは、以前から和歌子には解っていた。
 秋子はその脇にいてたゞじっと見ていた。すると養母の手が振るえている。
 そんな和歌子が一筋の涙を湛えなから立ち尽くしている姿が、未だ秋子の脳裏から離れない光景として、眼の奥に棲みついたかのように泛かんでくる。

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 そして・・・・・、比叡山の西麓は森閑として閉じられて遠い悠里(ゆうり)のように真夜中の闇に沈んでいた。
 雨音の途絶えた静寂がその闇の深さを物語っている。
 京都では未明から傘がいらない程度のかすかな雨が降っていたのだ。
 和歌子が居間まで起きだしてきて足元をふらりと危うくさせた。眠れないのであろう。秋子は朝餉の支度には少し早いようだが、と、ふと裏山で鹿鳴が聞こえたような気がして雨模様の庭を見ていた。
 すると和歌子は夢に魘(うな)されたみたいである。
「ほんに・・・、変な夢ェやったわ・・・・」
 と、ポツリという。
 しだいに和歌子はその夢を語りはじめた。それはどうも以前に見た夢を、再びまた見たのだという。しかも同じ夢を見たときの不思議さを三度見たと思えるのだという。
 Get up. Wake up. It rained.
「・・・起きなはれ 目覚めなはれ・・」
 雪のふる平原を七頭の白い猪(いのしし)が一陣の風のように走り去る。すると笠(かさ)を目深にかぶった一人の修験道が雪の舞い込む戸口に現れて、和歌子に起きるよう呼びかけた。
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「・・臨(りん)・兵(びょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・烈(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)・・おん まりしえい そわか・・」
 笠をとり樫(かし)の杖(つえ)を戸口に突き立て、真言を唱えはじめた修験道は六尺を越える大男で、頭は短く刈り込んでいる。異形の風体ではあるが、影でつま弾く異国語のイントネーションはどことなく愛敬(あいきょう)があった。声の主は、手に摩利支天(まりしてん)の印を結び、皺(しわ)の目立つ目尻を下げてやさしげに笑んでいた。
 まぼろしの如(ごと)く和歌子の前に現れた修験道は、白絹に包んだ物を差し出した。
This is entrusted. It is an important thing. Will not lose it.
「これは・・・」
 と訊(たず)ねるが、包みを手渡した修験道は、するりと身をかわし、和歌子がまばたきの間に、三和土(たたき)を蹴って和歌子の背後へと回ると、上がり框(かまち)を踏んで奥座の方に通り抜けていた。
Slowly ..what... Attach running after me early.
 何か激しい憤りすら感じさせる足どりで居間や座敷を土足のまま通り抜け、和歌子の兄富造が書斎としていた離れの前で、初めてはき物を脱いだ。昨夜、和歌子はこの離れの数寄屋で一通の置き手紙をしたためたのだが、雪舟の架かる奥座だけは13年前(昭和終年)と同じように整然と保たれていた。
Oh this room is made like the Showa era. I seem also to have had the conduct oneself to which it had still to return.
「あっ、これ氷柱(つらら)やないか・・・」
 白絹と見間違えたのか。和歌子の手には凍りつく氷の棒が掴(つか)まされている。

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 It did not make a mistake in it. It sees it so when there is a hesitation in the mind.
 冷たさの不思議さと戸惑いを手にした和歌子は、握りしめると鼻筋につんと痛みが走り、身をはがされた魚のように骨組だけが残されて皿の上に横たわるように感じられた。
「この皿、あの九谷の絵皿やないか・・・」
 艶(あで)やかで高価な大皿に盛られると、骨組だけの魚の姿が、目鼻なく口もない頚城(くびき)のみに薄暗く縛られた我身のように思われる。
Do not say it is miserable. Everyone is done so from generation to generation, this house is piled up, and it has set it up.
「ああ、あのときの、祝の日ィの皿や。落として割れた祖父のものやわ。せやけど、なして・・・」
 と、喉元までせり上がった言葉を堪(こら)えると、むしょうに涙がにじみ、小刻みにふるえては耐えがたくなってきた。すると荒唐無稽(こうとうむけい)の絵のように不思議な景色が次々と泛かんでは消えていった。
It is the street. It is possible to recall, and recall it more. Be stirred up more of the mind.
 東の空に白い虹が架かってる。西の空には五色の虹が現れている。
 星もまばらな夜空にかかる白虹(はっこう)も五色の虹も、和歌子はそれぞれが美しいと思った。

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「東みたらあかんえ。西ィ向きなはれ。お清、悉皆(しっかい)しなはれ。忘れたらあかン教えたやないか」
 行き迷う耳に、どこからともなく湧くように母秀代の声が懐かしく聞こえてきた。
Ah the voice is mother's voice. It does so and my Kiyoko is watched, and it gives and it gives it. It will ask suitably in the future.
 京都では明けたばかりの東の空に白虹のかかることが稀(まれ)にある。
 科学的には琵琶湖の水温に係わる自然現象であるのだが、古い時代に公卿(くぎょう)らが叡山の荒法師を恐れ、東の空に白虹が立つと忌み事として怪しんだことから、お秀はその空の兆しをみると戒めていた。
 東の白虹はお家の滅亡を、西の五色はお家の繁栄を暗示させるのだ。
 こんなとき秀代は決まって西の空に目を向けたし、東のお山へは決して近づこうとはしなかった。
 思い起こすと、祖母や母の手で育てれた和歌子はやはり東の空から顔をそむけた。
「ああ、言いはッた昔の通りなんやわ。せやけど未だ叱らはるンやなぁ~・・・」
 西空を見上げていると、天井がぽっかり二つに割れ、五色に輝く虹が大きな渦を巻きながら流れ去ると、そこにはキラキラと白銀(しろがね)の舞い踊る美しい吹雪の空が広がっていた。
 しかし、それにしても・・・、なぜ異国の言葉が、和歌子の耳に届けられたのかが不思議であった。



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                             第23話に続く
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   京都 大原の里 三千院。



    
   京都 大原女。



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   きょうと 2はなそとば 2

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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第22話

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               第二部 山端の巫女(やまはなのみこ)   22

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うりゅう山 1

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      一  瓜生山 (うりゅうやま)    



 冬の月に照らされると秋子は胃のあたりに鈍い痛みが走るのを感じた。 
 百年に一度下りてくる天女がいる。瓜生山(うりゅうやま)にはそんな言い伝えが昔からある。だがそれはカタルシスの仮身なのだ。それにしても百年一度とは、よほど運好く生きなければ見れるものではない。
 その天女の衣を身にまとうカタルシスは、巨大な石舞台がすり減るくらいに、長い長い時間をかけてこの世で起きた悲劇と未来で起きる悲劇とをを演じるという。そして舞い終えるとまた、長い時間をかけて静かに弔いの無量寿経を唱えるのであった。
 この世に何かを思いをめぐらす修行者は、皆、このカタルシスの石舞台を観つづけることになる。そして視た者だけが修行を終えて山を下る。山の頂には小さな祠(ほこら)があるが、瓜生山とはそんな山だ。

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 北米のアマーストから帰国した阿部秋子の一日はつねに時間で縛られていた。
「失感情症やなんて・・・阿呆(あほ)なこと言いはるもんや・・・」
 と、気がへこみ、指につまんだ錠剤を呑み込めないままでいる秋子は、誤診とも思える病状がそう度々あっては困るのだと、コップを握りしめながら泛かんでくる鬼頭次郎の赤鼻のとんがりを、さも五月蠅(うるさ)いとばかりにしかめた眉先でピンと弾き飛ばした。
「これ・・・、テクノストレスいうやつや。しばらくパソコンいじるの、やめときや」
 チョボ髭をパッサリと剃り落した医師は。カルテをながめながらそう軽口を叩くと、さらさらと軽く処方箋を書き終えたその指さきで、小娘とばかりに秋子のおでこをピンと弾いては、さらに赤い小鼻をくすっと斜(はす)にひねり曲げて意地悪く笑った。

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 じつに小憎らしい態度で診察を終えた鬼頭次郎の顔を思い出すと無性に腹が立つ。癪(しゃく)に障るから、いつか仕返しをしようと思うその次郎とは、烏丸(からすま)アガルに医院を構えて、少し癪なので認めたくはないが、京都ではなかなか評判の良い秋子の伯父であった。
「そう言われたかて、仕方(しょう)ないことや・・・とは、阿呆かいな」
 次郎の診断に不満な秋子は、刺し違えてやる、といわぬばかりに、ポンと口に錠剤を放り込んだ。
 家事をこなしながらの合間に、秋子は日替わりランチのようなメール原稿を、毎日、五通りは品揃えして工面する。そうしてそれらを、午前3時から午後4時までの間、五つのアドレスへと時差をみはからって送信しなければならなかった。この作業を滞りなく終える秋子にはつねに「Dhaka3時間 Lisbon9時間 São Paulo12時間 New York14時間 Memphis15時間」の時差がある。

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 秋子は時差ごとにそれぞれのアドレスへ同日の午前零時に着信するようにメールを送り届けていた。ダッカ午前3時、リスボン午前9時、サンパウロ正午、ニューヨーク午後2時、メンフィス午後3時に、いつも決まって秋子は送信ボタンをクリックすることになる。これはアマーストから帰国後に立ち上げた秋子の密かなプロジェクトだ。
 そうして日毎パソコンの電源を落とし終えた秋子は、いつもきまって一冊の表紙の面を指さきでなぞりながら、この後に課せられた夜支度の手順を、しばらくは手ざわりの中に泛かべるのであった。
「カタルシスか・・・・」
 診療の間合いに、医者の五郎がさりげなく語った一言が、秋子の耳奥でささやくようだ。転ぶようにコロコロと聞こえてくると、このとき妙な障りを感じた。連想に瓜生山の小さな祠が見えてくる。
「アリストテレスなら・・・ミメーシスやったなぁ~・・・ 」
「左がプラトン、右がアリストテレス、手前に寝転んでいはったのがディオゲネスやった」
 秋子はラファエロが描いた「アテナイの学堂」を思い起こして泛べた。直筆ではないが大学生のころ訪れたイギリスのヴィクトリア&アルバート美術館に展示された小さな複製画を一度だけ観たことがある。その中央に師のプラトン、右脇に青い衣に身を包んだアリストテレスが立っていた。

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「あの本・・・、何ィ記しはった本なんやろか・・・」
 秋子はアリストテレスの左手にあったと思う大きな本の内容の彼方が興味深く思い起こされた。
「ビュシスいうんは、うち、あると思うわ。せやけど、ディオゲネスのキャベツかて・・・」
 自己の自然(本性)を実現することが全ての存在者の使命である。そして人間の自然(=本性)とは、理性(ロゴス)に従う活動である。というアリストレレスだが、しかし秋子には壊れた樽の中で暮らしていたというディオゲネスが最高だと賛美したキャベツと、風変わりな野良犬のギリシャ哲人の方が、秋子の心の中に住み続けていて欲しいような気がするのだ。一緒にキャベツを川で洗って食べてみたくなる。

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 幼いころ秋子はアンデルセンの絵本の城で遊んでいた。
 小学生になるとファーブルの昆虫記で野原を歩き、中学生では観察範囲をさらに拡げてを楽しんだ。
 現代社会は、幼い子供でも読書テクノストレスから失感情症を引き起こす時代である。しかし秋子にとって夜は、痛みを伴うからこそ、他に代えようもない大切な時間であった。
 悲しみや苦悩というものは、浅いようで深い、深いようで浅い、なまなましくも儚い姿でしか普段は現れてこないものである。だが一度でも現れてその舞台を杳(よう)として知れない奇妙と観ると、秋子はしだいに暗い闇の淵へとまねき寄せられた。
 愚かさ、弱さ、卑しさ、残酷さなど、もろもろが泛かび上がると、秋子はしだいに暗い闇の淵へとまねき寄せられて、今という時代のいびつを体全体で映し出してくる。
 砂粒ひとつ落ちてない石畳を歩き、箒目(ほうきめ)で波の紋様を掃き入れた裏庭を一回りし、手抜かりの無いことを確かめた秋子は、さも来客でも訪ねてきたような仕種で初々しく門前に立つと、す~っと一息呑み込んでから、小袖の袂(たもと)に入れた青白い友禅染の巾着(きんちゃく)袋をそっと取り出した。
「これで〆や・・・!」
 とつぶやき、おもむろに結びを解くと、門の左右それぞれにお鎮めの塩を丁重に盛りつけた。日毎このように繰り返しながら秋子の一日は暮れるのである。こうして真昼間の忌みを祓い真新しい夜を出迎えることが阿部家代ゝの習わしであった。
 しかし秋子はそのたびに魔屈(まくつ)にでも踏み込むような怖れと嫌悪(けんお)を感じた。一通りの儀式を終えてみると、澱(よど)んだ空気にただよう自(みずか)らの匂いに、みずからがむせ返るのである。
 秋子のこれは陰陽(おんみょう)や巫女(みこ)の拘わりと似ていた。忌み事に拘わる媒介者は、ときとして封じ祓うべき忌みを自らに背負いきせられることがある。
 こうなると厄介であるから、阿部家の代ゝが鎮めの塩の盛りつけを終えると、しばらくは月の明かりの下にみずからを晒(さら)して清め、背負いきせようとする怨霊を鎮めた。

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 秋子もこうして月より言霊(ことだま)が降ろされてくるまでを待ち、身の清めを授かるのである。このとき秋子の顔は言霊を降らす月を見上げさせられることになる。この言霊をうける間の、心の怖がりが最も胃を痛ませるときであった。「冬の月には歯切れの良さがある」
 という、数日前の新聞がこんなコラムの見出しを載せていた。
 西行の本名が佐藤義清(のりきよ)という文字を拾い、いかにも有触(ありふ)れた名であったなと再確認できたことの面白さから、興味深く秋子がていねいに目を通し終えてみると、文面にはコラムニストの月見観が淡々と述べられていた。某大学教授は西行を気隋に語りかけようとする。しかし書き手に生活臭のない西行の名をただ楯に述べて連ねたとして、その矛先やつまりるところ、秋子にとってじつに屁(へ)のような記事であった。
「モノにィは、肉体、幽体、霊体とあるんや。先生、ほんに、どこ見て書きはったんやろか」
 見上げて月を愛でるという観念を持たないで育った秋子には、コラムが文字を連ねてもたらそうとしている月見観という日本人の美意識への誘(いざな)いが、さも不自然なものに感じられたのである。
「月は人の勝手で見るもやあらへん。愛でるのが模範やなんて、ほんにおかしなこと書かはるわ」
 こう秋子が感じるように、代ゝに身のしのぎ方は変われども、天より強いられて夜を迎えねばならない習わしが、宿命として受け継がれ、阿部家の平安を今日につなぎ留めていたのである。
「西行さんやかて、歯切れ良いとは感じはらんやろ。そないなこと、思いもしはらしまへんわ」
 きさらぎの月が玉のごとく宙(そら)に凛として座るから、西行が譬(たと)えて「願はくは花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ」と、詠んだのではないのだ。
 死期を悟った西行にとって重要であったことは「如月の望月のころ」という、釈迦の命日に符合させることであった。阿部家では八瀬衆にこう指南する。幽体の儚(はかな)さを知る西行は霊体となった釈迦の命日をみずからの死の際に曳きつれてきて、山桜の花の幽けさにただ埋もれることを願いながら辞世とした。
 西行という人は出家後も長く煩悩に苦しんでおり、迷いや心の弱さを素直に歌に込めているのであるから、漂泊の人であり、いわゆる聖人ではなかった。
 月と花をこよなく愛して歌を認(したた)めたこの西行の終焉の地、南河内の弘川寺(ひろかわでら)の裏山の丘に秋子は何度か訪れたことがある。

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 弘川寺は役小角(えんのおづの)行者が開き、空海も修行をしたし、阿部家とは秋子の先祖が何度も生死を繰り返している間に結ばれた他生(たしょう)の縁が少なからずあった。弘川寺もそうであるが、さらに吉野あたりは御所谷に暮らす竹原五郎とは益々もって縁が深い。
 五郎の出た竹原の在は、奈良十津川である。その竹原家は後醍醐天皇の代に南朝に加勢した一族だ。一族は皇子護良親王(もりよししんのう)や河内の楠木正成らに、役小角の霊験をもって手助けした。そうした血筋が後醍醐天皇に従って京都に移り棲むようになる。竹原五郎はそうした一つの末裔である。
 その五郎は、いつしか阿部家に出入りするようにっていた。阿部家は山の仕事で人を繋ぎ止めている。五郎には彼でないと出来ない山の技術があった。その一つが岩塩の探索である。秋子が使う清めの塩も五郎がせっせと密かな場所より運んでくる。またその塩は、山端集落の命を支えていた。
 またその竹原の血筋が京都に縁がないころ、皇子と阿部家は塩によって結ばれていた。後醍醐天皇の皇子である護良親王は6歳のころ、尊雲法親王として、天台宗三門跡の一つである梶井門跡三千院に入る。さらに2度にわたり天台座主となる。三千院の皇子に阿部家は塩で仕えた。その塩の多くを若狭から運んだ。
 若狭モノより手短な比良山系の岩塩を竹原の血筋が探索し、阿部家に供給してくれるようになるのはそれ以後のことである。五郎はそれを継ぎ、滞りなく阿部家へと届けてくれている。

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 竹原五郎が塩を届けてくれる度に、秋子には匂われる芳しい花があることを覚えた。潮の満ち引きは、人の生死と密接である。花はその潮の香りをさせていた。
「紅色五弁の花、ほんにうつくしゅう咲いてはったなぁ~・・・」
 と、秋子のいう花は、桜の花が散り終えるころに咲く海棠(かいどう)である。弘川寺の本坊には樹齢三百五十年余の海棠がある。秋子がそれを好んで訪れた四月半ばごろは、じつに花信は按配よく、この海棠の花が見ごろを向かえていた。それは、桜の痕(あと)を鎮めるかに咲く花である。
「うちが花ァ選ぶんやしたら、そら~桜ァより海棠の花やわ。西行はんにもあの花の方がお似合いや思う。賢(かしこ)い花やさかいに。きさらぎの望月のころ、と願いはっても、結局間に合わんと一日遅れやして、願いも叶わんと亡(の)うなったお人や。せやから、遅れて咲きはるあの海棠や思うけどなぁ~・・・」
 秋子がこんなふうにつぶやくには秋子なりの理由があった。たしかに弘川寺は古刹には違いないが、もし西行がこの寺で終焉とならなかったら、後世にこれほど弘川寺の名は広まらなかったであろう。元は、この寺とは無縁の男であった西行である。身近に悟った終焉を、あえて無縁の地と選んだ二年間であったからだ。桜の下を望みながら果てた西行の、その桜の後に海棠は西行の死を弔うに咲いている。

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 秋子は祖父富造のたっての願いもあって国學院神道文化学部に進学した。
 さる事情が家庭にあって二回生で自主退学したのであるが、今、阿部家には養母の和歌子と二人暮らしであった。留学中、その和歌子が一人阿部の家を守ってくれた。
 国學院大学は明治15年に創立された。その11月4日の開黌式(かいこうしき)当日に、有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみやたかひとしんのう)は、初代総裁として次のような告諭を述べた。
「凡學問ノ道ハ本ヲ立ツルヨリ大ナルハ莫シ故ニ國體ヲ講明シテ以テ立國ノ基礎ヲ鞏クシ徳性ヲ涵養シテ以テ人生ノ本分ヲ盡スハ百世易フベカラザル典則ナリ而シテ世或ハ此ニ暗シ是レ本黌ノ設立ヲ要スル所以ナリ」と、
 國學院大學建学の精神はこの告諭の「本ヲ立ツル」ことを基底としている。
 その校歌三番に、
      学のちまたそのやちまたに
      国学院の宣言高く
      祖国の道はみよここにあり
      祖先の道はみよここにあり
 と、ある。つまり秋子は少なからずとも国学院に育まれた憂国の乙女であった。
 そんな秋子が学生であったころに訪ね、弘川寺でみて西行に似つかわしいと思った海棠がそろそろ咲き誇ろうとする月夜が、今宵、狸谷の阿部家を照らし出していた。
 正しくはきさらずの月とは言えないが、月の趣はそれに似て、地上の梢の下で秋子はいつもこの高い氷輪を見上げさせられてきたのだ。
「なして弘川寺なんや。出家しはるお人は、身軽うてええなぁ~・・。なして縁ある吉野や高野山やのうて無縁な寺、選ばはったんや。お人がご縁、断ち切らはるなんて、ほんにそれこそ、えらい殺生なことやないか・・。馬や牛、魚ァ殺すンが殺生やとしたら、ほしたら自分の命ィ殺しはるの、大殺生やないか・・・」
 秋子は急に眼尻を細くつるし、眼の色を晃(ひか)らせた。これは気を強くしようとして高揚するとき秋子がいつもみせる癖のようなものでもあるが、そうして氷輪を見上げさせられる度にしだいに無言となる秋子には、遁世(とんせい)の身の許されようが恨めしく思えた。
「隠遁しはるお人やらに・・・、狸谷の森は守り通せへん。死は手放したらあかん・・・」
 さやかに冷めて星の従う月がある。
 冬の月は、春、夏、秋月と、見上げさせられるが、それらの月とはあきらかに異なるのだ。
 今、秋子の頭上にある月は、頚城(くびき)が結び、責められて見上げさせられる月でしかなかった。
 甘美の欠片さえ抱かせることのない此(こ)の冬月を、秋子は毎年冬の間、幾度も幾度も見上げさせられてきた。比叡山のさらなる上に冴えともるこの冬の月には、狸谷に暮らす秋子をそうさせしめるだけの記憶の粒子を空に溶かしてはぐらかすような不思議な力が込められていた。
 それは空から落ちる白い涙が秋子のもので、足跡のない雪の上へと落ちると、記憶の中でその無音の足音を聞かされるかの不思議場な力である。
 聞かされると、帰る居場所を忘れてしまうほどの秋子がそこにいた。
 冬の狸谷の暮らしには秋子が首を擡(もた)げたくなるほどの非情さがあった。それは阿部家の代々が千年という十世紀にも及ぶ狸谷での営みを継承し続けてきた重みと比例する。それは、代々が苦心した痕跡と対峙せねばならぬ立場へと25歳の小娘が一歩踏み入れようとする試練でもあった。
 やがて80歳になろうとする養母和歌子は、その秋子の脇にいて見届けようとしていた。
 屹立(きつりつ)と凍えるほど照らされてみると、血の温もりを奪われる人や獣は、どことも知れぬ闇を果てしなく落ちて、これを耐え忍ぶことになるのだ。
 比叡山の西麓、陽の射(い)さすことの遅い洛北の山端(やまはな)の、冬の間の暮らしの辛抱はことさらである。芹生(せりょう)の里がまた酷くそうであるように、秋子と和歌子が暮らす狸谷もまた同等の寒冷の地であった。
「もう清明(せいめい)やいうのに・・・ああ、冷やっこいなぁ~」
 啓蟄(けいちつ)が過ぎて早一ヶ月も経つのだが、颪(おろし)に晒(さら)される狸谷はまだ冬籠りの最中のように、人肌を震撼とさせていた。標高差800メートルの延暦寺ではきっと銀世界である。しかも真夜中のお山は魔界のごとく凍えたであろう。この日、そう感じつつ奈良方面へと出かけた秋子は、八大神社の森付近からためらうような仕種をみせて振り返ると、しばしじっと瓜生山の方をながめた。

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「あれは、やっぱり・・・、気のせいやなかった・・。やはり泣き声やったんや・・・」
その二日後の午後、あどけない子猿の杏子(ももこ)が行き倒れて死んでいた。
 群れをはなれ、親とはぐれ、山を彷徨(さまよ)いながら苦しい身体(からだ)をひっぱって、見覚えのある阿部家の裏庭にある餌箱までたどり着きながらも、ついに息絶えたようだ。
「うちの気ィ遣い足りへんよってから、ほんにごめんなァ~・・・」
 冬場はこんなこともあろうかと、切れ目なくサツマイモ等を補充しているのだが、折悪く、このときばかりは、たしかに餌箱は空であった。野生は餌漬けぬほどの施しを守ることが人の責務なのだが、苦心が足りなければ冬場の命は一粒の糧でそれを絶つ。秋子の気配りが不足した。
「あのとき、うち、あそこから引き返すことしィへんやったさかいに・・・」
 八大神社から瓜生山の方を振り返るとき、秋子は耳に障るものを確かに感じた。潮騒のうねりのような感じの中、人がささやくに似た音に曳かれるような妙な気がしたのだ。それが雁の文(かりのふみ)であったとしたら、手にむすべない我指の不甲斐なさが秋子にはとても堪(こた)えた。
 右の片耳が欠けていたから、あの杏子だと秋子には判る。まだ死後硬直はなく仄かな温もりを感じとれたが、蟻が山なりに群がり、ブンブンと蠅が飛び回っていた。唖然とし、何と惨(むご)たらしい晒(さら)されようか。蟻、蠅が集(たか)るそこに雀蜂(スズメバチ)までが参戦し、杏子の丸く見開らいた眼球をねらい、半開きの口をめがけ何度も侵入を試みていた。
 山に生き、山で死すモノの掟(おきて)には、まことに凄(すさ)まじき宿命がある。
 人や獣らより虫達の方がはるかに生命力に長けているではないか。人や獣が感じ取れない啓蟄という節目を敏感に捉え、女の秋子が羨(うらや)むような生命を、見事にうごめかせながら生きる機会を狙っている。杏子の息絶えた日は、前日とは一変を転じて小春日となっていた。どうやらこの日、天は虫達に力添えしたようだ。秋子は少し足がよろけた。
「うちが人やいうんなら、もうちょっと長(たけ)とらなあかんなぁ~・・・」
 これは二日ほど家を留守にした迂闊(うかつ)な寿子が、みなくてはならなかった然るべき光景であった。
 摂理とはいえ、留守をしたことを悔やむ秋子は、いてもたってもいられずに箒(ほうき)で虫たちを追っ払うと、死体(なきがら)をそっと裏山の草むらに運び、二度と掘り起こされぬよう涙ぐむ手でしっかり葬りながら、秋子だけが判る杏子の小さな墓をこしらえた。

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「そうや、あの花や。あれしかあらへん・・・」
 翌朝、未明そうそうに起き出して朝餉(あさげ)の下ごしらえを終えた秋子は、闇に覆われて暗がりにある杏子の墓の鎮まりをあらためて確かめると、弔いに手向けたいと思う叡山すみれの花を採りに出かけた。
 この花は、他のどの花よりも聖なる叡山に似つかわしい花なのだ。
 だがそれは杏子への償いではなかった。比叡山に生きるモノへの畏敬(いけい)を表そうとしたのだ。
 これが杏子の死にも似つかわしいと思うと、秋子は逸るようにして瓜生山の頂きをめざした。 
 エイザンスミレは、葉が特徴で大きく菊のように裂けて、雪解けのころに淡紅色の花を咲かす山野草である。その葉の形は、ノジスミレやタチツボスミレ、スミレサイシン、スミレ等とはあきらかに異なるのだ。比叡山に生える山野草のことなら、秋子はあらゆるルートについて熟知していた。
「あそこ辺りや。違いあらへん。きっと咲いてはる・・・」
 この季節なら陽当たりのよい琵琶湖側の東なのだから、と秋子はにんまりと笑みを泛べ、なごり雪のある滑りそうな細い山路を慎重に踏んで、西塔から不動谷辺りに目星をつけていた。
 三塔十六谷三千坊の比叡山は、谷が深く杉や檜(ひのき)が生い茂る鬱蒼とした聖なる京の北嶺である。
「ああ、せや、六時の声明(しょうみょう)や。ほんに夢のようや・・・」
 鹿によって樹皮がめくれた木々の森の闇間をくぐり、根本中堂の近くまでくると、あさぼらけの淡い光に抱かれて石段を上がる秋子は、声明にくるまれて波濤にでも身を浚(さら)われるかの別世界を感じた。
 規則正しく耳奥に並ぶ声の大小が変化することで、大師の画像の濃淡が再現されてくる。人の人生のあらゆるイメージが声明により還元されて、受け手である秋子の心や網膜上に天界の像を結ぶのである。階段を上がり終えて根本中堂をみつめる秋子は、青い水玉が顔面いっぱいに広がっていた。
「六時いうは、最澄はんの、お目覚めなんやかもしれへん・・・」
 朝のお勤めの妙法蓮華経如来神力品第二十一〈作如是言南無釈迦牟尼佛南無釈迦牟尼佛〉の読経にしばし耳を傾けたが、秋子はそのまま丹(あか)い文殊楼の前を横切ると、もう何の迷いもなく不動谷へとするすると降りた。
 そこからまた杣(そま)道を踏んでたんたんと、もたて山の方へと上がる。この山の平たい野原には紀貫之(きのつらゆき)の墓がある。ここからなら朝陽にきらめく琵琶湖の風景がくっきりと泛びあがることも知っているのだが、ただ杏子への花を求める秋子は躊躇(ためら)いもなく墓の後ろに回り込むと、そこからさらに藪奥へとすっと押し入った。
 こうして秋子がまた阿部家の裏山に戻ったのは午前9時ごろである。
「この世の日々は短くして、死後の黄泉の年月は長いのやそうや・・・・。それが天命なんやそうや」
 杏子の墓前に今朝あらためてきて手を合わせる秋子は、かって叔父の清文から聴かされた九想の詩をおもい泛べながら、杏子が安らかに瞑(ねむ)れるように呪文をそっとつぶやいた。
 亡くなって高野山にいる清文さんはかつて、「比叡山でいう(さる)とは、阿部家に伝わる古文書に曰(いわ)く、有尾のものは『猿』、無尾のものを『猴』と記し、尾の有無のみで区分しているのだから、無尾の人生とは、端的に言えば(けもの心をどう遠くに鎮めるか)ということだ」と言っていたのだ。
 そう聞かされている眼で杏子の尾を想い起こしてみると、尾が有るようで無いようで、どちらとも区別し難い子サルなのである。清文は子については何も触れてない。
 その清文とは養母和歌子の義理の弟であった。しかしそれは清文が他界するまでの話だ。真相は幼い秋子には密かに伏せられてきた。清文は出家を祖父富造に勘当されて高野山へと上がった。清文とは出家後の名、本名は阿部清四郎といい、富造の四男である。
 その清四郎のことを、秋子が実父であること聞かされたのは四年前、20歳のときであった。


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                             第23話に続く
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   京都 新緑紀行。
 新緑鮮やかな5月の京都。早朝の南禅寺から法然院、糺の森、高桐院。



    
   京都 凹凸詩仙堂。



   そうごリンク
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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

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京都風土記『花そとば』 第21話

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               第一部 八瀬童子(やせどうじ)   21

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      十一  伍円笛 (ごえんぶえ)   



 先生のこの沈黙は、時間にして四~五分であろうか。モロー先生はたゞ沈黙のまま、聞き手に非常に長く感じさせながら、指先を震わしていた。そうして受講生の誰もがまったく気づかない素振りをしてそっと右のてのひらを胸に置くと、おもむろに眼差しを上げて講堂の天井に巍然(ぎぜん)と眺め入った。
「3,000 dead or more・・・」〈死者三千人以上〉
 みつめたまま声にはならず、先生はすすり泣くような弱ゝしい小さなつぶやきを残した。

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 誰の目にも追悼とうつる、そんなモロー先生のポーズに、賛意をあらわし、何よりも先生の鎮痛な胸の裡(うち)を察しようとしたのは学生達であった。秋子がうしろを振り向くと、たしかに学生の多くが、モロー先生の表情と同化しようとしていた。起立して同じ表情を示す学生も多くいた。
 だがこのときモロー先生は、応手である学生達が、この後どのような反応をもたらすか、ということに密やかな興味を抱いていた。最前列席に陣取っていた秋子は、席から伸び上がるようにして、このときモロー先生がみせた微妙なまばたきと唇の動きの中に、そんな気配を感じとったことを覚えている。
 航空機を使ったこの四つの同時テロ事件は、航空機によるテロとしては未曽有の規模であり、全世界に衝撃を与えたし、この渦中にあったのはアメリカ国民であるのだから、モロー先生の投げかけに対してそんな反応をしめしたことは至極当然の市民感情の現れであった。
 その後、アメリカはアフガニスタン紛争、イラク戦争を行うことになる。
 ウサーマ・ビン・ラーディンとアルカーイダに首謀者の嫌疑をかけた米政府は、引渡しを要求したが、これを拒否し続けられ、対テロ戦争の「不朽の自由作戦 (OEF: Operation Enduring Freedom)」を高ゞと掲げたアメリカ軍は、ターリバーン勢力を攻撃するためにアフガニスタンへと侵攻した。

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 しかし正義の逆説として、アフガン報復戦争開始時に、某新聞は「言語学者のチョムスキー氏、アフガンを語る」という記事を載せている。
 この勇気のペンのことは、日本人の秋子にも意義深く感じられた。
 言語学者チョムスキーは「アメリカは、イスラム地域の多くの人々も納得するような国際社会への手順を踏み、理性的なアプローチを最大限にとり、最終的にはテロリストのみに絞って力の行使に踏み切る方法もありうるという道を追求すべきだった。アメリカはナショナリズムが燃えたために理性を失ってしまった。無実の人々が死ぬような武力行使はノー」だと述べている。
 NATOは攻撃によってターリバーン政権を転覆させる必要を認め、2001年10月にアフガニスタンの北部同盟と協調して攻撃を行い、12月にはターリバーン政府を崩壊させた。
 この攻撃はアメリカ合衆国政府によって「対テロ戦争」の一環と位置づけられ、国際的なテロの危機を防ぐための防衛戦として行われた。イギリスを始め多くの国がこのアメリカ政府の攻撃に賛同し正義を掲げたのだが、戦争の主体者は疑うべきもなくアメリカであった。
 モロー教授の講義はこの翌年1月のことであるから、この戦争で、実際に無実の人々も殺されつゞけてきたこと知る学生も多くいた。中にはチョムスキーの観点に納得し、同氏のメッセージにアメリカの良心をみて、目頭を熱くした学生も数多くいたはずだ。リベラル・アーツならなおさらである。
 このように同時テロ後のアメリカには、二つの正義があり、対戦争に両論があった。
 モロー先生は、この大きな二つの海に一石を投げ入れたことになる。すると途端に喝采の渦が起こり、講堂に集う学生達が大きく揺れた。
 モロー先生はそんな学生達から贈られる拍手の渦を目に認(したた)めると、みずからも、おうむ返しに拍手を学生達へ贈り返しながら、さも満足げに何度もうなずいて見せた。
 講堂の響音が遠ざかるのを待つと、学生達の胸にゆだねられてモロー先生と同化したかのように思われた学生達の昂ぶりが、モロー先生の次の言葉で、また寸断された。

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「Please raise your hand if there is a person who changed the Stars and Stripes in eyes in you now.」・・(君たちの中で、今、目の中で星条旗をひるがえした人がいれば、手を挙げてください)
 この一言で、しきりと前後左右の学生達と連絡をとりはじめたことを、モロー先生は発見したのである。
「Now?Is the consultation left it at that, and is not your courage shown?Please raise your hand.」〈さあ~相談はそのくらいにして、君たちの勇気を示してはくれないかね。手を挙げてください〉
 どよめきが収まるのを待って、今度は嘲笑し返すかのように訊(たず)ねかけられた。
 これはリベラル・アーツならではの反動なのか。学生達はモロー先生にそう促されても慎重かつ冷静さを装いつゝ、まず一人手を挙げ、次に二人目が、そうして三人目が手を挙げ終えると、残りの学生達は至極当然とばかりに次ゝと手を高らかに誇らしげに掲げてみせた。留学生を除くアメリカ籍の学生の多くが、きらりとした貌(かお)の目の中に、確かに星条旗を誇らしく掲げていた。

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 しかしモロー先生にすれば、これはまったくとるに足りない一つの描写にしかすぎなかった。
「It is so. This is a dance of the catharsis. You saw the catharsis dance now.」
〈そうです。これがカタルシスの踊りです。皆さんは、今、カタルシスが踊るのを見たのです〉
 たゞこう言うと、モロー先生は何くわぬ顔をして、またこの講義の冒頭でみせた哲学紳士の、やわらかで貴公な表情を泛かべた先生へと帰っていった。
 学生達は、ねじるように振って回されたかと思うと、これを地面に叩きつけられたような心境で、そんなモロー先生をただ唖然とながめていた。
「カタルシスはカルパ国(kalpa कल्प)に生まれました」
 こう語られると、首をひねりたくて、言葉の焦げる匂いすら感じさせる。もしも、これが真なる認識だとすると、この後、モロー先生はどの様にして保証されようとなさるのか、見当がつかなかった。
 哲学は、言葉の文脈に、論理的な破綻が無い事で、その理論の正当性を求めますから、この地上には無い、誰の眼にも確かめようもないカルパ国という存在を語りかける哲学者が、目の前にいるということがそもそも不思議なのである。なぜモロー先生は、個別現象を超えた、核心的な問いから離れようとなさるのか、それが何を意味するのかが解らなかった。

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 そんな受講生の戸惑いを察したのであろう。淡い日差しのような眼をされてモロー先生は言った。
「哲学とは解っていない事を考え抜いて明らかにする事ですから、まことに非常識な学問といえる。皆さんはまず私が語ろうとする非常識な内容と向かい合いながら(カタルシスはなぜ存在するのだろう?)(カルパ国はなぜ存在するのだろう?)と、考えるところから、解っていない非常識な事を考え抜くように考えてみて下さい。これは哲学のパソコンに例えるならば、非常識なOSですね。つまり哲学問のもっと非常識な基本ソフトでもありますから・・・・」
 と、語りかけながら、また非常識に、
「カタルシスはカルパ国で生まれたことを、ギリシャの哲人アリストテレスは理解していた」
 と展開させては、通じなければならぬ脈絡がふっと切れるもどかしさを受講生に感じさせながら、淡ゝと非常識な話しをなさるのであった。
「つまりアリストテレスは、このことを承知した上で、師プラトンのイデア論を批判し、最高の善は幸福だと説いたのだ」 などと、講義が佳境となるに連れ、じつにテンポよく先生は、独自のモロー理論を語りかけられたのである。いかにも非常識ではあるが、ただし、先生は常識そうな顔をして語られていた。

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 モロー先生の講義が、他と違うのは、日常生活で直面するジレンマを「弥勒(みろく)」を題材にして未来とは何かを考えさせるのが主眼なのだが、モロー先生が京都の同志社大学といかに交流ふかき仲だとはいえ、また数年間かを日本で暮らされたとはいえ、日本人にはこうは語れないと思える弥勒観と、見えざる手について口にすることをタブーとするユダヤ人らしからぬ弥勒観だけに、秋子はたゞたゞ驚きを隠せえぬままに圧倒されていた。
「カルパ国と、この地球とは五劫(ごこう)の距離で結ばれている」
 あの八の字髭を消したからの、この仕業の所以(ゆえん)なのであろうか、肥った姿態、髭の生えたいかつい相貌とはうらはらに、なかなか優しい声である。しかし同時に、面映(おもは)ゆい脅(おそ)れを感じさせた。
 輪廻や 永遠など、むしろ忘れて生きる中にこそ、 ほんとうは 輪廻や永遠の世界が垣間見えてくる、あるいは自然なことと感じられるようになってゆくのではないでしょうか、とスピリチュアルに語られた後に それとは反対に死を非常識に直視した弥勒観なるものを展開されるのであるから、受講生の多くが、その複雑な思索におぼれてしまっている印象を秋子は強く感じ、仏教に親しむ習慣のない異邦人の眼差しに脅れのゆらぎが現れているかのようであるから、秋子にはそこが面映ゆいのであった。しかしモロー先生は、素知らぬ顔で平然と進められた。
「劫とは極めて長い宇宙論的な時間の単位で、一劫を四十三億二千万年と換算し、五劫とは二百十六億万年の距離となる」
 こうなるともう仏法そのものである。受講生は樺色にくすんだ顔を無表情に据えて、親昵(しんじつ)そうな態度で語られるモロー先生とたゞ黙って向き合っていた。しかしそれは、哲学に係わる者は盲目的に権威に服従することをタブー視するのであるから、ここを弁えようとする自然な眼差しではあった。

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「弥勒さまもまたこの遥かなるkalpaの国で生まれた」
「弥勒さまはシッダッタの入滅後五十六億七千万年後の未来に姿を現わして人類を救済するという。こう約束して地球へと向かい来る弥勒さまは、すでに百六十億万年を歩き越えて五十六億万年先の地球が見下せる夜の頂きに立っている」
「この地球からみると、弥勒さまの立つ頂きへは、未だ人類の悲劇のような長い夜がつづいてみえる」
「そんな夜とは、カタルシスの踊る舞台なのである」
 ここまでを話し終えると、モロー先生はまた、おもむろに話しの矛先を切り換えした。
「It will touch the origin of the philosophy a little here.」
〈ここらで少し、哲学の起源に触れることにしよう〉
 こう言葉を切りだすと、慨(なげ)くような眼をふたたび天井へと向けた。
「哲学とは、近代における諸科学の分化独立によって、現代では専ら、特定の学問分野を指すのであるが、そこには神のこともあれば、死のことも、数のこともある。しかしながら、学術は細分化され、対象は限定されているから、学者や研究者が問えるのは、そのように限定された領域に支配するかぎりでの前提、つまり、浅いレベルの前提でしかない。例えば、生物学者はDNAのある部分の解読にいそしんでいて、生命とは何かという根本的な問題をなおざりにしている。こうなるとラッセルのように、哲学の消失を予想する哲学者も現れてくる」
「そこで諸君らは本校を離れ去る前に、今一度、確認しておくべきことがある。それは哲学の起源である。古希のφιλοσοφία、英語のphilosophy、独語のPhilosophieとは、古代ギリシャでは学問一般を意味し、知の営みの全体を表していた。またこのピロソピア、フィロソフィアという語は、愛智という意味なのである。これはそもそもphilos(愛)とsophia(智)が結び合わさったものであるから、元来philosophiaには〈智を愛する〉という意味が込められている。この意味を込めた者は、アリストテレス以前の人々であった。確認すべきことは、この起源の本質である」
「あるいは〈愛を智する〉ことであった」
「An important person of you who came to see off when you board the train without important
";Person";'s being said is floating tears. And, it runs to chase the train that began to
run. However, the distance between two people opens in a moment. The shaking night is a stage
in the window of the night train that will be seen before long that the catharsis still dances.
the you」
〈大切な「ひとこと」を口にできないまま、あなたが汽車に乗り込むと、見送りに来たあなたの大切な人が涙を浮かべている。そうして、走り出した汽車を追うように走ってくる。しかし、二人の間の距離はみるみる開いていく・・・。そのあなたが、やがて見るであろう夜汽車の窓にゆれる夜とは、やはりカタルシスの踊る舞台なのである〉
 省みる交感に、新しい交感を注ぎたくなった秋子は、講義を終えた夜に、ミセス・リーンを伴って夜行列車に揺られた。リーンは新しい創作デザートを眼のオーブンで焼き菓子をこさえたいという。二人は暗い坩堝(るつぼ)のニューヨークへと向かった。
 世界には多様な物差しがある。衝撃の渦中、希望を求めながらもアメリカの多くの人々は伍劫の距離感を掴めないであろう。自由の女神は、真冬の未明に慟哭の眼を見開いたまま眠れないでいた。
 その自由の女神を眼差しながら未明の闇に秋子の吹く笛の音が流れた。その眼には比叡山に鎮められた西方浄土の穏やかな早朝の森を泛かべていた。



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                             第22話に続く
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   京都 比叡山延暦寺。



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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第20話

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               第一部 八瀬童子(やせどうじ)   20

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      十一  伍円笛 (ごえんぶえ)   



 翌日の夕食後に薦めてくれたミセス・リーンのユーモアたっぷりの献立も刺激的で素晴らしいデザートなのであった。それは新作のヒロインと言ってよい。
 デザートは秋子の淋しさを翻弄して憂鬱は宵闇へと消えた。
 まったくユーモラスな考古学者で、エミリーの助手を務めていた。スーツ姿の似合う知的美女だが、蒼ネズミの仲間達がひしめく下水道に躊躇なく入るなど、肝が据わっている。
 しかしミセス・リーンが、ただ無償の愛を注ぐはずもない。新作を閉じ終えると、いつしか彼女は密かな楽しみを蓄えたかのように微笑むと、おもむろに窓側へと移動した。
 そして秋子はそのミセス・リーンの後影にでも語りかけるように篠笛を吹いた。

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 そんなミセス・リーンの助言から旅は始まった。
「It is the one that it visits New York and it doesn't visit ";Statue of Liberty"; that Arches National Park in Utah state is visited and doesn't see ";Delicacyarch";.」
 ユタ州のアーチズ国立公園を訪れて「デリケート・アーチ」を見ないのは、ニューヨークを訪れて「自由の女神」を見学しないようなものですからね。と、
 新しい旅に誘われて、二週間ほど前にフィールドトリップしたユタ州の風景を、そして篠笛を奏でながら広大な赤い大地から得た交感を秋子は忘れないでいる。
 そこで野生のバファローにネイティブアメリカンによる不思議なスピリチャル体験をした。秋子は初めてアマースト、ワシントン、NYCとはまったく違う雰囲気の、アメリカのDiversity(多様性)を実感した。

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 留学後三年目にしてようやく果たせたという感慨もあるのだが、アマースト大学の緑の芝生に囲まれたニューポート・ドームの窓辺からは、そんなユタ州のアメリカンサイズに魅せられた瞬間の空気が「いま、ここ」に直結され、ありありと秋子の目の前にあらわれていた。
 豊かさと交換するように人と自然との絆は細くなるばかりではないか。すでに日本にはないが、しかし異国には未だ神の手で天然の原型が遺されている。これは敬けんで穏やかな人々が培ってきた風土でもある。アーチズの赤いその遥かさは、秋子に人としてのありようを深く問いかけてきた。
 省みることの豊かさを知らされたそんな秋子は「アメリカも捨てたもんやおへん」と、寝室の壁に向かってつぶやいた。朝になると空や草花をみてつぶやいた。

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「それって、無作法な授業形態にようやく慣れてきたせいもあるんじゃないの・・?」
 と、ふいに背後から声をかけられて秋子が振り向くと天野伸一が笑顔で立っていた。彼はハーバード大学からどして引っ越してきたのかも解らない未だ不可解ではあるが有能な新参者であるから、鵜呑みにできることと、鵜呑みにはできぬことがある。その手には迂闊には乗れないとなると、いや、慣れたというおざなりの言葉使いでは、アメリカの学生に対して失礼なことで、正しくは三年目にしてようやく、少しだけ理解できるようになってきた。
 授業がはじまり辺りを見わたすと、部屋のなかで帽子をかぶったままの学生、お菓子を食べている学生、机の上に足を乗せている学生、ローラーブレードを履いたまま座っている学生、日本の大学ではとても考えられないような状態である。
 また、教授の名前をファーストネームで呼ぶ学生さえ多くみられた。入学当時の秋子は、「アメリカの学生は、なんて失礼で行儀が悪いんだ」と強く感じていた。

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 明日は「Martin Luther King, Jr. Day」である。
 マーチンルーサーキング・ジュニアの生誕したこの1月15日は、アメリカの祝日とされている。それはマサチューセッツ州でも同様であった。講堂は五百人をこえる学生達で満席となっていた。
 悠々閑々と生きている、それがハロルド・モロー先生の平生であるらしい。黒いビーバーのファーフェルト帽をかぶられて平生は思慮深く、粛然とした風姿を崩さないで、先生はしばしばくったくもない一面を覗かせてくれたのである。講義の日、あのときも普段と同じように、ご自慢の黒スネークのステッキを軽く左右にゆらしながら粛然とした足どりで教壇へと上がられた。
 しかし教壇に立たれ、いつものやさしい視線を受講生へと向けられたとき、一堂ゆれるようにどよめいた。にわかに明るくされた、そんな先生の風貌が秋子の眼には今も懐かしく泛かぶのである。
 あの、いかめしい八の字髭が、さっぱりと切りおとされていた。
 しかも、よく気がつけば、まゆ毛も剪(そろ)い美しく整えられていた。
 こうなると、まったく不思議な人物というほかはない。飄(ひょう)ゝと、薄らとぼけられて多少の距(へだた)りをもつ、いつもとは違うそんなモロー先生の形相に、たゞ秋子はぽかんと口をあけて見守っていた。
 一堂がざわめいたとき先生は、背筋を伸ばし、青々とした口元をいくぶん下げ、じっと学生達に眼を注いで、身動き一つ、されなかった。
 すると、モロー先生はかねて定めてあったかのように、
「In the talk, there is order, and are a machine.」
 話というものには、順序があり、間や機というものがある。
 と、こういって、影と化した八の字髭のあたりを、いかにも意味ありげに指でなぞり終えると、くしゅんと鼻をこすりあげた。ということは、その本旨はどこにあるにせよ、受講生に何か未知への憧れを充たしてくれそうな感じを抱かせた。こうしてテーマ「A subject MIROKU」と名づけられたモロー先生の特別講義がはじめられたのである。

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 この講義の後日、秋子には講義らしい講義を受けた、という満足感があった。
 もちろん講義らしい講義というとき、それがどのような内容を指すかは人によって違いがあるはずだ。ここで秋子が講義らしい講義というとき、素朴に「次はどのように展開するのだろう」という興味で秋子を先へ先へと引っ張っていってくれるもの、という意味がこめられている。
 モロー先生から授かる「A subject MIROKU」には、アリストテレスの哲学的ミステリー〈Aristotelian philosophy mystery〉と宗教哲学的ラブロマンス〈Philosophy of religion love romance〉の要素がないまぜになっていた。哲学ミステリーとしての「その事件はどう展開していったのか」と、宗教哲学ラブロマンスとしての「その恋愛はどんな結末を迎えたのか」という二つの哲学サスペンスが、受講生である秋子を強い力で引っ張っていってくれた。

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 先生は「人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか」ということを語られた。
 そのプロローグにて、モロー先生はまず咳払いを一つなされた後、
「アリストテレスの夜は、カタルシスを踊らせる舞台なのである」
 と、鳶色(とびいろ)の瞳をすこし輝かして、深遠玄妙に言葉をつむがれた。受講生にはおなじみの口ぶりだ。
こうして受講生を唖然と曳きつける、斬新な前置きの言葉を述べられて、じっと一堂を見渡されてから、達した孔明のような方の趣をみせて静かに語り始められたのである。この序章だけでも秋子には何か泛き立つような楽しさがうかがえた。
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 大学への入学には大学で学問を修める適性があるかどうかをチェックするSAT(Scholastic Achievement Test)のスコアが必要である。秋子にはこの大学進学適性試験のリスニングに苦々しい時間を費やして堪(こら)えた苦境への思いがあった。しかしこの講義のときは違った。 
 秋子は何事もなかったように、モロー先生の一言一句が自然と理解されて、これが果たして、神がかりといえるのかどうかわからないが、ノートに和訳でつらつらと書きつづることができた。はじめての味わいだが、豊かな気分にひたりつつモロー先生の言葉の一つひとつに耳をかたむけた。
「When the mechanism of this world is very understood, the doubt also seems to start at daybreak
however ..it is likely not to hold.. in the starting existence during a day during a day
because of the sunset you. In the etiquette of the evening sun, there was an important working
in the height degree in which the reproduction of moonlight was pressed.」
 一日が、夜明けに始まることに、皆さんは、なんの疑問も抱かないかもしれないが、しかしこの世の仕組みをよくよく理解すると、日没で始まる一日の存在がみえてくる。夕陽の儀礼には、月光の再生を促す最高度に重要な働きがありました。
 モロー先生は「Etiquette of evening sun」(夕陽の儀礼)と、三度くりかえされてから、受講生をじっとみつめられて「Pulau Bali」をご存じですかと訊ねられた。

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「本日はまず諸君らの眼に、バリ島の美しい夕陽を想い映して頂きたい」
「私はこの夕陽の儀礼を、バリ島において何度も見たことがある」
「夕陽の名所バドゥン半島、そのインド洋を望む70メートルの断崖絶壁の上に、バリの最高神サンヤン・ウィディを祀った三層のメルが建つウルワトゥ寺院がある。プルメリアの花咲く境内は遊歩道が完備され、伝統舞踊ケチャダンスの会場にもなっている」
「バリの寺院は、全体を壁で囲まれた敷地の中にいくつかの塔や小さな社が建てられ、あちらこちらにチャナンと呼ばれる可愛らしい供え物が置かれていた」
「熱帯雨林と丘陵、火山帯といった地形が島の肥沃な土壌を助け、豊かな作物が収穫できる傍らで、人々は最高神であり唯一神であるサンヤン・ウィディだけでなく神的霊的な諸々の存在に対し、朝な夕なに供えと祈りを捧げた」
「そうして音楽や舞踊、絵画や彫刻といった美術芸術活動に勤しみ、至宝ともいえるバリ文化を築いたのだ。美しい王宮や大小の寺院を訪ね歩き、エキゾチックな伝統舞踊とガムラン楽器の音色に浸っていると、エンターテイメントに満ちたこの島のすべてが、じつは祭礼と儀礼に基づいたひとつの壮大な舞台となっていることを強く感じずにはいられない」
「人類学者のクリフォード・ギアツは、演劇こそがバリ国家の本質であるとし『劇場国家』と呼ばれる国家像を説いた。そして今なお、世界の人類学者達がバリ研究に魅了され続けている。気ままな旅人でさえも、この島の新
たな風景の中へ入り込むその都度、いたく激しく心揺さぶられ、ギアツの説いた『劇場』の幕開きを心待ちにするほどなのだから」
「バリ島には、バリ・ヒンドゥーという特有の信仰がある。そしてバリの祭礼や儀礼には、必ず舞踏が伴う。それらは神々に感謝を捧げる宗教的要素の強い奉納舞に始まり、鑑賞用、娯楽用として発展を遂げたものまで様々だが、バロン・ダンスやサンヒャン・ダリ(憑依舞踏)といったものが盛んになることで、呪術的な儀礼と演劇活動は、バリ全土で活性化した。さらに近年の舞踏芸術は宗教的立場から切り離されて、観光用として整えられ、そのぶん演じる要素もまた増大したと言える」
「文化人類学者クリフォード・ギアツは、著書『ヌガラ…19世紀バリの劇場国家』の中で次のように分析する」「バリの国家が常に目指したのは演出(スペクタクル)であり儀式であり、バリ文化の執着する社会的不平等と地位の誇りを公に演劇化することであった。バリの国家は、王と君主が興行主、僧侶が監督、農民が脇役と舞台装置係と観客であるような、劇場国家であった」
「ギアツは、王や王宮を中心にすべての儀礼を演劇的に行うことが国家の本質であるという。ならばと現代の劇場国家に触れるべく、バリ鑑賞のひとときへ旅立った」
「MIROKU SAMA is・・・」と、
 モロー先生は、幾度となく弥勒(みろく)を引き出しては意図あからさまに「さま」付けを試みたのである。
 その「さま」付けの抑揚は、日本人の秋子には「Summer」としか聴き取れない。弥勒SUMMERなる敬意のあらわれようが斬新であった。一瞬、落語かと想わせるそんな異邦人の〽(トーン)の外しようがモロー先生の巧みなユーモラスさにも感じとれて、みずからの言葉へと曳きつけようとされる工夫のされた痕跡は、とくに日本人の秋子を妙に嬉しくさせた。

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 しかしそれは単に日本人だからということだけではない。弥勒と聞かされれば秋子には何より親しみがある。普段ならば幼い女子の遊び相手は人形なのであろうが、秋子は少し違った。幼くして手に握らされたのが弥勒仏の彫物であった。それを投げたり転がしたりして遊んでいた。そしてその弥勒によく語りかけた。
 哲学史の講義なら、プラトンから順にカントあたりまで教えれば教授の役割は充分に果たせるのであるが、Amherst College〈米アマースト大学〉のハロルド・モロー教授のそのときの講義は、大切な未来の問題を、みずからの頭で深く考察する機会を学生に与えようとしていた。

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 この講義を秋子が受講したのは新世紀を越年した2002年1月、セメスターの明けた雪の降る午後のことであった。夜は、カタルシスを踊らせる舞台なのである、と先生が諭(さと)すのであるから、受講生は見る見る夕闇の中へ、しだいに恐る恐る暗い夜の中へ溶けこんでしまっていた。
 ところが講義の中盤にさしかかると、
「すでに君達は、昨年、カタルシスが踊る現場を目撃したではないか」
 と唐突に鋭く、指先で受講生の頭上をさし示して、問いかけてきた。
 モロー先生はそれまで接続してきた哲学めいた話を、こう問いかけることで、講堂内の雰囲気を生々しく、どんとスライドさせようと考えたのであった。この突拍子無い展開に、受講生の大半からどよめきが起きた。
 ここから先、学生達は、モロー先生が企てた、川に落ち、かなり早い流れに押し流された。
「September 11. You are to keep memorizing the nightmare in that stone stage through all
eternity.」・・(9月11日。あの石舞台での悪夢を、君たちは永遠に記憶し続けることだろう)
 一度辺りをじっと見渡し、目をうるませる先生は「September 11」を強調しこう述べてから、よどみなく悲しさのあふれる語りかけで、昨年の9月に起きた同時多発テロの惨状を、目撃者の悲劇と旅客機に乗り合わせていた乗客の恐怖とを、さも当事者の体験のごとく描き映して、学生達の目に鮮やかに回想させてみせた。
 受講生の脳裏には、モロー先生の言葉通りの、高層ビルの壁を叩き破るジェット音が叫び声にまざり合い、おめき声や悲鳴さえもありありと聴こえ取れて泛きあがる。それにつられ講堂の中ほどのあたりでは、けたたましい叫び声が起こった。
「Ladies and gentlemen, quietness please.」(皆さん、どうぞ静粛に)
「The newspaper on the evening of that day is here.」(ここに当日夕刻の新聞がある)
 さらに、某新聞を両手に開きかかげた先生は、その記事を淡々と読みすすめた。

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「11 American Airlines of going in departure Los Angeles of -200 Boeing 767 Boston (Logan
International Airport)(Los Angeles International Airport) flights of American Airlines
(-200-Boeing 767 type machine and airframe number N334AA) took 81 passengers and 11 crew,
and did the delay departure at 7:54AM. It was hijacked around 8:14AM, and the cockpit seems
to have been taken over. The course is suddenly changed for the south at 8:23AM, it rushes
into the twin towers north building (110 stories) that is the skyscraper of New York The
World Trade Center of Japan at 8:46AM, and the explosion blazes up. Remains of the airframe
hardly stopped the prototype unlike the accident when taking off and landing because of the
horizontal, high-speed collision to the building.」
「アメリカン航空のボーイング767-2007ボストン(ローガン国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空11便(ボーイング767-200型機・機体番号N334AA)は、乗客81名と乗員11名を乗せて、午前7時54分に遅延出発した。午前8時14分頃にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られたらしい。午前8時23分に進路を急に南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク世界貿易センターの超高層ビルであるツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発炎上。水平かつ高速で建造物に衝突したため、離着陸時の事故と違い機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった」
 こうして『Events of 11 September』(9月11日事件)の悲劇が、あきらかな非情として呼び戻された。講堂は凄まじい響(どよ)みであふれ、涙するもの体を震わすものが多くいた。
「・・・・・・・・」
 この後、講堂に束の間の空白ができた。
 ふと何故(なぜ)か、モロー先生は次足そうとした言葉を、ここにきてピタリと止めたのである。



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                             第21話に続く
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   京都 比叡山延暦寺 千日回峰行 丹野覚道・京都大廻り。



  
   京都 比叡山千日回峰行の道。



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京都風土記『花そとば』 第19話

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               第一部 八瀬童子(やせどうじ)   19

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      十一  伍円笛 (ごえんぶえ)   



 言葉が途切れると万寿寺はさらに閑寂を深くした。
 寺の奥は不在なのか一声すら洩れとどくことはない。人気を感じさせない、そんな閑寂の中にあって座敷の欄間に吊るし止められた干からびて小粒な赤が色と思えば色で、秋子が吊るしたという唐辛子の小さな束の赤だけが悠悠閑閑としていた。
「何を拒絶している・・?。遠ざけるには、何かある・・・!」 
 拝観者の訪れない万寿寺の一室はやはり森閑としている。しかも普段の閑寂さではない。出払って僧一人として奥には居ないのであろうが、だが単に人気がないだけの類の閑寂ではなかろう。雨田虎彦は、何事かの内情を秘めた寺院であることを感じた。その虎彦は、もうニ時間も片足を伸ばしたまま固く座りこんでいる。
「その秋子さん・・・は、今はどされてますか?」
 膝頭に苦痛を感じながらも、異界話は麻酔に似た快さが伴う。さらに虎彦は訊いた。
「たしか・・・、アメリカの大学に留学されているはずですが。そう聞いてますが・・・?」
 と、そうとだけ答えると、駒丸扇太郎は継ぎの言葉を足そうとはしない。秋子に関する消息はあまり詳しくは知らなそうであった。留学だと聞かされ、虎彦はたゞ、女学生に似合う年齢、香織よりか少し大人の女性を思い泛かべた。
「アメリカ・・・!、何んや変やなァ~・・・」
 香織には、昨年末に聞いた秋子の笛の音が耳に鮮やかに残されている。姿こそ見なかったが、あれはたしかに耳に馴染んだ秋子の笛なのであった。
「かさね・・・、何が変なのだ・・・?」
 小さく何かを否定する香織の小さな囁きがいつもとは違い妙に不自然である。普段、やたらヤンチャな娘ではあるが、奥歯に物を挟んだよう言い回しはしない。虎彦は訊いた。
「暮れにィ、秋子はん笛ェ吹いてはッたんや。あれェ、何んやったんやろか・・・」
 香織にそう言われると、虎彦も笛の音なら聞いたように思える。誰が吹いているのだろうと感じたときがあった。そんな会話の中で、扇太郎は眼をしばたいていた。
 そして三人は、そんな秋子のぼんやりとした行方を抱えながら万寿寺の部屋を出た。
「やっとこさ、大黒ラーメン・・・や!・・・」
 鐘楼をくぐると、香織はにんまりと笑みた。

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 門前は、東寺と東福寺を結ぶ九条通、平安京の南端の九条大路にあたる。
 門前に出た虎彦はそう思って左右を見た。
「昔なら・・・東大路通に突き当たる・・・」
 東は、平安京の東の端にあって南北を結ぶ大路であった。反対に西の彼方には羅城門(らじょうもん)があった。その羅城門なら、門に棲みついた鬼(茨木童子)と戦った渡辺綱の武勇伝がある。しかし現在は鴨川を渡り上がる九条跨線橋になってその先はすでに東寺の甍すら望めない。現存はないとしても偲べる光景を遮られるのは味気ないものだ。そう思うと虎彦は、少し訝しくした眼で空を見て、てのひらを向けた。

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「?・・・・、雪か・・・!」
 ふと、早朝出逢った竹原五郎の顔が浮かんだ。なるほど香織と五郎の差配が的中したことになる。そうか彼は陰陽師あるいは八瀬童子の血流であったのかと思うと、八瀬贔屓(ひいき)ではないが、やはり五郎という男の風貌が妙なものでさらに懐かしさが増してきた。その五郎の影を、阿部富造という男影がさらに曳き出してくる。そしてぼにやりと佇むと、ちらつく風花(かざはな)となっていた。
 万寿寺の門前から東福寺駅前への道は九条通の細い路側帯である。九条跨線橋の上り坂にともない右の高い植栽と、左の高い遮音壁に挟まれたその細道は、真っ直ぐに敷かれた水路の中を歩く感じで、三人は向かえ風に煽られるおうに歩いた。
 とき折りその風に虎彦は足止めとなる。50メートル先の角を右に曲がれば直ぐ右手に大黒ラーメンがあるのだと香織は急かすようにいう。
「たしか・・・、この香織とも関わる話だからとも扇太郎は言っていたが・・・?」
 急かされてみる香織の顔に、ふと、虎彦はその言葉を思い出した。扇太郎はその先の話を、後でまた含めるのであろう。コートの袖を香織にツンツンと引かれた虎彦は、止めた足をステッキで起こして、また頼りなく歩きはじめた。
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「香織に笛の音が聞こえた・・・!。空耳であろう・・・!」
 秋子はそのころ日本にはいない。吾輩が六道の辻から覗いて確かめてみるか。
 たしかに篠笛は吹いた。だがそれはアメリカである。秋子は留学中であった。

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 一乗寺駅へと向かうその途中にあるお宅には、道路にまでしだれ咲く萩がある。そろそろ紫の花がつき始める季節であることが懐かしく想い泛(うか)んでいた。
 もう夏のものとは思わないそんな気配に、ふと気づかされる朝が日本にはあった。それは身を潜めていた秋が急に姿をみせたような快い空気を感じるときである。
 九月中旬、このころ日本では朱夏を過ぎて、秋は色なき風の白い装いとなるのだ。これが日本の季語でいう「けさの秋」である。そうした日本の仕草を養母和歌子は秋子にせっせと教えてくれていた。
「京都ォの夏もかなわへんけど、秋ィ・・・、こない暑うあらへん・・・」
 朝の天気予報で、予想最高気温38度、と聞いただけで阿部秋子はめまいがした。
 アメリカ暮らしが早三年目となる秋子の瞳には、在所から一乗寺駅への途中にあるお宅の、道路にまでしだれている萩に、そろそろ紫の花がつき始める季節であることが懐かしく想い泛んでいた。
 秋子の暮らすニューイングランド地方にも日本と同じような四季があるのだが、しかし夏の湿気が払われて、透き通って寂びていく景色という風情などはない。秋子は初めて訪れた日のアメリカを思い起こした。

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 初夏の朝陽を浴びて一隻の帆船がある。メイフラワー号ともいうが、別称はポリティカル「political」である。そう言われると、裏返された名の帆船となる。
 この名から連想されるpolitical correctnessとは、世の中にある差別や偏見に基づく言語表現でマイノリティ(少数派、少数民族)に不快感を与えるような表現を制限しようとする、文字どおり「政治的な訂正」ポリティカル・コレクトネスのことである。もっと簡単に言えば、差別用語を、あるいはそれどころか、ピルグリムと呼ばれるこの聖者たちは、プリマスに上陸すると、すぐにさまざまな暴力をふるいはじめるのだ。どちら側の意識からこの帆船の名が生まれたかは明白で、北アメリカにおけるイギリス植民地の魁けである。その最盛期には現在のマサチューセッツ州南東部の大半を領有していた。
 しかし、プリマスの太陽は向日葵の咲き誇る花畑を越えて向かってくるかのように見えた。時計の針は奇しくも広島の上空に原爆が炸裂したときと同一の時刻を指している。八時十五分である。おそらくこの時刻に限定された特別の感情を抱くの世界広しとはいえ日本人だけであろう。幼少を祖父富造に構われて育ったせいか、黙祷と対にしたくなる時間としてどうしても意識される。やはり秋子は日本人なのだ。
「ほんに、人間いうんは、しょうないなぁ~・・・」
 ピルグリムの上陸を忍ぶ象徴の一つがプリマス・ロックである。それはプリマスの上陸地点近くにあった花崗閃緑岩の大きな岩の露出部であるという。プリマスは1620年にできた村として記念石にその年号が刻まれている。
 しかし、この岩が上陸地点にあったということに言及している当時の証言は無いのだともいう。つまり、でっち上げられたモノとする意見がある。実際そこは、ピルグリムが上陸地点に選んだのは岩場ではなく、清水を確保し魚が取れた小川だった。
 しかも石に刻む「1620」の年号に見当たる日本史の、その回想に秋子は良き思い出はない。その一つ元和の大殉教が重なってくる。

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 元和の大殉教(げんなのだいじゅんきょう)とは、江戸時代初期の元和8年8月5日(1622年9月10日)、長崎の西坂でカトリックのキリスト教徒55名が火刑と斬首によって処刑された事件である。日本のキリシタン迫害の歴史の中でも最も多くの信徒が同時に処刑された。この事件後、幕府による弾圧はさらに強化されていく。また、オランダ商館員やイエズス会宣教師によって詳細が海外に伝えられたため、26聖人の殉教と並んで日本の歴史の中で最もよく知られた殉教事件の一つとなっている。

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 秋子はじんわりと、比叡山を賭け下って朝廷に押し迫る荒法師らがあらがう気勢の声を想い浮かべた。京都山端に育つと、自然とあらがう者の声に耳を傾けようとしたくなる。
「せやけど・・・、ここはアメリカやないか・・・!」
 そう思うと、自身の滑稽に秋子はひとり笑えた。
 大群の向日葵はいかにも咲き誇るかに見える。太陽は向日葵の咲き誇る花畑を越えて向かってきた。淡い桃色のトレイリング・アービュータスの花(赤毛のアン)、窓辺にはその朝顔の花がある。
 グローブ紙〈The Boston Globe〉によると、ニューイングランドはすでに夏休みなのだ。
 日本の蒸し暑い梅雨の中を抜け出してきたせいか、初夏のボストンは仄ゝと優しく爽やかな感じがした。ユナイテッド航空ORD経由でボストンに向かった。所要18時間である。ボストン・ローガン国際空港のバゲージクレームへと向かう階段を下りながら、秋子は迷いのないことを自身の胸に問いかけた。
 習慣のように繰り返される毎日が嫌であるから一度、母語の外に出て自身のことを見つめ直してみる機会にと選んだアメリカ留学であった。アムトラックを降りると、なるほど、サウス・ステーションは美しい駅であった。
 ボストンの夕陽の中で・・・・・、  After a hundred years Nobody knows the place,--
一編の詩を想い泛かべていた。   Agony that enacted there, Motionless as peace.
                     Weeds triumphant ranged, Strangers strolled and spelled
                     At the lone orthography  Of the elder dead.  
                     Winds of summer fields Recollect the way,--  
                     Instinct picking up the key  Dropped by memory.
 異邦人の留学生は「100年後には この場所を知る者は誰ひとりいない。ここで体験された大きな苦悩も もはや平和のように安らかだ。千草が庭でわがもの顔にはびこり 見知らぬ人々が散歩にきて。もう遠い遠い死者の面(おもて)の・・さびしい墓碑の綴字を判読する。 たゞ夏の野を通り過ぎる風だけが・・・この道を回想してくれるだけだ。記憶の落としていった鍵を・・本能が拾い上げてくれるかのように・・」と、これを訳した。
After a hundred years  Nobody knows the place,--  Agony that enacted there,  Motionless as peace.  Weeds triumphant ranged,  Strangers strolled and spelled  At the lone  orthography  Of the elder dead.  Winds of summer fields  Recollect the way,--  Instinct picking up the key  Dropped by memory.
 100年後に・・この場所を知る者は誰もいない  ここで体験した大きな苦悩も・・平和のように静かだ   百年あとには・・・・・・この場所を知る人は誰もいない 
 ここで演じられた大きな苦悩も・・・平和のように静かだ
 雑草がわがもの顔にはびこり 見知らぬ人々が散歩にきて
 もう遠い死者の・・・・・さびしい墓碑の綴字を判読する 
 夏の野を通り過ぎる風だけが・・・・・この道を回想する
 記憶の落としていった鍵を・・・本能が拾い上げて・・・
 星の数ほどあるHP(ホームページ)の中からこのアドレスにたどり着いて下さった偶然に感謝している。「1日に1つのありがとう」
 さる一葉の古い絵葉書が、今、乙女の手のひらにある。
 大正10年に日本の京都で投函された絵葉書が、どういう訳か平成元年の秋に、アメリカ中西部の宛先へと配達されていた。68年間、どうして迷子になったのか、なぜ半世紀以上も過ぎて届けられたのかは定かでない。さらに不可思議なことは、この絵葉書だけを同封したAir mailが、アメリカの配達先から平成7年に、再び京都の送り宛てへと投函されたこと、しかもそれが平成8年に、栞(しおり)のように挿(さ)されて一冊の古本の中から発見されたことである。
「From the hometown of Joe」・・・ジョーの故郷から。
 と、たゞ書き添えられている。送り主が匿名(とくめい)であるために、二条城が描かれてセピア色に日焼けしたこの謎に満ちた絵葉書を、阿部秋子は5年もの間、人知れずたゞじっと握りしめてきた。
此(こ)の数奇な運命にある一葉の絵はがきを手に、留学生になった秋子が宛先の地を訪ねてみることにしたのは2001年10月のことであった。
 予定では、30分後にスプリングフィールド駅へと向かうことになっていた。
「Aki(あき)-Sun(さん). ひどい雨ね」
 窓ガラスに叩きつけている遣らずの雨を秋子が恨みがましく眺めていると、はあっさりと笑いながらそう言うと、煎れたてのコーヒーに目を細くした。名の後につけてくれる太陽は、リーンの嬉しい常套句なのである。新しい日本語を見つけたと、本人はそう思ってはいないだろうが、日本人にはそう聞こえる。
 しばらく留守にするからと思い、スプリングフィールド駅へと向かう前に、大学内のポストセンターに立ち寄ると、郵便物の有無を確かめているわずかな間に、先ほどまでの穏やかな秋空が驚くほど早く消えて雨になっていた。
「今の天気が気に入らなければ、数分間待て、という諺がこの地方にはあるわ」
 などとよく会話に挿まれる、ニューイングランド地方は天気と温度の変わりやすい所である。
(今の天気が気に入らなければ、数分間待て)という諺もあるくらいで、真夏でも朝夕が冷え込むこともあるので、長袖のものを必要とすることがあるし、9月にはすでに紅葉がはじまるのだ。
 そんなアマースト南部の穏やかな紅葉の中を抜け出して来たせいか、シカゴの10月は強烈な太陽の中で身も焼かれるような感じがした。この地方特有のインディアンサマーである。
 常に具体的なプランを提案しないと納得しないのがアメリカ人である。交渉ごとの成果を求められるとき悠長に「がんばります」では通じない国だ。そんなことを秋子はこの留学三年間で痛いほど体験してきた。
「カリフォルニア・ゼファー号の右窓の座席が指定できますか?」
 デンバー・ユニオン駅の改札で、そう言って駅員にまず頬笑みを見せる。
「Oh you are lucky. There is only one vacant seat.」
 おお、じつに幸運だ。一個の空席しかありません。
「Ah how wonderful it is! It is power to be born from your smile. Thank you.」
 ああ、それは何と素晴らしいこと。きっとあなたの微笑がそうさせてくれたのね。 ありがとう。
「It is a saving grace of God.」
 それは神のご加護ですよ。
「Yes, of course.」
 と、秋子は改札員へ頬笑みを返した。
 そんな三分間のミュージカルもミセス・リーンから舞台稽古のように何度となく習った。
 このエクソフォ二―の旅は、母語の外に出た秋子が初めて乗車するアメリカ大陸横断鉄道での一人旅である。
「California Zephyr」・・・カリフォルニア・ゼファー号。
 改札で何号車に乗るのかを問われた秋子は、番車を告げて、その行き先を書いた紙をもらう。この紙は荷物棚の下、自分の頭の上に挟む場所があり、車掌さんが行き先を確認できるようになっている。
 デンバーのユニオン駅からそのアムトラックに秋子は乗車した。
 カリフォルニア・ゼファー号はロッキー山脈を越えて、宛先のユタ州ソルトレイクシティへと向かった。
 真っ青な空の下に、赤い塩の砂漠が広がっていた。
 延ゝとある、この永遠らしき果てしない連なりを肉眼に描写してみると、大自然の喜怒哀楽というものが天地の奥深いところから語りかけてきて、本能とつながるかのようである。
 この「Arches National Park」に阿部秋子は訪れた。
 人間の眼にそう感じさせ、心にそう思わせるアーチーズの荒外(こうがい)な塩岩の赤ゝたる峡谷は、じつに赤裸々として地の浸食のありようを具体にみせつけていた。秋子は「Arches National Park」にそんな印象を強く抱いた。
 夕陽の中でみつめていると、今にもうごめき出しかねない巨大な磐紆(ばんう)の赤岩が、途方もない時間の中に身をゆだねながら生きつゞけていることが分かるのだ。数千もあるという妖怪な赤い岩の輪は、その一つひとつが、夕実の眼の中でたしかな聲(こえ)をして動いていた。もはや公園では陋(せま)く、まほろばなのだ。異邦人の眼にはそうみえるのである。

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 デリケート・アーチをくゞり映る紫陽なラ・サール山脈の雪渓を眼に入れてたゝずむと、夕実は記憶の奥底から目醒めるように泛(う)き上がる回想を早めぐりさせては何度も何度もうなずき返した。
 かつてはアナサジと呼ばれる先住民族の祖先が住まいとしていたエリアなのだ。
「ああ、そうや、こゝや。ほんにこゝやわ」
 と、秋子は眼頭を熱くした。
 そんな秋子がこのダブル・アーチを訪れたいと思った動機は、映画「インディージョーンズ最後の聖戦」でスピルバークが切り撮るビギニングの一シーンの追憶に集約されていた。少年時代のインディーを描写してバックドロップされた或(あ)の巨大な赤いドーナツ型の奇岩トンネルに秋子が魅了されたのは、今から13年前の12歳、京都市立修学院第二小学校に通う6年生のときであった。
 そんなダブル・アーチの前に秋子はひとり陣取ると、ひたすらと横笛を吹いた。
 笛の音は、何度も何度もダブル・アーチをくぐり抜けては大空へと舞い昇る。秋子はこのとき赤い大地に重ねるようにして比叡山を泛かべていた。


    
    篠笛「比叡の名乗り笛」巖倉の曲


 ピーターパンに乗るとボストンからアマーストまで3時間ほどかゝる。秋子がそのボストンより真西へ約150㎞のところにある小さくて上品な田舎町にやって来て早3年が過ぎた。
 初秋は「Holyoke Range」の紅葉にくるりと囲まれて、タウン・オブ・5カレッジスとも呼ばれるこの大学の町は、アパラチア山脈の中程に緑のスープ皿をそっと置いたような盆地にある。
 美しい草花に囲まれたアマーストタウンと、木々からは小鳥たちの可愛らしいさえずりが聞こえる長閑なキャンパスとが、その盆地皿に並ゝとそゝがれた緑色のスープの豊かさのごとく、ニューイングランドの美しい往時の風景を偲ばせるゆるやかな起伏の丘に広がっている。
 秋子にはこうした秋の季節が最もこの町に似つかわしく感じさせるのだが、しかし冬は膝もとまで雪のある極寒の町へと一変する。この冬の雪景色もじつに美しいのだが、人口の8割を学生で占めるこの町の学業期には5万の人口があるものゝ、冬季にはその数を1万7千までに減らすのであるから、秋子には、この人影もまばらに震撼とさせる雪里の寮暮らしが恐ろしいほど退屈で、しかも異国人であることを噛みしめる日々の連なりに人恋しさを募らせることが苦痛でもあった。
 そんな秋子は「Boltwood Avenue, Amherst, MA 01002-5000 U.S.A.」のジョンソンチャペルの隣にある赤レンガの寮舎に留学生として暮らしている。
「あんたも、そろそろ外したらんと、あかんのやさかいになぁ・・・」
 9月の窓辺に吊るし残した風鈴が、深まる秋空に涼しい音色を淋しげに奏でていた。
 このビードロの琥珀の風鈴は、京都に暮らす養母和歌子からの拝受品である。そうであるから夏を過ぎ越してもついつい仕舞忘れてしまうのであるが、後1年で卒業という今秋も、昨秋と同じで京都に吊るされたころと少しも変わらずに、はんなりとさせる音色を広ゝとした寮舎の庭に響かせていた。
 昨夜「A word is dead When it is said. Some say. I say it just Begins to live.」という一編の詩を寝付かれぬままに想い泛べては、口籠らせてみたくなるほどの長い夜を味わっている。
 訳すれば「言葉は口にされたら死んでしまうと言う人がある。私は言おう。正にその日言葉は生き始めるのだと」とでもなろうか。南北戦争を経た、この女性の聲(こえ)が秋子の胸ぐらに痛く沁(し)みいるのであった。
 19世紀の前半にこの町に生まれたエミリー・ディッキンソンの、人の眼では仕訳られぬ詩である。
 アマーストコモンからMain St.を右に曲がった木々の中に彼女の生家がThe Dickinson Homesteadとして遺されている。昨日、この生家の前を通り過ぎよとして、秋子はふと足を止めさせられた。
 以前に三度見学に訪れているが、初めて訪れた折に見初(みそ)めた、彼女が16歳の若かりし写真の、その昧ゝ(まいまい)とした撮られようを、そのときふと思い起こしたのである。

           エミリー・ディッキンソン 動2 gif       エミリー・ディッキンソン 動 gif

 まだ若いのにひっつめ髪の地味な面(おもて)に影をさし、真っ黒なドレスを着ていて、質素でひかえめな生活を滲(にじ)ませた彼女らしさがよく窺えるその写真は、彼女の生涯唯一の一枚なのであるが、この死相を纏(まと)うかのような写真と先の詩とが折り重なり合って醸しだそうとする難解なメッセージに、秋子は酷(ひど)く心を揺さぶられた。閉じられようとして、閉じ込められまいとする雁(かり)の聲が目の前にある。
 ほとんど家の外には出ることがなかったという彼女の詩は、現在、1番から1775番までの番号をつけられて遺されている。そのエミリーの詩は、彼女の死から4年後の1890年に妹・ラビニアによって初めて詩集が出版された。正に、その日々の言葉が夕実の心の中で生き始めている。
 どことなく自分らしくない。どことなくそぐわないものがある。朝陽の窓ガラスの中に映る自分の顔をみて、その外れようが気になる秋子は、かすかに眉をよせて窓辺の椅子に背もたれていた。
 百年あとには・・・・・・この場所を知る人は誰もいない 
 ここで演じられた大きな苦悩も・・・平和のように静かだ
 雑草がわがもの顔にはびこり 見知らぬ人々が散歩にきて
 もう遠い死者の・・・・・さびしい墓碑の綴字を判読する 
 夏の野を通り過ぎる風だけが・・・・・この道を回想する
 記憶の落としていった鍵を・・・本能が拾い上げて・・・
「Motionless as peace.」という予言を、エミリーの未来を、ニューヨークの昨朝が詬恥(こうじ)したように感じられた。この詩の詡(ほこ)らかな聲も汚れさせられて、晩夏の季節の去りゆく暑さを惜しむエミリーの印象に、拾い上げてはもらえぬ記憶の鍵のことを、秋子は遠い眼をして探していた。しかしやはりエミリーが書き遺したように「目をさまして 正直な手を叱った 宝石は消えていた」ことになる。
「どうかしたの。ぼんやりとして・・・」
 と、そんな秋子に背後からふと声がかけられた。振り向かずとも、それが誰かは声と時間帯とであきらかである。しかるべき声はミセス・リーンそのものであるのだから、秋子はいさぎよく振り向かねばならなかった。彼女はいつも三日置きの朝8時には、決まって花瓶の花を挿し替えにきてくれるのである。
「Good morning.」
 秋子はいつも通り友情のしるしのようにそういって振り返ると、ミセス・リーンもいつもの彼女らしく頬笑みを泛(うか)べて立っていた。しかしいつもより秋子の語尾がゆっくりとのびた、その分、ミセス・リーンはそれを推し量ろうとして、じっと寝不足の瞳のむくむ秋子の顔をみつめた。
「Homesickness ? Yesterday's terrorism ?」・・・ホームシック?それとも、昨日のテロ事件のこと?。
 と、問われ、すっと笑いながら眼をそらされると、ミセス・リーンはあえて言葉にはしなかったが、少しも案じることはありませんよと語りかけるもが彼女の眼の底にはあった。
 そうして肩をポンとたゝかれてみると、それがいつ会っても心が通じ合っている確認のように思え、秋子の沈みこむほどの重みが、ふっと軽くなった。だから秋子はリーンに問いかけられて返そうとした、昨日の同時多発のテロ事件のことを、いいさしてあえて止めることにした。
「It thought whether there was delicious breakfast that some eyes seemed to wake up.」
 何か目の醒めそうな美味しい朝食はないものかと考えていたのよ。
 すると一瞬、むっと身を包んだその弾みからか裏腹に、思ってもいなかった言葉が口をついた。
 しかし、いってしまった後で、それをさして意外とも感じない自分に、秋子は改めて驚いた。いつからそんな醒めたものが胸の底にひそんでいたのか、これと思い当たる節目もなく無意味なことなのだが、とりあえず底意のない明るさをミセス・リーンへ返そうとしたことだけは確かなことであった。
 それは、決して、自分の中から振り払ってしまいたいような類の思いではない。却(かえ)って、そうであることが、自分で驚くほど爽やかなときめきにつながっている。このミセス・リーンという人とならと、あらゆる空想の中で、その場に臨んだとき、訪れてくると思える知的な華やぎをどこかで許してしまっているところがあった。
「If you hope for it, there is very dangerous dessert called a bomb of Oregon.」
 それだったら、オレゴンの爆弾という物騒なデザートがあるわよ。
 彼女にこう返されると、いつも秋子はテーブルに身をのり出して平らげてみたくなるのだが、この日もミセス・リーンは秋子が期待し予感したように、軽口のそれでいて機転を利かしたユーモアたっぷりの献立を秋子にすばやく直球で投げかけてきた。
「If it is such a wonderful bomb, I want to eat.」
 そんな素晴らしい爆弾ならば、食べたいわ。
 養母和歌子に似ているからか、そのリーンに薦められると何でも食べてみたくなるのだ。その素晴らしい爆弾も食べた。オレゴンの爆弾はエミリー・ディキンソンが食べたデザートであるという。しかしこれは一種のメルヘン。ほとんど引き篭もりの生涯を送ったエミリの部屋に、一匹の蒼いネズミが住みつき、彼女と心を通わせるという物語の中に登場するデザートであった。
 この物語はミセス・リーンの創作である。秋子はその創作を読んで、まっさきにデリダの「引用」概念を思い出した。どんな言葉も、聞き手の一人一人違うコンテクストの中に引き込まれて再生されるのだから、言葉はそのつど新しい意味を担って創造されるというのがデリダの「引用」である。そこにはエミリー・ディッキンソンの詩も効果的に引用された。秋子はリーンの創作に「引用」されているディキンソンの詩をいくつも知っていたが、エミリーと蒼いネズミの交歓の物語の中に置かれたそれぞれの詩は、秋子の知らなかった新しい輝きを帯びていた。ディキンソンの詩はとても短い。だから、四季折々の心の中で変化されて引用されるたびに、言葉のデザートは新たな相貌を見せてくれた。
 オレゴンの爆弾は、淋しいクリスマス迎えるエミリーを楽しく過ごさせて上げたいと考えた蒼いネズミがプレゼントする爆弾デザートである。そしてミセス・リーンは「悲しいときに食べるデザート」という。食べると不思議に悲しさが爆発して消えた。
 秋子はそのデザートのお返しとして、いつも篠笛を吹いた。その笛の音は「比叡の名乗り」という旋律で、京都比叡山へと分け入るときに儀礼として告げる阿部家伝承の笛の音であった。


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                             第20話に続く
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   京都近郊 比叡山延暦寺。



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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第18話

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   Web小説    はなそとば 文字 正

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               第一部 八瀬童子(やせどうじ)   18

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      十  午の骨 (うまのほね)   



 以前から探しあぐねていた敷地がある。
 八方手を尽くした。だが輪郭ほどの消息しか掴めていない。十三参りの帰路、後ろを振り返るようなことはしていないと思う。嵯峨野の法輪寺で授かった智恵を使い尽くすほど働かせたかと問えばそれほどの自信もないのだが、返さなければならないというほどの罰あたりもない。
 富造にはその未探索が心遺しで、半ばその決着を諦める高齢の息切れが何とももどかしくある。
 未だ埋め得ないでいる京都市井図の赤い丸囲いの部分が泛かんでいた。
 惟喬親王(これたかしんのう)が出家される以前に住んでいたのは、大炊御門(おおいみかど)大路の南、烏丸(からすま)小路の西詰まりであったはずだ。そう伝えられてはいる。

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 親王の没後、その広い邸宅は、藤原実頼(さねより)から実頼の孫で養子の藤原実資(さねすけ)へ、そして、実資の娘の千古へと伝領されていく。もとは親王の御所であって「小野の宮」と呼ばれた。しかし、どのような経緯で藤原氏の物になったのかは明らかでない。富造にはそこが、どうにも不可思議なのだ。いくら阿部家の伝承を遡って漁(あさ)るも確たる先の見通しがない。隔世にいつしか欠落したようである。
「ああ・・・、あれは・・・むかしおとこ・・・」
 法起寺(ほうきじ)の三重塔の上に薄暗い雲がのっぺりとある。
 流れようとはしないその雲と、真下にある甍(いらか)との空間が少し揺れるような気がした。どうやら空気だけは動いているのであろう。しかし富造がよくみると、燻銀の甍かが、じんわりと炎立てるように見える。すると雲と甍のそこに挟まれたかのように在原業平(ありわらのなりひら)の姿が泛かんできた。何とも雅なその馬上の男こそ、伊勢物語の「馬頭なりける人の」姿であった。
「忘れては夢かとぞ思う思ひきや 雪ふみわけて君をみんとは」
 と、甍の上の浮雲で、その男が歌を詠んでいる。
 その歌は、親王と縁深い在原業平が、冬の一日訪ねた時のものである。親王は「夢かとも何か思はむ浮世をば そむかざりけむ程ぞくやしき」と返歌された。
 在原業平とは伊勢物語で「むかしおとこ」として語られる主人公である。その在原業平が心からお仕えしていた方こそが惟喬親王であった。

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 在原業平は「薬子の変」を起こした平城天皇の第一皇子・阿保(あぼ)親王の第五子として天長2年(825年)に生まれた。惟喬親王よりは19歳年上であったが、業平の義父(紀有常)と惟喬親王の母(紀静子)が ともに紀名虎(きのなとら)の子供で 兄妹の関係にあったことなどから、藤原氏の圧倒的な勢力のもと、同じく不遇を託っていた業平は、紀有常らとともに 惟喬親王に仕えた。業平はその無聊のサロンで和歌に親しむことにより、親王の無聊さを慰めでもするかのように仕えた。
 主人は28才の時、剃髪して出家し「小野の里」に幽居する。伊勢物語に描かれる時の人々は、そんな親王を「水無瀬の宮」「小野の宮」などと称した。
 その親王は御在世中、小椋庄に金竜寺、雲ケ畑字中畑に高雲寺(惟喬般若)、大森字東河内に安楽寺、長福寺を建立されて、東河内で寛平9年(897年)54歳で薨去される。御陵墓は左京区大原上野町と北区大森東町にある。
「伊勢物語は、それ以後の古典作品に大きな影響を与えた歌物語でもあるね・・・」
 どうにも聞かされる話が感慨深い虎彦は、目尻を指先でつつきながらそう言った。
 源氏物語もその例外ではない。源氏物語には伊勢物語からの引き歌が多くある。内容にも伊勢物語を意識して書かれたと思われる箇所が散見される。
 そう虎彦が口を挿むと、扇太郎はポンと膝を鳴らした。
「大鏡の内容にも、・・・ありますよねッ」
 と、そういう扇太郎が持ち出したのは、裏書きの話だ。
 大鏡の裏書には、文徳天皇が惟喬親王を皇太子にと希望されながらも 周囲の反対をはばかられ、また、右大臣藤原良房に気を遣われて、その娘・明子(あきらけいこ・染殿后)所生の惟仁(これひと)親王(後の清和天皇)を皇太子に立てられたことが伝えられている。
「平家物語だって・・・、しかりだ」と、虎彦はさらにし返した。
 江談抄や平家物語には、立太子を巡って、惟喬親王の母方である紀氏が惟喬親王を立てて真済僧正を、また、藤原氏が惟仁親王を擁して真雅僧正を、それぞれ祈祷僧に起用し、死力が尽くされた・・・という話まで伝えられている。虎彦はそこらを丁寧に解説した。
 こうした伝承が後世に度々発生するほどに、生母「紀名虎(きのなとら)の娘静子」の出自の低さにもかかわらず、惟喬親王への信望が高かったことが覗えるのである。

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「五郎・・・、みくにのまち、をそこに据えてくれないか」
 そう言って、富造は三重塔の角下を指さした。
 そして五郎は指された裏鬼門の角へとすばやく動いた。その角が東大寺に対する裏鬼門であることを、すでに五郎も心得ていた。まずその封印を解き外す必要があった。
 そうせねば新たな封じ手が効かない。そこまでは五郎にも解る。しかし、角にこれをどう据えてよいのかが見当もつかない。木彫りの椀を手に握る五郎は、角隅に立つもたゞ足踏みをした。
「ところで雨田さん・・・、今夜お会いになるM・モンテネグロ氏、日本刀のことですよね!・・・」
 と、流れを絶って挿んだ扇太郎の言葉が、虎彦には突飛だった。
「そろそろ・・・、その御霊太刀のことに触れますが・・・」
 さも神妙な顔をして扇太郎は虎彦を見た。そして香織の顔色もみた。
「ごれいたち・・・?」
「そうです・・・、御霊太刀です。お探しの・・・!」
 ハッと虎彦はしたが、微妙な間合いの意外な外されように、妙にぼんやりともさせられた。

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「椀の底を逆さに、地に伏せるようにして角に据えてくれ。そうして動かぬよう両手で押さえといてくれ!」
 何かに覆い被せるかのようにして五郎は木彫りの椀を角に据えた。
 するとその椀の正面に富造は晴明桔梗の護符を貼った。
 紋様には呪文が記されている。それは、急急如律令の呪文を文字で書きつけた呪符である。その急急如律令とは元来、中国漢代の公文書の末尾に書かれた決り文句で「急いで律令(法律)の如く行え」の意であるが、それを転じて「早々に退散せよ」の意で悪鬼を払う呪文とされた。
 それによってすでに五郎も気づかぬ内に、東大寺の裏鬼門封じは解除されている。
 次に富造は太上神仙鎮宅霊符を加えた。この霊符を司る神を鎮宅霊符神というが、それは玄武を人格神化した北斗北辰信仰の客体である。京都行願寺(革堂)から出されたこの霊符を祭ることで、すでに南北の運気が開かれたことになる。そうして次に「式神(しきがみ)」を呼び出すために、富造は禹歩(うほ)を始めた。
「ヤギハヤノ トツカノツルギ コレホムスビトナリ・・・ヤギハヤノ トツカノツルギ コレホムスビトナリ・・・ヤギハヤノ トツカノツルギ コレホムスビトナリ・・・ヤギハヤノ トツカノツルギ コレホムスビトナリ・・・夜芸速(やぎはや)の 十拳剣(とつかのつるぎ)此れ火産霊(ほむすび)と成り」
 神威の発揮を強く求めるために、富造は禹歩に合わせて呪文を唱えた。しばらくは法起寺の境内をその富造の呪文が地を祓うごとく舞い立っていた。椀を押さえ続ける五郎を巻くように舞い廻っていた。
 足で大地を踏みしめて、呪文を唱えながら、富造は千鳥足様に前進する。その禹歩とは、歩く呪法を指す。阿部家伝承の基本は、北斗七星の柄杓方を象ってジグザグに歩くものであった。魔を祓い地を鎮め福を招くことを狙いとする。この起源は、葛洪『抱朴子』に、薬草を取りに山へ踏み入る際に踏むべき歩みとして記されている。奇門遁甲における方術部門(法奇門)では、その術を成功させるためにこれを行った。

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「五郎・・・。さて・・・その椀を表返しに直してくれ。もう手を放してもよい。手を放したら静かに声を立てずに寺の外で待て。出たら門のところで般若心経を唱えてくれ。俺が後を終えて門を出るまで・・・」
 そう言って五郎の姿が消えるのを待った富造は、また新たな呪文を唱えはじめた。
「イワクスノ フネニナレシモ イカズチノタマフリ・・・イワクスノ フネニナレシモ イカズチノタマフリ・・・イワクスノ フネニナレシモ イカズチノタマフリ・・・イワクスノ フネニナレシモ イカズチノタマフリ・・・石楠(いわくす)の 船に鳴れしも 雷(いかずち)の布都(たまふり)」
 長い呪文であった。唱えながら富造は神威の顕れを静かに待っていた。これを反閇(へんぱい)という。この秘伝だけは人知れず密かに行わねばならない。富造の額は汗を滲ませていた。
 反閇(へんぱい)とは、道中の除災を目的として出立時に門出を祓う呪法である。また自分自身のために行うこともあるが、その多くは天皇や摂関家への奉仕として行われた。
 その反閇では、まず最初に玉女を呼び出して目的を申し述べる。呼び出すときにはやはり禹歩を踏む。最後は6歩を歩いて、そのまま振り返らずに出発する。家伝の掟(おきて)である、その詰めの6歩を踏み終えた富造は、もう何事もなかったかのよに静かに門前へと向かった。
 門前で心経を唱え続けていた五郎は、その富造が門を出て、立ち止まることもなく法起寺へと向かう後ろ姿が消え去るのを待ってピタリと般若心経を止めた。
 陰陽道には「魂清浄」という呪文がある。
 魂清浄を唱えることで御魂の輝きの増やし、魂の正しい位置への鎮まりや、心と精神面の安定を整える。五郎はその呪文を唱えながら富造の後を追った。
「一魂清浄・二魂清浄・三魂清浄・四魂清浄・五魂清浄・六魂清浄・七魂清浄・八魂清浄・九魂清浄・十魂清浄」
 五郎はそう唱えながら、腹の底より息を長く吐いた。
 陰陽道に触れると、不意に霊体に憑依されてしまうことがある。気の流れを変えた。
 奈良も同じなのだが、平安時代は、平安という言葉とは裏腹に、闇と迷信が支配した恐ろしい時代だった。現在の価値観では到底計り知ることの出来ぬ感覚が根づいていた。
 遺体の処理にしても現代とは、だいぶ異なるものであった。人が死ぬとそのまま川に流したり、一か所に集められて放置されるのである。もし、疫病が流行ろうものなら、人がバタバタと死に、たちまち、どこもかしこも死体だらけとなる。それが一つには陰陽道がこの世生まれ出た背景であった。

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 何千何万という死体が方々に山積みにされ、野犬が人間の手足の一部をくわえて、街中を走り回るという身の毛もよだつ光景が展開されるのである。
 鴨川は、遺体を水葬にする場所と変わり、清水寺は遺体の集積所に成り果てた。雨が降って水かさが増すと、半分腐りかけて死蝋化した死体が、プカプカと民家の床下にまで漂って来るのである。
 そして、災害や疫病の大流行などは、恨みを残して死んだ人間の怨霊や悪霊の祟りであり、わけの分からぬ奇怪な自然現象は、物の怪など妖怪変化の起こす仕業であると信じられるようになっていった。こうして、人々は、闇におびえ、ないはずのものに恐怖するようになった。貴賎の区別なく、人々はさまざまな魔よけの儀式を生活に取り入れるようになる。大きな屋敷では、悪霊や物の怪が入り込み、人に取り憑くことがないように、随身(ずいじん、護衛の者)が定期的に弓の弦をはじいて大声を上げるという呪いなどが夜通し繰り返されていた。そういう時代を阿部一族をはじめ八瀬の童子は継ぎ継ぎにくぐり抜けてきた。

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「ああ・・・、秘太刀みくにのまち・・・が空を翔けた・・・!」
 再び法輪寺の境内に立った富造は、そう五郎に呟くと、静かに閉じた眼にその秘太刀を泛かばせた。
 惟喬親王の母方(紀氏)の末裔である星野市正紀茂光が、紀名虎(祖父)の秘蔵していた御剣を、親王が御寵愛されていたことを知り、これを親王の御霊代として奉祀したと伝えられている。
「その御霊太刀の銘を・・・、みくにのまち、という」
 富造はそう聞かされていた。
 惟喬親王には兼覧(かねみ)王と呼ばれた息子があった。神祇伯、宮内卿などを歴任し古今集にも歌を残している。その兼覧王の娘は兼覧(かねみ)王女とも呼ばれて、これもまた和歌をよくし、後撰集に一首が残っている。富造は、この王女あたりから、藤原実頼へと親王の邸が伝領されたのではないかと思っている。だがこれは推測の域を出るものではない。しかし阿部家の家伝によって確かなことは、惟喬親王には「みくにのまち」と呼ばれた娘があったことだ。星野市正紀茂光は御剣を親王の御霊代として祀るに当たり、その秘宝の娘の名を御霊太刀の銘として偲ばせた。それが富造が眼に泛かばせる「秘太刀みくにのまち」であった。
「このとき・・・、富造さんは、馬の骨を拾った、とそう確信したはずです」
 という、扇太郎のその眼は、夢でも叶ったかのようにキラりと輝いている。しかしそう見える虎彦は、未だ狐にでも耳を抓まれて動けぬ悟りの悪い坊主のようだ。
「拾ったことになるのか・・・?」
 ただ空を切るような始末に、眼がくるりとぼんやりとする。
「ええ、拾ったことになりますね。言霊(ことだま)の世界では・・・!」
と、念を押されても、巨漢に伍(ご)して抜くにはおのれの刀が鈍(なまく)らななのか、虎彦は竹光でも握らせられたような心もちであった。しかし、香織は、うんうんと、やはり眼を輝かせて何度も頷いている。いずれも得体の知れぬ連中にだと思われた。どうやら人が伍して掛れる世間話ではなさそうだ。
「しかし、そんなことよりも、惟喬親王についての最大の謎は、なぜ惟喬親王が木地屋(きじや)師の業祖とされるに至ったのかということですよね。八瀬の集落は、そのことを固く語ろうといません。理論立てについては障りとして始末されている。そこを・・・・・・・」
 扇太郎は一つ長い溜息をついた。そうしておもむろに香織の顔をみて微笑んだ。おそらく香織に木地屋師の匂いを感じ取れるのであろう。虎彦も同じ匂い嗅いでいる。それが生地屋師の匂いかどうか分からないが、京都の山端の人々にはたしかに森の匂いを放つ人が多い。あるいはそれは、森深いところの土の匂いではないかと以前から感じていた。
 木地屋は「ろくろ」を用いて木材を削り、鉢や盆などの木製品を作る人たちであり、中世には、山中に原材を求めて、山から山へと渡り歩いた漂泊の山人たちであった。
 彼らは、惟喬親王が藤原氏から差し向けられた刺客を逃れて、滋賀県神崎郡永源寺町の山奥の小椋谷(おぐらたに)に隠れ、ここで里人たちに「ろくろ」の技術を教え、これより木地屋は始まったとしている。もとよりこれは史実ではなかろう。
 しかし今、小椋谷の金龍寺は親王の御所「高松御所」であったとして、親王の木像なるものを伝え、全国の木地屋たちの総名簿である「氏子狩(うじこがり)帳」を蔵し、筒井八幡宮は「筒井公文所(くもんところ)」と称して「木地屋木札」「通行手形」を発行する。
 そして小椋谷よりも更に山奥の君ガ畑にある「皇太器地祖神社」は惟喬親王を祀る。各地の木地屋たちは、しばしば親王の随身従者の末裔と称し、「木地屋文書」と云われる木地屋の由緒書や、親王が与えたとする諸役御免の綸旨を所有し、墓には皇室の紋である菊水紋を用いるのだ。
 これらは、非定住民であるために下賤視された彼らが、定住民たちの軽蔑の目への反発として作り出したものであると共に、原木伐採の自由と、山中通行の自由を得るためのものであることは論ずるまでもない。民俗学的には虎彦はそう考えてきた。
「しかし・・・、なぜここで惟喬親王の名が使われたのか・・・」
 と、考えると、そこは一定の領域を超えた、学識では割れぬ異界の摂理でもあるようだ。
 中世、小野巫女と呼ばれた「歩き巫女」たちがいて、「小野神」という神に対する信仰を全国に流布したことに起因するという見解が、あるといえばある。
 これはすなわち、惟喬親王が隠棲した山城愛宕郡の小野とは、比叡山を隔てて東側、近江国滋賀郡にも小野という所がある。いずれも小野氏と称される人たちの住んだ所である。
 この琵琶湖湖畔の小野に住む小野氏の人たちは、自分たちの祖先である「タガネツキオオミ」(鏨着大使主、または米餅搗大使主)を「小野神」として信仰した。この神は「タガネ」という文字から鍛冶の神と考えられている。その小野氏の女たちが小野巫女として、近江の製鉄地域などに小野神信仰を広めていった。小野小町や小野猿丸の伝説を全国に広めたのも彼女らであるという。そうした鍛冶師も木地師もいずれも山の民である。またその分布地域も重なっている。その木地師たちが、その信仰を受け入れた時、「小野神」と「小野宮」とは習合して、そして、小野宮惟喬親王が木地師たちの業祖とされるに至ったと見立てられている。
「しかし・・・、それにしても何か漠々とした話ではあるがね・・・」
 日本史には虚と実が、じつは混在している。
 古文書の存在のついては、歴史過程を査証する手本となるかも知れないが「不都合な過去を消す為」と言う政治的効用も在り、「必ずしも事実とは受け取れないもの」と心得るべきである。古典もそれと同様な側面がある。そう改め思う虎彦もまた深い溜息の一つもつきたくなる。
「しかし・・・、秋子さんご存じすよね。彼女・・・こそ小野巫女です。そうだよね香織ちゃん」
 そう促されて耳にした香織は、妙にぼんやりとしていた。
 だが、しだいに、うっとりして虎彦に向き直ると、丸い瞳をほんのりと潤ませている。その潤む瞳の湖(うみ)では、秋子の吹く篠笛の音がさざ波のように揺らいでいた。


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                             第19話に続く
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   京都近郊 湖西 仰木の里 小椋神社(滋賀県大津市)。
 琵琶湖を望む比叡山の麓に、仰木の里と呼ばれる里山集落がある。小椋神社の縁起によると、858年の文徳天皇の皇子惟喬親王の創祀に依る古社。御祭神は小椋神社本殿(田所神社)に水の神様である闇淤加美神。大宮神社の伊邪那美神。若宮神社の稚日女神。今宮神社の大穴持神(大国主)。新宮神社の少彦名神。と中世五­社大明神を祀る典型的な神社である。


  
   京都の肖像 三十六歌仙。




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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第17話

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               第一部 八瀬童子(やせどうじ)   17

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      十  午の骨 (うまのほね)   



 不動の姿勢で虚空蔵菩薩を、たゞじっと見据えていた。 
 法輪寺を訪ねた阿部富造の目的は、虚空蔵求聞持法を修めることにあった。
 だが・・・これは、そうそうに会得できるものではない。
 修法は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというものだ。空海が室戸岬の洞窟「御厨人窟」に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説がある。空海のように、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。 この現世利益を京都八瀬に持ち帰るため法輪寺へときた。

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 日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行っている。
 虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ)の像容は、右手に宝剣左手に如意宝珠を持つものと、右手は掌を見せて下げる与願印(よがんいん)の印相とし左手に如意宝珠を持つものとがある。後者の像容が求聞持法の本尊となる。

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 明星をもって虚空藏の化身とし、ゆえに虚空藏求聞持法を修するには明星に祈祷する。
 富造はその明星を待たねばならなかった。
 またさらに、眼を巽の方角へ向いて祈祷する場所を富造は探さねばならなかった。
 心得として行者用心というものがある。
 行者は「修行中は他の請待を受けず。酒、鹽(しお)の入りたるものを食はず。惣じて悪い香りのするものは食はず。信心堅固にして、沐浴し、持斎生活し、妄語、疑惑、睡眠を少なくし、厳重には女人の調へたものを食はず。海草等も食はず。寝るに帯を解かず。茸等食ふべからず。但し昆布だけは差し支えなしと云う。要するに婬と、無益な言語と、酒と疑心と睡眠と不浄食、韮大蒜(にらにんにく)等臭きものを厳禁せねばならぬ。浄衣は黄色を可とす。どんな場所が良いのかは、経中に、(空閑寂静の処、或は山頂樹下・・・・・其の像、西或は北へ向かう・・・)とある。見晴らしが良く東。南(西も開けていれば最上)は開けている。修行者は東方又は南方へ向かう」とある。これは明星を虚空蔵菩薩の化身とし拝むためであった。

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「このとき・・・、空海には、口中に明星が飛び込む神秘体験が起こったのだ・・・」
 法輪寺の虚空蔵菩薩は飛鳥の古い仏像である。みつめると、しだいにその虚空に空海の姿が泛かぶように映る。富造は虚空の上の空海を現世へと引き出すために、五芒星と九字が描かれた安倍吉祥紋を虚空蔵菩薩の左手に押さえつけた。

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 その富造の眼は鋭く輝いている。眼には、阿部晴明がある時、カラスに糞をかけられた蔵人少将を見て、カラスの正体が式神であることを見破り、少将の呪いを解いてやった。また、藤原道長が可愛がっていた犬が、ある時主人の外出を止めようとし、驚いた道長が晴明に占わせると、晴明は式神の呪いがかけられそうになっていたのを犬が察知したのだと告げ、式神を使って呪いをかけた陰陽師を見つけ出して捕らえた。十訓抄の記述から引きだしたその二つの故事を泛かばせていた。
 このとき富造には、陰陽道によって占筮(せんぜい)せねばならぬことが一つあったからだ。
「11月1日・・・。知花 昌一(ちばな しょういち)・・・」
 虚空蔵の文殊は、この男の行為をどうみなすのかを、阿部富造はしずかに考えた。
 11月1日とは、「大化改新」のはじまる2年前の643年、蘇我入鹿(そがのいるか)が、聖徳太子の息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)を自害させる事件がおきた日である。
 子代(こしろ)を今に継ぐ阿部一族は、代々この日を忌日として畏れてきた。
 昨年の11月1日、その6日前の10月26日に掲揚されていた沖縄国民体育大会会場の日ノ丸を富造は浮かばせている。国体は「きらめく太陽 ひろがる友情」をスローガンに開催された。
 読谷村のソフトボール会場に掲げられた日の丸が引き下ろされて焼き捨てられる。知花昌一は、天皇の戦後初の沖縄訪問により強まる日の丸・君が代の強制に対する抵抗だと主張した。
 学生時代に自治会委員長として復帰闘争に参加した。沖縄戦の集団自決の調査などの平和運動を行っていた。1948年5月の戦後生まれの男である。建造物侵入、器物損壊、威力業務妨害被告事件の扱いとなる。
 国内は地価狂騰のころ、この事件発生に、富造は忌日の前兆としての嫌な危うさを感じた。
 何よりも9月23日には、皆既日食が起きていたからだ。
「太陽が覆われる日食・・・その後に・・・日ノ丸の焼き打ち・・・」
 連続して重なると、富造にとって、それらはじつに暗い兆候であった。

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 聖徳太子が亡くなって約20年後、蘇我入鹿は古人大兄皇子(ふるひとのおうえのおうじ)を独断で次期天皇にしようと企て、その対抗馬とされる山背大兄王を武力で排除しようと、巨勢徳太(こせのとくだ)らに命じて斑鳩宮(いかるがのみや)を急襲した。大兄王と側近たちはよくこれを防ぎ戦い、その間に、大兄王は馬の骨を寝殿に投げ入れ、妃や子弟を連れて生駒山へと逃れた。
 宮殿を焼きはらった巨勢徳太は、その灰の中から骨を見つけて大兄王らは焼け死んだと思ったのだ。囲みを解いてあっさりと引きあげた。大兄王たち一行は生駒の山中に逃れるのだが、十分な食糧を持ち合わせていなかったため、部下のひとりが「いったん東国に逃れて、もう一度軍をととのえて戻ってくれば、必ず勝つことができます」と進言した。すると大兄王は「一つの身の故によりて百姓を傷(やぶ)り残(そこな)はむことを欲りせじ。是を以って、吾が一つの身をば入鹿に賜う」(自分は人民を労役に使うまいと心に決めている。己が身を捨てて国が固まるのなら、わが身を入鹿にくれてやろう)と答え、生駒山を出て、斑鳩寺に入った。大兄王たちが生きているという知らせを受けた入鹿は、再び軍を差し向けたところ、大兄王は、妃や子どもたち20人以上と共に自決して果てていた。
 この事件からおよそ80年後に編纂された『日本書紀』には、悲惨な上宮(かみつみや)王家である聖徳太子の家系の滅亡に同情して、「おりから大空に五色の幡(はた)や絹笠が現れ、さまざまな舞楽と共に空に照り輝き寺の上に垂れかかった」と、昇天の模様を記している。
 入鹿の父である大臣(おおおみ)の蘇我蝦夷(そがのえみし)は、山背大兄王の死を知ると、「ああ、入鹿の大馬鹿者め、お前の命も危ないものだ」と、ののしる。そして、2年後にそれが現実となった。中大兄皇子 (のちの天智天皇)や中臣鎌足らが、入鹿を殺害するクーデター(大化の改新のきっかけとなった事件) により、古墳時代から飛鳥時代を通して巨大勢力を誇っていた蘇我一族が滅亡することになった。
 馬の骨とは、素性の解らない者をあざけっていう言葉である。どこの馬の骨か解らない、などと使われるが、八瀬童子もその馬の骨であった。
「さて・・・、絹笠を掛けるか・・・」
 そう言うと富造は、脇にいる竹原五郎をチラリと見た。
 あらかじめ住職には許しを乞うている。
 おもむろに五郎は、笈の中から白絹の一枚取り出した。
 そして富造はその白絹で、さも虚空蔵菩薩を包み隠すかのように包んだ。
「一時間ほど・・・、この状態を保たねばならない」
 その言葉が合図なのか、二人は法起寺へと向かった。

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 法起寺(ほうきじ)は、法輪寺と同じ聖徳宗の寺院。斑鳩町岡本にある。その岡にあるため、古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)と呼ばれた。
 山号は「岡本山」。ただしこれは、奈良時代以前創建の寺院にはもともと山号はなく、後世付したものである。この寺院は聖徳太子建立七大寺の一つに数えられるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことであった。富造にとってはこの寺院の位置が重要であった。

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「北緯34度37分22.75秒 東経135度44分16.40秒」
 長年の親しみもあり、富造は「ほっきじ」と読む。この法起寺の位置から北に直線を引くと、京都市北部の桟敷ヶ岳とが結ばれ真南北に向かい合う関係になる。三重塔をみつめる二人はしばらく境内に佇んでいた。
 火中の栗を拾うという例えがある。猫が猿におだてられ、炉で焼けている栗を四苦八苦して拾わされる話だ。これは、お人好しを戒める寓話ともなっている。だがこれは、身を捨てて難儀を背負った話ともなろう。

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「さて、火中の、馬の骨を拾うぞ・・・!」
 見る側の五郎は、興ざめを通りこして呆れた。
 しかし、倒れた古老の大樹の切り株からも、新しい芽が吹くことを富造は知っている。創建当時の建築で現存するものは三重塔のみである。
 その三重塔の建立時期、および寺の建立経緯については、『聖徳太子伝私記』(仁治3年・1242年の顕真著)という中世の記録に引用されて「法起寺三重塔露盤銘」の史料をよりどころとする。それによれば、聖徳太子は推古天皇30年(622年)の臨終に際し、山背大兄王に遺言して、岡本宮を寺院に改められることを命じている。そして富造は広く境内と連なる景観を見渡した。佇む法起寺は、法隆寺東院の北東方の山裾にある。 
 さらに、京都の北山に桟敷ヶ岳(さじきがだけ)という山がある。
 この山は伝説のある山で、王位継承の争いに敗れた惟喬親王(これたかしんのう)がこの山に桟敷を作って京の街を眺めた。山名の由来はそこにある。ここ桟敷ヶ岳は北山の奥地だけあって、今の季節、山頂付近の樹木はやっと芽吹き始めたばかりであろう。惟喬親王が京都北山に隠棲の時、桟敷ヶ岳山頂より京の都を眺め、懐かしみ、小亭いわゆる桟敷を建てさせた。建てたのが阿部家の祖先らであった。

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「惟喬親王は聡明なお方であったようだ・・・」
 父の愛情もことのほか深く、皇太子になる筈のところ、当時、権勢高い藤原良房の娘で藤原明子が、第4皇子惟仁親王を誕生させると、天皇は良房をはばかられて、生後9ケ月の惟仁(これひと)親王を皇太子とされました。「この方がのちの第56代清和天皇となられた・・・」
 さて、惟喬親王は858年(天安2年)、清和天皇の即位に先立って太宰権帥に任命され、その後は太宰帥・弾正尹・常陸太守・上野太守などを歴任され、872年(貞観14年)、病のために出家なさり、比叡山麓の小野の地に隠棲された。
 それ以後、惟喬親王は時勢を観察され、山崎・水無瀬(みなせ)に閑居し、河州交野で紀有常(紀名虎の二男)在原業平(紀有常の娘を妻とする)らと観桜されている。さらに京都雲林院の傍らにしばらく新居を構えて(当社の近辺)住まわれた。さらにその後、江州・小椋庄へ移られ、轆轤(ろくろ)を開発して、緒山の木地屋に使用を教えられた。その間、阿部富造の先祖らが従事し、以後阿部家では、惟喬親王を轆轤の始祖として崇拝をし続けてきた。
 都に戻られてからの親王は、洛北の大原、雲ケ畑、二ノ瀬、小野郷・大森にと隠栖され、貞観14年7月11日(872)疾に寝て、仏に帰依し素覚浄念と号された。
 そのように聞かされてきた祖先の声が『伊勢物語』の中につづられている。
「・・・むかし、惟喬の親王と申す親王おはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬といふ所に宮ありけり。年ごとの桜の花ざかりには、その宮へなむおはしましける。その時、右の馬頭なりける人を、常に率ておはしましけり。時世経て久しくなりにければ、その人の名忘れにけり。狩はねむごろにもせで酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれりけり。いま狩する交野の渚の家、その院の桜ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りてかざしにさして、上中下みな歌よみけり。馬頭なりける人のよめる・・・」
 阿部富造は、その「馬頭なりける人の」という祖先の人の影をそっと泛かべた。


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                             第18話に続く
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   京都北山 桟敷ヶ岳~城丹国境尾根。



  
   京都北山 二ノ瀬・桟敷ヶ岳。




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   京都 花そとば



  つきの暦  2013年1月

  つきの暦 2013 1



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京都風土記『花そとば』 第16話

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               第一部 八瀬童子(やせどうじ)   16

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      十  午の骨 (うまのほね)   




 法隆寺駅は小さく軒下を控えた駅逓(えきてい)である。
 息づかいが絶えたように人影は少なく、さらに法隆寺までを歩く人影の無さはじつに淋しい。しかしそれは人が生臭みを忍し殺すように背を低くして暮らそうとする揺らぎでもある。おそらくそれは太子への畏(おそ)れ。それゆえに斑鳩(いかるが)の里が広大な大地となって輝きを深くする。
「京都の失ったものが、ここにはある・・・」
 そう思うと、曇天の空に胡蝶が白く変化して舞い踊るようなエンドウの花はどことなく愛嬌がある。その花の白さは人とふれあう極意でも気前よく披露してくれているように感じさせる。
 戦闘に不向きな土地は遮りがない。阿部富造はその春泥の道を歩いた。

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「手術をなさったのが、たしか昨年の9月22日・・・、陛下は御歳86・・・」
 病名は「慢性膵臓炎」だと聞かされている。そう聞かされたときから富造は、近づこうとする昭和の終焉を、少なからず胸の内で温めていた。無事に越冬されて87歳となられる春の門出を寿(ことほ)ぎたい。だが天命とは人の不可視、八瀬の集落では密やかな心積もりが必要であった。
 陛下が歴代天皇で初めての開腹手術をされたのは1987年(昭和62年)9月22日。その前夜、子代(こしろ)の富造は八瀬童子50名ほどを家に集結させて万一に備えさせた。
 その年の天皇誕生日の祝宴を陛下は体調不良から中座された。以後、体調不良が顕著となり、特に9月下旬以降、病状は急速に悪化した。9月19日には吐血されるに至る。前代未聞の開腹手術はそうした経過の悪さに決断された。非常の事態、そのため八瀬の集落では、誕生日の祝宴を中座された以降、村人の華やかな振る舞いを自粛することを申し合わせた。度々比叡山に上がっては総出で陛下の平癒祈願を行っていた。
「せやッた・・・。うち、まだ三つやったけど、お山ァ上がったんよう覚えとる」
 香織は、五郎に背負われて何度か比叡山に上がった暗い夜道を思い出した。
 そして年末に向かうころ富造は、12月には公務に復帰され、回復されたかに見えたが、陛下の体重が急速に減少していることを宮内庁より密かに聞かされていた。

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「お健やかそうに手を振られてはいたが・・・」
 年を越して1988年1月2日、その日は曇天に時折しぐれる例年にない肌寒い日であった。穏やかに感じさせた一般参賀の光景を、遠巻きに確かめた富造は、京都に帰る暇もなく、その足で急ぎ奈良へと向かった。
 前年の9月19日に陛下が大量吐血されて後、マスコミ各社が24時間報道体制を敷いていた。そのためにテレビや新聞では、連日、陛下の血圧、脈拍、体温などを詳細に発表する。特にテレビでは「本日、下血がありました」という、いわゆる思わぬ報道がまるで天気予報のごとく流されていた。
「ああ、これでは、過剰報道ではないか」
 と、富造も批判の声の一つも上げたいのだが、各局がこれを改めることはなかった。
 そうした天皇報道が繰り返されるなか、国内には数々の自粛が起こる。商店街の派手な飾り付けは姿を消し、お祭りのようなイベントも次々に中止された。テレビの番組内容も自粛ムードが漂っている。富造には気勢を上げて自粛しようとする妙な意識のうねりが苦々しかった。
「ああ、たしかに、そうだったね・・・」
 虎彦は詰まるような声を扇太郎に向けた。富造という男の内情は、2歳しか違わない虎彦にはよく汲み取れる。
当時、虎彦も富造のように訝しく思えた。
 テレビ番組での有名なエピソードだが、従来から流れていた井上陽水出演の日産自動車セフィーロのCMが、自粛ムードの高まる最中に改変されて話題になった。
 オリジナルでは車に颯爽と乗っている陽水が「皆さん、お元気ですか!」とにこやかに言うのだが、自粛改変バージョンでは、口パクだけで無音になるという処置がとられた。それでは広告情報として体をなさない。さらに無音の口パクは「皆さん」が「宮さん」に聞こえ、不謹慎との意見を逆に国民から引き出した。
「阿部のお家は、八瀬童子なんや!」
 と、香織はポツンと消えそうな小声を足した。
 八瀬童子(やせどうじ)とは、山城国愛宕郡八瀬郷(現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。室町時代以降は、天皇の臨時の駕輿丁も務めた。伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼の子孫とも伝える。
 寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆる大童であり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため八瀬の童子と呼ばれた。
 比叡山諸寺の雑役に従事したほか天台座主の輿を担ぐ役割もあった。また、参詣者から謝礼を取り担いで登山することもあった。比叡山の末寺であった青蓮院を本所として八瀬の駕輿丁や杣伐夫らが結成した八瀬里座の最初の記録は寛治6年(1092年)、それが記録上確認できる最古の座とされている。
 延元元年(1336年)には、京を脱出した後醍醐天皇が比叡山に逃れる際、八瀬郷13戸の戸主が輿を担ぎ、弓矢を取って奉護した。この功績により地租課役の永代免除の綸旨を受け、特に選ばれた八瀬童子が輿丁として朝廷に出仕し天皇や上皇の行幸、葬送の際に輿を担ぐことを主な仕事とした。
「明治天皇が初めて江戸に行幸した際に、八瀬童子約100名が参列してますね」
 明治元年10月13日のことだが、扇太郎は時々そんな言葉をていねいに挿みながら語った。
 あるいは八瀬童子は、比叡山の寺領に入会権を持ち洛中での薪炭、木工品の販売に特権を認められた。永禄12年(1569年)、織田信長は八瀬郷の特権を保護する安堵状を与え、慶長8年(1603年)、江戸幕府の成立に際しても後陽成天皇が八瀬郷の特権は旧来どおりとする綸旨(りんじ)を下している。
 綸旨とは、蔵人が天皇の意を受けて発給する命令文書のことだ。 綸旨とは本来は「綸言の旨」の略であり、天皇の意そのものを指していたが、平安時代中期以後は天皇の口宣を元にして蔵人が作成・発給した公文書の要素を持った奉書を指すようになった。

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 富造は法輪寺への道を辿りながら、大正天皇崩御の報に接し、ただちに葱華輦(そうかれん)を担ぐ練習を始めた八瀬童子らの姿を想い浮かべていた。富造10歳が眼に遺している映像である。
「大正天皇の大喪儀は、霊柩を乗せた牛車を中心として組まれた葬列であったが・・・」
 その眼には、葬列はたいまつやかがり火等が照らす中を進行した残像がある。
 明治天皇の母親である英照皇太后の葬儀の時は、八瀬童子74名が東上、青山御所から青山坂の停留所、汽車に乗り京都駅から大宮御所まで葬送に参加した。さらに明治天皇の葬送にあたり、喪宮から葬礼場まで棺を陸海軍いずれの儀仗兵によって担がせるかをめぐって紛糾したが、その調停案として八瀬童子を葱華輦(天皇の棺を載せた輿)の輿丁とする慣習を復活させた。
 明治天皇の際には東京と京都、大正天皇の際には東京、なお、昭憲皇太后(1914年)の場合は東京と京都で葬儀に参加した。明治維新後には地租免除の特権は失われていたが、毎年地租相当額の恩賜金を支給することで旧例にならった。この恩賜金支給の例は大正天皇の葬送にあたっても踏襲された。
 阿部富造の50メートルほど後方を、とぼとぼとやってくる小柄な男の影がある。
 山法師のごとく笈(おいづる)を背負い、付かず離れずに一定の距離を保ちながら富造についてくる。御所谷の竹原五郎である。背負うその笈の中身は、後醍醐天皇綸旨、後柏原天皇綸旨など、公武の課役免除に関わる文書、明治天皇・昭憲皇太后の大喪、大正天皇の大礼および大喪に関わる記録類であった。
 富造はにわかに責任のある立場に登用されたわけではない。そういう家系に生を得た。子代を継ぐ重責ときちんと向き合うことで、村落の童子らに伝えるべきものを内面に育んでいく立場なのだ。
 予期せぬ「穴」に落ちたときにどうするのか、常に備えねばならなかった。
 京都の南にある伏見稲荷大社の神は、弥生人と共存した縄文の神である。秦氏と称する渡来人が入って来て平地を稲作農業の田畑としたとき、土着の縄文人は山に逃れてその誇りを保ったのだ。そしてそういう縄文人と里の弥生人との妥協の上に稲荷の神が生まれた。
 しかし叡山に逃れた縄文人は再び山を追われる運命を経験した。叡山が最澄という渡来系の天皇の寵僧の仏教の根拠地になった以上、彼らは山を追われなければならなかった。そしてその一部は東へ滋賀県の坂本へ、一部は西へ京都市の八瀬の里へと逃れた。
 八瀬の人たちは、比叡山の山の薪を採り、その薪を宮中へ入れ、また都で行商を行うとともに、叡山や皇室の輿舁きや警護の役をして辛うじて生計を立てていた。そこには八瀬の人たちを山から追い出した叡山と朝廷のせめてもの慈悲があった。
「なるほど・・・、これが鬼の子孫か」
 扇太郎が語るにつれて虎彦には過ぎるものがある。ふつふつと柳田國男の41歳の論文に「鬼の子孫」の下りがあったことを思い出していた。その柳田國男の民俗学は山人の研究から始まっている。
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 斑鳩を歩きながら富造は山並みを飛ぶ一羽の白鳥を眼に映していた。
 古事記の中巻に、倭健命(やまとたけるのみこと)の望郷歌で「倭(やまと)は国のまほろば・・・」とある。この健命の人生こそ悲劇そのもので、この歌は彼の辞世である。
「この歌は大御葬歌だ。天皇の葬儀に歌われる」
 富造はおもむろに東へと向き直り、足を止めて亀山の能褒野(のぼの)の地を泛かばせた。
 久しく足が遠のいていたが、古事記の舞台をはるばる訪ね、あるいは対峙するようにたたなづく青垣を望郷する人の肖像を描き出そうとすると、今はひからびてみえる奈良の盆地が、いかにも瑞々しく見えてくるではないか。ここのところが古事記という作品の中巻を成す富造の要なのだ。源泉は阿部家に息づいている。子代にしか見えぬ風景がある。
 それは現代人に、あたかも直(じか)に創世の絵巻を見せつけているかのようで、まことに迫力に満ち、息継ぎさえ許してくれないほど、不易なる時の筆捌(さば)きが感じられ、異国にて白鳥となって果てるしか手立てのなかった人の哀しみが鮮やかによみがえるのである。八瀬童子はそれと同じく小さな哀しみに生きている。
 これが一つには古事記のもつ底力であり、ひからびた奈良の魅力なのであろう。富造がそうしたことを確かめるための法輪寺とは、法隆寺の夢殿、中宮寺の前から北へ約十分ほどのところにある。
 しかし、斑鳩(いかるが)の里の小道を歩き、法輪寺、法起寺をたずねる人影は、今はあまりないようだ。やはり法隆寺にて見疲れをして、その多くが奥を見過ごし戻るのであろう。
 春の斑鳩は、まず虚空蔵(こくうぞう)をみて、春の芽ぶく法輪寺あたりから、きた春泥の道をみかえれば法隆寺の塔がひときわ輝いてみえるのである。この哀しみには誰もが、この次はきっと、法隆寺を素通りして法輪寺を志した方が、どれほどのびやかであろうかと思うはずだ。
 そうした哀しみは、北に座して朱雀(すじゃく)を守護する天使の哀しさである。

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 虚空蔵は淡々として掴みどころのない表情で立っていた。
 虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)という修法は、頭脳を明快にし、記憶力を増大させる法力をもっているという。大和法輪寺の虚空蔵は、大変すなおな六等身の立ち姿である。だから、他の飛鳥像よりその法力もさらに自由自在なのであろう。
 飛鳥(あすか)の匂いは面ざしに濃いが、相変わらず斑鳩のそれは、まったく素朴な木像であった。このうつし世に立ち、その何気なく上むけてさし出した右のてのひらに、今まで有ることも知らないでいた、虚空とやらが確かにのせられていた。富造はのせられている虚空を確かに見た。
 そんな仏の法力に茫然として、ながめて苦しくなるような御光にくるまれていると、小石をぶつけられたように苦々しくさえ思う怠情さの中で、仏の仕事とは、人の心に石を投げつける仕事なのだ、と、それがわかる。するとその石を抱きながら、正しいことをくりかえし言う、この世にある人の言葉を、噛みきざみながら、石を投げた仏の前に衿を正して座ることになる。
 奈良とはそうした富造を蘇らせてくれる国なのだ。先祖代々そう教わってきた。
 538年(日本書紀によると552年。元興寺縁起などでは538年)、百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりとされている。
 その後、公伝によると、推古天皇の時代に「仏教興隆(こうりゅう)の詔(みことのり)」が出され、各地で寺院建設も始まるようになる。命ある者がこの世で受ける恩の中でも最も大切な親の恩に対して、感謝をし冥福を祈るために仏像を身近に置きたいと考えた。これが日本における仏教信仰の始動であり、その仏教は、まず飛鳥から広まり斑鳩へと継がれた。
 そう語り詰めた扇太郎は、少し間を置くとかるく唇をなめた。
 すると虎彦は、その一瞬、鋭く眼を光らせた。
「そうか・・・、馬の骨か!」
 虎彦はおのれの記憶と向き合うかの声を甲高くあげた。

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「えッ、どうして・・・それが・・・」
 扇太郎にはその声が、横紙破りのように響いた。
 法隆寺を総本山とする斑鳩の里の、法起寺、法輪寺、門跡寺院の中宮寺などの末寺は、聖徳太子を宗祖とする聖徳宗であるが、この宗派創建の基(もとい)には係わる一冊の本があった。日本国内で現存する最古のその本は、
かの聖徳太子の自筆だと伝えられる『法華義疏』(ほっけぎしょ)である。

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 伝承によればこの本は、推古天皇23年(615年)に作られたもので、日本最古の書物だとされている。日本書紀によると推古天皇14年(606年)聖徳太子が勝鬘経・法華経を講じたという記事があることもあり、法華義疏は聖徳太子の著したものと信じられてきた。そうであるならば、この本は、現存する最古のモノであると同時に、残存する日本最古の写本形でもある。
 つまり中国の書が600年ないし607年の隋との交流から日本にもたらされ、これらを聖徳太子が写し著作したことが推察される。また、このようにして太子が写し執った法華義疏とは『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の一部でもある。
「富造さんは・・・、それらの書と、八瀬に伝承される諸紙を、重ね合わせるために、法起寺あるいは法輪寺を尋ねたたのではないのかい。どうもそんな気がする・・・」
 塗炭に扇太郎を圧倒させた虎彦の喋りは、数多くの臨終に立ち会ってきた医師が説く最期の匙でも投げる宣告ような鋭い響きを伴って扇太郎の耳を叩いた。
 虎彦のそういう三経義疏とは、「法華義疏」(ほっけぎしょ)、「勝鬘経義疏」(しょうまんぎょうぎしょ)、「維摩経義疏」(ゆいまぎょうぎしょ)、この大乗仏教経典三部作の総称であるが、この、それぞれ法華経、勝鬘経、維摩経の三経を写し、注釈書(義疏・注疏)として書き表したモノの一部が法華義疏なのである。現在では法華義疏のみ聖徳太子真筆の草稿とされるものが残存しているが、勝鬘経義疏、維摩経義疏に関しては後の時代の写本のみ伝えられている。
 虎彦はそろそろ確信を得たようだ。こうなると、虎彦は逆説的に語りはじめた。
 厩戸皇子(うまやどのおうじ)である聖徳太子は、このように仏教を厚く信仰した。
 聖徳太子自筆とされている法華義疏の写本(紙本墨書、四巻)は、記録によれば天平勝宝4年(753年)までに僧行信(ぎょうしん)が発見して法隆寺にもたらしたもので、長らく同寺に伝来したが、明治11年(1878年)、皇室に献上され御物となって秘蔵の品されている。
 元来、「本」という漢字は、「物事の基本にあたる」という意味から転じて書物を指すようになった。古くは文(ふみ)、別に書籍、典籍、図書などの語もある。
 そんな虎彦の解き明かしに、逆に扇太郎が身を乗り出してきた。
 英語のbook、ドイツ語のBuchは、古代ゲルマン民族のブナの木を指す言葉から出ており、フランス語のlivre、スペイン語のlibroはもともとラテン語の木の内皮(liber)という言葉から来ている。日本で作られた本、いわゆる和書の歴史は、洋書の歴史とは異なり、いきなり紙の本から始まっている。
 日本書紀によれば610年に朝鮮の僧曇徴が中国の製紙術を日本に伝えたと言われ、現在残っている最古の本は7世紀初めの聖徳太子の自筆といわれる法華義疏であるとされている。また、奈良時代の本の遺品は数千点にのぼり、1000年以上昔の紙の本がこれほど多数残されているのは世界に例が無い。また、日本では製紙法の改良により、楮、三椏などですいた優れた紙の本が生まれている事も特筆すべき点である。

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「さて・・・、そろそろ、山背大兄王(やましろのおおえのおう)だね!」
 と、そう言うと、虎彦はさらに眼をグィと光らせた。
 推古天皇の時代(7世紀前半)、聖徳太子と蘇我馬子の娘・刀自古郎女とのあいだに生まれる。誕生の地は岡本宮(のちの法起寺)で、三井の井戸の水で産湯をつかったと伝えられる。異母妹の舂米女王(上宮大娘姫王)と結婚して7人の子をもうけ、聖徳太子没後は斑鳩宮(法隆寺夢殿の辺り)に居住した。
 太子および推古天皇薨去後、皇位継承をめぐる政争に巻き込まれ、蘇我氏より迫害をうけたのち、皇極2年(643年)に、蘇我入鹿らの軍によって生駒山に追い込まれた。しかし大兄王は、聖徳太子の遺訓「諸悪莫作、諸善奉行(すべての悪いことをするな、善いことをなせ)」を守り、蘇我の軍に戦を挑んで万民に苦を強いることをいさぎよしとせず、斑鳩寺で一族とともに自害した。
 富造の訪れた法輪寺は、推古30年(622年)に聖徳太子の病気平癒を祈って山背大兄王とその子由義(弓削)王が建立を発願したとするほか、聖徳太子が建立を発願し山背大兄王が完成させたという伝承も伝えられている。
「この気魄!、これでは・・・、私が攻め陥落(おと)されるようだ!・・・」
 虎彦の導こうとする結論に、息をつめてその先を聞き急ぐかに居る自分であることにハッとした扇太郎は、それでも古文書の「ぬめり感」を手堅く攻立てる虎彦のそんな口調が、どうにも時代超ぶる風神のようで、逆に圧倒されそうであった。


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                             第17話に続く
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   京都 安倍晴明神社。



  
   京都 安倍晴明神社 一条戻橋。




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京都風土記『花そとば』 第15話

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               第一部 八瀬童子(やせどうじ)   15

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      九  陰陽師 (おんみょうじ)   




 二人の会話に交わらなくぼんやりと中庭をながめていたように思われる香織は、どうやら耳だけは二人の口調に澄ましていた。何かと器用な娘ではある。
「秋子はん・・・結婚してはらん。そんなん聞いたことないわ」
 と、プィと頬を膨らませた口ばしを差し入れた。
「香織ちゃん・・・、これはねッ。以前に、そんな話があった、ということだよ。つまり昔話だ・・・」
 扇太郎は、せっかちな香織を軽くなだめた。
「その秋子とは・・・、たしかあの芹生の里で一度会った、あの和歌子さんの甥子・・・!」
 虎彦は、そんな話を香織から以前に聞いたことがある。 そうふと思い起こすと、虎彦の眼に、黒牛の鼻先に竹籠をかぶせて、手綱を引きつつ通り過ぎた少年の姿が泛かんだ。そうなると、これは香織がそうであるように、虎彦にとってもじつに興味深い気を流行らせる矛先であった。
「少し訊くが・・・、それでは芹生の和歌子さんと、阿部富造の間柄は・・・?」
 香織に目配りをしつつ、虎彦も一つ口数を挿んだ。
「和歌子さんをご存じでしたか。富造さんの妹ですよ。20ほど歳の差がある聞いていますが、一番スソの兄妹ですね。じつは・・・、秋子さんの養母でもありますがね・・・」
 ようやく虎彦にとっても身近な話題になってきた。
「香織ちゃん、丁度よかった。ここから先は、秋子さんの話になる。そして御所谷の五郎さの話にもなる。さらには、香織ちゃん自身にも関わってくるよ。大切な話さ・・・」
 塗炭に香織は黒い瞳を丸くした。
 そんな香織の表情に、扇太郎は微笑むようにして話を先に進めた。
「ここから先は、昭和という時代が終わるころの話になります。したがって13、4年前のこと・・です。東京の件から、しだいに奈良に触れることになります。雨田さん・・・」
 そう言われて、虎彦の眼はさらに輝きを増した。この話は、どこかでМ・モンテネグロと辻褄を合せる一件となるのだ。その目的で、こうして扇太郎と会っている。虎彦はこれまで心の隅に置いていた、終わらない終戦が明日にでも終わることを期待していた。

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 乗って来た黒いセルシオが遠ざかるのを、老人はさも嬉しそうに見届けた。
 その眼差しの裡(うち)には、ふりみふらずみの間の車窓にかげろうた外苑の残像があり、皇居の森の大きな木の下は、こんもりとした茂みの陰を掘面にうつして、いっそう暗く、小雨にけむるうす暗い空には、古閑貞次郎という傷痍(しょうい)者がかって見遺(のこ)した十月の宮城(きゅうじょう)が泛んでいた。
 降りたって、その上を踏むことを許されていないことが、唯一、老人にはこころの救いであり散り惜しむかのようで嬉しいことであった。

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 国会議事堂前の都営バス停から、捧げ銃(つつ)で見送られるなど知る由(よし)もない日曜日の観光リムジンである。おそらく新橋方面にでも消え去るであろうセルシオの後姿を老人は陸軍式に確認すると、くるりと霞ヶ関の高層から背を返して、もう振り返ることもなく並木道の左右に広がる議事堂前の洋式庭園へと歩きはじめた。
 東京の秋はいつも埃(ほこり)っぽく霞んでいる。
 阿部富造は、部屋のドアを閉めながら帽子をかぶり、黒い蝶ネクタイのふくらみを革手袋をはめた手でちょっと直した。午後二時、この頃まではまだ雨は降っていなかった。
 そうして空を見上げると、虎彦は、小一時間前のことを思った。
 道玄坂上交番前から首都高速三号の高架下に向かう南平台までは緩(ゆる)やかな坂になっている。その坂道を下る途中で、虎彦は何台かのタクシーを見送ったあとで、来かかったリムジンを手をあげて止めた。
「おたく日の丸ですね。予約していた阿部だが・・・」
「えっ、・・・おたく様が・・・」
 運転手は、さも長い信号待ちの時間に乗客探しなどするような、つき刺した視線で長々と老人の風体を眺めた。長い沈黙があった後に、運転手はようやく降りてきて後部左ドアを開いた。
「たしか三日前のご予約では、この先の東急電鉄渋谷ビル前だと・・・」
「ああ、たしかに昨日まではね。だが・・・・」
 このとき虎彦は、その先の経緯(いきさつ)を説明することが少し億劫(おっくう)であった。
 昨夜遅く、急に宿泊先を変更することにした。少々のトラブルでそうなってしまったが、今、その内容まで運転手に語る気にはなれなかった。

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「とにかく、予定通り、お願いしたコースで頼むよ・・・」
 たゞ、その言葉だけを返した。
 車は玉川通りから東急南口の交差点を過ぎ、渋谷警察署前で左折すると、青山通りをたゞひたすらに直進した。
「まもなく三宅坂ですが、桜田門、半蔵門、どちらからなさいますか?」
「時計回りとは逆に回ってはくれないか」
 遠目からもあざやかに輝く黒いセルシオは、内堀通りを桜田門へと走った。
「申し訳ないが、見終えるまで語りかけないで欲しい。少し考え事をしたいのだ。無愛想で悪いが、それとスピードだが、ゆっくりと。できたら時速十キロ程度がいい。何なら時々止めてくれてもいい。その他はあなたの判断にすべて任せるよ・・・」
 あらかじめポイントの詳細は予約する際に伝え終えていた。二時間ほどの、ガイド無し案内で頼んである。静かに帽子をとって脇に置いたこのとき、老人は自身の髪の上に、肩に、背に、梢をはなれて土に着くまでの清浄で白いサクラの花びらをとまらせたいと願っていた。軍人であった老人にとって、桜とはやはり自身の棺に納めねばならぬ永遠の花なのである。
 そう扇太郎の語る富造という男の話を聞いていると、虎彦は、富造という男の体臭もまた、香織、御所谷の五郎らが感じさせる体臭に何かしら似て、どことなく共通させるものを感じた。
「1988年4月24日」
 阿部富造はこの日の出来事をしっかりと眼に焼きつけていた。
 昭和天皇、生涯最後の誕生日記者会見がおこなわれた日である。
 記者会見というのは「4月29日の朝刊」に掲載するために、実際には誕生日の前におこなわれることに毎年そうなっていた。その年は「4月24日」であった。
 阿部富造は、その記者会見の言葉を一字一句欠かす事なく暗記している。阿部一族は、毎年そうやってきた。それは理屈ではない阿部家に生まれた富造の生理なのだ。富造はその文言を浮かべた。

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 林鳥亭(四月二十五日)
 爽やかな陽春の気候である。気温も20度くらいであろうか。林鳥亭南側の庭に向かって中央に陛下の御席が設けられ、それに向かい合ってやや細長い和室の中に廊下まではみだして二列に15社30人の椅子席が用意されていた。奥の床の間の棚には、明治21年に島津忠義が献上した薩摩焼子など五点の調度品が飾られ、床には清風作の玳白磁花瓶が置かれ、堂本印象画千代田城の画幅が掛けられていた。
 亭の南面に広がる芝生は澄みきった空からの光を浴びて輝いている。芝生の西側にハクショウの成木が一本立っている。その傍らの桐が花を開いている。陛下は昨日の日曜日の午前のご散策で、桜林のクサノオウの花の群落をご覧になった後、竹林でウラシマソウをご覧になり、竹林の脇の門から吹上の外へお出になられて、林鳥亭までいらっしゃってハクショウをご覧になられたらしい。

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 午後3時7分前に吹上御所御車寄せをお車でお発ちになって、三時二分前に林鳥亭にお着きになる。お席につかれるとすぐ、3時ちょうどに質問がはじめられた。
 幹事記者・・・・・昨年の手術から半年余りたちましたが、最近のご体調はいかがでしょうか。ご健康についてどのようなことを心がけていらっしゃいますか。ご回復に伴いご公務が増えていますが、ご感想などお聞かせ下さい。
 陛下・・・・・・・体調は良く回復したし、四月に入ってからもほとんど毎日宮殿や生研に出かけていますが一向疲れる様子もなく、大分余裕があると思いますが、侍医の意見を尊重して、無理のないように努めています。
 笠原記者・・・・・産経新聞の笠原と申しますが、陛下はもちろん昨年の手術は初めてのご経験であったのですけれども、手術が決定した時陛下はどうお思いでしたか。
 陛下・・・・・・・えー、医者を信用して、何ともそういうことは感じませんでした。
 朝比奈記者・・・・毎日新聞の朝比奈でございますが、陛下、最近の皇后さまのご体調はいかがでございますか。
 陛下・・・・・・・皇后は腰の痛みは安定したようでありますが、まだ膝の故障があるので、歩くのに不自由でありますから、女官の介添えが必要なのであります。その他のことについては落ち着いたようであります。
 幹事記者・・・・・御生研での研究が再開されましたが、ヒドロゾアの研究や『皇居の植物』の執筆などについてご苦心された点などをお聞かせ下さい。
 陛下・・・・・・・えー、普通の学者は研究に専念することができますが、私の立場では、公務の余暇にしなければならないので、研究がどうしても断続的になりますから、成果をまとめるためには長い年月が必要であります。その長い間には分類の進歩や材料の進歩のために、今までの研究を見直す必要があります。材料の、材料や情報の入手には困難な時もあります。出版については、陛下の出版については、えー、準備中でありますから、ここでは話はできません。なお、私は語学力が少ないために十分の研究ができないのであります。
 植物の場合には、林道等の開発のために植物が消失することもありますが、多くの場合はその位置にあるので観察は便利であります。たとえば、佐藤人事院総裁が城山付近で発見したアズマシライトソウが林道の開発のために消失する危険が非常に大きかったので、人事院総裁は私に寄贈してくれましたので、皇居にその植物を植えたのでありますが、幸いに皇居の庭の様子が現地の林相と非常に良く似ていましたので、生長が非常に良くあります。私が人事